ARCHIVE 04歯切り盤の系譜
歯車の歯を切る工作機械(歯切り盤)は、ねじのような刃物(ホブ)を回して歯を削り出すホブ盤、歯車の形の刃物を上下させる歯車形削り盤(ギヤシェーパ)、かさ歯車を切るかさ歯車歯切り盤、焼入れした歯を砥石で仕上げる歯車研削盤などに分かれます。日本では明治の終わりに輸入のホブ盤で歯車を切り始め、大正のうちにホブ盤を国産化しました。ただ、精密な歯車を切る機械は戦後になっても輸入に頼る時期が長く、自動車の歯車の量産とともに技術提携と自社開発を重ね、NC 化・ドライカット・スカイビングへ進みます。歯車の技術史・社史・当時の工作機械カタログ・国立科学博物館の資料・メーカーの沿革で 1 つずつ確かめ、出来事ごとに出典(国立国会図書館の資料はコマ番号)を付けました。
歯車は
機械の中で
いちばん忙しい部品!

歯車の歯形の理論、ホブ・ピニオンカッタなどの工具、規格の歴史は、読みもの「歯車の勉強」の年表にまとめています。この章は歯を切る機械と、それを作った会社の側から詳しくたどります。歯車の削り方そのものは歯車の加工法で解説しています。
輸入機で歯を切り、ホブ盤を国産化する(1897〜1926 年)
日本で機械を使って歯車の歯を切った最初は、1897 年に米シンシナチ社の 2 番万能フライス盤と成形フライス(歯溝の形の刃物)で鋳物歯車を 1 溝ずつ削ったこととされます[1][2]。1901 年には米 G&E 社、1903 年には米シンシナチ社の自動歯切盤が買われ、歯切りの能率と精度が上がりました[1]。
最初のホブ盤
ホブで連続して歯を切るホブ盤は、1906 年ごろ独ファウター社の機械が石川島と呉海軍工廠に輸入されたのが最初といわれます[1][2]。大正に入ると民間にも広がり、1914 年には大阪市西区九条の歯切り専門の工場(丸三製作所)が英国製のホブ盤を据え付けました。歯切業者が外国製のホブ盤を置いた最初とされます。同じ年に大阪府立西野田職工学校にもファウター社のホブ盤が入り、翌 1915 年には大阪の植田鉄工所に米国製の 600mm ホブ盤が入っています[5][1]。かさ歯車では、米グリーソン社の創成式のかさ歯車歯切盤が 1915〜16 年に汽車会社と池貝鉄工所に入りました[1]。
40 インチホブ盤:国産化
第一次世界大戦で輸入が細ると、ホブ盤の国産化が一気に進みます。会田俊夫『歯車の技術史』によると、1917 年に園池製作所が 40 インチ(約 1m の歯車まで切れる)ホブ盤を作りました。差動歯車付きで、はすば歯車を切りやすく、当時広く使われていた差動歯車のない輸入機より優れると好評だったといいます。1918 年には池貝鉄工所が 24 インチホブ盤を作り、1920 年には京都の樫藤鉄工所(いまのカシフジ)で、独ファウター社のホブ盤を手本にした 40 インチホブ盤が完成しました[1]。カシフジ自身の沿革は、創業者の樫藤留三郎が 1918 年に 40 インチのホブ盤の 1 号機を試作し、京都市電の修理用の歯車を作り始めたとしていて(同社は「国内初のホブ盤」とします)、年が 2 年ずれています[6]。試作と完成の違いかもしれませんが、確かめられていません。
大きなホブ盤では、佐賀県の唐津鐵工所が 1921 年に蒸気タービン用のピニオンを切るホブ盤、1923 年に 6 フィートのウォームホイールホブ盤、1924 年に 7 フィートのホブ盤を作りました。会田は「大正の末には各種のホブ盤の国産化が一応完成した」とまとめています。ただし、軍艦や商船の主機のタービン歯車を切る大形の歯切盤は、英ウイリアムミュアー社や米ウェスチングハウス社などの外国製でした[1]。
1921 年に大阪で開かれた国産機械の展覧会では、出品された旋盤の歯車の作り方を調べると、専門の歯切り機械で切ったものが 15、フライス盤で切ったものが 6、歯形を研磨したものが 1 でした[1]。旋盤のメーカーにも歯切り機械が行き渡りつつあったことがわかります。
「40 インチ」「7 フィート」とは。ホブ盤の大きさは、切れる歯車の最大の直径で呼びます。40 インチは約 1,000mm、7 フィートは約 2,100mm です。差動歯車は、はすば歯車を切るときにホブの送りに合わせて歯車を少しずつ余分に回す仕掛けで、これがあるとはすば歯車の歯のねじれ角を換え歯車で決めやすくなります。
昭和の初めと戦時:歯車形削り盤と歯車研削盤(1926〜1945 年)
昭和に入ると、ホブ盤は汎用機の品ぞろえを広げます。樫藤鉄工所は 1928 年に 14 インチの K0、1930 年に 24 インチの K1、1931 年に 40 インチの K2 を出しました[6]。ホブ盤以外の歯切盤や、焼入れした歯車を研ぐ歯車研削盤も作られ始め、1930 年には岡本工作機械製作所が呉海軍工廠の注文で国産初の平歯車研削盤 ASG-2 形を完成させています(第 3 章)[7][1]。それでも自動車や航空機の精密な歯車は、まだ輸入の機械で切られていました[1]。
戦時の試作命令
1938 年の工作機械製造事業法で、国が指定する工作機械の試作に奨励金が出るようになります。その品目には歯車研磨盤と、歯切盤(ウォーム歯切盤を含む。ただしホブ盤は除く)が入っていました[8]。1940 年に米国が対日工作機械輸出を禁止すると、商工省は国産化すべき工作機械のリストを作って各社に試作を命じ、外国の一流メーカーの機械をそのまま手本にした歯切機械が作られます。航空機第一の方針に合わせ、航空機の発動機の歯車を切る機械が中心でした[1]。唐津鐵工所は 1940 年に政府の特命で歯車形削り盤を開発し、同社はこれを国産第一号機としています[3]。
戦時中の国産ホブ盤の精度について、大阪の歯車業者の回想が残っています。樫藤の 14 インチホブ盤でモジュール 2.5・20 枚の歯車を切ると、またぎ歯厚の誤差は 0.03〜0.04mm ほどで、当時としては最良の部類だったといいます[5]。
自動車の歯車の量産と技術提携(1945〜1978 年)
戦後、歯切り盤は最も輸入に頼る工作機械の 1 つになります。統制価格の時代から 1949 年の市場価格まで、ホブ盤の値段は 39 倍に上がりました[8]。自動車の変速機の歯車は、ホブで切ったあとシェービング(歯面を薄くそぐ仕上げ)で整えるのが量産の型になりますが、シェービングのカッタは輸入に頼り、カッタを研ぎ直せる会社も限られていました。不二越鋼材工業(いまの不二越)は自動車メーカーに国産化を求められ、1953 年 11 月に米ミシガンツール社とシェービングカッタの製造技術で提携しています[2]。
生産ホブ盤の時代
量産向けの「生産ホブ盤」も国産で出てきます。樫藤鉄工所は 1954 年に KS20、1956 年に KS14 を出し[6]、1963 年の『国産工作機械綜合カタログ』では、精密生産ホブ盤 KS-14・KS-20 形と万能ホブ盤 KR 形を載せています。同じカタログのホブ盤の欄には、唐津鉄工所・岡本工作機械製作所・新三菱重工業(三菱ローレンツ)・東芝機械(大形)・浜井産業・豊和産業(小形自動)・岩佐鉄工・清和鉄工などが並び、歯車形削盤・傘歯車歯切盤・歯車研削盤・歯車仕上盤の欄もあります[10]。工具メーカーの不二越は、自社の歯切工具を生かすため 1961 年に生産ホブ盤を開発して 1962 年から売り出し、1966 年には高速の歯車形削り盤も出しました[2]。
三菱ローレンツと技術提携
三菱重工業は 1961 年、西独ローレンツ社と歯切機械で技術提携し、京都製作所で立形ホブ盤「三菱ローレンツ」の生産を始めます(ニデックマシンツールの「製品の歴史」は 1962 年とします)。1964 年にはスプラインホブ盤を開発し、1966 年にはスイスのライスハウエル社の技術で歯車研削盤 NZA 型の生産を始めて、1968 年 3 月に国産化に成功しました[9][11]。自動車の生産が伸びた 1960 年代後半には、三菱のホブ盤は 1963 年度ごろの倍近く作られても、1967 年度には納期 1 年以上の受注残を抱えるほどでした[9]。
それでも、1968 年の機械振興協会の調査は「国内の工作機械の需要の中で最も外国の機械に頼っているのは歯切盤と歯車仕上機械」とまとめ、曲がり歯のかさ歯車歯切盤は国内の市販品が少なく、米グリーソン社が世界的に有名だと書いています[12]。同じ年に日本工作機械工業会がまとめた NC 工作機械のカタログを「ホブ盤」「歯切」で引いても、歯切り盤は出てきません[23]。
自社技術へ
1970 年代の初めに、各社は提携先の技術から自社の技術へ移ります。三菱重工業は 1971 年にローレンツ社との提携を解消して自社の技術での生産に切り替え、1972 年に高性能ホブ盤 GH シリーズ(GH200・GH300)を出し、続いて高速ギヤシェーパ SH シリーズや SV 形歯車シェービング盤を出しました[9]。不二越は 1971 年、西独のホブ盤専業メーカーと、内歯車のスカイビングマシンと生産ホブ盤(SH-180 形など)で技術提携しています[14][2]。
超硬ホブで速く切る「超硬ホブ切り」も、この時期に機械の側から実用になりました。不二越は 1974 年、ホブ軸を直接駆動して振動を大きく減らしたホブ盤で、超硬ホブ切りが実用になることを示します[2]。樫藤鉄工所は 1976 年に超硬ホブ切りの実用機 KS300HD を完成させました[6]。大きな歯車では、唐津鐵工所が 1975 年に直径 13,000mm の歯車を切れる超大形ホブ盤を作っています(同社は世界最大級とします)[3]。
NC ホブ盤(1979〜1993 年)
ホブ盤は、ホブと歯車の回転をぴったり合わせて回し続ける機械で、長く親歯車(マスタウォームホイール)と換え歯車で機械的に合わせていました。NC 化は、1950 年代に始まった旋盤やフライス盤より 20 年ほど後になります。樫藤鉄工所は 1979 年にホブ盤を CNC 化し(同社は「業界で初めて」とします)、1982 年に CNC ホブ盤 KB200 を出しました[6]。三菱重工業は 1980 年に NC ホブ盤 GH400NC を開発します。国立科学博物館のデータベースは、これを国産初の NC ホブ盤とし、モジュール 12 までの重切削ができ、ホブ軸は毎分 60〜350 回転の無段変速、5 つの軸を NC で制御したと書いています[15][11]。
1985 年の『三菱重工技報』は、NC 装置に FANUC 6MB を使った NC ホブ盤 GA シリーズを紹介しています[16]。三菱の歯切機械は 1986 年 11 月に、1961 年からの累計で 3,000 台に達しました[9]。歯車形削り盤では唐津鐵工所が 1980 年に自動車・オートバイ向けの 250mm 高速歯車形削り盤を作り、1989 年に成形歯車研削盤の販売を始めています[3]。
★ドライカット・スカイビング・歯車研削(1994 年〜)
1990 年代からの歯車づくりは、「ホブで切る → 焼入れ → 研削で仕上げる」の流れを速く、きれいにする方向に進みます。三菱重工業は 1994 年に電着 CBN 砥石を使う CNC 歯車研削盤 ZG400 を出し(第 3 章)[17]、2009 年には量産用の内歯車研削盤 ZI20A を出しました(同社は世界初とします)[11]。
ドライカット
1997 年、三菱重工業は切削油を一切使わない歯車のドライカットシステムを完成させます(同社は世界初とします)。2002 年にはこれをドライカットホブ盤 GE シリーズとして製品にしました[11]。
スカイビング
内歯車を速く切るスカイビング(歯車形の刃物を傾けて歯車と同期回転させ、そぐように削る方法)は古くからある考え方で、1969 年には業界誌に西独パウター社のギヤスカイビング盤が載り[13]、1971 年には不二越が内歯車スカイビングマシンの技術を導入しています[14]。国内の各社から機械と工具が出そろうのは 2014 年で、カシフジのギヤスカイビング盤 KPS20、唐津鐵工所のギヤスカイビングマシン GSV-25N、三菱重工業のスーパースカイビングカッタが出そろい[6][3][11]、2016 年の三菱重工工作機械のスーパースカイビング盤 MSS300 は 2017 年に日本機械学会賞(技術)を受けました[11]。スカイビングとドライカットの技術の中身は、読みもの「ギヤスカイビングの 2 つの弱点を解く新技術」(ドライのエアスカイビングと焼入れ後の内歯車の仕上げ)で詳しく書いています。
いまの顔ぶれ
三菱重工業の工作機械事業は 2015 年に三菱重工工作機械として分かれ、2021 年に事業譲渡でニデックの傘下に入りました(いまのニデックマシンツール)[18]。唐津鐵工所は 2016 年に唐津プレシジョンに社名を変え、2024 年に国内最大クラスのギヤシェーパ GS-4N 形を完成させています[3]。歯車の仕上げ機では、ヤンマーグループの神崎高級工機製作所がシェービング盤を軸に、ギヤシェーパ・歯車研削盤・歯車ホーニング盤を作り、ユーザーの 9 割が自動車関連だとしています[22]。いまの歯切り盤・歯車研削盤のメーカーは歯切り工具・歯車加工機のメーカーにまとめています。
現場で何に効くか。中古の歯切り盤や古い図面を読むとき、「差動歯車はあるか(はすば歯車を切れるか)」「親歯車(マスタウォーム)で同期しているか、NC の電子ギヤか」「超硬ホブの回転数まで出るか」「切削油が要るか」を見ると、その機械の世代と得意な仕事がわかります。
⑂メーカーの系図
歯切り盤の歴史に出てくる主なメーカーの、社名の移り変わりです。帯の色が変わるところで社名が変わっています。三菱は工作機械の事業が分かれた流れだけを描いています(2021 年からはニデックの傘下のニデックマシンツール)。
見に行ける機械
歯切り盤は工場で使い切られることが多く、古い機械が残っている所はわずかです。公開日・見学の可否は、行く前にそれぞれの施設・会社の案内で確かめてください。旋盤の章・研削盤の章の見に行ける機械もあわせてどうぞ。
⌛年表
この章で確かめた出来事のすべてです。番号は出典、「コマ」は国立国会図書館デジタルコレクションのページで、押すとその資料が開きます(個人送信の資料はログインが要ります)。
輸入機で歯を切り、ホブ盤を国産化する1897〜1926 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1897年明治30年 | 米シンシナチ社の 2 番万能フライス盤と成形フライス(歯溝の形の刃物)で、鋳物歯車の歯を 1 溝ずつ削る。日本で最初の機械による歯切りとされる | — | [1・コマ103][2・コマ23] |
| 1901・1903年明治34年 | 米 G&E 社(1901 年)、米シンシナチ社(1903 年)の自動歯切盤が買われ、歯切りの能率と精度が上がる | — | [1・コマ104] |
| 1906年ごろ明治39年 | ★独ファウター社のホブ盤が石川島と呉海軍工廠に輸入される。日本で最初のホブ盤とされる | — | [1・コマ104][2・コマ23] |
| 1909年明治42年 | 佐賀県唐津で芳谷炭鉱の唐津鐵工所が創業(1916 年に株式会社唐津鐵工所として独立) | 唐津鐵工所 | [3][1・コマ104] |
| 1913年大正2年 | 京都で樫藤鉄工所が創業(いまのカシフジ) | 樫藤鉄工所 | [4] |
| 1914年大正3年 | 大阪の歯切り専門の工場(西区九条の丸三製作所)が英国製のホブ盤を据え付ける。歯切業者が外国製ホブ盤を置いた最初とされる。同じ年、大阪府立西野田職工学校にも独ファウター社のホブ盤 | — | [5・コマ4][5・コマ60][1・コマ104] |
| 1915〜16年大正4年 | 米グリーソン社のかさ歯車歯切盤が汽車会社と池貝鉄工所に入り、創成法でかさ歯車を切るようになる | — | [1・コマ104] |
| 1917年大正6年 | ★園池製作所が 40 インチホブ盤を作る。差動歯車付きで、当時広く使われていた差動歯車のない輸入機より優れると好評だった | 園池製作所40インチホブ盤 | [1・コマ105] |
| 1918年大正7年 | 池貝鉄工所が 24 インチホブ盤を作る。このころスイスのマーグ社の歯形・歯切盤・歯車研削盤が日本に紹介され評判になる | 池貝鉄工所24インチホブ盤 | [1・コマ105] |
| 1918年大正7年 | カシフジの沿革では、1918 年に創業者の樫藤留三郎が 40 インチのホブ盤の 1 号機を試作し、京都市電の修理用歯車を作り始めた(同社は「国内初のホブ盤」とする)会田『歯車の技術史』は樫藤鉄工所の 40 インチホブ盤の完成を 1920 年とする | 樫藤鉄工所40インチホブ盤 | [6] |
| 1920年大正9年 | 樫藤鉄工所で 40 インチホブ盤が完成。独ファウター社のホブ盤を手本にしたもの | 樫藤鉄工所40インチホブ盤 | [1・コマ105] |
| 1921年大正10年 | 唐津鐵工所が蒸気タービン用のピニオンを切るホブ盤を作る | 唐津鐵工所 | [1・コマ105] |
| 1921年大正10年 | 大阪で開かれた国産機械の展覧会に出た旋盤の歯車の作り方:専門の歯切り機械で切ったもの 15、フライス盤で切ったもの 6、歯形を研磨したもの 1 | — | [1・コマ105] |
| 1923〜24年大正13年 | 唐津鐵工所で 6 フィートのウォームホイールホブ盤(1923 年)、7 フィートのホブ盤(1924 年)が作られる | 唐津鐵工所 | [1・コマ105] |
| 大正の末大正14年 | ★大正の末に、いろいろなホブ盤の国産化がひととおり済む。ただし軍艦・商船の主機のタービン歯車を切る大形の歯切盤は、英ウイリアムミュアー社・米ウェスチングハウス社などの外国製だった | — | [1・コマ105] |
昭和の初めと戦時:歯車形削り盤と歯車研削盤1926〜1945 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1928〜31年昭和3年 | 樫藤鉄工所が汎用ホブ盤 K0(14 インチ、1928 年)、K1(24 インチ、1930 年)、K2(40 インチ、1931 年)を出す | 樫藤鉄工所K0・K1・K2 | [6] |
| 1930年昭和5年 | 岡本工作機械製作所が呉海軍工廠の注文で国産初の平歯車研削盤 ASG-2 形を完成(第 3 章) | 岡本工作機械製作所ASG-2形 | [7][1・コマ105] |
| 1938年昭和13年 | 工作機械製造事業法の試作奨励金の対象に、歯車研磨盤と歯切盤(ウォーム歯切盤を含む。ただしホブ盤は除く)が入る | — | [8・コマ74][8・コマ75] |
| 1940年昭和15年 | ★米国が対日工作機械輸出を禁止。商工省は国産化すべき工作機械のリストを作って各社に試作を命じ、外国の一流メーカーの機械をそのまま手本にした歯切機械が作られる。航空機の発動機の歯車を切る機械が中心だった | — | [1・コマ105] |
| 1940年昭和15年 | 唐津鐵工所が政府の特命で歯車形削り盤を開発(同社は国産第一号機とする) | 唐津鐵工所 | [3] |
自動車の歯車の量産と技術提携1945〜1978 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1949年昭和24年 | 戦時の統制価格から 1949 年の市場価格まで、ホブ盤の値段は 39 倍に上がる | — | [8・コマ120] |
| 1953年11月昭和28年 | 自動車メーカーが歯車シェービング盤を入れたが、カッタの補給に困っていた。不二越鋼材工業が米ミシガンツール社とシェービングカッタの製造技術で提携 | 不二越鋼材工業 | [2・コマ71] |
| 1954年昭和29年 | 樫藤鉄工所が生産ホブ盤 KS20 を出す(1956 年に KS14) | 樫藤鉄工所KS20 | [6] |
| 1961年昭和36年 | ★三菱重工業が西独ローレンツ社と歯切機械で技術提携し、京都製作所で立形ホブ盤「三菱ローレンツ」の生産を始めるニデックマシンツールの「製品の歴史」は 1962 年とする | 三菱重工業三菱ローレンツ | [9・コマ383][9・コマ542] |
| 1961年昭和36年 | 不二越が自社の歯切工具を生かすため生産ホブ盤を開発し、1962 年に販売を始める。のちに多条ホブで高送りできる機械に改める | 不二越鋼材工業 | [2・コマ145][2・コマ93] |
| 1963年昭和38年 | 『国産工作機械綜合カタログ』のホブ盤の欄に、唐津鉄工所・樫藤鉄工所・岡本工作機械製作所・新三菱重工業(三菱ローレンツ)・東芝機械・浜井産業・豊和産業・岩佐鉄工・清和鉄工などが並ぶ。歯車形削盤・傘歯車歯切盤・歯車研削盤・歯車仕上盤の欄もある | — | [10・コマ73][10・コマ74][10・コマ75][10・コマ91] |
| 1964年昭和39年 | 三菱重工業がスプラインホブ盤を開発 | 三菱重工業 | [9・コマ540] |
| 1966年昭和41年 | 三菱重工業がスイスのライスハウエル社の技術で歯車研削盤 NZA 型の生産を始め、1968 年 3 月に国産化に成功 | 三菱重工業NZA型 | [9・コマ540][9・コマ384][11] |
| 1966年昭和41年 | 不二越が高速歯車形削り盤の販売を始める | 不二越 | [2・コマ93] |
| 1967年昭和42年 | 自動車メーカーからの大量受注で、三菱のホブ盤は 1963 年度ごろの倍近く作られたが、それでも納期 1 年以上の受注残を抱える | 三菱重工業 | [9・コマ540] |
| 1968年昭和43年 | ★機械振興協会の調査は、国内の工作機械の需要の中で最も外国の機械に頼っているのは歯切盤と歯車仕上機械だとまとめる。曲がり歯のかさ歯車歯切盤は国内の市販品が少なかった | — | [12・コマ64][12・コマ24] |
| 1969年11月昭和44年 | 業界誌『マシナリー』に西独パウター社のギヤスカイビング盤 P630WS が載る | — | [13・コマ90] |
| 1971年昭和46年 | 不二越が西独のホブ盤専業メーカーと、内歯車スカイビングマシンと生産ホブ盤(SH-180 形・SH-900 形・SH-1250 形)で技術提携し、翌年から販売 | 不二越SH-180 | [14・コマ101][2・コマ102][2・コマ149] |
| 1971年昭和46年 | 三菱重工業がローレンツ社との提携を解消して自社の技術に切り替え、1972 年に高性能ホブ盤 GH シリーズ(GH200・GH300)を出す。続いて高速ギヤシェーパ SH シリーズ、SV 形歯車シェービング盤 | 三菱重工業GHシリーズ | [9・コマ383][9・コマ541] |
| 1974年昭和49年 | 不二越がホブ軸を直接駆動して振動を抑えたホブ盤で、超硬ホブによるホブ切りが実用になることを示す | 不二越HB-220H形ベース | [2・コマ145][2・コマ149] |
| 1975年昭和50年 | 唐津鐵工所が直径 13,000mm の歯車を切れる超大形ホブ盤を作る(同社は世界最大級とする) | 唐津鐵工所 | [3] |
| 1976年昭和51年 | 樫藤鉄工所が超硬ホブ切りの実用機 KS300HD を完成 | 樫藤鉄工所KS300HD | [6] |
NC ホブ盤1979〜1993 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1979年昭和54年 | 樫藤鉄工所がホブ盤を CNC 化(同社は「業界で初めて」とする)。1982 年に CNC ホブ盤 KB200 | 樫藤鉄工所 | [6] |
| 1980年昭和55年 | ★三菱重工業が NC ホブ盤 GH400NC を開発(国産初の NC ホブ盤とされる)。モジュール 12 まで、ホブ軸は毎分 60〜350 回転の無段変速、5 軸を NC で制御 | 三菱重工業GH400NC | [15][11] |
| 1980年昭和55年 | 唐津鐵工所が自動車・オートバイ向けに 250mm の高速歯車形削り盤を作る | 唐津鐵工所 | [3] |
| 1985年昭和60年 | 『三菱重工技報』が NC ホブ盤 GA シリーズを紹介(NC 装置は FANUC 6MB) | 三菱重工業GAシリーズ | [16・コマ2][16・コマ60] |
| 1986年11月昭和61年 | 三菱重工業の歯切機械の生産が 1961 年からの累計で 3,000 台に達する | 三菱重工業 | [9・コマ542] |
| 1989年平成元年 | 唐津鐵工所が成形歯車研削盤の販売を始める | 唐津鐵工所 | [3] |
ドライカット・スカイビング・歯車研削1994 年〜
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1994年平成6年 | 三菱重工業が電着 CBN 砥石の成形方式の CNC 歯車研削盤 ZG400 を出す(第 3 章) | 三菱重工業ZG400 | [17・コマ17] |
| 1997年平成9年 | ★三菱重工業が切削油を使わない歯車のドライカットシステムを完成(同社は世界初とする)。2002 年にドライカットホブ盤 GE シリーズ | 三菱重工業 | [11] |
| 2009年平成21年 | 三菱重工業が量産用の内歯車研削盤 ZI20A を出す(同社は世界初とする) | 三菱重工業ZI20A | [11] |
| 2014年平成26年 | ★スカイビングの機械と工具が国内各社から出る:カシフジのギヤスカイビング盤 KPS20、唐津鐵工所のギヤスカイビングマシン GSV-25N、三菱重工業のスーパースカイビングカッタ | カシフジ・唐津鐵工所・三菱重工業 | [6][3][11] |
| 2016年平成28年 | 三菱重工工作機械がスーパースカイビング盤 MSS300 を出し、2017 年に日本機械学会賞(技術) | 三菱重工工作機械MSS300 | [11] |
| 2021年令和3年 | 三菱重工工作機械が事業譲渡でニデックの傘下に入る(いまのニデックマシンツール) | ニデックマシンツール | [18] |
| 2024年令和6年 | 唐津プレシジョンが国内最大クラスのギヤシェーパ GS-4N 形を完成 | 唐津プレシジョンGS-4N | [3] |
この先と関係するページ
出典
国立国会図書館の資料は、個人向けデジタル化資料送信サービスの全文検索で 2026 年 10 月に確かめ、使ったコマを書いています。メーカーの沿革は各ページを同じ月に確かめました。「国産初」「世界初」「業界初」は、本文で「同社の表現」「同社は〜とします」と書いたものはメーカー自身の記述です。社史や沿革の年は、同じ機械でも資料によって 1〜2 年ずれることがあります(試作・完成・発表・発売の違い)。
- 会田俊夫『歯車の技術史』開発社(1970)コマ 103・104・105
- 『不二越五十年史』不二越(1978)コマ 23・71・93・102・145・149
- 唐津プレシジョン「沿革」
- カシフジ「会社概要」
- 『歯車五十年史』関西歯車工業協同組合(1963)コマ 4・60
- カシフジ「沿革」
- 日本機械学会「機械遺産 第106号 ASG-2形平歯車研削盤」
- 一寸木俊昭『日本の工作機械工業の発展過程の分析』(1963)コマ 74・75・120
- 『海に陸にそして宇宙へ:続三菱重工業社史 1964-1989』三菱重工業(1990)コマ 383・384・540・541・542
- 『国産工作機械綜合カタログ 1963年版』コマ 73・74・75・91
- ニデックマシンツール「製品の歴史」
- 『機械工業経済研究報告書』42-5 機械振興協会経済研究所(1968)コマ 24・64
- 『マシナリー』32(485)(1969 年 11 月)コマ 90
- 『マシナリーオートメーション』34(506)(1971 年 8 月)コマ 101
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「NC ホブ盤 GH400NC」
- 『三菱重工技報』22(4)(1985)コマ 2・60
- 『三菱重工技報』31(2)(1994)コマ 17
- ニデックマシンツール「沿革」
- 日本機械学会「機械遺産 第91号 日本工業大学の所蔵する歴史的工作機械群」
- 岡本工作機械製作所「会社沿革」
- 不二越 有価証券報告書の「沿革」(EDINET DB)
- ヤンマーテクニカルレビュー「歯車加工に用いられる工作機械の紹介」(2016)
- 日本工作機械工業会事務局『数値制御工作機械カタログ 1968年版』(1968)