ARCHIVE 02フライス盤・マシニングセンタの系譜
回る刃物で平面や溝を削るフライス盤は、旋盤と並ぶ工作機械の柱です。日本では大正の終わりに米国の機械を手本に作り始め、戦後は量産の生産フライス盤と町工場のひざ形フライス盤が広がりました。1958 年に NC が付き、1960 年には工具を自分で取り替える「マシニングセンタ(MC)」の国産第 1 号機が生まれます。そこから立形・横形・門形、無人運転、5 軸へ。社史・1968 年の NC 工作機械カタログ・国立科学博物館の資料・メーカーの沿革で 1 つずつ確かめ、出来事ごとに出典(国立国会図書館の資料はコマ番号)を付けました。
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輸入機を手本に:国産フライス盤(大正〜1945 年)
旋盤より少し遅れて、フライス盤の国産化は大正の終わりに本格的に始まります。のちの日立精機の社史によると、その源流の 1 つ、東京瓦斯電気工業(瓦斯電)の造機部は大正末期に、米シンシナチ社のフライス盤(軽いタイプ)を手本に製作を始めました。当時わずかに輸入されていたシンシナチ社やカーネイ・アンド・トレッカー社の機械には改良の跡がはっきり見え、カタログなどの文献も集めて研究したといいます[1]。10 年後には月産 30 台、国内随一のフライス盤の量産工場になり、1935 年以降の M 形フライス盤が、フライス盤をロット(まとめ)で作った最初の機種になりました[1]。
1921 年の工作機械展覧会がきっかけで、機械学会は 1926 年に旋盤、1929 年にボール盤、1931 年にフライス盤の規格を定めます[2]。1930 年代には専門のメーカーも生まれました。ポンプや紡績機械を作っていた大阪の大阪機械工作所(1938 年に大阪機工)が 1934 年に工作機械に進出し[3]、1937 年 5 月には牧野常造が「1 番立フライス盤」専門の牧野商店製作部(のちの牧野フライス製作所)を始めます[4]。
戦時の統制と受命機
1938 年の工作機械製造事業法で、瓦斯電の大森工場造機部は第 1 回の許可工場になり、翌 1939 年 5 月に日立製作所の子会社の日立工作機として独立しました[1]。1940 年の試験研究令にもとづいて国から試作を命じられた機械(受命機)として、大阪機工は米シンシナチ社の 3 番フライス盤に準じたひざ形フライス盤 MH-3V を 1941 年に作っています。同社はこれを、のちのひざ形フライス盤の原型としています[6]。1941 年 12 月には国産精機・日立工作機・篠原機械が合併して日立精機になりました[1]。資材が足りなくなると、旋盤とフライス盤には部品を減らした「戦時型」が作られます[2]。
ひざ形フライス盤とは。テーブルを載せた台(ニー=ひざ)がコラムに沿って上下する形で、町工場の汎用フライス盤の基本の形です。主軸が横向きなら横フライス盤、縦なら立フライス盤。これに対して、量産の工場ではテーブルの下がベッドで固定された「ベッド形」「生産フライス盤」が使われました。
戦後の汎用フライス盤と生産フライス盤(1945〜1970 年)
戦後のフライス盤づくりは、強い切削に耐える汎用機と、自動車などの量産に向けた生産フライス盤の 2 つの方向で進みます。日立精機は 1954 年に強力形のひざ形横フライス盤 MK 形の 1 号機を完成させ、1955 年に ML 形、1958 年にベッド形の MP 形生産フライス盤を出しました[1]。新潟鉄工所は戦前から米国のシンシナチ形・ミルウォーキー形のフライス盤を作っていましたが[7]、1954 年 7 月に米サンドストランド社と生産フライス盤で技術提携し、1955 年 3 月に第 1 号機の 33SM 形リジッドミルを完成、1965 年末までに 803 台を作っています[7]。
見た目と使いやすさも変わります。遠州製作は 1959 年、工業デザインを取り入れた VF 形立フライス盤を東京国際見本市に出しました。同じ年の横フライス盤 HF 形は、テーブルのねじのがた(バックラッシ)を取る装置で、刃物の回転と送りが同じ向きになる「下向き削り」ができました[10][11]。大阪機工は 1964 年にベッド形の MH-2 1/2V を出し、量産型の汎用フライス盤の原型にしています[16]。牧野は 1958 年 3 月にベストセラーになる立フライス盤 K シリーズを開発しました[4]。
高度成長期には汎用フライス盤も大量に作られました。新潟鉄工所の汎用フライス盤 2UM 形の生産は、1966 年の 194 台から 1967 年 388 台、1968 年 505 台、1969 年 725 台、1970 年には 1,000 台を超えています[7]。
NC フライス盤の誕生(1958〜1967 年)
NC(数値制御)は、刃物やテーブルの動きを数字の指令で動かすしくみです。旋盤の章で見たように、日本では大学と国の研究所が先に試作を始め、すぐにメーカーの機械に広がりました。
1958 年:牧野の NC フライス盤
1958 年、富士通信機製造(いまのファナック)の NC 装置の商用 1 号機が、牧野フライス製作所の NC フライス盤に付きました[8][9]。牧野はこれを「日本最初の NC フライス盤」としています[4]。翌 1959 年 5 月には、通産省工業技術院の機械試験所が数値制御ジグ中ぐり盤 JIDIC を東京国際見本市に出しました。1956 年から 3 年間、55 人の研究者で取り組んだ「工作機械のオートメーション」の成果で、送っているテーブルを止めたときの位置のばらつきが ±0.5μm に収まることを見せて大きな反響を呼びます[12]。
各社の NC フライス盤
- 大阪機工(1960 年):NC フライス盤を完成し、重工メーカーに納める[3]
- 日立精機(1961 年 4 月):2MC 形 3 次元数値制御フライス盤を東京国際見本市に出品[1]
- 新潟鉄工所(1961 年 9 月):最初の NC フライス盤。ベッド形の生産フライス盤の 3 軸を磁気テープで制御した。1964 年にはタレット(刃物台)に工具を並べ、計算機を内蔵して 3 次元で制御する 2DIMT 形へ[7](社史の中で年が 1961〜63 年と食い違う)
- 大隈鉄工所(1963 年):JV 形精密立中ぐり盤に富士通信機製造の自動位置決め装置を付けた機械が、富士通の技報に載る[15]
NC の手前の「プログラム制御」も工夫されました。松浦機械製作所のミクロマン SB-1(1960 年、同社は 1961 年に発売とする)は、主軸の回転数や送りの速さをプログラムで切り替え、前後・左右・上下に 0.02mm 以内で止まる自動立フライス盤で、少量の精密部品の生産性を手動の機械の 3〜5 倍にしたといいます[13][14]。NC 工作機械の統計が始まった 1967 年、NC フライス盤の生産は 52 台で、NC 旋盤(8 台)より多くありました[20]。
①国産マシニングセンタの誕生(1960〜1972 年)
マシニングセンタ(MC)は、NC フライス盤に工具を自動で取り替える装置(ATC)を付けた機械です。1 回取り付けた工作物に、フライス削り・穴あけ・中ぐり・ねじ立てを工具を替えながら続けて行えます。世界で最初の MC とされるのは、米カーネイ・アンド・トレッカー社が 1950 年代後半に作ったミルウォーキマチックです[2](『日本の技術100年』は 1957 年とします)。
1960 年:日立製作所グループの NC 万能工作機
『日本の技術100年』は、日本の MC 時代の始まりを、日立製作所のグループが 1960 年に開発した NC 万能工作機としています。2 本の腕で工具を持ち替える ATC に工具 8 本を持ち、これを「MC の国産第 1 号機」と書いています。翌 1961 年の東京国際見本市に出品し、自社製の NC 装置 HIDAM-43、おそらく国産の NC 工作機械で初めてのボールねじ、磁気テープで動かす NC など、当時としては世界的に見ても新しい工夫を盛り込んだ機械でした。同書は、米国に大きく遅れていたと思われていた時期に、日本の技術者がほぼ同じ時期に MC を考え、形にしていたことを特筆しています[2]。日立製作所は 1963 年にも MC を開発しています[2]。
1966 年:見本市に MC が並ぶ
1966 年の日本国際工作機械見本市には、池貝鉄工・日立精機・牧野フライス製作所・安田工業などが MC を出しました。厳密には ATC を持たないものもありましたが、日本の MC 時代の到来を示す出来事でした[2]。牧野はこの年 10 月の MC を「国産第一号機」としています[4]。池貝鉄工は MC を含む NC 工作機械 3 種を発表し[18]、ジグ中ぐり盤の技術を持つ安田工業は 1964 年の横精密中ぐりフライス盤「ジグマスター」に続いて、MC「プレシジョンセンター」を開発しました[17]。大阪機工のタレットミラー TM-3NC(1966 年)は、主軸 6 本を並べたタレットヘッドを回して工具を替える NC フライス盤で、MC の先駆けとしてよく売れました[19](同社の沿革は 1967 年に「マシニングセンタ」として発売と書きます[3])。
「MC の国産第 1 号」は 2 つある。1989 年の『日本の技術100年』は 1960 年の日立製作所グループの機械を、牧野フライス製作所の沿革は 1966 年の自社の機械を「国産第一号」としています。どちらの資料も何をもって「第 1 号」とするか(試作か製品か、ATC の有無など)を書いていないため、このページでは両方を出典つきで載せています。
1968 年のカタログに見る MC
日本工作機械工業会が 1968 年にまとめた NC 工作機械のカタログでは、「マシニングセンタ」の欄に遠州製作 MB、牧野フライス製作所 MCP-70・MCP-78・MCP-100、日立精機 BD、日立製作所 HTN-10P、新潟鉄工所 50DIU、新日本工機の門形 TM-2H-NC-ATC などが並びます。NC 装置は富士通の FANUC が多く、日本電気の NEDAC、日立の HIDAM、三菱電機の MELDAS、大隈の OSP も使われていました[22]。安田工業の YBM-50N-2・YBM-80NR-3 も「マシニングセンター」として載っています[22]。
同じ 1968 年、大隈鉄工所は MCD 形門形 MC の製造を始め[21]、新潟鉄工所は 9 月に 50DIU を完成させました。主軸頭が立て・横の 2 か所に回って止まり、テーブルが 90 度ずつ割り出すので、1 台で立形と横形の両方の仕事ができます。話題になっていた米サンドストランド社の MC「オムニミル」の情報も検討したうえで自社で開発し、秋の見本市に他の 7 社と並んで出品しました[7]。山崎鉄工所の MC 第 1 号機 BTC No.5 は 1970 年 4 月[23]、新潟鉄工所が工具 20 本の ATC を付けた立形 MC 3MN-ATC を出したのは 1972 年です[7]。
立形・横形の普及と FMS、輸出(1971〜1987 年)
初めのころの MC は、工作物を回して 4 面を削れる横形が中心でした。1970 年代には、値段を抑えた立形が広がります。松浦機械製作所は 1974 年に立形 MC MC-750V を出し、横形より安くできることで航空機・電子部品・金型など立形に向く仕事を掘り起こし、1975 年には米国へ輸出を始めました[25][14]。大阪機工は 1974 年に横形の MCH-500(アームを使わない工具交換)、1977 年に低価格の立形 MCV-500 を出し、MCV-500 は MC の生まれた米国や欧州にも多く輸出されています[26][28]。牧野は 1976 年に立形 MC FNC-A シリーズ[4]、大隈鉄工所は 1980 年に横形 MC MC-H を出しました[21]。
フライス盤も NC と手作業の間を埋める形で進化します。大阪機工は 1971 年に国内最初の電子式倣いフライス盤 MH-5TCV を出し、プラスチックの金型づくりを支えました。1975 年の「オートミラー」MHA-400 は、職人が手で回すハンドルと NC の自動運転を 1 台に持たせて大ヒットしています[24][27]。
無人運転と FMS
MC を何台もつなぎ、工作物の運搬まで自動にする FMS(フレキシブル生産システム)も早くから試みられました。牧野は 1972 年 8 月に適応制御の MC によるトランスファラインを開発し[4]、山崎鉄工所は 1983 年 12 月に長時間の無人運転を目指した「MAZATROL FMS」を完成させます[23]。遠州製作の横形 MC HMC500(1982 年)と、量産ライン向けに早送り・工具交換・割出しを 2 倍以上速くしたライン形 MC HMC-S(1983 年)は、専用機やトランスファーマシンの代わりになる MC の原型になりました[30]。
小さな立形 MC と輸出、貿易摩擦
1980 年代には、小さくて値ごろな立形 MC が広がります。森精機製作所は 1981 年に立形 MC を発表し、1984 年の MV junior は 8 年間で 4,700 台が売れて、小形で値ごろな立形 MC が業界の標準になりました[29]。日本の MC は輸出でも伸び、生産額に対する輸出額の割合は 1986 年に 52% と過半を占めます[31]。米国では 1982 年 5 月、工作機械メーカーが日本製の MC と NC パンチングマシンを投資税額控除の対象から外すよう求めて提訴し、これが 1987 年 1 月から 5 年間の NC 旋盤・MC などの対米輸出自主規制(VRA)につながりました[31]。円高も重なって、MC の輸出比率は 1989 年以降 30% 台に下がります[31]。技術の流れも一方向ではなくなり、安田工業は 1983 年と 1986 年に MC の製造技術を英国の工作機械メーカーに供与しています[17]。
★高速化・5 軸・5 面へ(1985 年〜)
1980 年代後半からは「速さ」の競争です。大阪機工の高速立形 MC PCV-40(1985 年)は、国内の量産機で初めてカムで動かす ATC を使い、速くて安定した工具交換がその後の標準になりました[32]。松浦機械製作所の FX-5(1988 年)は、モーターを主軸に組み込んだビルトインモーターで毎分 2 万回転(オプションで 3 万・4 万回転)を出し、アルミの超高速加工と焼入れ鋼の切削を実現しました[33]。ヤマザキマザックは 1996 年に早送りの加速度が 1G を超える横形 MC FF-510 を完成させています[23]。
工作物の向きを機械が変える 5 軸加工も、1990 年代に実用の機械になります。松浦機械製作所は 1991 年に 72 時間の連続無人運転ができる 5 軸 MC を出し[14]、ヤマザキマザックは 1999 年に多面・5 軸加工機 VARIAXIS 200 を完成させました[23]。大形の門形も、主軸の向きを変えて 5 面を削るのが当たり前になり、2020 年にはオークマが MCR-BⅤ、ヤマザキマザックが FJW-100/160 という 5 面加工の門形 MC を出しています[21][23]。牧野は 2021 年に 5 軸制御の横形 MC a800Z を開発しました[4]。メーカーの顔ぶれも変わり、フライス盤の老舗だった日立精機は 2002 年に営業の一部を森精機製作所に譲っています[34]。
現場で何に効くか。いまの MC の当たり前(ボールねじ、ATC、工具マガジン、割出しテーブル、カム式の工具交換、ビルトインモーターの高速主軸、5 軸)は、ここに挙げた 1960〜90 年代の機械で 1 つずつ足されてきたものです。1982 年以降に日本工作機械工業会が定めたり改めたりした業界の規格(MAS)には、MC の主軸端の形とツーリングの BT50・BT40 が入っています[31]。古い MC の仕様書を読むとき、「この機能はいつからあるか」を知っていると読み方が変わります。
⑂メーカーの系図
フライス盤と MC の歴史に出てくる主なメーカーの、社名の移り変わりと合併です。帯の色が変わるところで社名が変わっています。
見に行ける機械
実物が残っている所です。公開日・見学の可否は、行く前にそれぞれの施設の案内で確かめてください。旋盤の章の見に行ける名機もあわせてどうぞ。
⌛年表
この章で確かめた出来事のすべてです。番号は出典、「コマ」は国立国会図書館デジタルコレクションのページで、押すとその資料が開きます(個人送信の資料はログインが要ります)。
輸入機を手本に:国産フライス盤大正〜1945 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1910年明治43年 | 東京瓦斯工業の大森工場に造機部ができる。のちの東京瓦斯電気工業の造機部で、日立精機のフライス盤の源流 | 東京瓦斯工業(のちの日立精機の源流) | [1・コマ54] |
| 大正末期大正14年 | ★東京瓦斯電気工業の造機部が、米シンシナチ社のフライス盤(ライトタイプ)を手本にフライス盤を作り始める。輸入されていたシンシナチ社・カーネイ・アンド・トレッカー社の機械の改良点も研究した | 東京瓦斯電気工業 | [1・コマ23][1・コマ24] |
| 1931年昭和6年 | 機械学会がフライス盤の規格を定める(1921 年の工作機械展覧会がきっかけ。旋盤は 1926 年、ボール盤は 1929 年) | — | [2・コマ46] |
| 1934年昭和9年 | 大阪機械工作所(ポンプ・水道メーター・紡績機械のメーカー)が工作機械の製造を始める。1938 年に大阪機工と改称 | 大阪機工 | [3] |
| 1935年以降昭和10年 | 瓦斯電の M 形フライス盤が、国内で初めてフライス盤をロット生産した機種になる。造機部は月産 30 台、国内随一のフライス盤の量産工場に | 東京瓦斯電気工業M形 | [1・コマ24] |
| 1937年5月昭和12年 | ★牧野常造が 1 番立フライス盤の専門メーカー「牧野商店製作部」を創業(1942 年 3 月に牧野竪フライス製作所) | 牧野 | [4] |
| 1938年昭和13年 | 工作機械製造事業法で、瓦斯電の大森工場造機部が第 1 回の許可工場になる | 東京瓦斯電気工業 | [1・コマ55] |
| 1939年5月昭和14年 | 瓦斯電の造機部が独立し、日立製作所の子会社の日立工作機になる | 日立工作機 | [1・コマ55] |
| 1940年昭和15年 | 米シンシナチ社の M 形を手本にした瓦斯電の横フライス盤(1940 年製)。日本工業大学 工業技術博物館に残る | 東京瓦斯電気工業 | [5] |
| 1941年昭和16年 | 大阪機工が、1940 年の試験研究令による受命機として米シンシナチ社の 3 番フライス盤に準拠した MH-3V ひざ形フライス盤を開発。以後の同社のひざ形の原型 | 大阪機工MH-3V | [6] |
| 1941年12月昭和16年 | 国産精機・日立工作機・篠原機械の 3 社が合併して日立精機になる | 日立精機 | [1・コマ52][1・コマ59] |
戦後の汎用フライス盤と生産フライス盤1945〜1970 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1954年昭和29年 | 日立精機が強力形のひざ形横フライス盤 MK 形の 1 号機を完成(1955 年に ML 形) | 日立精機MK形 | [1・コマ25][1・コマ26] |
| 1954年7月昭和29年 | 新潟鉄工所が米サンドストランド社と生産フライス盤の製造で技術提携 | 新潟鐵工所 | [7・コマ247] |
| 1955年3月昭和30年 | 新潟鉄工所が生産フライス盤の第 1 号機 33SM 形リジッドミルを完成。1965 年末までに 803 台 | 新潟鐵工所33SM形 | [7・コマ241][7・コマ244] |
| 1958年昭和33年 | 日立精機が MP 形生産フライス盤(ベッド形)を完成 | 日立精機MP形 | [1・コマ26] |
| 1959年昭和34年 | 遠州製作が工業デザインを取り入れた VF 形立フライス盤を東京国際見本市に出品。横フライス盤 HF 形はバックラッシ除去装置で下向き削りができた | 遠州VF形・HF形 | [10][11] |
| 1964年昭和39年 | 大阪機工がベッド形フライス盤 MH-2 1/2V を開発。量産型の汎用フライス盤の原型に | 大阪機工MH-2 1/2V | [16] |
| 1966〜70年昭和45年 | 汎用フライス盤も伸びる。新潟鉄工所の 2UM 形の生産は 1966 年 194 台から 1969 年 725 台、1970 年に 1,000 台を超える | 新潟鐵工所2UM形 | [7・コマ437] |
NC フライス盤の誕生1958〜1967 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1958年3月昭和33年 | ★牧野が立フライス盤 K シリーズと、日本最初の NC フライス盤を開発。NC 装置は富士通信機製造の商用 1 号機 | 牧野・富士通 | [4][8][9] |
| 1959年5月昭和34年 | ★通産省 工業技術院の機械試験所が数値制御ジグ中ぐり盤 JIDIC を東京国際見本市に出品。止まる位置のばらつき ±0.5μm を実演 | 機械試験所JIDIC | [12] |
| 1960年昭和35年 | 松浦機械製作所のミクロマン SB-1:主軸の回転や送りの切り替えをプログラムで制御し、3 方向に 0.02mm 以内で止まる自動立フライス盤(同社は 1961 年に生産・販売開始とする) | 松浦ミクロマン SB-1 | [13][14] |
| 1960年昭和35年 | 大阪機工が NC フライス盤を完成し、重工メーカーに納める | 大阪機工 | [3] |
| 1961年4月昭和36年 | 日立精機が 2MC 形 3 次元数値制御フライス盤を東京国際見本市に出品 | 日立精機2MC形 | [1・コマ167] |
| 1961年9月昭和36年 | 新潟鉄工所が最初の NC フライス盤(ベッド形の生産フライス盤を 3 軸とも磁気テープで制御)を作る同じ社史の別の箇所は 1962 年 9 月・1963 年試作とも書く | 新潟鐵工所2DIM形(822S MEVN形) | [7・コマ248][7・コマ434] |
| 1963年4月昭和38年 | 富士通の技報に、大隈鉄工所の JV 形精密立中ぐり盤に富士通信機製造の P 形自動位置決め装置を付けた機械 | 大隈・富士通JV形 | [15・コマ2][15・コマ11] |
| 1964年昭和39年 | 新潟鉄工所がタレット形 NC フライス盤 2DIMT(計算機内蔵の 3 次元制御、工具の自動変換)を開発。のちのタレット形 MC 3DIMT・3MNT の元社史は 1964 年 11 月と 3 月の両方を書く | 新潟鐵工所2DIMT形 | [7・コマ249][7・コマ434] |
| 1964年昭和39年 | 安田工業が横精密中ぐりフライス盤「ジグマスター」を開発。同年、松浦機械製作所が数値制御自動フライス盤の生産・販売を始める | 安田工業ジグマスター | [17][14] |
| 1967年昭和42年 | NC 工作機械の統計が始まる。この年の NC フライス盤の生産は 52 台で、NC 旋盤(8 台)より多かった | — | [20] |
国産マシニングセンタの誕生1960〜1972 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1960年昭和35年 | ★日立製作所のグループが、2 アーム式の ATC(工具 8 本)を持つ NC 万能工作機を開発=マシニングセンタの国産第 1 号機。自社製の NC 装置 HIDAM-43、おそらく国産 NC 機で初のボールねじ、磁気テープの NC。翌 1961 年の東京国際見本市に出品 | 日立製作所NC 万能工作機(NC 装置 HIDAM-43) | [2・コマ92] |
| 1963年昭和38年 | 日立製作所がマシニングセンタを開発(『日本の技術100年』の図版) | 日立製作所 | [2・コマ92] |
| 1966年昭和41年 | ★日本国際工作機械見本市に池貝鉄工・日立精機・牧野フライス製作所・安田工業などがマシニングセンタを出品。厳密には ATC を持たないものもあったが、MC 時代の始まりを示した | — | [2・コマ92] |
| 1966年昭和41年 | 池貝鉄工がマシニングセンタを含む NC 工作機械 3 種を発表。安田工業もマシニングセンタ「プレシジョンセンター」を開発 | 池貝・安田工業 | [18][17] |
| 1966年昭和41年 | 大阪機工のタレットミラー TM-3NC:主軸 6 本のタレットヘッドで工具を自動で替える NC フライス盤同社の沿革は 1967 年に「数値制御複合工作機(マシニングセンタ)タレットミラー」を開発・発売とする | 大阪機工TM-3NC | [19][3] |
| 1966年10月昭和41年 | 牧野フライス製作所がマシニングセンタを開発(同社は「国産第一号機」とする) | 牧野 | [4] |
| 1968年昭和43年 | 大隈鉄工所が MCD 形門形マシニングセンタの製造を始める | オークマMCD形 | [21] |
| 1968年昭和43年 | ★日本工作機械工業会の NC 工作機械カタログのマシニングセンタの欄に、遠州製作 MB、牧野 MCP-70・78・100、日立精機 BD、日立製作所 HTN-10P、新潟鉄工所 50DIU、新日本工機 TM-2H-NC-ATC などが並ぶ | — | [22・コマ16][22・コマ17] |
| 1968年9月昭和43年 | 新潟鉄工所が MC 50DIU を開発。主軸頭が立て・横の 2 位置に旋回し、テーブルは 90 度ごとに割り出す。秋の東京国際工作機械見本市に出品 | 新潟鐵工所50DIU | [7・コマ433][7・コマ437][22・コマ51] |
| 1970年4月昭和45年 | 山崎鉄工所がマシニングセンタの第 1 号機 BTC No.5 を完成 | ヤマザキマザックBTC No.5 | [23] |
| 1972年昭和47年 | 新潟鉄工所が工具 20 本までの ATC を付けた立形 MC 3MN-ATC を開発 | 新潟鐵工所3MN-ATC | [7・コマ433] |
立形・横形の普及と FMS、輸出1971〜1987 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1971年昭和46年 | 大阪機工が国内最初の電子式倣いフライス盤 MH-5TCV を開発。プラスチック金型の需要に応え、データで直接削る時代まで金型づくりの主流に | 大阪機工MH-5TCV | [24] |
| 1972年8月昭和47年 | 牧野フライス製作所が適応制御のマシニングセンタによるトランスファライン(FMS)を開発 | 牧野 | [4] |
| 1974年昭和49年 | ★松浦機械製作所が立形マシニングセンタ MC-750V を出す。横形が中心の時期に、立形で値段を下げた。1975 年に米国へ輸出を始める | 松浦MC-750V | [25][14] |
| 1974年昭和49年 | 大阪機工が横形マシニングセンタ MCH-500 を開発(アームを使わない工具交換) | 大阪機工MCH-500 | [26] |
| 1975年昭和50年 | 大阪機工の NC フライス盤「オートミラー」MHA-400:手で回すハンドルと NC の自動運転の両方を持ち、大ヒット | 大阪機工MHA-400 | [27] |
| 1976年9月昭和51年 | 牧野フライス製作所が立形マシニングセンタ FNC-A シリーズを開発 | 牧野FNC-A | [4] |
| 1977年昭和52年 | 大阪機工が低価格の立形マシニングセンタ MCV-500 を出し、米国・欧州にも多く輸出 | 大阪機工MCV-500 | [28] |
| 1980年昭和55年 | 大隈鉄工所が MC-H 形横形マシニングセンタの製造を始める | オークマMC-H | [21] |
| 1981年昭和56年 | 森精機製作所が立形マシニングセンタを発表 | 森精機製作所 | [29] |
| 1982年昭和57年 | 遠州製作が横形 MC HMC500 を完成。1983 年には量産ライン向けのライン形 MC HMC-S を出し、ライン形 MC の原型に | エンシュウHMC500・HMC-S | [30] |
| 1982年以降昭和57年 | 日本工作機械工業会の規格(MAS)に、MC の主軸端の形状・寸法、MC 用ツーリングシステム BT50・BT40 などが定められる(制定・改正) | — | [31・コマ39] |
| 1982年5月昭和57年 | 米国の工作機械メーカーが、日本製の MC と NC パンチングマシンを投資税額控除の対象から外すよう米政府に提訴 | — | [31・コマ28] |
| 1983年昭和58年 | 安田工業がマシニングセンタ YPC30 の製造技術を英国の工作機械メーカーに供与(1986 年に YPC45H も) | 安田工業YPC30 | [17] |
| 1983年12月昭和58年 | 山崎鉄工所が長時間の無人運転システム「MAZATROL FMS」を完成 | ヤマザキマザック | [23] |
| 1984年昭和59年 | ★森精機製作所の小形立形 MC MV junior。8 年間で 4,700 台が売れ、小形で値ごろな立形 MC が業界の標準に | 森精機製作所MV junior | [29] |
| 1986年昭和61年 | ★マシニングセンタの輸出比率(生産額に対する輸出額)が 52% でピーク。円高で 1989 年以降は 30% 台に | — | [31・コマ47] |
| 1987年1月昭和62年 | NC 旋盤・マシニングセンタなどの対米輸出自主規制(VRA)が 5 年間の約束で始まる(1986 年 12 月に日米政府が妥結) | — | [31・コマ14][31・コマ58] |
高速化・5 軸・5 面へ1985 年〜
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1985年昭和60年 | 大阪機工の高速立形 MC PCV-40:国内の量産機で初めてカム式の ATC を使い、以後の標準に | 大阪機工PCV-40 | [32] |
| 1988年昭和63年 | 松浦機械製作所の FX-5:ビルトインモーターで毎分 2 万回転(オプション 3 万・4 万回転)の主軸。超高速機の先駆け | 松浦FX-5 | [33] |
| 1989年7月平成元年 | 牧野フライス製作所が横形マシニングセンタ A55 を開発 | 牧野A55 | [4] |
| 1991年平成3年 | ★松浦機械製作所が無人運転に対応した 5 軸マシニングセンタを出す(72 時間の連続無人運転) | 松浦 | [14] |
| 1996年10月平成8年 | ヤマザキマザックが早送りの加速度 1G を超える超高速横形 MC FF-510 を完成 | ヤマザキマザックFF-510 | [23] |
| 1999年10月平成11年 | ヤマザキマザックが多面・5 軸加工機 VARIAXIS 200 を完成 | ヤマザキマザックVARIAXIS 200 | [23] |
| 2002年9月平成14年 | 森精機製作所が日立精機から営業の一部を譲り受ける | 森精機製作所・日立精機 | [34] |
| 2020年令和2年 | 門形も 5 面加工が当たり前に。オークマが 5 面加工門形 MC MCR-BⅤ、ヤマザキマザックが FJW-100/160 を出す | オークマ・ヤマザキマザックMCR-BⅤ・FJW-100/160 | [21][23] |
| 2021年1月令和3年 | 牧野フライス製作所が 5 軸制御横形マシニングセンタ a800Z を開発 | 牧野a800Z | [4] |
この先と関係するページ
出典
国立国会図書館の資料は、個人向けデジタル化資料送信サービスの全文検索で 2026 年 10 月に確かめ、使ったコマを書いています。国立科学博物館の産業技術史資料データベースの記述の多くは、日本工作機械工業会がメーカーの協力で調べたものです。メーカーの沿革は各ページを同じ月に確かめました。社史や沿革の年は、同じ機械でも資料によって 1〜2 年ずれることがあります(試作・完成・発表・発売の違い)。
- 『日立精機二十五年の歩み』日立精機(1963)コマ 23・24・25・26・52・54・55・59・167
- 『日本の技術100年 ビジュアル版 第7巻』筑摩書房(1989)コマ 46・92
- ニデックオーケーケー(旧 大阪機工)「沿革」
- 牧野フライス製作所「沿革」
- 国立科学博物館 HITNET 産業技術史資料共通データベース「横フライス盤」(日本工業大学 工業技術博物館の収蔵品)
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「MH型ひざ形フライス盤 MH-3V」
- 『新潟鉄工所八十年史』(1977)コマ 241・244・247・248・249・433・434・437
- ファナック「ファナックの歴史」
- 電気学会「でんきの礎 NC装置(数値制御装置)」(2013年顕彰)
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「VF形立フライス盤」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「1S(HF形)横フライス盤」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「数値制御ジグ中ぐり盤 JIDIC」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「自動定寸プログラム制御多サイクル自動立フライス盤 ミクロマンSB-1型」
- 松浦機械製作所「沿革について」
- 『Fujitsu:技術情報誌』13(6)(1963年4月)コマ 2・11
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「MH型ベッド形フライス盤 MH-2 1/2V」
- 安田工業「YASDAのあゆみ」
- 池貝「企業情報(沿革)」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「TM型NCフライス盤(タレットミラー)TM-3NC」
- 日髙千景「NC工作機械に関する考察(2):1950年代・1960年代の日本」『三田商学研究』62巻6号 pp.73-94(2020年)
- オークマ「沿革」
- 日本工作機械工業会事務局『数値制御工作機械カタログ 1968年版』(1968)コマ 16・17・51
- ヤマザキマザック「沿革」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「MH-TC型電子式倣いフライス盤 MH-5TCV」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「数値制御 立形マシニングセンタ MC-750V」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「MCH型横形マシニングセンタ MCH-500」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「MHA型NCフライス盤(オートミラー)MHA-400」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「MCV型立形マシニングセンタ MCV-500」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「立形マシニングセンタ MV junior」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ライン形マシニングセンタ HMC-S」
- 日本工作機械工業会『成長、変革-。10年の記録 1982-91』(1992)コマ 14・28・39・47・58
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「PCV型高速立形マシニングセンタ PCV-40」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「数値制御 立形マシニングセンタ FX-5」
- DMG森精機「History」
- 日本機械学会「機械遺産 第91号 日本工業大学の所蔵する歴史的工作機械群」
- 『工作機械業界』教育社(1978)
- ニイガタマシンテクノ「歴史・沿革」