ARCHIVE MAKERSメーカー別の沿革
第 1〜7 章の系図に出てくる会社を、1 社 1 行にまとめました。帯は社名の移り変わりで、色の区切りが社名の変わった年です。下に、その会社が出てくる章と、各章の年表から拾った主な出来事(★を先に、最大 5 件)を並べています。ここに載せているのは各章で確かめたことだけで、会社の今の事業や所在地は工作機械メーカー一覧にあります。
社名が
変わっても
同じ会社!

⑂39 社
今も続く会社 35 社、合併・事業の譲渡で別の会社に移った会社 4 社です(系図のデータによる)。始まりの年は系図の最初の社名の年で、前身の工場・部門の年のこともあります。
- 池貝1889 年〜今も続く
1889池貝工場→1906合資会社池貝鉄工所→1913株式会社池貝鉄工所→1949池貝鉄工→1991池貝[4][3]
出てくる章:旋盤フライス・MC研削盤歯切り盤ボール盤・中ぐり複合・5 軸
- 1889年5月旋盤★池貝庄太郎が東京・芝金杉で池貝工場を創業(5月)。英式旋盤 2 台付きの借り工場から始め、同年末、弟の喜四郎と自家用の英式 9 フィート旋盤を作る。動力式で現存最古の国産旋盤(機械遺産第53号、国立科学博物館)[1][2・コマ45][2・コマ25][3・コマ26][4]
- 1898年旋盤池貝が自家製の旋盤 2 台を海軍機関学校へ初めて納入。以後、海軍各部から旋盤などの注文[5・コマ65]
- 1898年ボール盤・中ぐり池貝が自家製の旋盤を海軍機関学校に納め、以後、海軍の各部から旋盤・平削り盤・ボール盤の注文を受ける[5・コマ65]
- 1905年旋盤★池貝がフランシスの仕様書にもとづいて米式旋盤を作り、「池貝式標準旋盤」の量産を始める(それまでは主に英式)。月産 30 台ほどの量産も試みた[5・コマ65][4][3・コマ43][3・コマ44]
- 1972年12月複合・5 軸★『機械振興』の新製品紹介に池貝鉄工のターニングセンタ FT500NA が載る。1981 年の『旋盤マニュアル』は「わが国では池貝鉄工が 1973 年にターニングセンタを発表し、シリーズを完成させた」と書く[6・コマ47][7・コマ73]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 14 件あります(総合年表)。
- エグロ1937 年〜今も続く
1937江黒鉄工所→1992エグロ[8]
出てくる章:旋盤
- オークマ1898 年〜今も続く
1898大隈麺機商会→1918大隈鐵工所→1991オークマ[99][9]
出てくる章:旋盤フライス・MC研削盤ボール盤・中ぐり複合・5 軸
- 1918年研削盤★大隈が陸軍工廠から図面を受け、米ノルトン社の No.1 万能工具研削盤を手本に GA-1 形工具研削盤を作る。同社の研削盤づくりの始まり[9・コマ19][9・コマ23]
- 1941年10月研削盤★1939 年の総動員試験研究命令による大隈の GHU 形万能研削盤が審査を終える。米ランジス社の研削盤を手本にした油圧式で、円筒・内面・平面の研削ができ、1945 年までに 500 台作られて戦後の研削盤生産の基礎になった[2・コマ61][10]
- 1956年3月研削盤★大隈の GPB 形サイクリック円筒研削盤が完成。荒削り・仕上げ・定寸を一続きのサイクルで行い、第 2 回大阪国際見本市で注目される。非真円平軸受を使い、1969 年までに約 700 台(機械遺産第 59 号)[9・コマ72][9・コマ66][11]
- 1958年ボール盤・中ぐり★大隈鐵工所の高速強力ラジアルボール盤 DRA-J 形。剛性を高めてジグボーラー並みの精密な穴あけと高速加工ができ、加工中に次の切削条件を前もって設定できた。3,000 台を超えて売れた[12]
- 1958年4月旋盤★大隈の LS 形実用高速旋盤(1956 年着手)。4 月の大阪国際見本市で初公開し月産 30 台で生産開始、1962 年に組立コンベアを完成。累計 3 万台を超える[13][9・コマ65][9・コマ74][9・コマ77]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 29 件あります(総合年表)。
- 大阪機工1915 年〜今も続く
1915松田製作所→1920大阪機械工作所→1938大阪機工(いまのニデックオーケーケー)[14]
- 1934年フライス・MC大阪機械工作所(ポンプ・水道メーター・紡績機械のメーカー)が工作機械の製造を始める。1938 年に大阪機工と改称[14]
- 1941年フライス・MC大阪機工が、1940 年の試験研究令による受命機として米シンシナチ社の 3 番フライス盤に準拠した MH-3V ひざ形フライス盤を開発。以後の同社のひざ形の原型[15]
- 1960年フライス・MC大阪機工が NC フライス盤を完成し、重工メーカーに納める[14]
- 1961年旋盤大阪機工がフランスのラモ社から汎用旋盤の技術を入れ、OKK-RAMO 旋盤 T-37 などを製品化[16]
- 1964年フライス・MC大阪機工がベッド形フライス盤 MH-2 1/2V を開発。量産型の汎用フライス盤の原型に[17]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 7 件あります(総合年表)。
- 岡本工作機械製作所1926 年〜今も続く
1926岡本専用工作機械製作所→1935岡本工作機械製作所[18]
- 1926年研削盤岡本覚三郎が個人経営の岡本専用工作機械製作所を創業(1935 年に株式会社岡本工作機械製作所)[18]
- 1930年研削盤★岡本が呉海軍工廠の注文で国産初の平歯車研削盤 ASG-2 形を完成。最大ピッチ円直径 500mm・モジュール 8。終戦までに 13 台作られ、これを機に岡本は研削盤の総合メーカーになる[19][18]
- 1930年歯切り盤岡本工作機械製作所が呉海軍工廠の注文で国産初の平歯車研削盤 ASG-2 形を完成(第 3 章)[19][20・コマ105]
- 1953年研削盤★岡本工作機械製作所が国産初の平面研削盤 PSG-6 形を開発(同社の表現)[18]
- 1954年研削盤岡本工作機械製作所が内面研削盤 IGM シリーズを開発[18]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 4 件あります(総合年表)。
- カシフジ1913 年〜今も続く
出てくる章:歯切り盤
- 1913年歯切り盤京都で樫藤鉄工所が創業(いまのカシフジ)[21]
- 1918年歯切り盤カシフジの沿革では、1918 年に創業者の樫藤留三郎が 40 インチのホブ盤の 1 号機を試作し、京都市電の修理用歯車を作り始めた(同社は「国内初のホブ盤」とする)[22]
- 1920年歯切り盤樫藤鉄工所で 40 インチホブ盤が完成。独ファウター社のホブ盤を手本にしたもの[20・コマ105]
- 1928〜31年歯切り盤樫藤鉄工所が汎用ホブ盤 K0(14 インチ、1928 年)、K1(24 インチ、1930 年)、K2(40 インチ、1931 年)を出す[22]
- 2014年歯切り盤★スカイビングの機械と工具が国内各社から出る:カシフジのギヤスカイビング盤 KPS20、唐津鐵工所のギヤスカイビングマシン GSV-25N、三菱重工業のスーパースカイビングカッタ[22][23][24]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 3 件あります(総合年表)。
- 唐津プレシジョン1909 年〜今も続く
1909芳谷炭鉱 唐津鐵工所→1916唐津鐵工所→2016唐津プレシジョン[23]
- 1909年歯切り盤佐賀県唐津で芳谷炭鉱の唐津鐵工所が創業(1916 年に株式会社唐津鐵工所として独立)[23][20・コマ104]
- 1915年ボール盤・中ぐり唐津鐵工所が、旋削と穴ぐり(中ぐり)を 1 台でこなす砲身旋盤を完成[23]
- 1921年歯切り盤唐津鐵工所が蒸気タービン用のピニオンを切るホブ盤を作る[20・コマ105]
- 1938年ボール盤・中ぐり★唐津鐵工所が戦艦大和・武蔵の主砲のための超大型の砲身中ぐり盤を完成し、呉海軍工廠に納める(全長約 64m、同社の沿革による)[23]
- 2014年歯切り盤★スカイビングの機械と工具が国内各社から出る:カシフジのギヤスカイビング盤 KPS20、唐津鐵工所のギヤスカイビングマシン GSV-25N、三菱重工業のスーパースカイビングカッタ[22][23][24]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 6 件あります(総合年表)。
- キラ・コーポレーション1927 年〜今も続く
1927吉田鉄工所→1944三河内燃機工業→1957吉良鐵工所→1994キラ・コーポレーション[25]
出てくる章:ボール盤・中ぐり
- 黒田精工1925 年〜今も続く
1925黒田挾範製作所→1965黒田精工[26]
- 1936年研削盤ゲージメーカーの黒田挾範製作所が独リンドナー社のねじ研削盤を買う。日本で 3 台目で、月の生産額より高い買い物だった[26・コマ72]
- 1953年研削盤黒田挾範製作所が金型づくりのために横軸の平面研削盤 GS-201 を自社用に開発(主軸はマッケンセン式の動圧軸受)[26・コマ75][27]
- 1962年ボール盤・中ぐり黒田精工が万能ボーリングヘッドをシリーズ化(1958 年ごろ、高価な輸入品だったものを通産省の助言で国産化)。汎用のフライス盤やボール盤で中ぐり・面削りができる[28]
- 1963年研削盤黒田の GS-201 が、外からの要望を受けて本格的に市販される[27][26・コマ75]
- 1965年6月研削盤黒田挾範製作所が黒田精工に改称。同じ年、英ダイヤフォーム社と提携し、砥石の形を整える装置を組み込んだ平面研削盤を出す[26・コマ59][26・コマ76][26・コマ90]
- ジェイテクト1941 年〜今も続く
1941豊田工機→2006ジェイテクト(光洋精工と合併)[30][100]
- 1941年ボール盤・中ぐり豊田工機が設立時に多軸専用ボール盤・精密中ぐり盤などを生産機種として申請(在来の工作機械会社が作っていない新しい試作品)。精密中ぐり盤 EJ/ES 形は戦時は航空機、戦後は自動車の部品の量産に使われた[3・コマ77][29]
- 1941年4月旋盤豊田工機の創立総会(トヨタ自動車工業の工機工場を分離)。事業法の許可を受け、半自動多刃旋盤 HD200 形・自動多刃旋盤 FB12 形などを作る[30・コマ23][30・コマ24]
- 1955年研削盤★豊田工機が仏ジャンドルン社と円筒研削盤で技術提携。流体軸受という新しい機構に社内の不安もあったが踏み切る[31][30・コマ35][30・コマ36]
- 1956年研削盤豊田工機の最初の研削盤、トヨダ・ジャンドルン円筒研削盤 RA25-100 を見本市に出品。静圧流体軸受が関心を集め、最初の注文は自動車メーカーから。クランクシャフトのジャーナル研削などで自動車産業を支えた[32][30・コマ37][30・コマ38]
- 1977年10月研削盤★豊田工機の CBN 生産形カム研削盤が第 12 回機械振興協会賞を受ける[30・コマ78]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 9 件あります(総合年表)。
- シギヤ精機製作所1911 年〜今も続く
1911オリエンタル織機工業→1958シギヤ精機工業所→1960シギヤ精機製作所[33]
出てくる章:研削盤
- 1955年研削盤シギヤ(当時はオリエンタル織機工業)が 1952 年に着手した万能兼工具研削盤の試作機が完成[33]
- 1958年9月研削盤シギヤ精機工業所に改称し、織機から工作機械の製造へ全面的に移って円筒研削盤の開発に取りかかる。翌 1959 年に G-24 形円筒研削盤[33]
- 1980年研削盤シギヤ精機製作所の最初の CNC 円筒研削盤 GN-27[33]
- 1996年研削盤シギヤ精機製作所の CNC マスタレスカム研削盤 GCM-30[33]
- 2010年研削盤シギヤ精機製作所が立形 CNC アンギュラ円筒研削盤 GAV-10・15 を開発(同社は両センタで支える立形研削盤として日本初とする)[33]
- シチズンマシナリー1936 年〜今も続く
1936シチズン時計の工作機械部門→1982シチズン精機→2005シチズンマシナリー[35]
出てくる章:旋盤
- 芝浦機械1938 年〜今も続く
1938芝浦工作機械→1945芝浦工機→1949芝浦機械製作所→1961東芝機械→2020芝浦機械[36]
出てくる章:ボール盤・中ぐり
- ジャパックス1953 年〜1991 年に他社へ
1953日本放電加工研究所→1960ジャパックス⇒1991ソディックへ[38][37]
出てくる章:放電加工
- 1953年放電加工★池貝鉄工所の関連会社として日本放電加工研究所が設立される。創業者の井上潔は三菱重工業で放電加工を研究していた技術者で、当時の池貝鉄工所の社長 岡崎嘉平太と意気投合して会社をつくった。安川電機もこのころ放電加工の研究を始める[37]
- 1954年3月放電加工★日本放電加工研究所が、国産の実用の放電加工機の第 1 号「Japaxtron D3」を完成させ、東京工業大学に納める。欧米とは違う独自の発想の機械で、火花放電穿孔機とも呼ばれた。2024 年に未来技術遺産(第 373 号)[38][37][39]
- 1960年放電加工日本放電加工研究所がジャパックスに社名を変える。同じ年にプラハで第 1 回の国際放電加工シンポジウム(ISEM)[38][37]
- 1969年放電加工1960 年代の後半はジャパックスと三菱電機が放電加工機の 2 強と呼ばれた。ジャパックスの D100M は D3 の流れをくむ機種で、1969 年にトランジスタ電源(QC 電源)が加わる。半導体の電源で電極の減りが大きく減り、金型の 3 次元の底付き穴に広まり始める[37]
- 1991年4月放電加工★1980 年ごろまで国内のトップだったジャパックスが、石油ショックのあとの不振でソディックの資本参加を受けて傘下に入る。分かれて出た会社が元の会社を引き受けたことは当時大きな話題になった。1992 年 10 月にソディックがジャパックスの放電加工機部門の営業の一部を譲り受ける[37][40]
- 新日本工機1898 年〜今も続く
1898若山鐵工所→1949新日本工機[41]
- 1898年旋盤若山瀧三郎が若山鐵工所を開業し、足踏み式の手工ポンス(打抜き)機や手回しの 6 フィート旋盤を作る。1904 年に工作機械の専業になる[41]
- 第一次大戦のころ旋盤大戦をきっかけに旋盤の輸出が伸びた時期の例として、池貝の英国・ロシア向けと並んで、若山鉄工所の 6 フィート・8 フィート旋盤のロシア向けが挙げられている(同書は「大戦後」と書く)[42・コマ22]
- 戦前旋盤戦前の大阪では、汽車製造・平尾製作所・足立鉄工所・若山鉄工所が旋盤の名の知れたメーカーだった(1984 年の時点では、このうち旋盤を作り続けている会社は無いとされる)[43・コマ25]
- 1958年フライス・MC★新日本工機が RB-Ⅱ 精密立中ぐりフライス盤の初号機を完成。同社はこれを門形加工機の原型とし、2005 年に「歴史的価値ある工作機械」のベストテクニカル賞を受ける。1960 年の広告には RB-Ⅰ〜Ⅳ 型の精密竪型中ぐり盤が並ぶ[41][44・コマ22]
- 1970年9月フライス・MC★機械振興協会技術研究所が、新日本工機で試作した 7 軸・同時 5 軸制御の ATC 付きマシニングセンタを完成。主軸頭に穴あけ用の高速主軸とフライス用の主軸を持ち、500mm 角までの工作物の 5 面を続けて削れる。同社は FM-720 として「わが国初の同時 5 軸の複合工作機械」とする[45・コマ31][45・コマ47][46・コマ64][41]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 5 件あります(総合年表)。
- スター精密1950 年〜今も続く
1950スター製作所→1965スター精密[101]
出てくる章:旋盤
各章の年表には、この会社の名前で載せた出来事がありません(系図だけに出てきます)。
- 西部電機1927 年〜今も続く
1927西部電気工業所→1939西部電機工業→1986西部電機[47]
出てくる章:放電加工
- 1962年10月放電加工西部電機工業(今の西部電機)が安川電機の協力で形彫り放電加工機を開発し、国際工作機械見本市に E-304 型と卓上型を出す。日立造船も油圧サーボの試作機を出したが、事業にはならなかった[37][47]
- 1972年10月放電加工★西部電機工業が、ミニコンピュータを使った NC で動くワイヤ放電加工機 EW-20 形を作り、第 6 回日本国際工作機械見本市に出す。国産で最初の NC ワイヤ放電加工機で、同社は CNC のワイヤ放電加工機として世界初とする。2025 年に未来技術遺産(第 395 号)[48][37][47][49]
- 1974年放電加工西部電機工業の形彫り放電加工機 E-202H。当時の主流だった油圧サーボで主軸を動かし、荒加工を速く・仕上げをきれいにする重畳電圧回路(DP 回路)を積む。今も福岡県の会社で生産に使われている[50]
- 1984年放電加工三菱電機の DWC-90G が業界最高の 200mm²/min を出し、パイプで案内する初期の自動結線装置を積む。西部電機工業は門形のコラムとリニアスケールで熱による狂いを抑えた、同社で最初の高精度機 EWP-300A を出す[51][52]
- 1995年8月放電加工西部電機が自動結線装置 AWF-3 で、ワイヤを通す時間を 10 秒にする(それまでは 90 秒ほど)。「10 秒結線」は他社の目標になった[37][47]
- ソディック1976 年〜今も続く
1976ソディック[40]
受け継いだ会社:ジャパックス(1991 年)
出てくる章:放電加工
- 1976年放電加工ソディックと牧野フライス製作所が、日本で最初のマイコン NC の形彫り放電加工機を作る(機械は牧野、電源と NC はソディック)[53][37]
- 1976年8月放電加工★ソディックがジャパックスから分かれて横浜で創業する。同じ年に日本で最初の揺動加工装置 SIX-LORAN(電極を XY にも動かして側面を仕上げる)を出す[37][40]
- 1980年放電加工ソディックの形彫り放電加工機 22-NC。XYZ と電極を回す C 軸を同時に制御でき、複雑な金型に使える。現存し公開されているマイコン NC の形彫り放電加工機では最も古い。2024 年に未来技術遺産(第 375 号)[53][54]
- 1991年4月放電加工★1980 年ごろまで国内のトップだったジャパックスが、石油ショックのあとの不振でソディックの資本参加を受けて傘下に入る。分かれて出た会社が元の会社を引き受けたことは当時大きな話題になった。1992 年 10 月にソディックがジャパックスの放電加工機部門の営業の一部を譲り受ける[37][40]
- 1998年放電加工★ソディックが、主軸(Z 軸)をリニアモータで動かす形彫り放電加工機 AM シリーズを出す(世界初)。数 m/min だった Z 軸の速さが 36m/min になり、電極を素早く上下させて加工くずを出すことで加工が速くなった[55][37]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 1 件あります(総合年表)。
- 太陽工機1986 年〜今も続く
1986太陽工機[56]
出てくる章:研削盤
- 高松機械工業1948 年〜今も続く
1948高松鉄工所→1961高松機械工業[102]
出てくる章:旋盤
各章の年表には、この会社の名前で載せた出来事がありません(系図だけに出てきます)。
- TAKISAWA1922 年〜今も続く
1922瀧澤鐵工所(滝澤鉄工所)→2022TAKISAWA[57]
出てくる章:旋盤
- ツガミ1937 年〜今も続く
1937津上製作所→1970津上→1982ツガミ[60]
- DMG森精機1948 年〜今も続く
1948森精機製作所→2013DMG森精機[61]
受け継いだ会社:日立精機(2002 年、営業の一部を譲渡)
- 1948年10月旋盤森精機製作所が奈良で設立(はじめは繊維機械)[61]
- 1958年5月旋盤森精機製作所が繊維機械から高速精密旋盤へ転換。普通旋盤 MS-850 が伸びるきっかけになり、1960 年に輸出を始める[61][62]
- 1978年旋盤★森精機製作所の NC 旋盤 SL-2。NC 装置を機械に組み込んだ機電一体型で、9 年間に約 2,500 台を売り SL シリーズの元に[63]
- 1984年フライス・MC★森精機製作所の小形立形 MC MV junior。8 年間で 4,700 台が売れ、小形で値ごろな立形 MC が業界の標準に[64]
- 2006年複合・5 軸★機械工業デザイン賞の受賞 5 機種のうち 4 機種が 5 軸 MC か複合加工機になる(三井精機工業の 5 軸立形 Vertex550-5X、松浦機械製作所の 5 軸複合 CUBLEX-25 ほか)。同じ年、森精機製作所が 5 軸の NMV5000 DCG を開発[65][66][67][61]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 10 件あります(総合年表)。
- 中村留精密工業1949 年〜今も続く
1949中村鉄工所→1960中村留精密工業[68]
- 1985年9月複合・5 軸中村留精密工業が、小さな工場でも入れやすい自動化・省力化の「下町の FA シリーズ」を発表[68]
- 1988年4月複合・5 軸★中村留精密工業が、主軸 2 本と刃物台 2 つを向かい合わせた 2 スピンドル・2 タレット機 TW-20 を発表。同時加工と、1 台で仕上げまでの完品加工を実現し、のちの WT シリーズ・Super NT シリーズの原型になった[68]
- 2000年5月複合・5 軸中村留精密工業が、専用の工具主軸と ATC を持ち、旋削とマシニングセンタの加工を 1 台でこなす「超複合加工機」STW-40 を発表[68]
- 2023年6月複合・5 軸中村留精密工業が、複合加工機を使う人向けの独自の「複合加工機検定」を始める[68]
- ニイガタマシンテクノ1895 年〜今も続く
1895日本石油の鉄工所→1910新潟鐵工所→2003ニイガタマシンテクノ[70][69]
- 1895年6月旋盤日本石油の新潟鉄工所として創業(のちの新潟鐵工所)[69・コマ10]
- 1904年11月旋盤新潟鉄工所が東京陸軍砲兵工廠から砲弾旋盤 50 台(心高 300mm・床長 2,120mm・単価 850 円)を受注。同社の工作機械づくりの始まり[69・コマ30][3・コマ40][70]
- 1922〜24年ごろボール盤・中ぐり★新潟鉄工所が日立製作所向けに 7 インチ(主軸の太さ)の横中ぐり盤を作る。重さ 30 トンで、社史がこの時期の特記すべき機械に挙げる[69・コマ237]
- 1941年1月ボール盤・中ぐり国家総動員法で各社に機種を指定して研究・製造を命じる。新潟鉄工所の指定機種に精密中ぐり盤・砲身中ぐり盤など。精密中ぐり盤は独クラウゼ社の機械を手本にした 9Fb 形[69・コマ238]
- 1952年旋盤戦後の旋盤の新機種第 1 号とされる新潟鉄工所の 45SD 型強力高速旋盤(通産省の試験研究補助金)。同年、池貝が H14 型高速精密旋盤[2・コマ66]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 9 件あります(総合年表)。
- 日進機械製作所1931 年〜今も続く
1931日進機械製作所→1947日進織機→1952日進機械製作所[71]
出てくる章:研削盤
- 1931年研削盤浜松で日進機械製作所が創立(初めは繊維機械)[71]
- 1940年研削盤★日進機械製作所がセンタレスグラインダと旋盤の製造を始める[71]
- 1945年研削盤日進機械製作所が戦災で一時解散(1947 年に日進織機として再出発)[71]
- 1950年研削盤日進機械製作所がセンタレスグラインダの製造を再開(1952 年に社名を日進機械製作所に戻す)[71]
- 1970年研削盤★日進機械製作所が静圧軸受・静圧案内を使った静圧高速センタレスグラインダ HI-GRIND 2 形の製造を始め、第 5 回日本国際工作機械見本市に出品。1973 年には計測ゲージ付きの全自動センタレスを本格生産[71]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 1 件あります(総合年表)。
- ニデック2021 年〜今も続く
2021ニデック[72]
受け継いだ会社:三菱重工工作機械(2021 年)
- 日立工作機1910 年〜1941 年に他社へ
1910東京瓦斯電気工業 造機部→1939日立工作機⇒1941日立精機へ[73]
出てくる章:フライス・MC
- 1910年フライス・MC東京瓦斯工業の大森工場に造機部ができる。のちの東京瓦斯電気工業の造機部で、日立精機のフライス盤の源流[73・コマ54]
- 大正末期フライス・MC★東京瓦斯電気工業の造機部が、米シンシナチ社のフライス盤(ライトタイプ)を手本にフライス盤を作り始める。輸入されていたシンシナチ社・カーネイ・アンド・トレッカー社の機械の改良点も研究した[73・コマ23][73・コマ24]
- 1935年以降フライス・MC瓦斯電の M 形フライス盤が、国内で初めてフライス盤をロット生産した機種になる。造機部は月産 30 台、国内随一のフライス盤の量産工場に[73・コマ24]
- 1938年フライス・MC工作機械製造事業法で、瓦斯電の大森工場造機部が第 1 回の許可工場になる[73・コマ55]
- 1939年5月フライス・MC瓦斯電の造機部が独立し、日立製作所の子会社の日立工作機になる[73・コマ55]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 1 件あります(総合年表)。
- 日立精機1936 年〜2002 年に他社へ
1936国産精機→1941日立精機⇒2002森精機製作所(営業の一部を譲渡)[58][61][73]
受け継いだ会社:日立工作機(1941 年)
- 1936年旋盤国産精機が設立される。1941 年 12 月、ほか 2 社と合併して日立精機に[58・コマ37][58・コマ39]
- 1941年12月フライス・MC国産精機・日立工作機・篠原機械の 3 社が合併して日立精機になる[73・コマ52][73・コマ59]
- 1954年フライス・MC日立精機が強力形のひざ形横フライス盤 MK 形の 1 号機を完成(1955 年に ML 形)[73・コマ25][73・コマ26]
- 1958年フライス・MC日立精機が MP 形生産フライス盤(ベッド形)を完成[73・コマ26]
- 1979年複合・5 軸★日立精機が、回転工具を備えて工程を集約する本格的なターニングセンタ 5LC を開発。X・Y・Z・C の 4 軸制御で 20 本の ATC を持ち、中形の複合加工機として各種のシステムに組み込まれた[74・コマ17]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 3 件あります(総合年表)。
- ファナック1955 年〜今も続く
1955富士通の NC 部門→1972富士通ファナック→1982ファナック[75]
- 1956年旋盤富士通信機製造(のちのファナック)が民間で初めて NC 装置とサーボを開発(最初の対象はタレットパンチプレス)。工業技術院 機械試験所も NC の研究を始め、1959 年に NC ジグ中ぐり盤 JIDIC を試作[75][76][77]
- 1958年旋盤FANUC の NC の商用 1 号機を牧野フライス製作所に納入(NC フライス盤)。1959 年に電気・油圧パルスモータを開発[75][76]
- 1958年3月フライス・MC★牧野が立フライス盤 K シリーズと、日本最初の NC フライス盤を開発。NC 装置は富士通信機製造の商用 1 号機[78][75][76]
- 1975年7月放電加工★富士通ファナック(今のファナック)が NC ワイヤ放電加工機 TAPECUT MODEL A など 3 機種を売り出し、安い値段でシェアを取りにいく(当時の新聞の見出しは「他社の半値以下で販売」)[37][75]
- 1979年放電加工★ファナックが、ドイツのシーメンス社から技術を入れて日本で最初のワイヤ自動結線装置を出す(ワイヤが切れても機械が自分で通し直す)。1980 年代の半ばまでに主要メーカーの装置が出そろう。同じ年に三菱電機は精度 3〜5μm の DWC-90P を出す[37]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 5 件あります(総合年表)。
- 不二越1928 年〜今も続く
1928不二越鋼材工業→1963不二越[103]
出てくる章:歯切り盤
- 1953年11月歯切り盤自動車メーカーが歯車シェービング盤を入れたが、カッタの補給に困っていた。不二越鋼材工業が米ミシガンツール社とシェービングカッタの製造技術で提携[79・コマ71]
- 1961年歯切り盤不二越が自社の歯切工具を生かすため生産ホブ盤を開発し、1962 年に販売を始める。のちに多条ホブで高送りできる機械に改める[79・コマ145][79・コマ93]
- 1966年歯切り盤不二越が高速歯車形削り盤の販売を始める[79・コマ93]
- 1971年歯切り盤不二越が西独のホブ盤専業メーカーと、内歯車スカイビングマシンと生産ホブ盤(SH-180 形・SH-900 形・SH-1250 形)で技術提携し、翌年から販売[80・コマ101][79・コマ102][79・コマ149]
- 1974年歯切り盤不二越がホブ軸を直接駆動して振動を抑えたホブ盤で、超硬ホブによるホブ切りが実用になることを示す[79・コマ145][79・コマ149]
- 牧野フライス製作所1937 年〜今も続く
1937牧野商店製作部→1942牧野竪フライス製作所→1961牧野フライス製作所[78]
- 1937年5月フライス・MC★牧野常造が 1 番立フライス盤の専門メーカー「牧野商店製作部」を創業(1942 年 3 月に牧野竪フライス製作所)[78]
- 1958年3月フライス・MC★牧野が立フライス盤 K シリーズと、日本最初の NC フライス盤を開発。NC 装置は富士通信機製造の商用 1 号機[78][75][76]
- 1966年10月フライス・MC牧野フライス製作所がマシニングセンタを開発(同社は「国産第一号機」とする)[78]
- 1972年8月フライス・MC牧野フライス製作所が適応制御のマシニングセンタによるトランスファライン(FMS)を開発[78]
- 1993年放電加工★牧野フライス製作所が、半導体のリードフレームなど微細な部品の金型のためのワイヤ放電加工機 UPH-1 を出す。ワイヤを横に走らせる構造で、業界で初めて φ0.03mm のワイヤを自動で通した(同じ年、ソディックは φ0.05mm の自動結線)。2024 年に未来技術遺産(第 376 号)[81][37][82]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 6 件あります(総合年表)。
- 松浦機械製作所1935 年〜今も続く
1935松浦(創業)→1960松浦機械製作所[67]
- 1960年フライス・MC松浦機械製作所のミクロマン SB-1:主軸の回転や送りの切り替えをプログラムで制御し、3 方向に 0.02mm 以内で止まる自動立フライス盤(同社は 1961 年に生産・販売開始とする)[83][67]
- 1974年フライス・MC★松浦機械製作所が立形マシニングセンタ MC-750V を出す。横形が中心の時期に、立形で値段を下げた。1975 年に米国へ輸出を始める[84][67]
- 1991年フライス・MC★松浦機械製作所が無人運転に対応した 5 軸マシニングセンタを出す(72 時間の連続無人運転)[67]
- 2002年複合・5 軸★松浦機械製作所が、レーザーで金属の粉を固める金属光造形と、マシニングセンタの切削を 1 台にした金属光造形複合加工機を開発。2003 年に生産・販売を始め、2004 年に M-PHOTON25C が日本産業技術大賞を受け、LUMEX 25C を発表[67]
- 2006年複合・5 軸★機械工業デザイン賞の受賞 5 機種のうち 4 機種が 5 軸 MC か複合加工機になる(三井精機工業の 5 軸立形 Vertex550-5X、松浦機械製作所の 5 軸複合 CUBLEX-25 ほか)。同じ年、森精機製作所が 5 軸の NMV5000 DCG を開発[65][66][67][61]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 2 件あります(総合年表)。
- 三井精機工業1928 年〜今も続く
1928津上製作所→1937東洋精機→1942三井精機工業→1950東洋精機→1952三井精機工業[66]
- 1938年7月ボール盤・中ぐり★東洋精機が事業法の許可会社になり、ジグ中ぐり盤(4 型)の生産を始める(同社は「我が国初のジグ中ぐり盤」とする)。スイス SIP 社の機械を手本にし、終戦までに約 220 台を作った[66][85]
- 1955年3月ボール盤・中ぐり三井精機工業が第 3 号型ジグ中ぐり盤の製造を始め、精機学会の第 1 回明石記念賞を受ける[66]
- 1970年10月ボール盤・中ぐり三井精機工業が初めてのマシニングセンタ Jidic H5B・H6B の生産を始める。ジグ中ぐり盤の会社が MC へ[66]
- 2006年複合・5 軸★機械工業デザイン賞の受賞 5 機種のうち 4 機種が 5 軸 MC か複合加工機になる(三井精機工業の 5 軸立形 Vertex550-5X、松浦機械製作所の 5 軸複合 CUBLEX-25 ほか)。同じ年、森精機製作所が 5 軸の NMV5000 DCG を開発[65][66][67][61]
- 三菱重工工作機械1944 年〜2021 年に他社へ
1944三菱重工業(京都・広島)→2015三菱重工工作機械⇒2021ニデックへ[72][86]
- 1961年歯切り盤★三菱重工業が西独ローレンツ社と歯切機械で技術提携し、京都製作所で立形ホブ盤「三菱ローレンツ」の生産を始める[86・コマ383][86・コマ542]
- 1967年11月ボール盤・中ぐり★三菱重工業が MIB マシンの後継として自社で開発した「三菱フライス中ぐり複合工作機」MAF マシンの初号機を完成。造船・原子力の大型化に応える機械で、同社は「国内初の NC 中ぐりフライス盤」とする。タービンケーシング用で総重量 320 トン[86・コマ383][86・コマ546][24][87]
- 1980年歯切り盤★三菱重工業が NC ホブ盤 GH400NC を開発(国産初の NC ホブ盤とされる)。モジュール 12 まで、ホブ軸は毎分 60〜350 回転の無段変速、5 軸を NC で制御[88][24]
- 1997年歯切り盤★三菱重工業が切削油を使わない歯車のドライカットシステムを完成(同社は世界初とする)。2002 年にドライカットホブ盤 GE シリーズ[24]
- 2014年歯切り盤★スカイビングの機械と工具が国内各社から出る:カシフジのギヤスカイビング盤 KPS20、唐津鐵工所のギヤスカイビングマシン GSV-25N、三菱重工業のスーパースカイビングカッタ[22][23][24]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 14 件あります(総合年表)。
- 三菱電機1958 年〜今も続く
1958三菱造船+三菱電機→1964三菱電機(名古屋製作所)[37]
出てくる章:放電加工
- 1958年放電加工★三菱造船(機械の部分)と三菱電機(電源などの電気の部分)が分担して、放電加工機 DM-101 の生産を始める[37][89]
- 1963年放電加工三菱の小型の形彫り放電加工機 DM-50B。放電が 1 か所に集中しないようにする高周波重畳回路の電源で、加工を安定させた。同じ年のカタログには、池貝鉄工の自動精密放電型彫盤 D104H 形など 4 機種と、三菱ダイアックス放電加工機 DM-50・DM-102 形が載る[89][90・コマ83][90・コマ447][90・コマ448]
- 1964年放電加工三菱造船との分担をやめて事業を三菱電機にまとめ、名古屋製作所で放電加工機の生産を始める[37]
- 1967年放電加工三菱電機が DM-250 形を出す。主軸(Z 軸)を油圧サーボで動かし、50kg の大きな電極を付けられるようにした。鍛造の金型の底付き穴を彫るためで、電源は高周波重畳・サイリスタ・トランジスタから選べた。売れ筋の機械になった[37]
- 1972年放電加工★三菱電機が国産で最初のワイヤ放電加工機 DWC-50(DWC50S-LT1 形)を出す。高い NC を使わず、米国で開発された光学式の図面倣い装置で図面の線を追った。2024 年に未来技術遺産(第 374 号)[91][37][92]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 7 件あります(総合年表)。
- 安田工業1929 年〜今も続く
1929ストロング商会→1944安田工業[93]
- 1929年ボール盤・中ぐり安田信次郎が大阪で創業し、自動車のエンジンのシリンダーのボーリング(中ぐり)加工とピストンの製造を始める(同社は「わが国で初めて」とする)[93]
- 1938年ボール盤・中ぐりシリンダーボーリングマシンとスリーブ工具を開発(1940 年から本格生産)[93]
- 1964年フライス・MC安田工業が横精密中ぐりフライス盤「ジグマスター」を開発。同年、松浦機械製作所が数値制御自動フライス盤の生産・販売を始める[93][67]
- 1964年ボール盤・中ぐり安田工業が横精密中ぐりフライス盤「ジグマスター」を開発(1966 年に MC「プレシジョンセンター」)[93]
- 1966年フライス・MC池貝鉄工がマシニングセンタを含む NC 工作機械 3 種を発表。安田工業もマシニングセンタ「プレシジョンセンター」を開発[4][93]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 2 件あります(総合年表)。
- ヤマザキマザック1919 年〜今も続く
1919山崎鉄工所→1985ヤマザキマザック[94]
- 1968年9月旋盤★山崎鉄工所が NC 旋盤の第 1 号機「マザックターニングセンター(MTC)」を完成。発表時は 1 台 730 万円、FANUC 260 をもとにした簡易な NC[94][95]
- 1970年旋盤★山崎鉄工所の NC 旋盤 MTC-2500R(製造番号 200、FANUC 240・紙テープ・電気油圧パルスモータ)。国産の NC 旋盤として初めて米国へ輸出された。2008 年に里帰りし、2024 年に機械遺産第126号[96][94]
- 1983年4月旋盤★山崎鉄工所が複合加工機「SLANT TURN 40N ATC ミルセンタ」を完成[94]
- 1988年複合・5 軸★ヤマザキマザックが「インテグレックス 40ATC ミルセンタ」を IMTS(シカゴ)に出す。ユーザーの要望だった Y 軸を足して 4 軸にし、工作物の側面も削れるようにした。複合加工機の削れる範囲がマシニングセンタの領域へ大きく広がった[97]
- 1997年複合・5 軸★ヤマザキマザックが X・Y・Z・C 軸に B 軸(工具主軸の旋回)を足した「インテグレックス 200SY」を開発。5 軸制御でタービンブレードのような立体の複雑な形が削れ、第 2 主軸で工作物を持ち替えて裏側まで続けて削れる[97]
各章の年表にはこの会社の出来事がほかに 28 件あります(総合年表)。
- 株式会社和井田製作所1933 年〜今も続く
1933和井田製作所(創業)→1946株式会社和井田製作所[98]
出てくる章:研削盤
章とほかの横断ページ
出典
番号はこのページでの通し番号です(各章の番号とは違います)。社名の移り変わりは各社の沿革と社史、出来事は各章の年表と同じ資料です。国立国会図書館の資料は、個人向けデジタル化資料送信サービスで 2026 年 10 月に確かめました。
- 日本機械学会「機械遺産 第53号 池貝工場製第1号旋盤」
- 『日本の技術100年 ビジュアル版 第7巻』筑摩書房(1989)コマ 25・45・61・66
- 一寸木俊昭『日本の工作機械工業の発展過程の分析』(1963)コマ 26・40・43・44・77・78・94
- 池貝「企業情報(沿革)」
- 日本工学会『明治工業史 機械・地学篇』(1930)コマ 65
- 『機械振興』5巻12号(通巻55号)機械振興協会(1972年12月)「新製品紹介シリーズ」コマ 47
- 『旋盤マニュアル 構造・精度編』大河出版(1981)コマ 73
- エグロ「会社概要・沿革」
- 大隈鉄工所『製品沿革写真集:創業70周年記念』(1968)コマ 19・23・65・66・72・74・77
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「油圧式万能研削盤 GHU-300形」
- 日本機械学会「機械遺産 第59号 大隈式非真円平軸受とGPB形円筒研削盤」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「高速強力ラジアルボール盤 DRA-J形」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「実用高速旋盤 LS540×800形」
- ニデックオーケーケー(旧 大阪機工)「沿革」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「MH型ひざ形フライス盤 MH-3V」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「OKK-RAMO旋盤 T-37」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「MH型ベッド形フライス盤 MH-2 1/2V」
- 岡本工作機械製作所「会社沿革」
- 日本機械学会「機械遺産 第106号 ASG-2形平歯車研削盤」
- 会田俊夫『歯車の技術史』開発社(1970)コマ 104・105
- カシフジ「会社概要」
- カシフジ「沿革」
- 唐津プレシジョン「沿革」
- ニデックマシンツール「製品の歴史」
- キラ・コーポレーション「会社概要」の沿革
- 『黒田精工:省力化にいどむ精密機器メーカー』(1970)コマ 59・72・75・76・90
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「横軸型平面研削盤 GS-201」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ボーリングヘッド UFB-3」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「精密中ぐり盤 EJ/ES形」
- 豊田工機『技に夢を求めて:豊田工機50年史』(1991)コマ 23・24・35・36・37・38・78
- ジェイテクト「沿革(豊田工機)」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「トヨダ・ジャンドルン円筒研削盤 RA25-100」
- シギヤ精機製作所「沿革・開発履歴」
- シチズン時計「沿革」
- シチズンマシナリー「沿革」
- 芝浦機械 有価証券報告書の「沿革」(EDINET DB)
- 岩崎健史「放電加工機技術の系統化調査」国立科学博物館『技術の系統化調査報告』第32集(2023)
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「形彫放電加工機 Japaxtron D3」
- 国立科学博物館 重要科学技術史資料(未来技術遺産)第00373号「形彫放電加工機 Japaxtron D3」の登録資料票
- ソディック 有価証券報告書の「沿革」(EDINET DB)
- 新日本工機「会社概要」の沿革
- 工作機械研究会編『世界の工作機械工業』富士弘報社(1963)コマ 22
- 宮崎正吉『工作機械の歴史 その1(旋盤)』(1984)コマ 25
- 『工業の進歩』1960年1月号(大阪府立工業技術研究所監修)コマ 22
- 『機械振興協会十年史』機械振興協会(1976)コマ 31・47
- 日本機械学会『機械工学年鑑 昭和46年』(1971)コマ 64
- 西部電機 有価証券報告書の「沿革」(EDINET DB)
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ワイヤカット放電加工機 EW-20形ほか」
- 国立科学博物館 重要科学技術史資料(未来技術遺産)第00395号「ワイヤ放電加工機 EW-20」の登録資料票
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「形彫放電加工機 E-202H」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ワイヤ放電加工機 DWC-90G」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ワイヤ放電加工機 EWP-300A」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「形彫放電加工機 22-NC」
- 国立科学博物館 重要科学技術史資料(未来技術遺産)第00375号「形彫放電加工機 22-NC 8000」の登録資料票
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「形彫放電加工機 AM35L」
- 太陽工機「沿革」
- TAKISAWA「会社概要・沿革」
- 『工作機械業界』教育社(1978)コマ 37・39・61
- 『Precision Tsugami』津上製作所(1971)コマ 48・51・52・99
- ツガミ「沿革」
- DMG森精機「History」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「普通旋盤 MS-850」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「NC旋盤 SL-2」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「立形マシニングセンタ MV junior」
- 梅本良作・石村眞一「日本におけるNC工作機械のデザインに関する変遷 ―マシニングセンタを中心として(2)―」『技術と文明』19巻2号 pp.43-58(2015年)
- 三井精機工業「沿革」
- 松浦機械製作所「沿革について」
- 中村留精密工業「沿革」
- 『新潟鉄工所八十年史』(1977)コマ 10・30・237・238
- ニイガタマシンテクノ「歴史・沿革」
- 日進機械製作所「会社概要・沿革」
- ニデックマシンツール「沿革」
- 『日立精機二十五年の歩み』日立精機(1963)コマ 23・24・25・26・52・54・55・59
- 日立精機『人にやさしい先進技術:知恵と創意の55年』(1991)コマ 17
- ファナック「ファナックの歴史」
- 電気学会「でんきの礎 NC装置(数値制御装置)」(2013年顕彰)
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「数値制御ジグ中ぐり盤 JIDIC」
- 牧野フライス製作所「沿革」
- 『不二越五十年史』不二越(1978)コマ 71・93・102・145・149
- 『マシナリーオートメーション』34(506)(1971 年 8 月)コマ 101
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ワイヤ放電加工機 UPH-1」
- 国立科学博物館 重要科学技術史資料(未来技術遺産)第00376号「ワイヤ放電加工機 UPH-1」の登録資料票
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「自動定寸プログラム制御多サイクル自動立フライス盤 ミクロマンSB-1型」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「数値制御 立形マシニングセンタ MC-750V」
- 国立科学博物館 HITNET 産業技術史資料共通データベース「ジグ中ぐり盤」(日本工業大学 工業技術博物館の収蔵品 2 件)
- 『海に陸にそして宇宙へ:続三菱重工業社史 1964-1989』三菱重工業(1990)コマ 383・542・546
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「横中ぐり 複合工作機 MAF」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「NC ホブ盤 GH400NC」
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「形彫放電加工機 DM-50B」
- 『国産工作機械綜合カタログ 1963年版』コマ 83・385・447・448
- 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ワイヤ放電加工機 DWC-50」
- 国立科学博物館 重要科学技術史資料(未来技術遺産)第00374号「ワイヤ放電加工機 DWC-50」の登録資料票
- 安田工業「YASDAのあゆみ」
- ヤマザキマザック「沿革」
- 日髙千景「NC工作機械に関する考察(2):1950年代・1960年代の日本」『三田商学研究』62巻6号 pp.73-94(2020年)
- 日本機械学会「機械遺産 第126号 米国輸出を果たしたNC旋盤 MTC-2500R」
- 鈴木信貴「モジュール型産業におけるインテグリティーの獲得 ―日本工作機械産業の事例―」『赤門マネジメント・レビュー』9巻9号 pp.635-662(2010年)
- 和井田製作所 有価証券報告書の「沿革」(EDINET DB)
- オークマ「沿革」
- ジェイテクト「沿革」
- スター精密「沿革」
- 高松機械工業「沿革」
- 不二越 有価証券報告書の「沿革」(EDINET DB)