ARCHIVE TIMELINE総合年表

第 1〜7 章で確かめた出来事を、章をまたいで 1 本の年表に並べました。旋盤の話とフライス盤の話が同じ年に起きていたことや、NC・CNC の波がどの機種にいつ届いたかが、横に並べると見えてきます。行の左の札がどの章の出来事か、★は各章で大事な出来事として挙げたものです。番号は出典で、各章の年表と同じ資料を指します。

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⌛437 件の出来事

各章の出来事 439 件のうち、2 つの章に全く同じ文で出てくる 2 件を 1 行にまとめています(札が 2 つ付きます)。少し違う書き方で 2 つの章に出てくる出来事は、そのまま両方を載せています。

437 件を表示しています

幕末・明治大正昭和戦前戦後復興高度成長NC 化1980 年代〜2000 年代〜18501875190019251950197520002025188919051912191819251937194319531959196519721978198419911997200620142024黄色の点は各章の大事な出来事(★、年は混み合うところを省略)。時代の区切りの年は目安です。

幕末・明治〜1912 年

年章出来事メーカー・機種出典
1856年幕末旋盤長崎製鉄所の工作機械(銘板から安政3年=1856年製、おそらくオランダ製)。1930年の時点でもまだ使われていた—[1・コマ59]
1867年幕末旋盤横須賀造船所がフランス製の工作機械(銘板に Mulhouse 1866)を購入—[1・コマ60]
1875年ごろ明治8年旋盤山形の伊藤嘉平治が鍛えた鉄で足踏み旋盤を作る。機械遺産第3号(博物館明治村)機械遺産は「明治8(1875)年頃」、1989年の『日本の技術100年』は1876年と書く—[2][3・コマ25]
1879年明治12年旋盤工部省赤羽工作分局が門形平削り盤を作る(旋盤ではないが、現存する最初期の国産工作機械。機械遺産第67号、博物館明治村)—[4]
1881年明治14年ボール盤・中ぐり工部省の赤羽工作分局が刊行した製品目録『製造機械品』に、直立ボール盤にあたる「鑚孔器械」などの工作機械が載る。国の工場でボール盤を作っていた—[3・コマ19]
1889年5月明治22年旋盤★池貝庄太郎が東京・芝金杉で池貝工場を創業(5月)。英式旋盤 2 台付きの借り工場から始め、同年末、弟の喜四郎と自家用の英式 9 フィート旋盤を作る。動力式で現存最古の国産旋盤(機械遺産第53号、国立科学博物館)池貝[5][3・コマ45][3・コマ25][6・コマ26][7]
1895年6月明治28年旋盤日本石油の新潟鉄工所として創業(のちの新潟鐵工所)新潟鐵工所[8・コマ10]
1897年明治30年歯切り盤米シンシナチ社の 2 番万能フライス盤と成形フライス(歯溝の形の刃物)で、鋳物歯車の歯を 1 溝ずつ削る。日本で最初の機械による歯切りとされる—[9・コマ103][10・コマ23]
1898年明治31年旋盤大隈栄一が名古屋で大隈麺機商会を創業(製麺機)大隈[11・コマ6]
1898年明治31年旋盤池貝が自家製の旋盤 2 台を海軍機関学校へ初めて納入。以後、海軍各部から旋盤などの注文池貝[1・コマ65]
1898年明治31年旋盤若山瀧三郎が若山鐵工所を開業し、足踏み式の手工ポンス(打抜き)機や手回しの 6 フィート旋盤を作る。1904 年に工作機械の専業になる『日本の工作機械』(1958)は、若山鉄工所が工作機械に手を着けたのを唐津・大隈・久保田と並ぶ明治 40 年代とする若山鐵工所(いまの新日本工機の前身)[12]
1898年明治31年ボール盤・中ぐり池貝が自家製の旋盤を海軍機関学校に納め、以後、海軍の各部から旋盤・平削り盤・ボール盤の注文を受ける池貝[1・コマ65]
1901・1903年明治34年歯切り盤米 G&E 社(1901 年)、米シンシナチ社(1903 年)の自動歯切盤が買われ、歯切りの能率と精度が上がる—[9・コマ104]
1903年8月明治36年旋盤東京高等工業学校が米国人チャールス・A・フランシスを実地指導教員に招く—[1・コマ64]
1904年明治37年旋盤日露戦争。大隈が東京陸軍砲兵工廠から図面を支給されて単能旋盤など兵器用の工作機械を作り始める大隈[11・コマ18][11・コマ20]
1904年11月明治37年旋盤新潟鉄工所が東京陸軍砲兵工廠から砲弾旋盤 50 台(心高 300mm・床長 2,120mm・単価 850 円)を受注。同社の工作機械づくりの始まりニイガタマシンテクノの沿革は「1907年 工作機械の製作を開始」と書く新潟鐵工所[8・コマ30][6・コマ40][13]
1905年明治38年旋盤★池貝がフランシスの仕様書にもとづいて米式旋盤を作り、「池貝式標準旋盤」の量産を始める(それまでは主に英式)。月産 30 台ほどの量産も試みた池貝[1・コマ65][7][6・コマ43][6・コマ44]
1906年明治39年旋盤熊本高等工業学校が米国製の 15 尺・10 尺旋盤などを入れる。1908 年竣工の機械実験工場と工作機械は国の重要文化財で、今も動く(機械遺産第2号)—[14]
1906年ごろ明治39年歯切り盤★独ファウター社のホブ盤が石川島と呉海軍工廠に輸入される。日本で最初のホブ盤とされる—[9・コマ104][10・コマ23]
1909年明治42年歯切り盤佐賀県唐津で芳谷炭鉱の唐津鐵工所が創業(1916 年に株式会社唐津鐵工所として独立)唐津鐵工所[15][9・コマ104]
1910年明治43年フライス・MC東京瓦斯工業の大森工場に造機部ができる。のちの東京瓦斯電気工業の造機部で、日立精機のフライス盤の源流東京瓦斯工業(のちの日立精機の源流)[16・コマ54]

大正1912〜1926 年

年章出来事メーカー・機種出典
1912年大正元年ボール盤・中ぐり★碌々産業が、米国で身につけた技術で枝型ボール盤を国産化。国立科学博物館のデータベースは、日本の工作機械の外国技術導入の第一号と考えられるとし、この形はボール盤の標準になって近年まで作られた碌々産業枝型ボール盤 1 号機[17]
1913年大正2年歯切り盤京都で樫藤鉄工所が創業(いまのカシフジ)樫藤鉄工所[18]
1914〜18年大正3年旋盤第一次大戦中、池貝が英国・ロシア・メキシコなどへ旋盤を輸出。1915 年には英国へ旋盤 5 台池貝[1・コマ66][7]
1914年大正3年歯切り盤大阪の歯切り専門の工場(西区九条の丸三製作所)が英国製のホブ盤を据え付ける。歯切業者が外国製ホブ盤を置いた最初とされる。同じ年、大阪府立西野田職工学校にも独ファウター社のホブ盤—[19・コマ4][19・コマ60][9・コマ104]
1915〜16年大正4年歯切り盤米グリーソン社のかさ歯車歯切盤が汽車会社と池貝鉄工所に入り、創成法でかさ歯車を切るようになる—[9・コマ104]
1915年大正4年ボール盤・中ぐり唐津鐵工所が、旋削と穴ぐり(中ぐり)を 1 台でこなす砲身旋盤を完成唐津鐵工所砲身旋盤[15]
1916年大正5年旋盤大隈が KE 形普通旋盤を作る。親ねじは米ブラウン・アンド・シャープ社から 2 本買って使った大隈KE形[11・コマ21]
1916年大正5年研削盤軸受の量産に欠かせないセンタレス(心なし)グラインダが現れる(海外。いまとは形が違う)—[20・コマ16]
1917年大正6年歯切り盤★園池製作所が 40 インチホブ盤を作る。差動歯車付きで、当時広く使われていた差動歯車のない輸入機より優れると好評だった園池製作所40インチホブ盤[9・コマ105]
1918年大正7年旋盤株式会社大隈鐵工所が発足し、米セバスチャン社の旋盤を改良した OS 形普通旋盤を市販大隈OS形[11・コマ22][21][22]
第一次大戦のころ大正7年旋盤大戦をきっかけに旋盤の輸出が伸びた時期の例として、池貝の英国・ロシア向けと並んで、若山鉄工所の 6 フィート・8 フィート旋盤のロシア向けが挙げられている(同書は「大戦後」と書く)若山鐵工所[23・コマ22]
1918年大正7年研削盤★大隈が陸軍工廠から図面を受け、米ノルトン社の No.1 万能工具研削盤を手本に GA-1 形工具研削盤を作る。同社の研削盤づくりの始まり大隈鐵工所GA-1形[11・コマ19][11・コマ23]
1918年大正7年歯切り盤池貝鉄工所が 24 インチホブ盤を作る。このころスイスのマーグ社の歯形・歯切盤・歯車研削盤が日本に紹介され評判になる池貝鉄工所24インチホブ盤[9・コマ105]
1918年大正7年歯切り盤カシフジの沿革では、1918 年に創業者の樫藤留三郎が 40 インチのホブ盤の 1 号機を試作し、京都市電の修理用歯車を作り始めた(同社は「国内初のホブ盤」とする)会田『歯車の技術史』は樫藤鉄工所の 40 インチホブ盤の完成を 1920 年とする樫藤鉄工所40インチホブ盤[24]
1919年大正8年旋盤大隈が名古屋陸軍工廠から米プラット・アンド・ホイットニー社の旋盤の図面を支給され、OP 形普通旋盤を製作(昭和18年ごろまで続く)大隈OP形[11・コマ23]
1919年大正8年旋盤山崎鉄工所が名古屋で創業(はじめは製畳機械=畳を作る機械)。1927 年 9 月に旋盤・フライス盤の製造を始め、1928 年に商品第 1 号の 4 尺旋盤ヤマザキマザック[25][26・コマ68]
1919年大正8年研削盤大隈が米ヒールド社の製品を手本に内面研削盤を初めて作る(3 台で終わる)大隈鐵工所[11・コマ25]
1920年大正9年旋盤池貝・新潟・唐津の 3 社で国内の工作機械生産額の約 3 分の 1 を占める—[6・コマ47]
大正期大正9年研削盤池貝鉄工所は大正期にホブ盤・研削盤・自動旋盤など、ほとんどあらゆる種類の工作機械を作るようになる池貝鉄工所[3・コマ45]
1920年大正9年歯切り盤樫藤鉄工所で 40 インチホブ盤が完成。独ファウター社のホブ盤を手本にしたもの樫藤鉄工所40インチホブ盤[9・コマ105]
大正期大正9年ボール盤・中ぐり大隈鉄工所が旋盤のほか、ボール盤・研削盤・中ぐり盤・フライス盤など主な汎用工作機械のほとんどの機種を作るようになる大隈鉄工所[3・コマ45]
1921年大正10年歯切り盤唐津鐵工所が蒸気タービン用のピニオンを切るホブ盤を作る唐津鐵工所[9・コマ105]
1921年大正10年歯切り盤大阪で開かれた国産機械の展覧会に出た旋盤の歯車の作り方:専門の歯切り機械で切ったもの 15、フライス盤で切ったもの 6、歯形を研磨したもの 1—[9・コマ105]
1921年10月大正10年旋盤★農商務省が日本初の工作機械展覧会を大阪で開く(出品 126 社)。旋盤では池貝 GC 形・新潟の歯車掛け米式旋盤などが 1 等賞。国産機は輸入機の半値から 8 割ほど—[3・コマ46][6・コマ49][6・コマ57]
1922〜24年ごろ大正11年ボール盤・中ぐり★新潟鉄工所が日立製作所向けに 7 インチ(主軸の太さ)の横中ぐり盤を作る。重さ 30 トンで、社史がこの時期の特記すべき機械に挙げる新潟鉄工所7インチ横中ぐり盤[8・コマ237]
1922年8月大正11年旋盤瀧澤鐵工所が岡山で創業(のちの旋盤専業メーカー)滝澤鉄工所[27][26・コマ61]
大正後期大正12年研削盤大隈が米ブラウン・アンド・シャープ社の No.13 にならって GA-2 形万能工具研削盤を作る。昭和に入っても GAG 形・GM 形の万能工具研削盤が主力大隈鐵工所GA-2形[11・コマ29][11・コマ35]
1923〜24年大正13年歯切り盤唐津鐵工所で 6 フィートのウォームホイールホブ盤(1923 年)、7 フィートのホブ盤(1924 年)が作られる唐津鐵工所[9・コマ105]
大正末期大正14年フライス・MC★東京瓦斯電気工業の造機部が、米シンシナチ社のフライス盤(ライトタイプ)を手本にフライス盤を作り始める。輸入されていたシンシナチ社・カーネイ・アンド・トレッカー社の機械の改良点も研究した東京瓦斯電気工業[16・コマ23][16・コマ24]
大正の末大正14年歯切り盤★大正の末に、いろいろなホブ盤の国産化がひととおり済む。ただし軍艦・商船の主機のタービン歯車を切る大形の歯切盤は、英ウイリアムミュアー社・米ウェスチングハウス社などの外国製だった—[9・コマ105]
1926年昭和元年旋盤展覧会をきっかけに機械学会が旋盤の規格を定める(1929 年ボール盤、1931 年フライス盤)—[3・コマ46]
1926年昭和元年研削盤岡本覚三郎が個人経営の岡本専用工作機械製作所を創業(1935 年に株式会社岡本工作機械製作所)岡本工作機械製作所[28]

昭和戦前1926〜1937 年

年章出来事メーカー・機種出典
1927年昭和2年ボール盤・中ぐり豊田自動織機製作所が G 型自動織機の量産のため、ボール盤(三菱電機製)で部品の穴をあけ、織機のフレームの 3 本の軸受穴を一度に通す 3 軸同時中ぐり専用機を開発する(専用機は複製が展示されている)豊田自動織機製作所[29][30]
1928〜31年昭和3年歯切り盤樫藤鉄工所が汎用ホブ盤 K0(14 インチ、1928 年)、K1(24 インチ、1930 年)、K2(40 インチ、1931 年)を出す樫藤鉄工所K0・K1・K2[24]
1929年昭和4年ボール盤・中ぐり機械学会がボール盤の規格を定める(1921 年の工作機械展覧会がきっかけ。旋盤は 1926 年、フライス盤は 1931 年)—[3・コマ46]
1929年昭和4年ボール盤・中ぐり安田信次郎が大阪で創業し、自動車のエンジンのシリンダーのボーリング(中ぐり)加工とピストンの製造を始める(同社は「わが国で初めて」とする)安田工業の前身[31]
戦前昭和5年旋盤戦前の大阪では、汽車製造・平尾製作所・足立鉄工所・若山鉄工所が旋盤の名の知れたメーカーだった(1984 年の時点では、このうち旋盤を作り続けている会社は無いとされる)若山鐵工所[32・コマ25]
1930年昭和5年研削盤★岡本が呉海軍工廠の注文で国産初の平歯車研削盤 ASG-2 形を完成。最大ピッチ円直径 500mm・モジュール 8。終戦までに 13 台作られ、これを機に岡本は研削盤の総合メーカーになる岡本工作機械製作所ASG-2形[33][28]
1930年昭和5年歯切り盤岡本工作機械製作所が呉海軍工廠の注文で国産初の平歯車研削盤 ASG-2 形を完成(第 3 章)岡本工作機械製作所ASG-2形[33][9・コマ105]
1931年昭和6年フライス・MC機械学会がフライス盤の規格を定める(1921 年の工作機械展覧会がきっかけ。旋盤は 1926 年、ボール盤は 1929 年)—[3・コマ46]
1931年昭和6年研削盤浜松で日進機械製作所が創立(初めは繊維機械)日進機械製作所[34]
1933年昭和8年旋盤池貝の標準旋盤 D20(5.5kW・2,350kg)。戦後の DA20(1955 年、11kW)と比べると出力は半分池貝D20[35・コマ69]
1934年昭和9年フライス・MC大阪機械工作所(ポンプ・水道メーター・紡績機械のメーカー)が工作機械の製造を始める。1938 年に大阪機工と改称大阪機工[36]
1935〜56年昭和10年旋盤池貝がドイツの VDF 旋盤を手本にユニット化した普通旋盤を作る(1937 年製が日本工業大学に残る)池貝[37]
1935年以降昭和10年フライス・MC瓦斯電の M 形フライス盤が、国内で初めてフライス盤をロット生産した機種になる。造機部は月産 30 台、国内随一のフライス盤の量産工場に東京瓦斯電気工業M形[16・コマ24]
1936年昭和11年旋盤国産精機が設立される。1941 年 12 月、ほか 2 社と合併して日立精機に日立精機[26・コマ37][26・コマ39]
1936年昭和11年研削盤ゲージメーカーの黒田挾範製作所が独リンドナー社のねじ研削盤を買う。日本で 3 台目で、月の生産額より高い買い物だった黒田挾範製作所[38・コマ72]
1936年7月昭和11年ボール盤・中ぐり『機械学会誌』が独リンドナー社製のジグ中ぐり盤を、顕微鏡で位置を読む精密機械の新鋭機として紹介する—[39・コマ30]

戦時1937〜1945 年

年章出来事メーカー・機種出典
1937年昭和12年研削盤独リンドナー社のねじ研削盤 FS1・FS2 形がこの年に買われ、いまも岐阜県関市に残る。ねじゲージ・タップ・転造ダイスの研削に使われた—[40]
1937年ごろ昭和12年ボール盤・中ぐりスイス SIP 社のジグ中ぐり盤(1931 年に生産が始まった型)が輸入される。この型で日本に最初に入った機械とされ、いま日本工業大学の工業技術博物館にある—[41]
1937年5月昭和12年フライス・MC★牧野常造が 1 番立フライス盤の専門メーカー「牧野商店製作部」を創業(1942 年 3 月に牧野竪フライス製作所)牧野[42]
1938年昭和13年旋盤★工作機械製造事業法(法律第40号、3 月公布)。1 工場に設備工作機械 200 台以上などを条件に許可会社を指定し、池貝・新潟・東京瓦斯電気工業・大隈などが許可会社に(大隈は 7 月)—[43][44・コマ22][6・コマ71][6・コマ72][6・コマ75]
1938年昭和13年フライス・MC工作機械製造事業法で、瓦斯電の大森工場造機部が第 1 回の許可工場になる東京瓦斯電気工業[16・コマ55]
1938年昭和13年研削盤大隈が研削盤の専門工場として上飯田工場を新設(工作機械製造事業法・国家総動員法の年)大隈鐵工所[11・コマ35][11・コマ55]
1938年昭和13年歯切り盤工作機械製造事業法の試作奨励金の対象に、歯車研磨盤と歯切盤(ウォーム歯切盤を含む。ただしホブ盤は除く)が入る—[6・コマ74][6・コマ75]
1938年昭和13年ボール盤・中ぐり工作機械製造事業法。精密卓上ボール盤・ジグ中ぐり盤など「命令で定める」自動機・専用機・高精密機を作る会社は、許可の条件が設備の工作機械 50 台に下げられる(一般は 200 台)。試作奨励金の品目にもジグ中ぐり盤・ファイン中ぐり盤—[6・コマ72][6・コマ74]
1938年昭和13年ボール盤・中ぐり★唐津鐵工所が戦艦大和・武蔵の主砲のための超大型の砲身中ぐり盤を完成し、呉海軍工廠に納める(全長約 64m、同社の沿革による)唐津鐵工所砲身中ぐり盤[15]
1938年昭和13年ボール盤・中ぐりシリンダーボーリングマシンとスリーブ工具を開発(1940 年から本格生産)安田工業の前身[31]
1938年7月昭和13年ボール盤・中ぐり大隈鉄工所が事業法の許可会社になる。主な製品に旋盤・形削り盤とならんで中ぐり盤・ラジアルボール盤大隈鉄工所[6・コマ75]
1938年7月昭和13年ボール盤・中ぐり★東洋精機が事業法の許可会社になり、ジグ中ぐり盤(4 型)の生産を始める(同社は「我が国初のジグ中ぐり盤」とする)。スイス SIP 社の機械を手本にし、終戦までに約 220 台を作った東洋精機(いまの三井精機工業)ジグ中ぐり盤 4 型[45][41]
1938年12月昭和13年ボール盤・中ぐり芝浦製作所の出資で芝浦工作機械が創立(いまの芝浦機械)。1939 年に鶴見工場で強力な大型工作機械を作り始める芝浦工作機械[46][6・コマ78]
1939年昭和14年旋盤東洋機械のコーハン 400 型旋盤。戦前の日本でもっとも普及した精密旋盤とされる東洋機械コーハン400[47]
1939年昭和14年研削盤津上製作所が商工省の奨励金を受けて油圧式万能円筒研削盤 T-UG300 を完成。油圧で動かす研削盤の早い例津上製作所T-UG300[48・コマ48][48・コマ99]
1939・1941年昭和14年ボール盤・中ぐり芝浦工作機械の特殊中ぐり盤が横須賀工廠(砲・爆弾の加工)や、播磨造兵廠・大阪造兵廠(砲身の中ぐり)などに納められる芝浦工作機械[6・コマ94]
1939年昭和14年ボール盤・中ぐりスイス SIP 社のジグ中ぐり盤 MP-4G 型。性能・精度とも世界の一級品とされ、輸入後に海軍の命令で民間の工作機械メーカーに移されて国内の技術の向上に使われた(戦後は機械試験所へ)スイス SIP 社MP-4G No.420[49]
1939年1月昭和14年旋盤大隈が海軍航空技術廠の注文で LT 形超高速旋盤の設計に着手(ケルガー・モナーク・VDF などを参考)。1943 年 11 月に審査完了大隈LT形[11・コマ34][11・コマ58]
1939年5月昭和14年フライス・MC瓦斯電の造機部が独立し、日立製作所の子会社の日立工作機になる日立工作機[16・コマ55]
1940年昭和15年旋盤米国が対日工作機械輸出を禁止。それまで輸入の 8 割以上は米国からだった—[6・コマ78][6・コマ94]
1940年昭和15年フライス・MC米シンシナチ社の M 形を手本にした瓦斯電の横フライス盤(1940 年製)。日本工業大学 工業技術博物館に残る東京瓦斯電気工業[50]
1940年昭和15年研削盤★日進機械製作所がセンタレスグラインダと旋盤の製造を始める日進機械製作所[34]
1939〜40年昭和15年研削盤日本精工が軸受を作るための専用研削盤(コロ外径用の心なし研削盤、ツバ研削盤、ミゾ研削盤など)を自社で設計・製作する日本精工[20・コマ437]
1940年昭和15年歯切り盤★米国が対日工作機械輸出を禁止。商工省は国産化すべき工作機械のリストを作って各社に試作を命じ、外国の一流メーカーの機械をそのまま手本にした歯切機械が作られる。航空機の発動機の歯車を切る機械が中心だった—[9・コマ105]
1940年昭和15年歯切り盤唐津鐵工所が政府の特命で歯車形削り盤を開発(同社は国産第一号機とする)唐津鐵工所[15]
1941年昭和16年フライス・MC大阪機工が、1940 年の試験研究令による受命機として米シンシナチ社の 3 番フライス盤に準拠した MH-3V ひざ形フライス盤を開発。以後の同社のひざ形の原型大阪機工MH-3V[51]
1941年昭和16年ボール盤・中ぐり豊田工機が設立時に多軸専用ボール盤・精密中ぐり盤などを生産機種として申請(在来の工作機械会社が作っていない新しい試作品)。精密中ぐり盤 EJ/ES 形は戦時は航空機、戦後は自動車の部品の量産に使われた豊田工機EJ/ES 形[6・コマ77][52]
1941年1月昭和16年ボール盤・中ぐり国家総動員法で各社に機種を指定して研究・製造を命じる。新潟鉄工所の指定機種に精密中ぐり盤・砲身中ぐり盤など。精密中ぐり盤は独クラウゼ社の機械を手本にした 9Fb 形新潟鉄工所9Fb 形[8・コマ238]
1941年4月昭和16年旋盤豊田工機の創立総会(トヨタ自動車工業の工機工場を分離)。事業法の許可を受け、半自動多刃旋盤 HD200 形・自動多刃旋盤 FB12 形などを作る豊田工機[44・コマ23][44・コマ24]
1941年10月昭和16年研削盤★1939 年の総動員試験研究命令による大隈の GHU 形万能研削盤が審査を終える。米ランジス社の研削盤を手本にした油圧式で、円筒・内面・平面の研削ができ、1945 年までに 500 台作られて戦後の研削盤生産の基礎になった大隈鐵工所GHU-300形[3・コマ61][53]
1941年12月昭和16年フライス・MC国産精機・日立工作機・篠原機械の 3 社が合併して日立精機になる日立精機[16・コマ52][16・コマ59]
1942年昭和17年研削盤商工省の指示で軸受専用の研削盤の国産化が進み、平面研削盤・内面研削盤・玉軸受のミゾ研削盤が国産化される—[20・コマ437]
1942年昭和17年ボール盤・中ぐり池貝鉄工所が FBI 形精密中ぐり盤を試作。電気装置・油ポンプ・クラッチ・計器などの付属品は国内の専門業者と協力して作った池貝鉄工所FBI 形[6・コマ96]
1942年ごろ昭和17年放電加工海軍の航空関係の情報として「米国では火花か電弧で孔あけ・切断をしている」と日本に伝わる。のちに日本放電加工研究所をつくる井上潔の話では、三菱重工業の水島製作所でも実験したが、溶断ほどで成功しなかった—[54・コマ55]
1943年昭和18年旋盤オーエム製作所が政府の命令で車輪旋盤(T 型タイヤ中ぐり盤 1500 型)を完成オーエム製作所T型1500[55]
1943年昭和18年旋盤大隈が戦時形旋盤の試作の中で「大隈式非真円平軸受」を開発したとされる(1958 年 大河内記念技術賞)機械遺産第59号は 1954 年の開発と書く大隈[56][57]
1943年昭和18年放電加工★ソ連の物理学者ラザレンコ夫妻が、電気接点が放電で侵食される現象を金属の除去加工に使うことを論文で提唱し、特許を出願する(これが今の放電加工の原理の始まりとするのが定説)。1946 年にこの業績でスターリン賞—[58][54・コマ55]
1944年昭和19年旋盤工作機械の生産額は昭和19年まで増え続けた。旋盤とフライス盤には資材を極度に切り詰めた「戦時型」が作られた—[6・コマ86][3・コマ66][8・コマ79]
1945年昭和20年研削盤日進機械製作所が戦災で一時解散(1947 年に日進織機として再出発)日進機械製作所[34]

戦後復興1945〜1955 年

年章出来事メーカー・機種出典
1948年ごろ昭和23年旋盤通産省計量課が時計工業の合理化のため自動盤の製作を奨め、池貝(インデックス形)・津上(ブラウン・アンド・シャープ形)・三井精機と島本鉄工(ペーターマン形)が作り始める。戦後の自動盤の始まり—[59・コマ18]
1948年昭和23年放電加工★1947 年にラザレンコ夫妻の研究を知った東京大学の鳳誠三郎教授が研究を始め、翌年には実験設備を整える。この加工法を「放電加工法」と名づけた東京大学[58]
1948年10月昭和23年旋盤森精機製作所が奈良で設立(はじめは繊維機械)森精機製作所[60]
1949年昭和24年旋盤若山鐵工所から分かれた会社が新日本工機と改称。戦後に工作機械から離れていた会社が生産を再び始めた例として、「新日本工機(旧若山鉄工所)」が挙げられている若山鉄工所の名は 1963 年の国産工作機械のカタログにも別の会社として載っている新日本工機[12][61・コマ75]
1949年昭和24年歯切り盤戦時の統制価格から 1949 年の市場価格まで、ホブ盤の値段は 39 倍に上がる—[6・コマ120]
1950年昭和25年研削盤日進機械製作所がセンタレスグラインダの製造を再開(1952 年に社名を日進機械製作所に戻す)日進機械製作所[34]
1950年昭和25年研削盤三井ハイテックが中古の機械の部品を組み合わせて平面研削盤 1 号機を作る。同社が初めて自分で作った機械で、いまも残る三井ハイテック[62]
1951年昭和26年旋盤池貝鉄工が国内初のならい旋盤を完成池貝[7]
1951年昭和26年旋盤日本工作機械工業会が創立—[63]
1952年昭和27年旋盤戦後の旋盤の新機種第 1 号とされる新潟鉄工所の 45SD 型強力高速旋盤(通産省の試験研究補助金)。同年、池貝が H14 型高速精密旋盤新潟鐵工所45SD[3・コマ66]
1952年ごろ昭和27年放電加工英国で放電加工機が商品として発表される(1955 年の『精密仕上法』による)—[54・コマ55]
1952年7月昭和27年旋盤欧米メーカーとの技術提携が始まる。1952 年 7 月 津上製作所(仏クリダン社、ねじ切り旋盤)、1953 年 昌運工作所(仏カズヌーブ社、ならい旋盤)—[64]
1953年昭和28年旋盤池貝が主軸 3,200min⁻¹ の A18 型高速ならい旋盤を完成池貝A18[3・コマ66]
1953〜54年度昭和28年旋盤国の計画で三菱造船が SIX-65 形 6 軸自動盤(1953 年度)、島本鉄工が MLA-10 形小形精密自動盤(1954 年度)—[59・コマ19]
1953年昭和28年研削盤★岡本工作機械製作所が国産初の平面研削盤 PSG-6 形を開発(同社の表現)岡本工作機械製作所PSG-6形[28]
1953年昭和28年研削盤黒田挾範製作所が金型づくりのために横軸の平面研削盤 GS-201 を自社用に開発(主軸はマッケンセン式の動圧軸受)黒田挾範製作所(いまの黒田精工)GS-201[38・コマ75][65]
1953年昭和28年ボール盤・中ぐり工作機械等試作補助金が始まり、毎年交付される(前年の 1952 年は輸入補助金)。1950 年代の一覧には油圧式ラジアルボール盤・ジグ中ぐり盤・精密横中ぐり盤・傾斜形多軸精密中ぐり盤・油圧光学式ジグ中ぐり盤などが並ぶ—[23・コマ23][23・コマ25][23・コマ26]
1953年昭和28年放電加工★池貝鉄工所の関連会社として日本放電加工研究所が設立される。創業者の井上潔は三菱重工業で放電加工を研究していた技術者で、当時の池貝鉄工所の社長 岡崎嘉平太と意気投合して会社をつくった。安川電機もこのころ放電加工の研究を始める日本放電加工研究所[58]
1953年11月昭和28年歯切り盤自動車メーカーが歯車シェービング盤を入れたが、カッタの補給に困っていた。不二越鋼材工業が米ミシガンツール社とシェービングカッタの製造技術で提携不二越鋼材工業[10・コマ71]
1954年昭和29年旋盤東京工業大学が池貝鉄工と組んで NC 旋盤の試作品を作るが、実用には耐えなかったとされる(日本の NC 旋盤の最初の試み)池貝[64]
1954年昭和29年フライス・MC日立精機が強力形のひざ形横フライス盤 MK 形の 1 号機を完成(1955 年に ML 形)日立精機MK形[16・コマ25][16・コマ26]
1954年昭和29年研削盤岡本工作機械製作所が内面研削盤 IGM シリーズを開発岡本工作機械製作所IGM[28]
1954年昭和29年研削盤大隈の長岡振吉が大隈式非真円平軸受を開発(機械遺産の年。国立科学博物館のデータベースは 1943 年とする)。主軸のまわりの 3 か所にくさび形の油膜をつくり、回転の精度と剛性を高めた大隈鐵工所[57][56]
1954年度昭和29年研削盤大隈が国の補助金(昭和 29 年度)で、玉軸受の内輪・外輪の溝を削る油圧式の専用研削盤 GIR 形・GOR 形を完成大隈鐵工所GIR形・GOR形[11・コマ66]
1954年昭和29年歯切り盤樫藤鉄工所が生産ホブ盤 KS20 を出す(1956 年に KS14)樫藤鉄工所KS20[24]
1954年昭和29年放電加工鳳誠三郎・倉藤尚雄『放電加工』(コロナ社)が出る。日本で初めての放電加工の学術書で、国産のメーカーとして日本放電加工研究所・小池酸素工業・旭ポンプ発動機製作所・大澤製作所の 4 社の製品を紹介する—[58][54・コマ56][54・コマ57]
1954年3月昭和29年放電加工★日本放電加工研究所が、国産の実用の放電加工機の第 1 号「Japaxtron D3」を完成させ、東京工業大学に納める。欧米とは違う独自の発想の機械で、火花放電穿孔機とも呼ばれた。2024 年に未来技術遺産(第 373 号)日本放電加工研究所Japaxtron D3[66][58][67]
1954年7月昭和29年フライス・MC新潟鉄工所が米サンドストランド社と生産フライス盤の製造で技術提携新潟鐵工所[8・コマ247]
1955年昭和30年研削盤シギヤ(当時はオリエンタル織機工業)が 1952 年に着手した万能兼工具研削盤の試作機が完成シギヤ精機[68]
1955年昭和30年研削盤★豊田工機が仏ジャンドルン社と円筒研削盤で技術提携。流体軸受という新しい機構に社内の不安もあったが踏み切る豊田工機[69][44・コマ35][44・コマ36]
1955年昭和30年放電加工大学・研究所・会社が集まる「電気加工研究会」ができる(2 年後に関西で「電子加工懇話会」。2 つが母体になって 1967 年に電気加工学会)—[58]
1955年3月昭和30年フライス・MC新潟鉄工所が生産フライス盤の第 1 号機 33SM 形リジッドミルを完成。1965 年末までに 803 台新潟鐵工所33SM形[8・コマ241][8・コマ244]
1955年3月昭和30年ボール盤・中ぐり三井精機工業が第 3 号型ジグ中ぐり盤の製造を始め、精機学会の第 1 回明石記念賞を受ける三井精機工業第 3 号型[45]
1955年11月昭和30年研削盤大隈が GCP-150 形円筒研削盤を完成(翌 1956 年 7 月に GCP-250 形)大隈鐵工所GCP-150・GCP-250[11・コマ66][11・コマ71]

高度成長1956〜1967 年

年章出来事メーカー・機種出典
1956年昭和31年旋盤★機械工業振興臨時措置法。合理化基本計画で工作機械メーカーの設備が改まる。生産額は 1955 年 37 億円→1957 年 150 億円—[6・コマ110][70・コマ18]
1956年昭和31年旋盤富士通信機製造(のちのファナック)が民間で初めて NC 装置とサーボを開発(最初の対象はタレットパンチプレス)。工業技術院 機械試験所も NC の研究を始め、1959 年に NC ジグ中ぐり盤 JIDIC を試作ファナック[71][72][73]
1956年昭和31年研削盤豊田工機の最初の研削盤、トヨダ・ジャンドルン円筒研削盤 RA25-100 を見本市に出品。静圧流体軸受が関心を集め、最初の注文は自動車メーカーから。クランクシャフトのジャーナル研削などで自動車産業を支えた豊田工機RA25-100[74][44・コマ37][44・コマ38]
1956年3月昭和31年研削盤★大隈の GPB 形サイクリック円筒研削盤が完成。荒削り・仕上げ・定寸を一続きのサイクルで行い、第 2 回大阪国際見本市で注目される。非真円平軸受を使い、1969 年までに約 700 台(機械遺産第 59 号)大隈鐵工所GPB形[11・コマ72][11・コマ66][57]
1956年3月昭和31年研削盤和井田製作所が超硬バイトを研ぐ「超硬バイト研削盤」の生産を始める和井田製作所[75][76・コマ385]
1956年7月昭和31年ボール盤・中ぐり愛知県の三河内燃機工業が卓上ボール盤・タッピング盤の製造を始め、1957 年に吉良鐵工所と改称、1958 年に直立ボール盤を出す三河内燃機工業(いまのキラ・コーポレーション)[77]
1957年昭和32年放電加工ソ連の ENIMUS 研究所が、世界で最初のワイヤ放電加工機「A207 形」を作る。NC はまだなく、図面を光学で 10〜50 倍に拡大し、その線を光で追ってテーブルを動かした—[58]
1957年2月昭和32年旋盤★東京工業大学精密工学研究所が NC 旋盤の試作に成功=日本で最初の NC 旋盤。油圧ならい旋盤を改造した同時 2 軸制御—[3・コマ75][78・コマ34]
1958年昭和33年旋盤FANUC の NC の商用 1 号機を牧野フライス製作所に納入(NC フライス盤)。1959 年に電気・油圧パルスモータを開発ファナック[71][72]
1958年昭和33年フライス・MC日立精機が MP 形生産フライス盤(ベッド形)を完成日立精機MP形[16・コマ26]
1958年昭和33年フライス・MC★新日本工機が RB-Ⅱ 精密立中ぐりフライス盤の初号機を完成。同社はこれを門形加工機の原型とし、2005 年に「歴史的価値ある工作機械」のベストテクニカル賞を受ける。1960 年の広告には RB-Ⅰ〜Ⅳ 型の精密竪型中ぐり盤が並ぶ新日本工機RB-Ⅱ[12][79・コマ22]
1958年昭和33年ボール盤・中ぐり★大隈鐵工所の高速強力ラジアルボール盤 DRA-J 形。剛性を高めてジグボーラー並みの精密な穴あけと高速加工ができ、加工中に次の切削条件を前もって設定できた。3,000 台を超えて売れた大隈鐵工所DRA-J 形[80]
1958年昭和33年放電加工★三菱造船(機械の部分)と三菱電機(電源などの電気の部分)が分担して、放電加工機 DM-101 の生産を始める三菱造船・三菱電機DM-101[58][81]
1958年昭和33年放電加工米国の 1958 年の工作機械設備調査(マグロウヒル社)で、放電加工機は 578 台。工作機械全体のごく一部だった—[23・コマ50]
1958年3月昭和33年フライス・MC★牧野が立フライス盤 K シリーズと、日本最初の NC フライス盤を開発。NC 装置は富士通信機製造の商用 1 号機牧野・富士通[42][71][72]
1958年4月昭和33年旋盤★大隈の LS 形実用高速旋盤(1956 年着手)。4 月の大阪国際見本市で初公開し月産 30 台で生産開始、1962 年に組立コンベアを完成。累計 3 万台を超える社史(1968)は「昭和33年7月に誕生」と書く大隈LS形[82][11・コマ65][11・コマ74][11・コマ77]
1958年5月昭和33年旋盤森精機製作所が繊維機械から高速精密旋盤へ転換。普通旋盤 MS-850 が伸びるきっかけになり、1960 年に輸出を始める森精機製作所MS-850[60][83]
1958年9月昭和33年研削盤シギヤ精機工業所に改称し、織機から工作機械の製造へ全面的に移って円筒研削盤の開発に取りかかる。翌 1959 年に G-24 形円筒研削盤シギヤ精機[68]
1959年昭和34年旋盤山崎鉄工所が高速精密旋盤 LA・LB・LC・LD の生産を始めるヤマザキマザック[25]
1959年昭和34年フライス・MC遠州製作が工業デザインを取り入れた VF 形立フライス盤を東京国際見本市に出品。横フライス盤 HF 形はバックラッシ除去装置で下向き削りができた遠州VF形・HF形[84][85]
1959年昭和34年ボール盤・中ぐり三菱が伊イノセンチ社と、仏 C.W. ベルチェの設計の大型工作機械(フライス・中ぐりの複合機)で技術提携し、広島精機製作所で作り始める三菱(広島精機製作所)[86・コマ382][86・コマ545]
1959年5月昭和34年旋盤新潟鉄工所が米サンドストランド社から単軸自動旋盤の技術を導入(1954 年に生産フライス盤で提携)新潟鐵工所[8・コマ243][8・コマ247]
1959年5月昭和34年フライス・MC★通産省 工業技術院の機械試験所が数値制御ジグ中ぐり盤 JIDIC を東京国際見本市に出品。止まる位置のばらつき ±0.5μm を実演機械試験所JIDIC[73]
1959年5月昭和34年ボール盤・中ぐり通産省工業技術院の機械試験所が数値制御ジグ中ぐり盤 JIDIC を見本市に出す。研究では 1939 年の SIP 社のジグ中ぐり盤の構造と性能を徹底的に調べたJIDIC は第 2 章でも扱う機械試験所JIDIC[73][49]
1960年昭和35年旋盤旋盤ブーム。日本工作機械工業会の会員 66 社のうち 26 社が旋盤を作っていた—[64]
1960年昭和35年フライス・MC松浦機械製作所のミクロマン SB-1:主軸の回転や送りの切り替えをプログラムで制御し、3 方向に 0.02mm 以内で止まる自動立フライス盤(同社は 1961 年に生産・販売開始とする)松浦ミクロマン SB-1[87][88]
1960年昭和35年フライス・MC大阪機工が NC フライス盤を完成し、重工メーカーに納める大阪機工[36]
1960年昭和35年フライス・MC★日立製作所のグループが、2 アーム式の ATC(工具 8 本)を持つ NC 万能工作機を開発=マシニングセンタの国産第 1 号機。自社製の NC 装置 HIDAM-43、おそらく国産 NC 機で初のボールねじ、磁気テープの NC。翌 1961 年の東京国際見本市に出品日立製作所NC 万能工作機(NC 装置 HIDAM-43)[3・コマ92]
1960年昭和35年ボール盤・中ぐり★「三菱イノセンチ CWB フライス中ぐり複合工作機」の販売を始める。大型のタービン・ディーゼルエンジン・車両の部品を削る機械で、「大型工作機械の革命児」と呼ばれた。1968 年 10 月までに 122 台三菱(広島精機製作所)三菱イノセンチ CWB(MIB マシン)[86・コマ383][86・コマ546][89]
1960年昭和35年放電加工日本放電加工研究所がジャパックスに社名を変える。同じ年にプラハで第 1 回の国際放電加工シンポジウム(ISEM)ジャパックス[66][58]
1961年昭和36年旋盤大阪機工がフランスのラモ社から汎用旋盤の技術を入れ、OKK-RAMO 旋盤 T-37 などを製品化大阪機工T-37[90]
1961年昭和36年歯切り盤★三菱重工業が西独ローレンツ社と歯切機械で技術提携し、京都製作所で立形ホブ盤「三菱ローレンツ」の生産を始めるニデックマシンツールの「製品の歴史」は 1962 年とする三菱重工業三菱ローレンツ[86・コマ383][86・コマ542]
1961年昭和36年歯切り盤不二越が自社の歯切工具を生かすため生産ホブ盤を開発し、1962 年に販売を始める。のちに多条ホブで高送りできる機械に改める不二越鋼材工業[10・コマ145][10・コマ93]
1960年代の初め昭和36年ボール盤・中ぐり日本工作機械工業会の会員の機種別の集計で、1 社が 70% 以上を作る機種は日立精機のタレット旋盤・新日本工機の精密中ぐり盤・東芝機械のロール研削盤の 3 つだけ。横中ぐり盤は東芝機械と池貝が競う。立形ボール盤だけは会員外の小さなメーカーの比率が高い—[6・コマ123][6・コマ129]
1961年4月昭和36年フライス・MC日立精機が 2MC 形 3 次元数値制御フライス盤を東京国際見本市に出品日立精機2MC形[16・コマ167]
1961年8月昭和36年研削盤豊田工機が研削盤の組立コンベヤラインを完成し、LG 研削盤の生産を始める(月産 40 台から。同社は「世界初」とする)。トヨダ・ジャンドルンは発売 3 年で受注 350 台豊田工機LG研削盤[91・コマ18][91・コマ20]
1961年9月昭和36年フライス・MC新潟鉄工所が最初の NC フライス盤(ベッド形の生産フライス盤を 3 軸とも磁気テープで制御)を作る同じ社史の別の箇所は 1962 年 9 月・1963 年試作とも書く新潟鐵工所2DIM形(822S MEVN形)[8・コマ248][8・コマ434]
1962年昭和37年旋盤★第 1 回日本国際工作機械見本市にオーエム製作所の NC 立旋盤が出品される。立タレット旋盤に富士通信機製造の NC 装置 207A の 1 号機を載せ、電気油圧パルスモータでボールねじを回す。「わが国初の NC 立旋盤」とされる型式は科博の資料では VT5-14、1963 年の富士通の技報では VT2-14オーエム製作所VT5-14[92][63][93・コマ4][93・コマ16]
1962年昭和37年フライス・MC新日本工機が RB-Ⅲ NC 精密立中ぐりフライス盤を完成。同社の沿革は「わが国初の NC 大型門型機」とする国立国会図書館の資料では、1962 年の NC 化を裏づける記事はまだ見つけていない新日本工機RB-Ⅲ NC[12]
1962年昭和37年ボール盤・中ぐり黒田精工が万能ボーリングヘッドをシリーズ化(1958 年ごろ、高価な輸入品だったものを通産省の助言で国産化)。汎用のフライス盤やボール盤で中ぐり・面削りができる黒田精工UFB-3[94]
1962年6月昭和37年旋盤山崎鉄工所が LE 型旋盤 200 台の対米輸出を成約。1963 年 5 月に「MAZAK」ブランドを発表ヤマザキマザックLE型[25]
1962年10月昭和37年放電加工西部電機工業(今の西部電機)が安川電機の協力で形彫り放電加工機を開発し、国際工作機械見本市に E-304 型と卓上型を出す。日立造船も油圧サーボの試作機を出したが、事業にはならなかった西部電機工業E-304 型[58][95]
1963年昭和38年旋盤大隈が自社の NC 装置 OSP を完成。位置を絶対値で読む方式(1961 年に OSP Ⅰ形を試作)。工作機械メーカーが NC 装置まで自分で作った例大隈[11・コマ84][21][96]
1963年昭和38年フライス・MC日立製作所がマシニングセンタを開発(『日本の技術100年』の図版)日立製作所[3・コマ92]
1963年昭和38年研削盤『国産工作機械綜合カタログ』に、円筒(大隈・豊田工機ほか)、心なし(日進機械・日平産業・日本研磨機)、平面と成形(岡本)、工具(和井田製作所・豊和産業)の各研削盤が並ぶ—[76・コマ65][76・コマ69][76・コマ71][76・コマ350]
1963年昭和38年研削盤黒田の GS-201 が、外からの要望を受けて本格的に市販される黒田精工GS-201[65][38・コマ75]
1963年昭和38年研削盤三井ハイテックの手動成形用平面研削盤 MSG-1 の開発 1 号機。超硬合金も削れ、前後の送り幅を 2 倍にした三井ハイテックMSG-1[97]
1963年昭和38年歯切り盤『国産工作機械綜合カタログ』のホブ盤の欄に、唐津鉄工所・樫藤鉄工所・岡本工作機械製作所・新三菱重工業(三菱ローレンツ)・東芝機械・浜井産業・豊和産業・岩佐鉄工・清和鉄工などが並ぶ。歯車形削盤・傘歯車歯切盤・歯車研削盤・歯車仕上盤の欄もある—[76・コマ73][76・コマ74][76・コマ75][76・コマ91]
1963年昭和38年ボール盤・中ぐり『国産工作機械綜合カタログ』の横中ぐり盤の欄に新日本工機・東芝機械・池貝鉄工・若山鉄工所・唐津鉄工所など。三井精機の光学式ジグ中ぐり盤 No.3・No.5 形は「25 年の豊富なジグ中グリ盤製造の経験」をうたう。ラジアルボール盤には大隈 DRA-J 形・大阪機工 DRB-17 形など—[76・コマ53][76・コマ207][76・コマ209][76・コマ266]
1963年昭和38年放電加工三菱の小型の形彫り放電加工機 DM-50B。放電が 1 か所に集中しないようにする高周波重畳回路の電源で、加工を安定させた。同じ年のカタログには、池貝鉄工の自動精密放電型彫盤 D104H 形など 4 機種と、三菱ダイアックス放電加工機 DM-50・DM-102 形が載る三菱造船・三菱電機DM-50B[81][76・コマ83][76・コマ447][76・コマ448]
1963年昭和38年放電加工★『金型工作技術』が、放電加工機のメーカーとして池貝・ジャパックス、三菱造船・電機、小池酸素、西部電機、日立造船、マキノフライスなど 10 社を挙げ、千数百台の放電加工機が動いていると書く。代表的な機械はジャパックスの D-104H 形—[98・コマ146][98・コマ162]
1963年4月昭和38年フライス・MC富士通の技報に、大隈鉄工所の JV 形精密立中ぐり盤に富士通信機製造の P 形自動位置決め装置を付けた機械大隈・富士通JV形[93・コマ2][93・コマ11]
1964年昭和39年旋盤池貝鉄工が A20 型旋盤を発売(1965 年 日本機械学会賞)。振りを大きくした A25 型が、のちの A25 型 NC 旋盤の元になる池貝A20[7][64]
1964年昭和39年フライス・MC新潟鉄工所がタレット形 NC フライス盤 2DIMT(計算機内蔵の 3 次元制御、工具の自動変換)を開発。のちのタレット形 MC 3DIMT・3MNT の元社史は 1964 年 11 月と 3 月の両方を書く新潟鐵工所2DIMT形[8・コマ249][8・コマ434]
1964年昭和39年フライス・MC大阪機工がベッド形フライス盤 MH-2 1/2V を開発。量産型の汎用フライス盤の原型に大阪機工MH-2 1/2V[99]
1964年昭和39年フライス・MC安田工業が横精密中ぐりフライス盤「ジグマスター」を開発。同年、松浦機械製作所が数値制御自動フライス盤の生産・販売を始める安田工業ジグマスター[31][88]
1964年昭和39年研削盤豊田工機の数値制御カム研削盤 GCN15(1967 年に多目的の数値制御研削盤 GUN15)豊田工機GCN15[91・コマ21][100・コマ48]
1964年昭和39年歯切り盤三菱重工業がスプラインホブ盤を開発三菱重工業[86・コマ540]
1964年昭和39年ボール盤・中ぐり安田工業が横精密中ぐりフライス盤「ジグマスター」を開発(1966 年に MC「プレシジョンセンター」)第 2 章の MC の節も参照安田工業ジグマスター[31]
1964年昭和39年放電加工三菱造船との分担をやめて事業を三菱電機にまとめ、名古屋製作所で放電加工機の生産を始める三菱電機[58]
1964年10月昭和39年研削盤★第 2 回日本国際工作機械見本市に、大隈が自社の NC 装置 OSP200 を付けた GCS-N 形数値制御円筒研削盤を出品。メーカーが自分で開発した NC 装置として注目される大隈鐵工所GCS-N形[11・コマ81][11・コマ84][11・コマ86]
1965年昭和40年旋盤富士通が普及版の NC「FANUC 260」を出す。1965〜66 年に日本工作機械工業会の会員が作った NC 工作機械 129 台のうち 105 台が富士通の NCファナックFANUC 260[64]
1965年昭和40年研削盤豊田工機とジャンドルン社の技術提携が終わり、自社の「TOYODA 研削盤」を発表豊田工機[44・コマ133][91・コマ21]
1965年昭和40年ボール盤・中ぐり★碌々産業が富士通(NC の部門はのちのファナック)と共同で、テープで動く数値制御の自動ボール盤 501-HANC を作り山梨大学に納める。同社の最初の NC 機で、国立科学博物館のデータベースは「NC ボール盤として日本初ではないか」と推測する。翌年、プリント基板の穴あけ機 SS-55 へ碌々産業501-HANC[101]
1965年昭和40年放電加工ソ連で、NC 装置を積んだ世界で最初のワイヤ放電加工機が作られる—[58]
1965年6月昭和40年研削盤黒田挾範製作所が黒田精工に改称。同じ年、英ダイヤフォーム社と提携し、砥石の形を整える装置を組み込んだ平面研削盤を出す黒田精工[38・コマ59][38・コマ76][38・コマ90]
1966年昭和41年旋盤大隈が第 3 回日本国際工作機械見本市にオートローダ付きの LA-N 形数値制御全自動旋盤を出品。1967 年 7 月に OSP1022 形付きの LA-N 形を完成大隈LA-N形[21][11・コマ85][11・コマ86]
1966年昭和41年フライス・MC★日本国際工作機械見本市に池貝鉄工・日立精機・牧野フライス製作所・安田工業などがマシニングセンタを出品。厳密には ATC を持たないものもあったが、MC 時代の始まりを示した—[3・コマ92]
1966年昭和41年フライス・MC池貝鉄工がマシニングセンタを含む NC 工作機械 3 種を発表。安田工業もマシニングセンタ「プレシジョンセンター」を開発池貝・安田工業[7][31]
1966年昭和41年フライス・MC大阪機工のタレットミラー TM-3NC:主軸 6 本のタレットヘッドで工具を自動で替える NC フライス盤同社の沿革は 1967 年に「数値制御複合工作機(マシニングセンタ)タレットミラー」を開発・発売とする大阪機工TM-3NC[102][36]
1966年昭和41年研削盤豊田工機が独自の全自動カム研削盤 GCA 形を作る。海外メーカーが独占していた分野で、自社の高剛性流体軸受で同等以上の精度を出し、自動車メーカーに多く入る豊田工機GCA形[103]
1966年昭和41年歯切り盤三菱重工業がスイスのライスハウエル社の技術で歯車研削盤 NZA 型の生産を始め、1968 年 3 月に国産化に成功三菱重工業NZA型[86・コマ540][86・コマ384][89]
1966年昭和41年歯切り盤不二越が高速歯車形削り盤の販売を始める不二越[10・コマ93]
1966年昭和41年放電加工ブルノ(チェコスロバキア)の第 2 回 ISEM に日本が初めて参加する—[58]
1966年昭和41年複合・5 軸フロリープ(Froriep)社が立旋盤形式のターニングセンタ KE8 Universal を発表。1981 年の『旋盤マニュアル』は、これを旋削と回転カッタの作業を組み合わせた最初の工作機械としているフロリープ社KE8 Universal[104・コマ72]
1966年10月昭和41年フライス・MC牧野フライス製作所がマシニングセンタを開発(同社は「国産第一号機」とする)牧野[42]
1967年昭和42年旋盤★NC 旋盤の生産台数:1967 年 8 台 → 1968 年 66 台 → 1969 年 282 台 → 1970 年 589 台 → 1973 年 1,459 台(日本工作機械工業会の統計による)—[64]
1967年昭和42年フライス・MCNC 工作機械の統計が始まる。この年の NC フライス盤の生産は 52 台で、NC 旋盤(8 台)より多かった—[64]
1967年昭和42年歯切り盤自動車メーカーからの大量受注で、三菱のホブ盤は 1963 年度ごろの倍近く作られたが、それでも納期 1 年以上の受注残を抱える三菱重工業[86・コマ540]
1967年昭和42年放電加工三菱電機が DM-250 形を出す。主軸(Z 軸)を油圧サーボで動かし、50kg の大きな電極を付けられるようにした。鍛造の金型の底付き穴を彫るためで、電源は高周波重畳・サイリスタ・トランジスタから選べた。売れ筋の機械になった三菱電機DM-250-DE-90T[58]
1967年昭和42年放電加工電気加工研究会と電子加工懇話会をもとに、電気加工学会ができる—[58]
1967年11月昭和42年ボール盤・中ぐり★三菱重工業が MIB マシンの後継として自社で開発した「三菱フライス中ぐり複合工作機」MAF マシンの初号機を完成。造船・原子力の大型化に応える機械で、同社は「国内初の NC 中ぐりフライス盤」とする。タービンケーシング用で総重量 320 トン三菱重工業MAF[86・コマ383][86・コマ546][89][105]

NC 化1968〜1979 年

年章出来事メーカー・機種出典
1968年昭和43年旋盤日本工作機械工業会の NC カタログに、池貝・大隈・山崎・日立精機・昌運・滝沢・東芝機械・オーエム・大日金属などの NC 旋盤が並ぶ。NC 装置は富士通の FANUC と大隈の OSP が中心—[100・コマ5][100・コマ6][100・コマ7]
1968年昭和43年旋盤主軸台移動形(スイス形)の自動盤を島本・野村・シチズン・津上・スターなどが国内で作る—[59・コマ15]
1968年昭和43年旋盤江黒鉄工所がくし刃形の NC 旋盤 ENC101 を発表(同社は「日本初のくし刃形」とする)エグロENC101[106]
1968年昭和43年フライス・MC大隈鉄工所が MCD 形門形マシニングセンタの製造を始めるオークマMCD形[21]
1968年昭和43年フライス・MC★日本工作機械工業会の NC 工作機械カタログのマシニングセンタの欄に、遠州製作 MB、牧野 MCP-70・78・100、日立精機 BD、日立製作所 HTN-10P、新潟鉄工所 50DIU、新日本工機 TM-2H-NC-ATC などが並ぶ—[100・コマ16][100・コマ17]
1968年昭和43年フライス・MC日本工作機械工業会の NC 工作機械カタログに、新日本工機の NC 精密立て中ぐりフライス盤 RB-1N・RB-2N(閉じた門形の構造で、1 回の取付けでフライス削り・中ぐりを続けて行う)と、6 本の主軸のタレットヘッドを持つ門形マシニングセンタ TM-2H-NC-ATC が載る新日本工機RB-1N・TM-2H-NC-ATC[100・コマ12][100・コマ39][100・コマ52]
1968年昭和43年フライス・MC新日本工機・川崎航空機工業・富士通の数値制御翼桁フライス盤が第 3 回(1968 年度)機械振興協会賞を受ける。航空機の翼桁の 3 次元の曲線を削るため、6 軸を同時に制御する新日本工機[107・コマ129][12]
1968年昭和43年研削盤日本工作機械工業会の NC 工作機械カタログに、日平産業の数値制御円筒研削盤 CGK-NC(NC は富士通の FANUC)、豊田工機の GCN15-100 数値制御カム研削盤・GUN20-100 多目的数値制御研削盤(3 軸同時制御)・GCN400V 数値制御カムプロフィル研削盤が載る—[100・コマ16][100・コマ47][100・コマ48][100・コマ49]
1968年昭和43年研削盤岡本工作機械製作所が CNC 平面・成形研削盤 NFG-5 形を開発(同社は「世界初」とする)岡本工作機械製作所NFG-5形[28]
1968年昭和43年歯切り盤★機械振興協会の調査は、国内の工作機械の需要の中で最も外国の機械に頼っているのは歯切盤と歯車仕上機械だとまとめる。曲がり歯のかさ歯車歯切盤は国内の市販品が少なかった—[108・コマ64][108・コマ24]
1968年昭和43年ボール盤・中ぐり日本工作機械工業会の NC 工作機械カタログに、数値制御ボール盤の欄(池貝鉄工・碌々産業 RND-1003 ほか)と、数値制御中ぐり盤の欄(池貝鉄工 ANC 横フライス中ぐり盤、東芝機械 BFT 形テーブル形横中ぐりフライス盤、野村製作所 NB-100、三井精機の数値制御装置付き光学式ジグ中ぐり盤 4BN・6BN・7AN)—[100・コマ8][100・コマ10][100・コマ31]
1968年昭和43年ボール盤・中ぐり碌々産業の量産形の NC ボール盤 RND-1003。箱形のベッド・コラム・主軸頭の構造はのちの立形マシニングセンタの基本形になった。上下(Z 軸)は高価な NC を使わずリミットスイッチで制御碌々産業RND-1003[109]
1968年昭和43年ボール盤・中ぐり三菱重工業がダイヤマチック MPA シリーズを完成(同社は日本のマシニングセンタの草分けとする)三菱重工業ダイヤマチック MPA[89]
1968年1月昭和43年旋盤池貝鉄工が A25 型 NC 旋盤を主力にし、月産 10 台のロット生産をめざすと発表。溝の口工場に専用の組立ライン池貝A25型[64]
1968年4月昭和43年旋盤森精機製作所が NC 旋盤の製造・販売を始める科博の資料は 1974 年の NCPL-300 を「当社が初めて開発した NC 付旋盤」と書く森精機製作所[60]
1968年8月昭和43年旋盤瀧澤鐵工所が NC 旋盤の生産を始める滝澤鉄工所[27]
1968年8月昭和43年複合・5 軸『マシナリー』に、同時 5 軸制御用のテープフォーマット(OKIPATH25)の解説が載る。X・Y・Z の 3 軸に回転の A・B 軸を足した 5 軸の NC プログラムが、すでに語られていた—[110・コマ24]
1968年9月昭和43年旋盤★山崎鉄工所が NC 旋盤の第 1 号機「マザックターニングセンター(MTC)」を完成。発表時は 1 台 730 万円、FANUC 260 をもとにした簡易な NCヤマザキマザックMTC[25][64]
1968年9月昭和43年フライス・MC新潟鉄工所が MC 50DIU を開発。主軸頭が立て・横の 2 位置に旋回し、テーブルは 90 度ごとに割り出す。秋の東京国際工作機械見本市に出品新潟鐵工所50DIU[8・コマ433][8・コマ437][100・コマ51]
1968年9月昭和43年研削盤和井田製作所が成形研削盤の生産を始める和井田製作所[75]
1969年昭和44年研削盤岡本工作機械製作所が円筒研削盤 OGM シリーズを開発。1974 年にはロータリー平面研削盤 PRG シリーズ岡本工作機械製作所OGM[28]
1969年昭和44年放電加工1960 年代の後半はジャパックスと三菱電機が放電加工機の 2 強と呼ばれた。ジャパックスの D100M は D3 の流れをくむ機種で、1969 年にトランジスタ電源(QC 電源)が加わる。半導体の電源で電極の減りが大きく減り、金型の 3 次元の底付き穴に広まり始めるジャパックスD100M[58]
1969年昭和44年放電加工スイスのアジエ社が NC ワイヤ放電加工機「DEM-15」を完成させ、パリの展示会に出す—[58]
1969年11月昭和44年歯切り盤業界誌『マシナリー』に西独パウター社のギヤスカイビング盤 P630WS が載る—[111・コマ90]
1970年昭和45年旋盤★山崎鉄工所の NC 旋盤 MTC-2500R(製造番号 200、FANUC 240・紙テープ・電気油圧パルスモータ)。国産の NC 旋盤として初めて米国へ輸出された。2008 年に里帰りし、2024 年に機械遺産第126号ヤマザキマザックMTC-2500R[112][25]
1966〜70年昭和45年フライス・MC汎用フライス盤も伸びる。新潟鉄工所の 2UM 形の生産は 1966 年 194 台から 1969 年 725 台、1970 年に 1,000 台を超える新潟鐵工所2UM形[8・コマ437]
1970年昭和45年研削盤★日進機械製作所が静圧軸受・静圧案内を使った静圧高速センタレスグラインダ HI-GRIND 2 形の製造を始め、第 5 回日本国際工作機械見本市に出品。1973 年には計測ゲージ付きの全自動センタレスを本格生産日進機械製作所HI-GRIND 2形[34]
1970年昭和45年複合・5 軸マシニングセンタを生んだ米国のカーネイ&トレッカー社が、IMTS(シカゴ)に複合加工機 TURN-12 を出す。1 億円の工作機械として注目されたが、3 台作っただけで商品にはならなかった。国内でも池貝鉄工・大隈鉄工所が見本市に出したが、刃物と工作物の干渉や値段の問題で商品化に至らなかったカーネイ&トレッカー社TURN-12[113]
1970年3月昭和45年旋盤シチズン時計が NC 自動旋盤「シンコム D16」を開発シチズンCincom D16[114][115]
1970年4月昭和45年フライス・MC山崎鉄工所がマシニングセンタの第 1 号機 BTC No.5 を完成ヤマザキマザックBTC No.5[25]
1970年9月昭和45年フライス・MC★機械振興協会技術研究所が、新日本工機で試作した 7 軸・同時 5 軸制御の ATC 付きマシニングセンタを完成。主軸頭に穴あけ用の高速主軸とフライス用の主軸を持ち、500mm 角までの工作物の 5 面を続けて削れる。同社は FM-720 として「わが国初の同時 5 軸の複合工作機械」とする新日本工機FM-720[107・コマ31][107・コマ47][116・コマ64][12]
1970年10月昭和45年ボール盤・中ぐり三井精機工業が初めてのマシニングセンタ Jidic H5B・H6B の生産を始める。ジグ中ぐり盤の会社が MC へ三井精機工業Jidic H5B・H6B[45]
1971年昭和46年フライス・MC大阪機工が国内最初の電子式倣いフライス盤 MH-5TCV を開発。プラスチック金型の需要に応え、データで直接削る時代まで金型づくりの主流に大阪機工MH-5TCV[117]
1971年昭和46年研削盤オーエム製作所が仏ベルチェ社との技術提携で NC 付きの立型研削盤 VGM-125 を導入し、サブミクロンの精度を出す技を身につけるオーエム製作所VGM-125[118]
1971年までに昭和46年研削盤津上製作所の精密高速円筒研削盤 PG350。砥石の周速を毎分 1,800m(秒速 30m)から 3,600m(秒速 60m)に上げる「高速研削」を自動車部品などに津上製作所PG350[48・コマ51][48・コマ52]
1971年昭和46年歯切り盤不二越が西独のホブ盤専業メーカーと、内歯車スカイビングマシンと生産ホブ盤(SH-180 形・SH-900 形・SH-1250 形)で技術提携し、翌年から販売不二越SH-180[119・コマ101][10・コマ102][10・コマ149]
1971年昭和46年歯切り盤三菱重工業がローレンツ社との提携を解消して自社の技術に切り替え、1972 年に高性能ホブ盤 GH シリーズ(GH200・GH300)を出す。続いて高速ギヤシェーパ SH シリーズ、SV 形歯車シェービング盤三菱重工業GHシリーズ[86・コマ383][86・コマ541]
1971年昭和46年ボール盤・中ぐりMAF マシンが重機械開発の国産第一号機に指定され、1972 年に機械振興協会賞を受ける三菱重工業MAF[105][89]
1971年9月昭和46年旋盤山崎鉄工所が国内初の適応制御旋盤 MTC-1500R-AC を完成ヤマザキマザックMTC-1500R-AC[25]
1971年12月昭和46年旋盤新潟鉄工所が NC 旋盤 40CDN 用の自動プログラミング「AUTOLAT」を完成新潟鐵工所40CDN[8・コマ431][8・コマ433]
1972年昭和47年旋盤★コンピュータを内蔵した CNC の時代へ。富士通の NC 部門が富士通ファナックとして独立して CNC を発表、大隈も自社の CNC(OSP2000)を出す。この年から工作機械の輸出が輸入を上回り続ける—[71][72][21][120][121]
1972年昭和47年フライス・MC新潟鉄工所が工具 20 本までの ATC を付けた立形 MC 3MN-ATC を開発新潟鐵工所3MN-ATC[8・コマ433]
1972年ごろ昭和47年研削盤豊田工機が東京工業大学の指導でダイヤモンド砥石を研究する中で CBN 砥粒を手に入れ、焼入れ鋼を削る CBN 砥石の研究を始める豊田工機[44・コマ78]
1972年昭和47年放電加工三菱電機が放電加工機用の数値制御装置 DAC-10・DAC-20 を出す。紙テープを読んで XYZ 軸を動かし、たくさんの穴を順に加工したり、加工条件を自動で切り換えたりできた三菱電機DAC-10・DAC-20[58]
1972年昭和47年放電加工★三菱電機が国産で最初のワイヤ放電加工機 DWC-50(DWC50S-LT1 形)を出す。高い NC を使わず、米国で開発された光学式の図面倣い装置で図面の線を追った。2024 年に未来技術遺産(第 374 号)三菱電機DWC-50[122][58][123]
1972年8月昭和47年フライス・MC牧野フライス製作所が適応制御のマシニングセンタによるトランスファライン(FMS)を開発牧野[42]
1972年10月昭和47年放電加工★西部電機工業が、ミニコンピュータを使った NC で動くワイヤ放電加工機 EW-20 形を作り、第 6 回日本国際工作機械見本市に出す。国産で最初の NC ワイヤ放電加工機で、同社は CNC のワイヤ放電加工機として世界初とする。2025 年に未来技術遺産(第 395 号)西部電機工業EW-20 形[124][58][95][125]
1972年12月昭和47年複合・5 軸★『機械振興』の新製品紹介に池貝鉄工のターニングセンタ FT500NA が載る。1981 年の『旋盤マニュアル』は「わが国では池貝鉄工が 1973 年にターニングセンタを発表し、シリーズを完成させた」と書く池貝鉄工FT500NA[126・コマ47][104・コマ73]
1973年昭和48年旋盤全工作機械生産額の 15% 以上が NC 機に。当時の目安は普通旋盤 200 万円・NC 旋盤 1,500 万円—[127・コマ46][127・コマ47]
1974年昭和49年旋盤ターニングセンタが並ぶ。池貝鉄工 FT500NA が自動化機械開発賞、中村留精密工業が初の NC 旋盤 ATM-4N(10 月の見本市)、森精機製作所 NCPL-300—[7][128][129]
1974年昭和49年旋盤オーエム製作所が、立旋盤に回転工具の加工を足した複合機械の開発を始める(1984 年に TDC-12N)オーエム製作所[130][131]
1974年昭和49年フライス・MC★松浦機械製作所が立形マシニングセンタ MC-750V を出す。横形が中心の時期に、立形で値段を下げた。1975 年に米国へ輸出を始める松浦MC-750V[132][88]
1974年昭和49年フライス・MC大阪機工が横形マシニングセンタ MCH-500 を開発(アームを使わない工具交換)大阪機工MCH-500[133]
1974年昭和49年歯切り盤不二越がホブ軸を直接駆動して振動を抑えたホブ盤で、超硬ホブによるホブ切りが実用になることを示す不二越HB-220H形ベース[10・コマ145][10・コマ149]
1974年昭和49年放電加工★大阪の第 7 回日本国際工作機械見本市に、西部電機工業の EW-30 形(マイコン NC)、三菱電機の DWC-50M-H(ミニコン NC)、ジャパックスの L250A(ミニコン NC)が並ぶ。主要 3 社の NC ワイヤ放電加工機が出そろい、本格的な普及の始まりの年になった—[58]
1974年昭和49年放電加工形彫り放電加工機の電源 UF105C。スイッチにトランジスタを使い、電極の減りを 1% 以下にして「電極無消耗電源」と呼ばれた。国立科学博物館のデータベースは、のちにソディックを創業する古川利彦が開発を主導したとする—UF105C[134]
1974年昭和49年放電加工西部電機工業の形彫り放電加工機 E-202H。当時の主流だった油圧サーボで主軸を動かし、荒加工を速く・仕上げをきれいにする重畳電圧回路(DP 回路)を積む。今も福岡県の会社で生産に使われている西部電機工業E-202H[135]
1974年8月昭和49年研削盤和井田製作所がスローアウェイインサート(刃先交換チップ)の外周研削盤の生産を始める(1982 年 2 月に CNC 化)和井田製作所[75]
1975年昭和50年旋盤大隈が LS 形をもとにした中小企業向けの NC 旋盤 LS-N を 900 万円台で発売大隈LS-N[64]
1975年昭和50年フライス・MC大阪機工の NC フライス盤「オートミラー」MHA-400:手で回すハンドルと NC の自動運転の両方を持ち、大ヒット大阪機工MHA-400[136]
1975年昭和50年歯切り盤唐津鐵工所が直径 13,000mm の歯車を切れる超大形ホブ盤を作る(同社は世界最大級とする)唐津鐵工所[15]
1975年ごろ昭和50年ボール盤・中ぐり福井の武田機械の 4 軸全自動タレットボール盤。センタ穴・下穴・面取り・タップを自動で続けて行い、それまで専用機だった自動車・家電部品のラインの穴あけを、安い汎用の機械で置き換える先駆けになった武田機械TK4s-600FA-T[137]
1975年昭和50年放電加工牧野フライス製作所がスイスのアジエ社と技術提携し、1976 年にワイヤ放電加工機 DEM-15 の国産化を始める。同じ 1976 年にソディックとも提携し、ソディックの NC 電源を組み込んだ形彫り放電加工機を作る。のちに 2 社との提携を解き、1980 年から自社の技術で作る方針にする牧野フライス製作所[58]
1975年昭和50年複合・5 軸大隈鉄工所が最初の複合加工機 LM70-AT を出す。旋削・穴あけ・フライス削りを 1 台でこなす機械(同社の欧州法人の 2025 年の発表による)大隈鉄工所LM70-AT[138]
1975年7月昭和50年放電加工★富士通ファナック(今のファナック)が NC ワイヤ放電加工機 TAPECUT MODEL A など 3 機種を売り出し、安い値段でシェアを取りにいく(当時の新聞の見出しは「他社の半値以下で販売」)ファナックTAPECUT MODEL A[58][71]
1976年昭和51年歯切り盤樫藤鉄工所が超硬ホブ切りの実用機 KS300HD を完成樫藤鉄工所KS300HD[24]
1976年昭和51年放電加工ソディックと牧野フライス製作所が、日本で最初のマイコン NC の形彫り放電加工機を作る(機械は牧野、電源と NC はソディック)ソディック・牧野フライス製作所[139][58]
1976年昭和51年放電加工ファナックの TAPECUT SERIES D。CNC でワイヤを傾けて抜き勾配(テーパ)を付けて加工でき、データベースは世界初とする。翌年からジャパックス・三菱電機・西部電機工業もテーパ加工装置を出す。同じ年、ジャパックスは精度 5μm 以下とうたう精密小型の L200 を出す(高精度機の始まりとされる)ファナックTAPECUT SERIES D[140][58]
1976年8月昭和51年放電加工★ソディックがジャパックスから分かれて横浜で創業する。同じ年に日本で最初の揺動加工装置 SIX-LORAN(電極を XY にも動かして側面を仕上げる)を出すソディック[58][141]
1976年9月昭和51年フライス・MC牧野フライス製作所が立形マシニングセンタ FNC-A シリーズを開発牧野FNC-A[42]
1976年10月昭和51年旋盤スター精密が CNC 自動旋盤を、高松機械工業が CRT 付きの対話型 CNC 旋盤 TCC-8 を出す—[142][143]
1977年昭和52年旋盤池貝鉄工が小型 NC 旋盤にオートローダを載せた「限定無人化」の機械を開発池貝[7]
1977年昭和52年フライス・MC大阪機工が低価格の立形マシニングセンタ MCV-500 を出し、米国・欧州にも多く輸出大阪機工MCV-500[144]
1977年昭和52年複合・5 軸山崎鉄工所(今のヤマザキマザック)で、桃井昭二を中心に複合加工機の開発が本格的に始まる。自社の工作機械の主軸を削る工程と工数を減らすことがきっかけで、タレット旋盤にフライス削りの工具を組み合わせる「タレットミル方式」で進めた山崎鉄工所[113]
1977年10月昭和52年研削盤★豊田工機の CBN 生産形カム研削盤が第 12 回機械振興協会賞を受ける豊田工機[44・コマ78]
1978年昭和53年旋盤★森精機製作所の NC 旋盤 SL-2。NC 装置を機械に組み込んだ機電一体型で、9 年間に約 2,500 台を売り SL シリーズの元に森精機製作所SL-2[145]
1978年6月昭和53年旋盤津上が CNC 複合自動旋盤「マーキュリー」を発売ツガミ[146]
1978年10月昭和53年研削盤和井田製作所が CNC 成形研削盤の生産を始める(1982 年 10 月に CNC ジグ研削盤)和井田製作所[75]
1979年昭和54年旋盤ファナックが NC 旋盤にワークを出し入れする電動ロボット ROBOT-MODEL0 を作るファナックROBOT-MODEL0[147]
1979年昭和54年歯切り盤樫藤鉄工所がホブ盤を CNC 化(同社は「業界で初めて」とする)。1982 年に CNC ホブ盤 KB200樫藤鉄工所[24]
1979年昭和54年放電加工★ファナックが、ドイツのシーメンス社から技術を入れて日本で最初のワイヤ自動結線装置を出す(ワイヤが切れても機械が自分で通し直す)。1980 年代の半ばまでに主要メーカーの装置が出そろう。同じ年に三菱電機は精度 3〜5μm の DWC-90P を出すファナック[58]
1979年昭和54年複合・5 軸山崎鉄工所が、ミル駆動に油圧モータを使った傾斜(スラント)ベッドの「スラントターン 30 ミルセンタ」を EMO(ミラノ)に出す(開発は 1978 年、1980 年に JIMTOF にも出品)山崎鉄工所SLANT TURN 30 ミルセンタ[113]
1979年昭和54年複合・5 軸★日立精機が、回転工具を備えて工程を集約する本格的なターニングセンタ 5LC を開発。X・Y・Z・C の 4 軸制御で 20 本の ATC を持ち、中形の複合加工機として各種のシステムに組み込まれた日立精機5LC[148・コマ17]

1980 年代〜1980〜1999 年

年章出来事メーカー・機種出典
1980年昭和55年フライス・MC大隈鉄工所が MC-H 形横形マシニングセンタの製造を始めるオークマMC-H[21]
1980年昭和55年研削盤シギヤ精機製作所の最初の CNC 円筒研削盤 GN-27シギヤ精機GN-27[68]
1980年昭和55年研削盤豊田工機が CNC/CBN 円筒研削盤の生産を始める。1984 年ごろから研削盤の本格的な CNC 化・CBN 化豊田工機[69][91・コマ21]
1980年昭和55年歯切り盤★三菱重工業が NC ホブ盤 GH400NC を開発(国産初の NC ホブ盤とされる)。モジュール 12 まで、ホブ軸は毎分 60〜350 回転の無段変速、5 軸を NC で制御三菱重工業GH400NC[149][89]
1980年昭和55年歯切り盤唐津鐵工所が自動車・オートバイ向けに 250mm の高速歯車形削り盤を作る唐津鐵工所[15]
1980年昭和55年ボール盤・中ぐり大隈鉄工所が横形マシニングセンタ MC-H の製造を始める大隈鉄工所MC-H[21]
1980年昭和55年放電加工牧野フライス製作所が自社技術の形彫り放電加工機 EDNC64 を作る。加工槽の 3 面が下がる構造を日本で先がけて取り入れ、工作物の出し入れと段取りが楽になった。この構造はのちに業界の標準になる牧野フライス製作所EDNC64[150][58]
1980年昭和55年放電加工ソディックの形彫り放電加工機 22-NC。XYZ と電極を回す C 軸を同時に制御でき、複雑な金型に使える。現存し公開されているマイコン NC の形彫り放電加工機では最も古い。2024 年に未来技術遺産(第 375 号)ソディック22-NC[139][151]
1980年2月昭和55年研削盤小林機械製作所がカムを使わず NC で削るスローアウェイチップの外周研削盤 TAG-15 を開発(同社は世界初とする)。それまではチップの形ごとにカムを作って倣い研削していた小林機械製作所TAG-15[152]
1981年昭和56年旋盤★工作機械の生産額に占める NC 化率が 50% を超える。旋盤の NC 化率は 70% を超え、NC 旋盤の生産額は 1,613 億円でピーク—[70・コマ21][70・コマ46]
1981年昭和56年フライス・MC森精機製作所が立形マシニングセンタを発表森精機製作所[153]
1981年昭和56年放電加工★日本の放電加工機の生産額が 446 億円になり、世界の生産額(推計 900 億円)の約 50% を占める—[58]
1981年昭和56年複合・5 軸山崎鉄工所が、ミル駆動を出力の大きい直流モータにした「スラントターン 40N ミルセンタ」を開発。4 インチの正面フライス削りができるようになる。同じ年、三菱電機と共同で対話型 NC 装置「マザトロール T-1」を開発(ハードを三菱電機、ソフトを自社で)山崎鉄工所SLANT TURN 40N ミルセンタ[113]
1981年5月昭和56年ボール盤・中ぐりボール盤の吉良鐵工所がマシニングセンタの製造・販売を始める吉良鐵工所[77]
1981年6月昭和56年旋盤山崎鉄工所が対話型 CNC「MAZATROL T1」と CNC 旋盤 QUICK TURN 10 を完成(同社は「世界初の対話型 CNC」とする)ヤマザキマザックMAZATROL T1[25]
1982年昭和57年旋盤★日本の工作機械生産額が米国を抜いて世界一に。2008 年まで 27 年間首位—[70・コマ9][70・コマ22][121][154]
1982年昭和57年旋盤大隈が CNC 旋盤 LB15 の生産を始め、中村留精密工業が CNC 大型複合機械 TMC-5LAM を発表—[21][128]
1982年昭和57年フライス・MC遠州製作が横形 MC HMC500 を完成。1983 年には量産ライン向けのライン形 MC HMC-S を出し、ライン形 MC の原型にエンシュウHMC500・HMC-S[155]
1982年以降昭和57年フライス・MC日本工作機械工業会の規格(MAS)に、MC の主軸端の形状・寸法、MC 用ツーリングシステム BT50・BT40 などが定められる(制定・改正)—[70・コマ39]
1982年昭和57年放電加工三菱電機が、MOSFET を使った電源を世界で初めて積んだワイヤ放電加工機 F シリーズを出し、最大の加工速度が約 2 倍の 110mm²/min になる。同じ年、ソディックは超硬合金のさびを防ぐため油の加工液を使える日本初のワイヤ放電加工機 330W を出す三菱電機F シリーズ[156][157]
1982年昭和57年複合・5 軸日立精機が自社製のロボット RP-10(空圧式)と RE-20(電気式)を開発し、ターニングセンタと組む自動化セルを作りやすくする日立精機RP-10・RE-20[148・コマ17]
1982年5月昭和57年フライス・MC米国の工作機械メーカーが、日本製の MC と NC パンチングマシンを投資税額控除の対象から外すよう米政府に提訴—[70・コマ28]
1983年昭和58年フライス・MC安田工業がマシニングセンタ YPC30 の製造技術を英国の工作機械メーカーに供与(1986 年に YPC45H も)安田工業YPC30[31]
1983年昭和58年ボール盤・中ぐり三菱重工業が ATC・アタッチメントの自動交換・大形パレットチェンジャーを備えた CNC 横中ぐりフライス盤 MAF マシン RS シリーズを出す三菱重工業MAF RS[86・コマ383][86・コマ548]
1983年昭和58年複合・5 軸工具 30 本の ATC を自社で作り、「スラントターン 40N ATC ミルセンタ」を EMO(パリ)に出す。鈴木 2010 は、本格的に商品化された世界で最初の複合加工機とする。米国の航空機・石油の産業から取引の依頼が来た完成の年月(1983 年 4 月)は第 1 章の年表にもあります山崎鉄工所SLANT TURN 40N ATC ミルセンタ[113][25]
1983年昭和58年複合・5 軸複合加工機で FMS を組むため、チャックの爪を自動で替える AJC をチャックのメーカーと共同で開発し、工作物を着け外しする専用ロボットも作る山崎鉄工所[113]
1983年4月昭和58年旋盤★山崎鉄工所が複合加工機「SLANT TURN 40N ATC ミルセンタ」を完成ヤマザキマザックSLANT TURN 40N ATC Mill Center[25]
1983年12月昭和58年フライス・MC山崎鉄工所が長時間の無人運転システム「MAZATROL FMS」を完成ヤマザキマザック[25]
1984年昭和59年フライス・MC★森精機製作所の小形立形 MC MV junior。8 年間で 4,700 台が売れ、小形で値ごろな立形 MC が業界の標準に森精機製作所MV junior[153]
1984年昭和59年放電加工★日本の放電加工機の生産額が 796 億円(5,600 台)になり、世界の 55% を占める。統計で数えられるワイヤ放電加工機だけの生産台数は、この年の 3,481 台が最も古い—[58]
1984年昭和59年放電加工三菱電機の DWC-90G が業界最高の 200mm²/min を出し、パイプで案内する初期の自動結線装置を積む。西部電機工業は門形のコラムとリニアスケールで熱による狂いを抑えた、同社で最初の高精度機 EWP-300A を出す三菱電機・西部電機工業DWC-90G・EWP-300A[156][158]
1984年昭和59年複合・5 軸40ATC は NC 旋盤の 2.5 倍以上の値段だったため、工具 16 本のチェーン式にして値段を NC 旋盤の 1.5 倍ほどに抑えた「スラントターン 25ATC ミルセンタ」を開発。対話型 NC マザトロール T-3 で現場の作業者がプログラムを作れ、日本のユーザーにも多く納入された山崎鉄工所SLANT TURN 25ATC ミルセンタ[113]
1984年8月昭和59年複合・5 軸『豊田工機技報』の製品一覧に「同時 5 軸制御マシニングセンタ」が並ぶ豊田工機[159・コマ23]
1985年昭和60年フライス・MC大阪機工の高速立形 MC PCV-40:国内の量産機で初めてカム式の ATC を使い、以後の標準に大阪機工PCV-40[160]
1985年昭和60年研削盤オーエム製作所の門型の平面研削盤 PGD-1308。テーブルを油圧でなくボールねじで送り、数値を入れるだけで全自動の研削サイクルを回すオーエム製作所PGD-1308[161]
1985年昭和60年研削盤日進機械製作所が超精密センタレスグラインダの実用機 UG-1000 形を開発(1983 年にセラミックス用の超精密研削盤、1987 年にナノメートル級の「ナノトロン」)日進機械製作所UG-1000形[34]
1985年昭和60年歯切り盤『三菱重工技報』が NC ホブ盤 GA シリーズを紹介(NC 装置は FANUC 6MB)三菱重工業GAシリーズ[162・コマ2][162・コマ60]
1975〜85年昭和60年放電加工ワイヤ放電加工機の生産台数が 10 年で約 10 倍になる。おもな売り先の金型の出荷額も 1975 年の 2,721 億円から 1985 年の 1 兆 3,067 億円へ約 5 倍に伸びた—[58]
1985年9月昭和60年複合・5 軸中村留精密工業が、小さな工場でも入れやすい自動化・省力化の「下町の FA シリーズ」を発表中村留精密工業[128]
1985年11月昭和60年研削盤豊田工機が CNC/CBN 生産形マスタレスカム研削盤(手本のカムを使わない)の開発を始める。1989 年 11 月に第 24 回機械振興協会賞豊田工機[44・コマ90]
1986年昭和61年旋盤森精機製作所が立形 NC 旋盤 partner L-100V(くし刃形)を発売森精機製作所partner L-100V[163]
1986年昭和61年フライス・MC★マシニングセンタの輸出比率(生産額に対する輸出額)が 52% でピーク。円高で 1989 年以降は 30% 台に—[70・コマ47]
1986年昭和61年ボール盤・中ぐり三菱重工業が門幅 13m・総重量 1,300 トンの超大形 NC 複合フライス盤「スーパーミラー」を完成(同社は世界最大級とする)三菱重工業スーパーミラー[105][89]
1986年昭和61年複合・5 軸日本機械工業連合会の航空機・宇宙産業の生産技術の報告書が、複雑な機体の外形や斜めの面をもつ部品の仕上げには同時 5 軸制御の NC 機が是非とも必要とし、FMS の NC 機を 3 軸(荒・中仕上げ)と 5 軸(仕上げ)に分けて考える—[164・コマ21][164・コマ22]
1986年11月昭和61年歯切り盤三菱重工業の歯切機械の生産が 1961 年からの累計で 3,000 台に達する三菱重工業[86・コマ542]
1987年昭和62年旋盤北川鉄工所の高速中空パワーチャック B-200 シリーズ。NC 旋盤の標準的なチャックとして 30 年以上使われる北川鉄工所B-200[165]
1987年1月昭和62年フライス・MCNC 旋盤・マシニングセンタなどの対米輸出自主規制(VRA)が 5 年間の約束で始まる(1986 年 12 月に日米政府が妥結)—[70・コマ14][70・コマ58]
1988年昭和63年フライス・MC松浦機械製作所の FX-5:ビルトインモーターで毎分 2 万回転(オプション 3 万・4 万回転)の主軸。超高速機の先駆け松浦FX-5[166]
1988年昭和63年複合・5 軸★ヤマザキマザックが「インテグレックス 40ATC ミルセンタ」を IMTS(シカゴ)に出す。ユーザーの要望だった Y 軸を足して 4 軸にし、工作物の側面も削れるようにした。複合加工機の削れる範囲がマシニングセンタの領域へ大きく広がったヤマザキマザックINTEGREX 40ATC ミルセンタ[113]
1988年4月昭和63年複合・5 軸★中村留精密工業が、主軸 2 本と刃物台 2 つを向かい合わせた 2 スピンドル・2 タレット機 TW-20 を発表。同時加工と、1 台で仕上げまでの完品加工を実現し、のちの WT シリーズ・Super NT シリーズの原型になった中村留精密工業TW-20[128]
1989年平成元年歯切り盤唐津鐵工所が成形歯車研削盤の販売を始める唐津鐵工所[15]
1989年7月平成元年フライス・MC牧野フライス製作所が横形マシニングセンタ A55 を開発牧野A55[42]
1990年平成2年旋盤生産額 1 兆 3,034 億円で今も過去最高。NC 化率は 75.7% でピーク(1985 年に初めて 1 兆円を超えた)—[121][70・コマ45][70・コマ15]
1990年平成2年旋盤池貝がマシニングターン TM25YS を開発池貝TM25YS[7]
1990年平成2年研削盤豊田工機の CNC 汎用円筒研削盤 GL4。図面の情報を入れるだけで研削条件を自動で決める学習機能を持つ(同社は研削盤で世界初とする)豊田工機GL4[91・コマ18][91・コマ21]
1990年ごろ平成2年放電加工放電加工機の国内の生産台数がピークになる(金型の生産額のピークは 1991 年)。円高で各社が海外に工場をつくり始める(ソディックは 1988 年にタイ、1994 年に中国の蘇州、2006 年に厦門)—[58][141]
1990年10月平成2年研削盤1986 年に長岡で設立した太陽工機が立形研削盤の販売を始める。のちに同社の主力製品に太陽工機[167]
1991年平成3年フライス・MC★松浦機械製作所が無人運転に対応した 5 軸マシニングセンタを出す(72 時間の連続無人運転)松浦[88]
1991年平成3年放電加工熟練者の勘を取り入れるファジィ制御が放電加工機に入る。三菱電機が 1991 年に V シリーズ、ソディックが 1993 年にニューロ・ファジィの NF シリーズ三菱電機・ソディック[58]
1991年4月平成3年放電加工★1980 年ごろまで国内のトップだったジャパックスが、石油ショックのあとの不振でソディックの資本参加を受けて傘下に入る。分かれて出た会社が元の会社を引き受けたことは当時大きな話題になった。1992 年 10 月にソディックがジャパックスの放電加工機部門の営業の一部を譲り受けるソディック・ジャパックス[58][141]
1991年4月平成3年複合・5 軸『自動化技術』でヤマザキマザックが、複合加工旋盤インテグレックス 40 を 3 台並べた旋盤の FMS ラインを紹介。ATC とミルセンタで旋削のほか穴あけなども 1 台でこなすヤマザキマザックインテグレックス 40[168・コマ64]
1992年平成4年研削盤大阪機工のグラインディングセンタ HPV400-GC。マシニングセンタの多機能さを研削に生かし、セラミックス・ガラスから超硬・焼入れ鋼まで削る複合加工機大阪機工HPV400-GC[169]
1993年平成5年放電加工★牧野フライス製作所が、半導体のリードフレームなど微細な部品の金型のためのワイヤ放電加工機 UPH-1 を出す。ワイヤを横に走らせる構造で、業界で初めて φ0.03mm のワイヤを自動で通した(同じ年、ソディックは φ0.05mm の自動結線)。2024 年に未来技術遺産(第 376 号)牧野フライス製作所UPH-1[170][58][171]
1993年平成5年複合・5 軸1974 年から立旋盤に回転工具を足す複合機械を開発してきたオーエム製作所が、旋回・割出しテーブルを前後させてマシニングの加工まで済ませる立形ターニングセンタ TMM-35/45N(テーブル直径 3.5m)を完成し、TMM 形をシリーズにするオーエム製作所TMM-35/40N[130]
1994年平成6年研削盤三菱重工業が電着 CBN 砥石を使う成形方式の CNC 歯車研削盤 ZG400 を商品化。外径 400mm までのはすば歯車で JIS 0 級三菱重工業ZG400[172・コマ18][172・コマ19]
1994年平成6年歯切り盤三菱重工業が電着 CBN 砥石の成形方式の CNC 歯車研削盤 ZG400 を出す(第 3 章)三菱重工業ZG400[172・コマ17]
1994年平成6年複合・5 軸ヤマザキマザックが「インテグレックス 50・70」を開発。大径テーパの工具と標準 30 本(60・80 本も可)の ATC で、マシニングセンタの機能と切削の力を持つ本格的な複合加工機になり、旋削よりフライス削りの時間が長い工作物も対象になったヤマザキマザックINTEGREX 50・70[113]
1994年3月平成6年ボール盤・中ぐり吉良鐵工所など 3 社が合併してキラ・コーポレーションになるキラ・コーポレーション[77]
1994年3月平成6年複合・5 軸★キタムラ機械の横形マシニングセンタ「H-400 スーパーセル」が第 24 回中小企業向け自動化機械開発賞を受ける。A 軸・B 軸を足し、1 回の取付けで取付面以外の 5 面を 5 軸で削れる機械で、パレットの自動交換とワークの自動判別、ハンドリングロボットを組み合わせた。同社は、本機の発表で業界の 5 軸 MC への関心が高まり、他社も開発に動き出したと述べているキタムラ機械H-400 スーパーセル[173・コマ18][173・コマ19][173・コマ5]
1995年8月平成7年放電加工西部電機が自動結線装置 AWF-3 で、ワイヤを通す時間を 10 秒にする(それまでは 90 秒ほど)。「10 秒結線」は他社の目標になった西部電機AWF-3[58][95]
1996年平成8年研削盤シギヤ精機製作所の CNC マスタレスカム研削盤 GCM-30シギヤ精機GCM-30[68]
1996年平成8年複合・5 軸オーエム製作所が、ATC・APC の自動化をレベルアップした小形の NC 立旋盤 VC シリーズを開発。刃物台とテーブルの割出し装置の組み合わせで、タレット(T)・ラム(R)・ターニングセンタ(M)の仕様にできるオーエム製作所VC-6NM[174]
1996年10月平成8年フライス・MCヤマザキマザックが早送りの加速度 1G を超える超高速横形 MC FF-510 を完成ヤマザキマザックFF-510[25]
1997年平成9年歯切り盤★三菱重工業が切削油を使わない歯車のドライカットシステムを完成(同社は世界初とする)。2002 年にドライカットホブ盤 GE シリーズ三菱重工業[89]
1997年平成9年複合・5 軸★ヤマザキマザックが X・Y・Z・C 軸に B 軸(工具主軸の旋回)を足した「インテグレックス 200SY」を開発。5 軸制御でタービンブレードのような立体の複雑な形が削れ、第 2 主軸で工作物を持ち替えて裏側まで続けて削れるY 軸付きの INTEGREX 200Y の完成(1997 年 9 月)は第 1 章の年表にありますヤマザキマザックINTEGREX 200SY[113]
1997年3月平成9年研削盤和井田製作所が CNC 全自動万能工具研削盤の生産を始める和井田製作所[75]
1997年9月平成9年旋盤ヤマザキマザックが Y 軸を持つ複合加工機 INTEGREX 200Y を完成ヤマザキマザックINTEGREX 200Y[25]
1998年平成10年放電加工★ソディックが、主軸(Z 軸)をリニアモータで動かす形彫り放電加工機 AM シリーズを出す(世界初)。数 m/min だった Z 軸の速さが 36m/min になり、電極を素早く上下させて加工くずを出すことで加工が速くなったソディックAM シリーズ[175][58]
1998年平成10年放電加工三菱電機が、放電で電極の材料を表面に盛り付けて膜をつくる放電表面処理(EDC)を売り出す三菱電機[58]
1999年平成11年複合・5 軸松浦機械製作所の 5 軸立形マシニングセンタ MAM72-3VS が機械工業デザイン賞を受ける松浦機械製作所MAM72-3VS[176]
1999年10月平成11年フライス・MCヤマザキマザックが多面・5 軸加工機 VARIAXIS 200 を完成ヤマザキマザックVARIAXIS 200[25]

2000 年代〜2000 年〜

年章出来事メーカー・機種出典
2000年5月平成12年複合・5 軸中村留精密工業が、専用の工具主軸と ATC を持ち、旋削とマシニングセンタの加工を 1 台でこなす「超複合加工機」STW-40 を発表中村留精密工業STW-40[128]
2001年平成13年研削盤オーエム製作所の超精密縦軸平面研削盤 SFG。HDD のガラス基板・シリコンウエハ・サファイアなどを、研削する力を一定に保って削るオーエム製作所SFG[177]
2001年9月平成13年複合・5 軸ヤマザキマザックが「インテグレックス e シリーズ」を出す。新しい NC 装置マザトロール フュージョン M640MT で、マシニングセンタのプログラムのまま複合加工機を動かせるようにしたヤマザキマザックINTEGREX e シリーズ[25][113]
2002年平成14年複合・5 軸オーエム製作所が立形ターニングセンタ OMega 60YB を作る。X・Y・Z の直線軸に、割出しのできる工具主軸(B)とテーブルの割出し(C)を足した 5 軸制御で、中・大物の複雑な部品の工程を集約するオーエム製作所OMega 60YB[178]
2002年平成14年複合・5 軸★松浦機械製作所が、レーザーで金属の粉を固める金属光造形と、マシニングセンタの切削を 1 台にした金属光造形複合加工機を開発。2003 年に生産・販売を始め、2004 年に M-PHOTON25C が日本産業技術大賞を受け、LUMEX 25C を発表松浦機械製作所金属光造形複合加工機[88]
2002年9月平成14年旋盤フライス・MC森精機製作所が日立精機から営業の一部を譲り受ける森精機製作所[60]
2003年平成15年複合・5 軸キタムラ機械の 5 軸立形マシニングセンタ Mytrunnion(テーブルを傾けるトラニオン形)が機械工業デザイン賞を受ける。2004 年にはオークマの 5 軸立形 MU-400VA が続くキタムラ機械Mytrunnion[176]
2005年平成17年旋盤森精機製作所が複合加工機 NT シリーズを開発(2010 年に NTX)森精機製作所[60]
2006年平成18年複合・5 軸★機械工業デザイン賞の受賞 5 機種のうち 4 機種が 5 軸 MC か複合加工機になる(三井精機工業の 5 軸立形 Vertex550-5X、松浦機械製作所の 5 軸複合 CUBLEX-25 ほか)。同じ年、森精機製作所が 5 軸の NMV5000 DCG を開発三井精機工業・森精機製作所・松浦機械製作所Vertex550-5X・NMV5000 DCG・CUBLEX-25[176][45][88][60]
2006年1月平成18年旋盤光洋精工と豊田工機が合併してジェイテクトに。同じ年、オークマが大隈豊和機械などと合併—[179][21]
2007年平成19年研削盤岡本工作機械製作所が静圧案内面の方式で世界最大級の超精密門形平面研削盤 UDG10035NC を完成(同社の表現)岡本工作機械製作所UDG10035NC[28]
2007年平成19年ボール盤・中ぐり安田工業のジグマスター YBM50J-S が、日本工業大学 工業技術博物館の「歴史的価値のある工作機械の顕彰」でベストテクニカル賞に選ばれる安田工業YBM50J-S[31]
2007年9月平成19年複合・5 軸ヤマザキマザックが小形の複合加工機 INTEGREX i-150 を完成(2008 年に機械工業デザイン賞)ヤマザキマザックINTEGREX i-150[25][176]
2008年平成20年放電加工三菱電機の形彫り放電加工機 EA8PV ADVANCE。機械の温度を測って熱による狂いを計算し、位置を補正する。加工精度 ±3μm を保証した三菱電機EA8PV ADVANCE[58]
2009年平成21年旋盤中国が工作機械生産額で世界一に。日本の生産額は 2007 年の 1 兆 3,032 億円から 2009 年に 4,863 億円へ—[121]
2009年平成21年歯切り盤三菱重工業が量産用の内歯車研削盤 ZI20A を出す(同社は世界初とする)三菱重工業ZI20A[89]
2009年平成21年放電加工ワイヤ放電加工で、板の厚さが変わる所に段(筋)が出ないように電気の条件を自動で変える制御が各社で広まる(2001 年 三菱電機の SL 制御、2005 年 牧野フライス製作所の TG コントロール、2009 年 ファナックの AI パルス制御2)ファナック[58]
2009年平成21年複合・5 軸ヤマザキマザックの 5 軸立形 HYPER VARIAXIS 630 が機械工業デザイン賞を受ける。設計の初めから工業デザイナーが加わった機械ヤマザキマザックHYPER VARIAXIS 630[176]
2010年平成22年旋盤新日本工機が立旋盤・立形ターニングセンタ SVT シリーズを開発新日本工機SVT シリーズ[12]
2010年平成22年研削盤シギヤ精機製作所が立形 CNC アンギュラ円筒研削盤 GAV-10・15 を開発(同社は両センタで支える立形研削盤として日本初とする)シギヤ精機GAV-10・15[68]
2010年平成22年複合・5 軸森精機製作所が X クラスの機械(NLX・NVX・NHX・NTX)を開発。複合加工機は NT から NTX へ森精機製作所NTX[60]
2013年平成25年研削盤大隈式非真円平軸受と GPB 形円筒研削盤が機械遺産第 59 号に—[57]
2013年平成25年放電加工三菱電機が、何本ものワイヤで硬い SiC(炭化ケイ素)の塊を一度にウエハに切り分けるマルチワイヤ放電スライス加工機を発表する。同じ年、西部電機と三菱電機が油の加工液のワイヤ放電加工機を出し、主要各社は水と油の両方をそろえるようになる三菱電機[58]
2013年平成25年複合・5 軸オークマが本社に、複合加工機と NC 旋盤を一貫して作る工場 DS1(ドリームサイトワン)を建てるオークマ[21]
2013年10月平成25年旋盤森精機製作所が DMG 森精機に社名を変える(独 DMG と 2009 年に提携)DMG森精機[60]
2014年平成26年研削盤研削の複合化:岡本工作機械製作所の CNC 精密複合円筒研削盤 UGM360NC、太陽工機の立形複合研削盤 CVG シリーズ岡本工作機械製作所・太陽工機[28][167]
2014年平成26年歯切り盤★スカイビングの機械と工具が国内各社から出る:カシフジのギヤスカイビング盤 KPS20、唐津鐵工所のギヤスカイビングマシン GSV-25N、三菱重工業のスーパースカイビングカッタカシフジ・唐津鐵工所・三菱重工業[24][15][89]
2014年10月平成26年複合・5 軸ヤマザキマザックがハイブリッド複合加工機(金属の積層造形と切削)2 機種を発表。2016 年 11 月に VARIAXIS j-600 AM を完成ヤマザキマザック[25]
2016年平成28年歯切り盤三菱重工工作機械がスーパースカイビング盤 MSS300 を出し、2017 年に日本機械学会賞(技術)三菱重工工作機械MSS300[89]
2016年平成28年放電加工第 18 回 ISEM が東京で開かれる(1989 年の第 9 回は名古屋)—[58]
2016年10月平成28年複合・5 軸オークマがレーザー複合加工機 MU-6300V LASER EX と MULTUS U3000 LASER EX を発表し、LASER EX シリーズを 5 機種にする。削る・旋削・研削のほか、焼入れと金属の積層造形まで 1 台でオークマMULTUS U3000 LASER EX ほか[180]
2018年平成30年複合・5 軸オークマが、機械の中に組み込むロボットシステム ARMROID を開発オークマARMROID[21]
2018年9月平成30年複合・5 軸★ヤマザキマザックが、複合加工機と歯車加工の専用機を融合した INTEGREX AG シリーズを完成ヤマザキマザックINTEGREX AG シリーズ[25]
2019年11月令和元年旋盤ヤマザキマザック工作機械博物館が開館(岐阜県美濃加茂市)ヤマザキマザック[25]
2019年11月令和元年複合・5 軸ヤマザキマザック工作機械博物館(岐阜県美濃加茂市)が開館。弓旋盤の複製から最新の MC・CNC 旋盤・複合加工機まで約 80 点を動く状態で展示ヤマザキマザック[181]
2020年令和2年フライス・MC門形も 5 面加工が当たり前に。オークマが 5 面加工門形 MC MCR-BⅤ、ヤマザキマザックが FJW-100/160 を出すオークマ・ヤマザキマザックMCR-BⅤ・FJW-100/160[21][25]
2020年4月令和2年ボール盤・中ぐり東芝機械が芝浦機械に社名を変える(2017 年に東芝グループを離れていた)芝浦機械[46]
2020年8月令和2年複合・5 軸DMG森精機が、金属を盛る積層造形(DED)と切削を組み合わせた LASERTEC 6600 DED hybrid を出すDMG森精機LASERTEC 6600 DED hybrid[60]
2021年令和3年研削盤岡本の ASG-2 形平歯車研削盤が機械遺産第 106 号に。現存する最古の国産平歯車研削盤とされる—[33][28]
2021年令和3年歯切り盤ボール盤・中ぐり三菱重工工作機械が事業譲渡でニデックの傘下に入る(いまのニデックマシンツール)ニデックマシンツール[182]
2021年1月令和3年フライス・MC牧野フライス製作所が 5 軸制御横形マシニングセンタ a800Z を開発牧野a800Z[42]
2021年6月令和3年複合・5 軸ヤマザキマザックが協働ロボットの自動化セル Ez LOADER 10 を完成(2023 年に Ez LOADER 30)ヤマザキマザックEz LOADER 10[25]
2023年令和5年放電加工国立科学博物館が「放電加工機技術の系統化調査」をまとめる。ミドル〜ハイエンドの世界の市場は、スイスの GF Machining Solutions(旧アジエと旧シャルミー)、スペインの ONA、ドイツの EXERON と、日本の 5 社(西部電機・ソディック・ファナック・牧野フライス製作所・三菱電機)が分け合い、日本のメーカーの生産の半分以上は海外の工場になっている—[58]
2023年6月令和5年複合・5 軸中村留精密工業が、複合加工機を使う人向けの独自の「複合加工機検定」を始める中村留精密工業[128]
2024年令和6年歯切り盤唐津プレシジョンが国内最大クラスのギヤシェーパ GS-4N 形を完成唐津プレシジョンGS-4N[15]
2024年9月令和6年放電加工★Japaxtron D3・DWC-50・22-NC・UPH-1 の 4 台が、国立科学博物館の重要科学技術史資料(未来技術遺産)に登録される(第 373〜376 号)。2025 年には西部電機の EW-20 も(第 395 号)—[67][123][151][171][125]
2025年令和7年複合・5 軸オークマの欧州法人が「複合加工機の 50 年」をうたい、1975 年の LM70-AT から続く MULTUS シリーズを紹介オークマ[138]
2025年9月令和7年複合・5 軸ヤマザキマザックが INTEGREX i NEO シリーズを完成し、DMG森精機が NTX の第 3 世代を出すヤマザキマザック・DMG森精機INTEGREX i NEO・NTX 第 3 世代[25][60]
2025年10月令和7年複合・5 軸DMG森精機が Robo2Go Open を出す。9 月には多品種変量生産のためにワークとパレットを柔軟に運ぶ MATRIS WPH もDMG森精機Robo2Go Open[60]

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出典

番号はこのページでの通し番号です(各章の番号とは違います)。国立国会図書館の資料は、個人向けデジタル化資料送信サービスの全文検索とページの画像で 2026 年 10 月に確かめ、使ったコマを書いています。社史や沿革の年は、同じ機械でも資料によって 1 年ほどずれることがあります(着手・完成・発表・発売の違い)。

  1. 日本工学会『明治工業史 機械・地学篇』(1930)コマ 59・60・64・65・66
  2. 日本機械学会「機械遺産 第3号 足踏旋盤」
  3. 『日本の技術100年 ビジュアル版 第7巻』筑摩書房(1989)コマ 19・25・45・46・61・66・75・92
  4. 日本機械学会「機械遺産 第67号 国産機械 門形平削り盤」
  5. 日本機械学会「機械遺産 第53号 池貝工場製第1号旋盤」
  6. 一寸木俊昭『日本の工作機械工業の発展過程の分析』(1963)コマ 26・40・43・44・47・49・57・71・72・74・75・77・78・86・94・96・110・120・123・129
  7. 池貝「企業情報(沿革)」
  8. 『新潟鉄工所八十年史』(1977)コマ 10・30・79・237・238・241・243・244・247・248・249・431・433・434・437
  9. 会田俊夫『歯車の技術史』開発社(1970)コマ 103・104・105
  10. 『不二越五十年史』不二越(1978)コマ 23・71・93・102・145・149
  11. 大隈鉄工所『製品沿革写真集:創業70周年記念』(1968)コマ 6・18・19・20・21・22・23・25・29・34・35・55・58・65・66・71・72・74・77・81・84・85・86
  12. 新日本工機「会社概要」の沿革
  13. ニイガタマシンテクノ「歴史・沿革」
  14. 日本機械学会「機械遺産 第2号 熊本大学の旧機械実験工場と文化財工作機械群」
  15. 唐津プレシジョン「沿革」
  16. 『日立精機二十五年の歩み』日立精機(1963)コマ 23・24・25・26・52・54・55・59・167
  17. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「碌々ボール盤一号機(枝型ボール盤)」
  18. カシフジ「会社概要」
  19. 『歯車五十年史』関西歯車工業協同組合(1963)コマ 4・60
  20. 『日本精工五十年史:ベアリング その発達と技術』日本精工(1967)コマ 16・437
  21. オークマ「沿革」
  22. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「普通旋盤 OS型」
  23. 工作機械研究会編『世界の工作機械工業』富士弘報社(1963)コマ 22・23・25・26・50
  24. カシフジ「沿革」
  25. ヤマザキマザック「沿革」
  26. 『工作機械業界』教育社(1978)コマ 37・39・61・68
  27. TAKISAWA「会社概要・沿革」
  28. 岡本工作機械製作所「会社沿革」
  29. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ボール盤」(トヨタ産業技術記念館)
  30. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「織機フレーム用3軸同時中ぐり専用機」
  31. 安田工業「YASDAのあゆみ」
  32. 宮崎正吉『工作機械の歴史 その1(旋盤)』(1984)コマ 25
  33. 日本機械学会「機械遺産 第106号 ASG-2形平歯車研削盤」
  34. 日進機械製作所「会社概要・沿革」
  35. 『日本の工作機械』ポプラ社(1961)コマ 69
  36. ニデックオーケーケー(旧 大阪機工)「沿革」
  37. 国立科学博物館 HITNET 産業技術史資料共通データベース「普通旋盤」(日本工業大学 工業技術博物館の収蔵品)
  38. 『黒田精工:省力化にいどむ精密機器メーカー』(1970)コマ 59・72・75・76・90
  39. 『機械学会誌』39(231)(1936年7月)コマ 30
  40. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ねじ研削盤 ドイツ ハーバート リンドナーFS1型、2型」
  41. 国立科学博物館 HITNET 産業技術史資料共通データベース「ジグ中ぐり盤」(日本工業大学 工業技術博物館の収蔵品 2 件)
  42. 牧野フライス製作所「沿革」
  43. 国立公文書館デジタルアーカイブ「工作機械製造事業法・御署名原本・昭和十三年・法律第四〇号」
  44. 豊田工機『技に夢を求めて:豊田工機50年史』(1991)コマ 22・23・24・35・36・37・38・78・90・133
  45. 三井精機工業「沿革」
  46. 芝浦機械 有価証券報告書の「沿革」(EDINET DB)
  47. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「旋盤 コーハン400型旋盤」
  48. 『Precision Tsugami』津上製作所(1971)コマ 48・51・52・99
  49. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ジグ中ぐり盤 SIPMP-4G型 No.420」
  50. 国立科学博物館 HITNET 産業技術史資料共通データベース「横フライス盤」(日本工業大学 工業技術博物館の収蔵品)
  51. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「MH型ひざ形フライス盤 MH-3V」
  52. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「精密中ぐり盤 EJ/ES形」
  53. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「油圧式万能研削盤 GHU-300形」
  54. 『精密仕上法』小峰工業出版(1955)コマ 55・56・57
  55. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「車輪旋盤 T型タイヤ中ぐり盤1500型」
  56. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「大隈式非真円平軸受」
  57. 日本機械学会「機械遺産 第59号 大隈式非真円平軸受とGPB形円筒研削盤」
  58. 岩崎健史「放電加工機技術の系統化調査」国立科学博物館『技術の系統化調査報告』第32集(2023)
  59. 『実用自動盤ハンドブック』工業調査会(1968)コマ 15・18・19
  60. DMG森精機「History」
  61. 『日本の工作機械』日本評論新社(1958)コマ 75
  62. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「平面研削盤1号機(三井ハイテック)」
  63. 日本工作機械工業会「日工会の沿革」
  64. 日髙千景「NC工作機械に関する考察(2):1950年代・1960年代の日本」『三田商学研究』62巻6号 pp.73-94(2020年)
  65. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「横軸型平面研削盤 GS-201」
  66. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「形彫放電加工機 Japaxtron D3」
  67. 国立科学博物館 重要科学技術史資料(未来技術遺産)第00373号「形彫放電加工機 Japaxtron D3」の登録資料票
  68. シギヤ精機製作所「沿革・開発履歴」
  69. ジェイテクト「沿革(豊田工機)」
  70. 日本工作機械工業会『成長、変革-。10年の記録 1982-91』(1992)コマ 9・14・15・18・21・22・28・39・45・46・47・58
  71. ファナック「ファナックの歴史」
  72. 電気学会「でんきの礎 NC装置(数値制御装置)」(2013年顕彰)
  73. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「数値制御ジグ中ぐり盤 JIDIC」
  74. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「トヨダ・ジャンドルン円筒研削盤 RA25-100」
  75. 和井田製作所 有価証券報告書の「沿革」(EDINET DB)
  76. 『国産工作機械綜合カタログ 1963年版』コマ 53・65・69・71・73・74・75・83・91・207・209・266・350・385・447・448
  77. キラ・コーポレーション「会社概要」の沿革
  78. 『工作機械の数値制御』日刊工業新聞社(1960)コマ 34
  79. 『工業の進歩』1960年1月号(大阪府立工業技術研究所監修)コマ 22
  80. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「高速強力ラジアルボール盤 DRA-J形」
  81. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「形彫放電加工機 DM-50B」
  82. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「実用高速旋盤 LS540×800形」
  83. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「普通旋盤 MS-850」
  84. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「VF形立フライス盤」
  85. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「1S(HF形)横フライス盤」
  86. 『海に陸にそして宇宙へ:続三菱重工業社史 1964-1989』三菱重工業(1990)コマ 382・383・384・540・541・542・545・546・548
  87. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「自動定寸プログラム制御多サイクル自動立フライス盤 ミクロマンSB-1型」
  88. 松浦機械製作所「沿革について」
  89. ニデックマシンツール「製品の歴史」
  90. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「OKK-RAMO旋盤 T-37」
  91. 『豊田工機技報』39(1)(1998)コマ 18・20・21
  92. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「立旋盤 VT5-14 NC付立旋盤」
  93. 『Fujitsu:技術情報誌』13(6)(1963年4月)コマ 2・4・11・16
  94. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ボーリングヘッド UFB-3」
  95. 西部電機 有価証券報告書の「沿革」(EDINET DB)
  96. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「数値制御装置 OSPIII形」
  97. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「手動成型用平面研削盤 MSG-1 開発1号機」
  98. 『金型工作技術』朝倉書店(1963)コマ 146・162
  99. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「MH型ベッド形フライス盤 MH-2 1/2V」
  100. 日本工作機械工業会事務局『数値制御工作機械カタログ 1968年版』(1968)コマ 5・6・7・8・10・12・16・17・31・39・47・48・49・51・52
  101. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「数値制御方式テープコントロール自動ボール盤 501-HANC」
  102. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「TM型NCフライス盤(タレットミラー)TM-3NC」
  103. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「GCA形カム研削盤」
  104. 『旋盤マニュアル 構造・精度編』大河出版(1981)コマ 72・73
  105. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「横中ぐり 複合工作機 MAF」
  106. エグロ「会社概要・沿革」
  107. 『機械振興協会十年史』機械振興協会(1976)コマ 31・47・129
  108. 『機械工業経済研究報告書』42-5 機械振興協会経済研究所(1968)コマ 24・64
  109. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「汎用数値制御ボール盤 RND-1003」
  110. 『マシナリー』31巻470号 マシナリー刊行会(1968年8月)コマ 24
  111. 『マシナリー』32(485)(1969 年 11 月)コマ 90
  112. 日本機械学会「機械遺産 第126号 米国輸出を果たしたNC旋盤 MTC-2500R」
  113. 鈴木信貴「モジュール型産業におけるインテグリティーの獲得 ―日本工作機械産業の事例―」『赤門マネジメント・レビュー』9巻9号 pp.635-662(2010年)
  114. シチズン時計「沿革」
  115. シチズンマシナリー「沿革」
  116. 日本機械学会『機械工学年鑑 昭和46年』(1971)コマ 64
  117. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「MH-TC型電子式倣いフライス盤 MH-5TCV」
  118. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「立型研削盤 VGM-125 NC付立型研削盤」
  119. 『マシナリーオートメーション』34(506)(1971 年 8 月)コマ 101
  120. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「数値制御装置 OSP2000シリーズ」
  121. 日本工作機械工業会「日本の工作機械産業のあゆみ」
  122. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ワイヤ放電加工機 DWC-50」
  123. 国立科学博物館 重要科学技術史資料(未来技術遺産)第00374号「ワイヤ放電加工機 DWC-50」の登録資料票
  124. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ワイヤカット放電加工機 EW-20形ほか」
  125. 国立科学博物館 重要科学技術史資料(未来技術遺産)第00395号「ワイヤ放電加工機 EW-20」の登録資料票
  126. 『機械振興』5巻12号(通巻55号)機械振興協会(1972年12月)「新製品紹介シリーズ」コマ 47
  127. 『NC工作機械ハンドブック』大河出版(1973)コマ 46・47
  128. 中村留精密工業「沿革」
  129. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「NC旋盤 NCPL-300」
  130. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「立型ターニングセンタ TMM-35/40N」
  131. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「立型ターニングセンタ TDC-12N」
  132. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「数値制御 立形マシニングセンタ MC-750V」
  133. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「MCH型横形マシニングセンタ MCH-500」
  134. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「形彫放電加工機用電源 UF105C」
  135. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「形彫放電加工機 E-202H」
  136. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「MHA型NCフライス盤(オートミラー)MHA-400」
  137. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「4軸全自動タレットボール盤 TK4s(6s)-600FA-T」
  138. Okuma Europe プレスリリース「Increased flexibility and efficiency at lower cost」(2025年、複合加工機の 50 年)
  139. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「形彫放電加工機 22-NC」
  140. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ワイヤ放電加工機 FANUC TAPECUT-SERIES D」
  141. ソディック 有価証券報告書の「沿革」(EDINET DB)
  142. スター精密「沿革」
  143. 高松機械工業「沿革」
  144. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「MCV型立形マシニングセンタ MCV-500」
  145. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「NC旋盤 SL-2」
  146. ツガミ「沿革」
  147. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「電動ハンドリングロボット FANUC ROBOT-MODEL0」
  148. 日立精機『人にやさしい先進技術:知恵と創意の55年』(1991)コマ 17
  149. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「NC ホブ盤 GH400NC」
  150. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「形彫放電加工機 EDNC64」
  151. 国立科学博物館 重要科学技術史資料(未来技術遺産)第00375号「形彫放電加工機 22-NC 8000」の登録資料票
  152. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「カムレスTA外周研削盤 TAG-15」
  153. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「立形マシニングセンタ MV junior」
  154. 発明協会「戦後日本のイノベーション100選 NC工作機械」
  155. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ライン形マシニングセンタ HMC-S」
  156. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ワイヤ放電加工機 DWC-90G」
  157. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ワイヤ放電加工機 330W」
  158. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ワイヤ放電加工機 EWP-300A」
  159. 『豊田工機技報』25巻1号(通巻90号)豊田工機(1984年8月)コマ 23
  160. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「PCV型高速立形マシニングセンタ PCV-40」
  161. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「平面研削盤 PGD-1308」
  162. 『三菱重工技報』22(4)(1985)コマ 2・60
  163. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「立形NC旋盤 partner L-100V」
  164. 日本機械工業連合会『生産技術高度化に関する調査研究報告書 航空機・宇宙産業用生産技術 昭和60年度』(1986)コマ 21・22
  165. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「高速中空パワーチャック B-200シリーズ」
  166. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「数値制御 立形マシニングセンタ FX-5」
  167. 太陽工機「沿革」
  168. 『自動化技術』23巻4号 工業調査会(1991年4月)コマ 64
  169. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「グラインディングセンタ HPV400-GC」
  170. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「ワイヤ放電加工機 UPH-1」
  171. 国立科学博物館 重要科学技術史資料(未来技術遺産)第00376号「ワイヤ放電加工機 UPH-1」の登録資料票
  172. 『三菱重工技報』31(2)(1994)コマ 17・18・19
  173. 『機械振興』27巻3号(通巻310号)機械振興協会(1994年3月)「第24回中小企業向け自動化機械開発賞」コマ 5・18・19
  174. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「立型ターニングセンタ VC-6NM」
  175. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「形彫放電加工機 AM35L」
  176. 梅本良作・石村眞一「日本におけるNC工作機械のデザインに関する変遷 ―マシニングセンタを中心として(2)―」『技術と文明』19巻2号 pp.43-58(2015年)
  177. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「超精密縦軸平面研削盤 SFG」
  178. 国立科学博物館 産業技術史資料データベース「立型ターニングセンタ OMega 60YB」
  179. ジェイテクト「沿革」
  180. MONOist「オークマ、レーザー複合加工機 2 機種」(2016年11月14日)
  181. ニュースイッチ(日刊工業新聞)「ヤマザキマザック工作機械博物館」(2019年12月24日)
  182. ニデックマシンツール「沿革」