ARCHIVE 03研削盤の系譜
砥石で少しずつ削る研削盤は、焼入れした硬い部品を μm(1000 分の 1 mm)の精度に仕上げる、工作機械の「最後の仕上げ役」です。日本では大正の初めに米国の工具研削盤を手本に作り始め、戦時に油圧式の万能研削盤が量産されました。戦後は軸受と自動車部品の量産に合わせて精度と速さを磨き、NC、CBN 砥石、ナノメートルの超精密へ進みます。社史・当時の工作機械カタログ・機械遺産・国立科学博物館の資料・メーカーの沿革で 1 つずつ確かめ、出来事ごとに出典(国立国会図書館の資料はコマ番号)を付けました。
仕上げの精度は
軸受と砥石で
決まるんだ!

輸入機を手本に:研削盤の国産化(大正〜1945 年)
研削盤の国産化は、刃物を研ぐ「工具研削盤」から始まりました。大隈鐵工所(いまのオークマ)の社史によると、同社は 1918 年、陸軍工廠から図面を受けて、米ノルトン社の No.1 万能工具研削盤を手本に GA-1 形工具研削盤を作りました。これが同社の研削盤づくりの始まりです[2]。翌 1919 年には米ヒールド社の製品を手本に内面研削盤も作りましたが、3 台で終わっています。大正の後半には米ブラウン・アンド・シャープ社の No.13 にならった GA-2 形万能工具研削盤を作り、昭和に入っても主力は GAG 形・GM 形の万能工具研削盤でした[2]。池貝鉄工所も大正期には研削盤を含むほとんどあらゆる種類の工作機械を作っています[3]。
精密な研削盤そのものは、長く輸入に頼っていました。ゲージメーカーの黒田挾範製作所(いまの黒田精工)が 1936 年に買った独リンドナー社のねじ研削盤は日本で 3 台目で、月の生産額より高い買い物だったといいます[7]。
軸受と航空機のための研削盤
1930 年代の後半、航空機の生産が急がれると、高性能の研削盤が足りなくなります。大隈は 1938 年に研削盤の専門工場として上飯田工場を新設しました[2]。1939 年の総動員試験研究命令(国が試作を命じる制度)にもとづいて大隈は 1941〜44 年に各種の研削盤を試作し、その代表が GHU 形万能研削盤です。米ランジス社の研削盤を手本にした油圧式で、1941 年 10 月に審査を終え[3]、円筒・内面・平面の研削ができ、1945 年までに 500 台作られて戦後の研削盤生産の基礎になりました[10]。同じ 1939 年には津上製作所も、商工省の奨励金で油圧式万能円筒研削盤 T-UG300 を完成させています[9]。
軸受(ベアリング)の量産には、軸を支えるセンタを使わずに丸い部品を連続して削る「センタレス(心なし)研削盤」が欠かせません。日本精工の社史は、その原型が 1916 年に現れたと書いています[1]。国内では浜松の日進機械製作所が 1940 年にセンタレスグラインダの製造を始め[6]、日本精工は 1939〜40 年に軸受を削る専用の研削盤(ころの外径を削る心なし研削盤、つばやみぞを削る研削盤)を自社で設計しました。1942 年には商工省の指示で軸受専用の研削盤の国産化が進められ、平面研削盤・内面研削盤・玉軸受のみぞ研削盤が国産化されています[1]。
研削盤の主な種類。丸い軸の外側を削る円筒研削盤(砥石台が首を振れて内面も削れるものが万能研削盤)、穴の内側を削る内面研削盤、平らな面を削る平面研削盤、センタで支えずに 2 つの車の間で回しながら削るセンタレス研削盤。ほかに、歯車・ねじ・カム・工具の刃先など、決まった形を削る専用の研削盤があります。
円筒・平面・内面・センタレスが出そろう(1945〜1970 年)
戦後、研削盤のメーカーは一から出直します。日進機械製作所は戦災で一度解散し、1947 年に日進織機として再出発して、1950 年にセンタレスグラインダの製造を再開しました[6]。北九州の三井ハイテックは 1950 年、中古の機械の部品を組み合わせて平面研削盤の 1 号機を作り、これが同社が初めて自分で作った機械になりました[11]。
平面研削盤では、1953 年に岡本工作機械製作所が PSG-6 形を開発し、同社はこれを国産初の平面研削盤としています。翌 1954 年には内面研削盤 IGM シリーズ、1969 年には円筒研削盤 OGM シリーズを出しました[4]。同じ 1953 年、黒田挾範製作所は金型をつくるために横軸の平面研削盤 GS-201 を自社用に開発します。多くの金型工場に入り、外からの要望を受けて 1963 年に本格的に市販されました[7][12]。黒田は 1965 年に黒田精工に改称し、同じ年に英ダイヤフォーム社と提携して、砥石の形を整える装置を組み込んだ平面研削盤を出しています[7]。三井ハイテックは 1963 年、超硬合金も削れる手動成形用の平面研削盤 MSG-1 を開発しました[22]。
円筒研削盤では、福山で織機を作っていたシギヤが 1952 年に万能兼工具研削盤の開発に手を付け、1958 年に工作機械の製造へ全面的に移って、1959 年に G-24 形円筒研削盤を完成させています[15]。
1963 年の『国産工作機械綜合カタログ』を開くと、円筒研削盤(大隈鐵工所・豊田工機ほか)、心なし研削盤(日進機械製作所・日平産業・日本研磨機)、平面研削盤と光学式の成形研削盤(岡本工作機械製作所)、工具研削盤(和井田製作所・豊和産業)などが並び、主な種類の研削盤が国産で出そろったことがわかります[20]。
高精度化と量産:軸受と自動車部品(1954〜1975 年)
研削盤の精度を決めるのは、砥石を回す主軸の軸受です。大隈鐵工所の長岡振吉は、主軸のまわりの 3 か所にくさび形の油膜をつくって回転の精度と剛性を高める「大隈式非真円平軸受」を開発しました。機械遺産は開発を 1954 年、国立科学博物館のデータベースは 1943 年としています[13][14]。
1956 年:GPB 形サイクリック円筒研削盤
大隈は国の補助金を受けて、玉軸受のみぞを削る専用研削盤 GIR 形・GOR 形(1954 年度)、GCP-150・GCP-250 形円筒研削盤(1955〜56 年)を作り、1956 年 3 月に GPB 形サイクリック円筒研削盤を完成させました。荒削り・仕上げ・定寸(寸法を測って止める)を一続きのサイクルで自動で行う機械で、同年の第 2 回大阪国際見本市で注目されています[2]。非真円平軸受を使った GPB 形は 1969 年までに約 700 台作られ、鏡のような仕上げ面を量産の中で実現しました。2013 年に軸受とともに機械遺産第 59 号に選ばれています[13]。
豊田工機とジャンドルン社
自動車の量産は、研削盤に新しい需要を生みます。トヨタ自動車工業から分かれた豊田工機は 1955 年、仏ジャンドルン社と円筒研削盤で技術提携しました[16]。ジャンドルンの研削盤は流体軸受という当時の国産機と違う機構で、社内にも不安がありましたが、工業会の代表や大隈の社長にも説明して提携に踏み切ったと社史は書いています[17]。最初の研削盤トヨダ・ジャンドルン円筒研削盤 RA25-100 は 1956 年の見本市に出品され、静圧流体軸受で関心を集め、クランクシャフトのジャーナル研削などで自動車産業を支えました[18][17]。
売れ行きは量産のやり方も変えます。トヨダ・ジャンドルンは発売 3 年で受注 350 台に達し、豊田工機は 1961 年 8 月に研削盤の組立をコンベヤで流すラインを完成させて、LG 研削盤を月 40 台で作り始めました(同社は「世界初」とします)[21]。1965 年にジャンドルン社との提携を終えて自社の「TOYODA 研削盤」を発表し[17]、1966 年には、海外のメーカーが独占していた全自動のカム研削盤を GCA 形として独自に作りました。自社の高剛性の流体軸受で海外製と同等以上の精度を出し、自動車メーカーに多く入っています[24]。
センタレスも速く、自動になります。日進機械製作所は 1970 年、軸受と案内面の両方を油の圧力で浮かせる静圧高速センタレスグラインダ HI-GRIND 2 形を第 5 回日本国際工作機械見本市に出し、1973 年には寸法を測りながら削る計測ゲージ付きの全自動センタレスグラインダを本格的に生産しました[6]。
NC 研削盤(1964〜1990 年)
研削盤の NC 化は、旋盤やフライス盤より少し遅れて始まります。1964 年 10 月の第 2 回日本国際工作機械見本市に、大隈は自社で開発した NC 装置 OSP200 を付けた GCS-N 形数値制御円筒研削盤を出品しました。工作機械メーカーが自分で開発した NC 装置として注目されています[2]。同じ年、豊田工機は数値制御カム研削盤 GCN15 を出しました[21]。
1968 年に日本工作機械工業会がまとめた NC 工作機械のカタログには、日平産業の数値制御円筒研削盤 CGK-NC(NC 装置は富士通の FANUC)と、豊田工機の GCN15-100 数値制御カム研削盤、砥石台・テーブル・主軸台の 3 軸を同時に制御する GUN20-100 多目的数値制御研削盤、GCN400V 数値制御カムプロフィル研削盤が載っています[23]。同じ 1968 年、岡本工作機械製作所は CNC 平面・成形研削盤 NFG-5 形を開発しました(同社は「世界初」とします)[4]。
1970 年代からは、海外の技術も入れながら大形・高精度の NC 研削盤が増えます。オーエム製作所は仏ベルチェ社との技術提携で NC 付きの立型研削盤 VGM-125 を 1971 年に導入し、サブミクロンの精度を出す技を身につけました[25]。和井田製作所は 1978 年に CNC 成形研削盤、1982 年に CNC ジグ研削盤の生産を始め[19]、シギヤ精機製作所は 1980 年に最初の CNC 円筒研削盤 GN-27 を完成させています[15]。1985 年のオーエム製作所の門型平面研削盤 PGD-1308 は、テーブルを油圧でなくボールねじで送って熱を抑え、数値を入れるだけで全自動の研削サイクルを回しました[27]。
1990 年の豊田工機の CNC 汎用円筒研削盤 GL4 は、図面の情報を入れるだけで研削条件を自動で決める学習機能を持ちました(同社は研削盤で世界初とします)[21]。同じ年、1986 年に長岡で生まれた太陽工機が立形研削盤の販売を始め、のちに同社の主力になっています[28]。
★CBN・高速研削・超精密・複合研削(1970 年〜)
砥石を速く回せば、同じ時間にたくさん削れます。津上製作所の 1971 年の製品案内は、砥石の周速を毎分 1,800m(秒速 30m)から 3,600m(秒速 60m)に上げた精密高速円筒研削盤 PG350 を、自動車部品などの量産向けに載せています[9]。
CBN 砥石
ダイヤモンドに次いで硬い CBN(立方晶窒化ほう素)の砥石は、ダイヤモンドが苦手な焼入れ鋼をよく削ります。豊田工機では 1972 年ごろ、東京工業大学の指導でダイヤモンド砥石を研究していた技術者が CBN の砥粒を手に入れ、カム研削への応用を始めました。その CBN 生産形カム研削盤は 1977 年 10 月に機械振興協会賞を受けています[17]。豊田工機は 1980 年に CNC/CBN 円筒研削盤の生産を始め[16]、1984 年ごろから研削盤の本格的な CNC 化・CBN 化を進めました[21]。1985 年には手本のカムを使わずに CNC でカムの形を削るマスタレスカム研削盤の開発に入り[17]、シギヤ精機製作所も 1996 年に CNC マスタレスカム研削盤 GCM-30 を出しています[15]。
超精密と複合研削
1980 年代からは、セラミックス・ガラス・シリコンなど割れやすい材料を、ナノメートルの精度で削る超精密研削盤が増えます。日進機械製作所は 1983 年にセラミックス用の超精密研削盤、1985 年に超精密センタレスグラインダの実用機 UG-1000 形、1987 年にナノメートル級の小形センタレス「ナノトロン」を開発しました[6]。オーエム製作所の超精密縦軸平面研削盤 SFG(2001 年)は、HDD のガラス基板やシリコンウエハを、研削する力を一定に保って傷めずに削ります[31]。岡本工作機械製作所は 2007 年、静圧案内面の方式で世界最大級(同社の表現)の超精密門形平面研削盤 UDG10035NC を完成させています[4]。
1 台で何種類もの研削をこなす「複合化」も進みました。大阪機工の HPV400-GC(1992 年)は、マシニングセンタの多機能さを研削に生かしたグラインディングセンタで、セラミックス・ガラスから超硬・焼入れ鋼まで削ります[29]。2010 年にはシギヤ精機製作所が、工作物を両端のセンタで支える立形の CNC アンギュラ円筒研削盤 GAV-10・15 を開発し(同社は日本初とします)[15]、2014 年には岡本工作機械製作所の CNC 精密複合円筒研削盤 UGM360NC、太陽工機の立形複合研削盤 CVG シリーズが出ています[4][28]。
現場で何に効くか。いまの研削盤の当たり前(油や空気で浮かせる静圧の軸受と案内、寸法を測りながら削る定寸装置、CNC、CBN 砥石、砥石の形を整えるドレッサ)は、ここに挙げた 1950〜80 年代の機械で 1 つずつ足されてきたものです。中古の研削盤や古い図面の仕様を読むとき、「軸受は何か」「定寸は付いているか」「CBN を使える砥石周速か」を見ると、その機械の世代がわかります。
⚒歯車・ねじ・工具を研ぐ研削盤(1930 年〜)
1930 年:岡本の ASG-2 形平歯車研削盤
決まった形を削る専用の研削盤でも、国産化は戦前に始まりました。岡本工作機械製作所は呉海軍工廠の注文を受けて設計に取りかかり、1930 年に国産初の平歯車研削盤 ASG-2 形を完成させます。研削できる歯車は最大ピッチ円直径 500mm・歯幅 200mm・モジュール 8 までで、歯車を替えれば歯数の違う歯車にも対応しました。終戦までに 13 台作られ、この開発をきっかけに岡本は研削盤の総合メーカーへ育ちます。日本工業大学の工業技術博物館に残る 1 台(銘板は 1941 年製造)は、現存する最古の国産平歯車研削盤とされ、2021 年に機械遺産第 106 号になりました[5][4]。
歯車研削盤はその後、砥石と歯車の形を CNC で合わせる方式へ進みます。三菱重工業は 1994 年、電着 CBN 砥石を使う成形方式の CNC 歯車研削盤 ZG400 を商品化し、外径 400mm までのはすば歯車で JIS 0 級の精度を出したと報告しています[30]。歯車の削り方そのものは歯車の加工法で解説しています。
ねじ研削盤
ねじゲージやタップのねじを研ぐねじ研削盤は、戦前は輸入機が頼りでした。1937 年に買われた独リンドナー社のねじ研削盤 FS1・FS2 形は、ねじゲージ・タップ・転造ダイスの研削に使われ、いまも岐阜県関市に残っています[8]。
工具研削盤
超硬工具が広がると、刃先を研ぐ研削盤の需要も増えます。和井田製作所は 1956 年に超硬バイト研削盤の生産を始め、1968 年に成形研削盤、1974 年にスローアウェイインサート(刃先交換チップ)の外周研削盤、1997 年に CNC 全自動万能工具研削盤へと広げました[19]。チップの外周は、かつてはチップの形ごとにカムを作って倣い研削していましたが、1980 年に小林機械製作所が、カムを使わず NC で削る外周研削盤 TAG-15 を開発しています(同社は世界初とします)[26]。
⑂メーカーの系図
研削盤の歴史に出てくる主なメーカーの、社名の移り変わりです。帯の色が変わるところで社名が変わっています。織機から研削盤へ移った会社が多いのも特徴です。
見に行ける機械
実物や資料が残っている所です。公開日・見学の可否は、行く前にそれぞれの施設・会社の案内で確かめてください。旋盤の章・フライス盤・MC の章の見に行ける機械もあわせてどうぞ。
⌛年表
この章で確かめた出来事のすべてです。番号は出典、「コマ」は国立国会図書館デジタルコレクションのページで、押すとその資料が開きます(個人送信の資料はログインが要ります)。
輸入機を手本に:研削盤の国産化大正〜1945 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1916年大正5年 | 軸受の量産に欠かせないセンタレス(心なし)グラインダが現れる(海外。いまとは形が違う) | — | [1・コマ16] |
| 1918年大正7年 | ★大隈が陸軍工廠から図面を受け、米ノルトン社の No.1 万能工具研削盤を手本に GA-1 形工具研削盤を作る。同社の研削盤づくりの始まり | 大隈鐵工所GA-1形 | [2・コマ19][2・コマ23] |
| 1919年大正8年 | 大隈が米ヒールド社の製品を手本に内面研削盤を初めて作る(3 台で終わる) | 大隈鐵工所 | [2・コマ25] |
| 大正期大正9年 | 池貝鉄工所は大正期にホブ盤・研削盤・自動旋盤など、ほとんどあらゆる種類の工作機械を作るようになる | 池貝鉄工所 | [3・コマ45] |
| 大正後期大正12年 | 大隈が米ブラウン・アンド・シャープ社の No.13 にならって GA-2 形万能工具研削盤を作る。昭和に入っても GAG 形・GM 形の万能工具研削盤が主力 | 大隈鐵工所GA-2形 | [2・コマ29][2・コマ35] |
| 1926年昭和元年 | 岡本覚三郎が個人経営の岡本専用工作機械製作所を創業(1935 年に株式会社岡本工作機械製作所) | 岡本工作機械製作所 | [4] |
| 1931年昭和6年 | 浜松で日進機械製作所が創立(初めは繊維機械) | 日進機械製作所 | [6] |
| 1938年昭和13年 | 大隈が研削盤の専門工場として上飯田工場を新設(工作機械製造事業法・国家総動員法の年) | 大隈鐵工所 | [2・コマ35][2・コマ55] |
| 1939年昭和14年 | 津上製作所が商工省の奨励金を受けて油圧式万能円筒研削盤 T-UG300 を完成。油圧で動かす研削盤の早い例 | 津上製作所T-UG300 | [9・コマ48][9・コマ99] |
| 1940年昭和15年 | ★日進機械製作所がセンタレスグラインダと旋盤の製造を始める | 日進機械製作所 | [6] |
| 1939〜40年昭和15年 | 日本精工が軸受を作るための専用研削盤(コロ外径用の心なし研削盤、ツバ研削盤、ミゾ研削盤など)を自社で設計・製作する | 日本精工 | [1・コマ437] |
| 1941年10月昭和16年 | ★1939 年の総動員試験研究命令による大隈の GHU 形万能研削盤が審査を終える。米ランジス社の研削盤を手本にした油圧式で、円筒・内面・平面の研削ができ、1945 年までに 500 台作られて戦後の研削盤生産の基礎になった | 大隈鐵工所GHU-300形 | [3・コマ61][10] |
| 1942年昭和17年 | 商工省の指示で軸受専用の研削盤の国産化が進み、平面研削盤・内面研削盤・玉軸受のミゾ研削盤が国産化される | — | [1・コマ437] |
| 1945年昭和20年 | 日進機械製作所が戦災で一時解散(1947 年に日進織機として再出発) | 日進機械製作所 | [6] |
円筒・平面・内面・センタレスが出そろう1945〜1970 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1950年昭和25年 | 日進機械製作所がセンタレスグラインダの製造を再開(1952 年に社名を日進機械製作所に戻す) | 日進機械製作所 | [6] |
| 1950年昭和25年 | 三井ハイテックが中古の機械の部品を組み合わせて平面研削盤 1 号機を作る。同社が初めて自分で作った機械で、いまも残る | 三井ハイテック | [11] |
| 1953年昭和28年 | ★岡本工作機械製作所が国産初の平面研削盤 PSG-6 形を開発(同社の表現) | 岡本工作機械製作所PSG-6形 | [4] |
| 1953年昭和28年 | 黒田挾範製作所が金型づくりのために横軸の平面研削盤 GS-201 を自社用に開発(主軸はマッケンセン式の動圧軸受) | 黒田挾範製作所(いまの黒田精工)GS-201 | [7・コマ75][12] |
| 1954年昭和29年 | 岡本工作機械製作所が内面研削盤 IGM シリーズを開発 | 岡本工作機械製作所IGM | [4] |
| 1955年昭和30年 | シギヤ(当時はオリエンタル織機工業)が 1952 年に着手した万能兼工具研削盤の試作機が完成 | シギヤ精機 | [15] |
| 1958年9月昭和33年 | シギヤ精機工業所に改称し、織機から工作機械の製造へ全面的に移って円筒研削盤の開発に取りかかる。翌 1959 年に G-24 形円筒研削盤 | シギヤ精機 | [15] |
| 1963年昭和38年 | 『国産工作機械綜合カタログ』に、円筒(大隈・豊田工機ほか)、心なし(日進機械・日平産業・日本研磨機)、平面と成形(岡本)、工具(和井田製作所・豊和産業)の各研削盤が並ぶ | — | [20・コマ65][20・コマ69][20・コマ71][20・コマ350] |
| 1963年昭和38年 | 黒田の GS-201 が、外からの要望を受けて本格的に市販される | 黒田精工GS-201 | [12][7・コマ75] |
| 1963年昭和38年 | 三井ハイテックの手動成形用平面研削盤 MSG-1 の開発 1 号機。超硬合金も削れ、前後の送り幅を 2 倍にした | 三井ハイテックMSG-1 | [22] |
| 1965年6月昭和40年 | 黒田挾範製作所が黒田精工に改称。同じ年、英ダイヤフォーム社と提携し、砥石の形を整える装置を組み込んだ平面研削盤を出す | 黒田精工 | [7・コマ59][7・コマ76][7・コマ90] |
| 1969年昭和44年 | 岡本工作機械製作所が円筒研削盤 OGM シリーズを開発。1974 年にはロータリー平面研削盤 PRG シリーズ | 岡本工作機械製作所OGM | [4] |
高精度化と量産:軸受と自動車部品1954〜1975 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1954年昭和29年 | 大隈の長岡振吉が大隈式非真円平軸受を開発(機械遺産の年。国立科学博物館のデータベースは 1943 年とする)。主軸のまわりの 3 か所にくさび形の油膜をつくり、回転の精度と剛性を高めた | 大隈鐵工所 | [13][14] |
| 1954年度昭和29年 | 大隈が国の補助金(昭和 29 年度)で、玉軸受の内輪・外輪の溝を削る油圧式の専用研削盤 GIR 形・GOR 形を完成 | 大隈鐵工所GIR形・GOR形 | [2・コマ66] |
| 1955年昭和30年 | ★豊田工機が仏ジャンドルン社と円筒研削盤で技術提携。流体軸受という新しい機構に社内の不安もあったが踏み切る | 豊田工機 | [16][17・コマ35][17・コマ36] |
| 1955年11月昭和30年 | 大隈が GCP-150 形円筒研削盤を完成(翌 1956 年 7 月に GCP-250 形) | 大隈鐵工所GCP-150・GCP-250 | [2・コマ66][2・コマ71] |
| 1956年昭和31年 | 豊田工機の最初の研削盤、トヨダ・ジャンドルン円筒研削盤 RA25-100 を見本市に出品。静圧流体軸受が関心を集め、最初の注文は自動車メーカーから。クランクシャフトのジャーナル研削などで自動車産業を支えた | 豊田工機RA25-100 | [18][17・コマ37][17・コマ38] |
| 1956年3月昭和31年 | ★大隈の GPB 形サイクリック円筒研削盤が完成。荒削り・仕上げ・定寸を一続きのサイクルで行い、第 2 回大阪国際見本市で注目される。非真円平軸受を使い、1969 年までに約 700 台(機械遺産第 59 号) | 大隈鐵工所GPB形 | [2・コマ72][2・コマ66][13] |
| 1961年8月昭和36年 | 豊田工機が研削盤の組立コンベヤラインを完成し、LG 研削盤の生産を始める(月産 40 台から。同社は「世界初」とする)。トヨダ・ジャンドルンは発売 3 年で受注 350 台 | 豊田工機LG研削盤 | [21・コマ18][21・コマ20] |
| 1965年昭和40年 | 豊田工機とジャンドルン社の技術提携が終わり、自社の「TOYODA 研削盤」を発表 | 豊田工機 | [17・コマ133][21・コマ21] |
| 1966年昭和41年 | 豊田工機が独自の全自動カム研削盤 GCA 形を作る。海外メーカーが独占していた分野で、自社の高剛性流体軸受で同等以上の精度を出し、自動車メーカーに多く入る | 豊田工機GCA形 | [24] |
| 1970年昭和45年 | ★日進機械製作所が静圧軸受・静圧案内を使った静圧高速センタレスグラインダ HI-GRIND 2 形の製造を始め、第 5 回日本国際工作機械見本市に出品。1973 年には計測ゲージ付きの全自動センタレスを本格生産 | 日進機械製作所HI-GRIND 2形 | [6] |
NC 研削盤1964〜1990 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1964年昭和39年 | 豊田工機の数値制御カム研削盤 GCN15(1967 年に多目的の数値制御研削盤 GUN15) | 豊田工機GCN15 | [21・コマ21][23・コマ48] |
| 1964年10月昭和39年 | ★第 2 回日本国際工作機械見本市に、大隈が自社の NC 装置 OSP200 を付けた GCS-N 形数値制御円筒研削盤を出品。メーカーが自分で開発した NC 装置として注目される | 大隈鐵工所GCS-N形 | [2・コマ81][2・コマ84][2・コマ86] |
| 1968年昭和43年 | 日本工作機械工業会の NC 工作機械カタログに、日平産業の数値制御円筒研削盤 CGK-NC(NC は富士通の FANUC)、豊田工機の GCN15-100 数値制御カム研削盤・GUN20-100 多目的数値制御研削盤(3 軸同時制御)・GCN400V 数値制御カムプロフィル研削盤が載る | — | [23・コマ16][23・コマ47][23・コマ48][23・コマ49] |
| 1968年昭和43年 | 岡本工作機械製作所が CNC 平面・成形研削盤 NFG-5 形を開発(同社は「世界初」とする) | 岡本工作機械製作所NFG-5形 | [4] |
| 1971年昭和46年 | オーエム製作所が仏ベルチェ社との技術提携で NC 付きの立型研削盤 VGM-125 を導入し、サブミクロンの精度を出す技を身につける | オーエム製作所VGM-125 | [25] |
| 1978年10月昭和53年 | 和井田製作所が CNC 成形研削盤の生産を始める(1982 年 10 月に CNC ジグ研削盤) | 和井田製作所 | [19] |
| 1980年昭和55年 | シギヤ精機製作所の最初の CNC 円筒研削盤 GN-27 | シギヤ精機GN-27 | [15] |
| 1985年昭和60年 | オーエム製作所の門型の平面研削盤 PGD-1308。テーブルを油圧でなくボールねじで送り、数値を入れるだけで全自動の研削サイクルを回す | オーエム製作所PGD-1308 | [27] |
| 1990年平成2年 | 豊田工機の CNC 汎用円筒研削盤 GL4。図面の情報を入れるだけで研削条件を自動で決める学習機能を持つ(同社は研削盤で世界初とする) | 豊田工機GL4 | [21・コマ18][21・コマ21] |
| 1990年10月平成2年 | 1986 年に長岡で設立した太陽工機が立形研削盤の販売を始める。のちに同社の主力製品に | 太陽工機 | [28] |
CBN・高速研削・超精密・複合研削1970 年〜
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1971年までに昭和46年 | 津上製作所の精密高速円筒研削盤 PG350。砥石の周速を毎分 1,800m(秒速 30m)から 3,600m(秒速 60m)に上げる「高速研削」を自動車部品などに | 津上製作所PG350 | [9・コマ51][9・コマ52] |
| 1972年ごろ昭和47年 | 豊田工機が東京工業大学の指導でダイヤモンド砥石を研究する中で CBN 砥粒を手に入れ、焼入れ鋼を削る CBN 砥石の研究を始める | 豊田工機 | [17・コマ78] |
| 1977年10月昭和52年 | ★豊田工機の CBN 生産形カム研削盤が第 12 回機械振興協会賞を受ける | 豊田工機 | [17・コマ78] |
| 1980年昭和55年 | 豊田工機が CNC/CBN 円筒研削盤の生産を始める。1984 年ごろから研削盤の本格的な CNC 化・CBN 化 | 豊田工機 | [16][21・コマ21] |
| 1985年昭和60年 | 日進機械製作所が超精密センタレスグラインダの実用機 UG-1000 形を開発(1983 年にセラミックス用の超精密研削盤、1987 年にナノメートル級の「ナノトロン」) | 日進機械製作所UG-1000形 | [6] |
| 1985年11月昭和60年 | 豊田工機が CNC/CBN 生産形マスタレスカム研削盤(手本のカムを使わない)の開発を始める。1989 年 11 月に第 24 回機械振興協会賞 | 豊田工機 | [17・コマ90] |
| 1992年平成4年 | 大阪機工のグラインディングセンタ HPV400-GC。マシニングセンタの多機能さを研削に生かし、セラミックス・ガラスから超硬・焼入れ鋼まで削る複合加工機 | 大阪機工HPV400-GC | [29] |
| 1996年平成8年 | シギヤ精機製作所の CNC マスタレスカム研削盤 GCM-30 | シギヤ精機GCM-30 | [15] |
| 2001年平成13年 | オーエム製作所の超精密縦軸平面研削盤 SFG。HDD のガラス基板・シリコンウエハ・サファイアなどを、研削する力を一定に保って削る | オーエム製作所SFG | [31] |
| 2007年平成19年 | 岡本工作機械製作所が静圧案内面の方式で世界最大級の超精密門形平面研削盤 UDG10035NC を完成(同社の表現) | 岡本工作機械製作所UDG10035NC | [4] |
| 2010年平成22年 | シギヤ精機製作所が立形 CNC アンギュラ円筒研削盤 GAV-10・15 を開発(同社は両センタで支える立形研削盤として日本初とする) | シギヤ精機GAV-10・15 | [15] |
| 2014年平成26年 | 研削の複合化:岡本工作機械製作所の CNC 精密複合円筒研削盤 UGM360NC、太陽工機の立形複合研削盤 CVG シリーズ | 岡本工作機械製作所・太陽工機 | [4][28] |
歯車・ねじ・工具を研ぐ研削盤1930 年〜
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1930年昭和5年 | ★岡本が呉海軍工廠の注文で国産初の平歯車研削盤 ASG-2 形を完成。最大ピッチ円直径 500mm・モジュール 8。終戦までに 13 台作られ、これを機に岡本は研削盤の総合メーカーになる | 岡本工作機械製作所ASG-2形 | [5][4] |
| 1936年昭和11年 | ゲージメーカーの黒田挾範製作所が独リンドナー社のねじ研削盤を買う。日本で 3 台目で、月の生産額より高い買い物だった | 黒田挾範製作所 | [7・コマ72] |
| 1937年昭和12年 | 独リンドナー社のねじ研削盤 FS1・FS2 形がこの年に買われ、いまも岐阜県関市に残る。ねじゲージ・タップ・転造ダイスの研削に使われた | — | [8] |
| 1956年3月昭和31年 | 和井田製作所が超硬バイトを研ぐ「超硬バイト研削盤」の生産を始める | 和井田製作所 | [19][20・コマ385] |
| 1968年9月昭和43年 | 和井田製作所が成形研削盤の生産を始める | 和井田製作所 | [19] |
| 1974年8月昭和49年 | 和井田製作所がスローアウェイインサート(刃先交換チップ)の外周研削盤の生産を始める(1982 年 2 月に CNC 化) | 和井田製作所 | [19] |
| 1980年2月昭和55年 | 小林機械製作所がカムを使わず NC で削るスローアウェイチップの外周研削盤 TAG-15 を開発(同社は世界初とする)。それまではチップの形ごとにカムを作って倣い研削していた | 小林機械製作所TAG-15 | [26] |
| 1994年平成6年 | 三菱重工業が電着 CBN 砥石を使う成形方式の CNC 歯車研削盤 ZG400 を商品化。外径 400mm までのはすば歯車で JIS 0 級 | 三菱重工業ZG400 | [30・コマ18][30・コマ19] |
| 1997年3月平成9年 | 和井田製作所が CNC 全自動万能工具研削盤の生産を始める | 和井田製作所 | [19] |
| 2013年平成25年 | 大隈式非真円平軸受と GPB 形円筒研削盤が機械遺産第 59 号に | — | [13] |
| 2021年令和3年 | 岡本の ASG-2 形平歯車研削盤が機械遺産第 106 号に。現存する最古の国産平歯車研削盤とされる | — | [5][4] |
この先と関係するページ
出典
国立国会図書館の資料は、個人向けデジタル化資料送信サービスの全文検索で 2026 年 10 月に確かめ、使ったコマを書いています。国立科学博物館の産業技術史資料データベースの記述の多くは、日本工作機械工業会がメーカーの協力で調べたものです。メーカーの沿革は各ページを同じ月に確かめました。「国産初」「世界初」は、本文で「同社の表現」と書いたものはメーカー自身の記述です。社史や沿革の年は、同じ機械でも資料によって 1〜2 年ずれることがあります(試作・完成・発表・発売の違い)。
- 『日本精工五十年史:ベアリング その発達と技術』日本精工(1967)コマ 16・437
- 大隈鉄工所『製品沿革写真集:創業70周年記念』(1968)コマ 19・23・25・29・35・55・66・71・72・81・84・86
- 『日本の技術100年 ビジュアル版 第7巻』筑摩書房(1989)コマ 45・61
- 岡本工作機械製作所「会社沿革」
- 日本機械学会「機械遺産 第106号 ASG-2形平歯車研削盤」
- 日進機械製作所「会社概要・沿革」
- 『黒田精工:省力化にいどむ精密機器メーカー』(1970)コマ 59・72・75・76・90
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ねじ研削盤 ドイツ ハーバート リンドナーFS1型、2型」
- 『Precision Tsugami』津上製作所(1971)コマ 48・51・52・99
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「油圧式万能研削盤 GHU-300形」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「平面研削盤1号機(三井ハイテック)」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「横軸型平面研削盤 GS-201」
- 日本機械学会「機械遺産 第59号 大隈式非真円平軸受とGPB形円筒研削盤」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「大隈式非真円平軸受」
- シギヤ精機製作所「沿革・開発履歴」
- ジェイテクト「沿革(豊田工機)」
- 豊田工機『技に夢を求めて:豊田工機50年史』(1991)コマ 35・36・37・38・78・90・133
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「トヨダ・ジャンドルン円筒研削盤 RA25-100」
- 和井田製作所 有価証券報告書の「沿革」(EDINET DB)
- 『国産工作機械綜合カタログ 1963年版』コマ 65・69・71・350・385
- 『豊田工機技報』39(1)(1998)コマ 18・20・21
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「手動成型用平面研削盤 MSG-1 開発1号機」
- 日本工作機械工業会事務局『数値制御工作機械カタログ 1968年版』(1968)コマ 16・47・48・49
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「GCA形カム研削盤」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「立型研削盤 VGM-125 NC付立型研削盤」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「カムレスTA外周研削盤 TAG-15」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「平面研削盤 PGD-1308」
- 太陽工機「沿革」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「グラインディングセンタ HPV400-GC」
- 『三菱重工技報』31(2)(1994)コマ 18・19
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「超精密縦軸平面研削盤 SFG」
- 日本機械学会「機械遺産 第91号 日本工業大学の所蔵する歴史的工作機械群」
- オークマ「沿革」
- ツガミ「沿革」
- ジェイテクト「沿革」