ITALY 06イタリアの研削盤の系譜
研削盤は、砥石の小さな粒で少しずつ削り、焼入れした硬い部品を μm(1000 分の 1 mm)の精度に仕上げる機械です。イタリアの研削盤は、20 世紀のはじめに Torino の自動車工場が米国から買った研削盤から始まり、1930 年代に航空機と自給政策の求めで国産のメーカーが生まれ、戦後はセンタレス・内面・平面・工具研削盤の専業メーカーが輸出で育ちました。この章では、機械の仕組みがどう変わり、工場の仕事がどう変わったかを、米国政府の視察報告・イタリアの官報・新聞・社史・英米の業界誌で 1 つずつ確かめ、出来事ごとに出典(ページやスキャンのコマが分かるものは番号)を付けてたどります。
センタレスは
小さな町工場から
始まったんだ!

研削盤は、何を研ぐかで形が分かれます。丸い軸の外側を研ぐ円筒(外面)研削盤、穴の内側の内面研削盤、平らな面の平面研削盤、工作物をセンタで支えずに 2 つの車の間で回すセンタレス研削盤、刃物を研ぎ直す工具研削盤、そして歯車・ねじ・カムなどの形を研ぐ専用機です。イタリアのメーカーは、このうち 1 つの形に絞って世界に売る専業の会社が多いのが特徴です。今の研削盤と砥石の表示の読み方は研削の基本に、研削盤そのものの発明の歴史はアメリカの研削盤の章に、日本の研削盤は国産アーカイブ第 3 章「研削盤の系譜」にまとめています。歯車研削盤はイタリアの歯車機械の章で扱います。
輸入の研削盤と自動車の工場(1909〜1920 年代)
イタリアの工場に研削盤が並び始めたのは、自動車のおかげです。1909 年 5 月、米国商務労働省の担当官 Godfrey Carden は、欧州の工場で米国の工作機械がどれだけ使われているかを調べる旅の途中で、Torino の自動車会社 Itala(約 800 人)を訪ねました。工場には米国 Waynesboro の Landis の研削盤が 9 台(No.1・No.1½・No.3・No.23)、Brown & Sharpe の万能研削盤・No.13 研削盤・平面研削盤、ドイツ Mayer & Schmidt のシリンダ研削盤が並んでいました[1]。Landis は砥石台を長手に動かして長く重い軸を研ぐ研削盤で知られ、クランク軸やカム軸の研削で米国の自動車工場を支えた会社です(アメリカの研削盤の章)。
同じ報告で目を引くのは、Itala が自分で作った機械の中に「玉軸受を研ぐための万能研削盤」があることです[1]。玉軸受は、真円で大きさのそろった焼入れの球と輪がなければ回りません。軸受を外から買えない、あるいは自分で作りたい工場は、研ぐ機械から手作りするしかありませんでした。これが、資料で確かめられるイタリアの研削盤の早い例です。一方、Rome の陸軍の精密工場 Laboratorio di Precisione(約 150 人、測距儀や照準器を作る)では米国製の機械は数台だけで、その 1 つが Landis の研削盤でした。多くはドイツ製で、Carden は「米国のメーカーは一度も訪ねてこない」という工場の声を書き留めています[1]。
Lancia の研削盤:4 台から 23 台へ
Torino の Lancia の機械台帳を調べた研究者 Duccio Bigazzi たちは、1907 年から 1914 年までの変化を数字で示しています。研削盤は 4 台から 23 台へ、歯切り盤は 2 台から 17 台へ増え、研削盤・歯切り盤・平削り盤・形削り盤はすべて米国製でした[2]。生産の研削は少なくとも 1911 年に始まり、1914 年の目録には Brown & Sharpe の精密研削盤、クランク軸を研ぐ Norton の重研削盤、シリンダの穴を研ぐ Heald の遊星形内面研削盤が並びます。Norton の研削盤は、旋削・やすり・磨きで 5 時間かかっていたクランク軸の仕事を 15 分にしました[2]。
この時代に変わったこと。研削は「旋盤で寸法を出したあとの磨き」から、「焼入れしてから研いで寸法を決める」仕事に変わりました。重く剛い機械と幅の広い砥石で一気に研ぐプランジ研削(Norton)と、工作物は止めて砥石の軸を円を描くように回す遊星形の内面研削(Heald)が、自動車のエンジン部品の作り方を決めます。イタリアの工場は、こうした米国の新しい機械を、米国で売り出されてから間もなく買っていました[2]。
国産の研削盤と砥石:自給の時代(1914〜1945 年)
第一次世界大戦のあと、イタリアには小さな精密機械の工場がたくさん生まれます。のちに研削盤の専業メーカーになる会社の多くは、下請けの加工や機械の修理から始まりました。Bologna の Morara は 1914 年に、下請けの精密加工と工作機械の修理の工場として始まります[3]。Lago Maggiore に近い Luino では、1921 年に Giuseppe Ghiringhelli と Mario Pisoni が旋削の下請け工場を作り、1930 年から研削の仕事に移りました[4]。Piemonte 州の Acqui では Tacchella 兄弟の会社が、1934 年の鉄道の業界誌の業者一覧にポンプ・クレーン・鉄工・修理、電動機の修理の会社として載っています[8]。
研削の知識を広める本も出ました。1926 年、Milano の出版社 Hoepli の技術の手引書のシリーズから、Amerigo Giordano の『Abrasivi, affilatrici, rettificatrici(砥材・工具研削盤・研削盤)』が出ます。説明・選び方・使い方をまとめた 403 ページの小さな本です[5]。
航空機の注文と最初の国産研削盤
1930 年代のイタリアは、輸入に頼らない自給(アウタルキー)を強めていました(時代の流れは第 1 章「輸入から国産へ」)。研削盤もその中で国産が始まりました。Morara は 1934 年、航空機工業からの大口の注文をきっかけに、当時イタリアの市場でほとんど手に入らなかった内面・外面の研削盤を設計して作り始めます[3]。航空エンジンの軸受の穴やシリンダは、まさに Lancia が米国製の機械で研いでいた部品です。Torino では Riccardo Favretto が 1934 年に部品加工の工場を始め、船と航空機の真ちゅう・特殊合金の部品を削りました[7]。
1935 年には、Luino の Ghiringhelli が自分の工場で使うためのセンタレス研削盤を設計して作ります[4]。センタレス研削は、工作物をセンタでもチャックでもつかまず、速く回る研削砥石と、逆向きにゆっくり回る調整車の間に置き、下からブレード(受け板)で支えて研ぐ方法です。調整車がブレーキになって工作物の回る速さを決め、その差で削れます。調整車を少し傾けると工作物が自分で軸の向きに進み、ピンや軸を次々に通して研げます(通し送り)。センタ穴の要らない、量産向きの研ぎ方です。米国で 1910〜20 年代に実用になったこの方式を(アメリカの研削盤の章)、Luino の下請け工場が自分の仕事のために作ったことが、のちの専業メーカーの出発点になりました。同じ 1935 年ごろ、Acqui の Tacchella の修理工場も工作機械づくりへ向かい、1942 年には 100 人を超えています[9]。1937 年には Novarese の 3 兄弟が Bologna 近くで Meccanica Nova を始め、1939 年に最初の内面研削盤を NOVA の名で作りました[10]。
砥石と人造砥粒:許可制の工場
研削盤だけあっても、砥石がなければ研げません。砥石の主な材料は、電気の炉で作る人造コランダム(アルミナ)と炭化けい素の粒です(作り方はアメリカの研削盤の章「砥石の革命」)。イタリアでは 1932 年の法律で、砥石を作るための粉の人造コランダムと炭化けい素を一時輸入(関税なしで入れて製品にする制度)できるようにし、1936 年にこの扱いを再開しています。人造コランダムは 2 つの用途あわせて 1,000 キンタル(100 t)までという枠付きでした[6]。
当時のイタリアでは、工場の新設や拡張に政府の許可が要りました。官報には砥石の工場の許可が載っています。1937 年、Ronco Scrivia の Silvio Morando & C. に、炭化けい素と人造コランダムの耐火物と砥石の工場の拡張が許されました[11]。1940 年 3 月には、Rome の I.M.A.(Industria Mole Abrasive)に砥石工場が許される一方、1926 年の手引書の筆者 Amerigo Giordano らが申請した Torino の砥石工場は認められていません[12]。研削の知識を持つ人が砥石を作りたくても、国が工場の数を決めていた時代でした。
現場で何に効くか。イタリアの研削盤メーカーの多くが「下請け工場が、自分の仕事のために研削盤を作った」ところから始まったことは、今の製品にも表れています。1 つの形(センタレスだけ、内面だけ、平面だけ)に絞り、客の部品に合わせて仕様を変える作り方です。中古機を探すときは、メーカーが何を得意にしてきたかを知ると、部品とサービスの相談先を選びやすくなります。
復興・輸入・専業メーカー(1945〜1974 年)
戦争の終わりに、北イタリアの工場の機械はドイツ軍に持ち去られたり、爆撃で壊れたりしました。戦後の官報には、ドイツとオーストリアから取り戻した機械の一覧が何回にも分けて載り、持ち主に返還の申し出を求めています。1950 年 3 月の第 14 次の一覧には、Bologna の C. Morara & C. の研削盤(製造番号 MM 152)があります[14]。戦前の国産の研削盤が、実際に工場で使われていた証拠です。Favretto は戦後すぐ、爆撃で壊れた工作機械の修理と作り直しを仕事にし、1950 年から平面研削盤の生産を始めました[7]。Ghiringhelli と Meccanica Nova は 1948 年に最初の研削盤を輸出しています[4][10]。Tacchella では 1948 年に創業者 Andrea Tacchella が亡くなり、若い 2 人の息子が会社を継ぎました[9]。
Marshall 計画の研削盤:自動で測って止まる
大きな自動車会社は、米国の借款で新しい機械を買いました。Lancia は 1948 年 2 月から 1950 年 2 月までに IMI-Eximbank の借款 3 件(232 万ドル)と ERP(Marshall 計画)の借款(80 万ドル)を受け、米国に注文した約 120 万ドル分の機械の中に研削盤 19 台(Landis と Cincinnati が中心)がありました[2]。1951 年 1 月の追加の申し込み(援助が続かず実現しませんでした)には、歯車の穴を研ぐ Heald の内面研削盤 2 台、軸と肩を研ぐ Landis の外面研削盤 14 台が並び、どちらも自動で測り、寸法になると止まる機械だと書かれています。理由は「高精度・高能率で、未熟練の人でも使える」ことでした。Micromatic のシリンダのホーニング盤や Gisholt の超仕上げ盤も入っています[2]。
この「測りながら研ぐ」技術で、イタリアからも世界的な会社が生まれます。1952 年、技師 Mario Possati は Bologna 近くの Bentivoglio に、電子式の測定と制御の機器をつくる Marposs を作りました[15]。研削盤に付けて工作物の寸法を研削中に測り、狙いの寸法で砥石を引かせる定寸装置は、研削盤の作業者が何度も止めてマイクロメータで測る手間をなくします。今の研削盤では当たり前の装置です。
人造砥粒の工場と、輸入に頼った専用機
米国の CIA が 1951 年にまとめた世界の砥材の調べによると、イタリアの人造砥粒は Verona の Fratelli Galtarossa が Alps の Domodossola と Trento の工場で作り、能力はアルミナ 8,000 t・炭化けい素 840 t、1949 年の生産はアルミナ 4,800 t・炭化けい素 500 t でした。砥石の会社は、米国 Norton の Corsico(Milano 近く)の工場、Mainate の Ermoli、Padova の Bottaccini など約 10 社が挙がっています[13]。電気の炉は電気を大量に使うので、水力発電のある山の町に工場が置かれました。
一方、専用の研削盤はまだ輸入に頼っていました。1957 年 6 月、イタリア政府はドル圏(米国など)から輸入しやすくする品目の表に、歯車研削盤と座標研削盤(ジグ研削盤)、長いねじの研削盤、ねじれスプラインやインボリュートの軸の研削盤、ジェットエンジンの羽根の研削盤、クランク軸を何枚もの砥石で一度に研ぐ専用機などを加えました[16]。英国の業界誌は 1960 年に、イタリアの工作機械工業は戦後に急成長したが、国内の市場が小さい種類の機械は輸入が多く、国産はアジア・アフリカ向けの簡単な機械に力を入れていると書いています。1958 年の輸入は 15,200 t・1,300 万ポンドでした[18]。
専業メーカーの機械:センタレス・工具研削・平面
その中で、研削盤の専業メーカーは機械の仕組みを磨きます。Torino の Giustina は、1957 年のトリノ自動車ショーに転がり軸受とエンジンのバルブを研ぐ研削盤を出し[17]、1961 年にはセンタレス研削盤 R90/C を出しました。直径 20 インチ(約 510mm)・幅 10 インチの研削砥石を 16 hp で回し、調整車は直流電動機と磁気増幅器で毎分 12〜72 回転を無段に変えられます。両方の砥石に油圧のダイヤモンドドレッサ(砥石の形を整える装置)が付き、砥石がへった分は自動で補正、決めた数や時間ごとに自動でドレッシングし、自動の定寸装置も付けられました。米国 Besly-Welles のライセンスで両頭の円板研削盤も作っています[20]。こうした装備は、センタレス研削を「名人が見ながら研ぐ機械」から「部品を入れれば決まった寸法で出てくる機械」に変えました。
Ghiringhelli は 1961 年に Luino の Voldomino へ新工場を建てて移り、英国の業界誌の一覧にもセンタレス研削盤のメーカーとして載ります。1965 年には下請けの仕事をやめ、センタレス研削盤だけの会社になりました[4][19]。Meccanica Nova は 1967 年に米国 Van Norman から外面研削盤のライセンスを得て、内面に加えて外面の研削盤も作るようになります[10]。
Acqui と Cassine の Tacchella は、刃物を研ぎ直す工具研削盤(affilatrici)と精密研削盤で育ちました。1968 年の新聞の紹介では、2 工場・270 人で生産の半分以上を輸出し、客には Fiat・Citroën・Rolls-Royce、送り先にはソ連・ポーランド・南アフリカ・中国が並びます。約 400 種の付属品をそろえ、送りねじはすべて研削で仕上げていました。米国・西ドイツ・ユーゴスラビアから製造のライセンスを求められ、Cassine には 1 万 m² の新工場が建ちます[9]。工具研削盤は、エンドミルやドリル、ブローチの刃を正しい角度に研ぎ直す機械で、どの工場にも 1 台は要るため、輸出しやすい製品でした。
現場で何に効くか。自動の定寸装置、油圧のドレッサ、砥石の減りの自動補正、無段変速の調整車は、1950〜60 年代にイタリアの研削盤にも入りました。今のセンタレス研削盤の「ドレス間隔」「補正量」「調整車の傾き角と速さ」という設定項目は、この時代の装置の名残です。研削条件の考え方は研削の基本「研削条件」にあります。
★CNC と専業メーカーの今(1975 年〜)
1970 年代は労働運動の時代でもありました。1975 年 3 月、約 250 人が働く Cassine の Tacchella の工場では、雇用の約束をめぐって労働者が工場を占拠しています[23]。同じ年、Ghiringhelli は Paris の EMO に CNC で動かすセンタレス研削盤を出しました。同社は、CNC のセンタレスを出した最初期のメーカーの 1 つだとしています[4]。センタレス研削の CNC 化では、調整車の送り(切込み)と、ドレッサで砥石・調整車の形を整える動きを数値で動かします。段の付いた軸やテーパの部品を、ならい板(カム)を作らずに研げるようになり、段取り替えの時間が短くなりました。
Meccanica Nova は 1980 年に社内で開発した CNCを積む内面研削盤を作り(同社は欧州で最初とします)、1993 年には Torino の研削盤メーカー Famir International を買いました。2007 年には自動車向けの複合研削盤を出し、いまは軸受の転動体や等速ジョイントのケージの研削に力を入れています[10]。Morara は 1980 年に Bologna に 1 万 8 千 m² の工場を建て、2001 年までに 5,000 台を超える研削盤を作りました。内径と外径を 1 回のつかみで同時に研ぐ CNC 研削盤は、同じ心で研げるので同軸度が出しやすい機械です[3]。2001 年の会社の説明は、自分たちの市場を「日本・ドイツ・スイスの大きなグループとの強い競争」と書いています[3]。
台の材料・リニアモータ・デジタルツイン
機械の骨組みも変わりました。Ghiringhelli は 1981 年に株式会社になり、2008 年に量産用のセンタレス研削盤 APG を出し、2013 年には機械の台を鋳鉄から人造の石(合成クォーツ)に替えています。同社は環境への負荷を減らすためとしていますが、石の台には振動を吸いやすく、熱で形が変わりにくいという性質もあります。2019 年には Siemens の SINUMERIK ONE を積み、コンピュータ上に機械の分身(デジタルツイン)を作って加工を前もって試せるセンタレス研削盤 APG-DT を EMO Hannover に出しました[4]。Morara と Tacchella のブランドは IMT の名のもとで続き、2014 年の業界誌の記事には、リニアモータを使う外面研削盤 MTL 1000 が Bologna の部品加工会社で使われている様子が出てきます[26]。2017 年 4 月には、Morara・Tacchella・Meccanodora の 3 つのブランドが、台湾の Fair Friend グループ(FFG)の Grinding Technology に移りました[28][29]。
Torino の平面研削盤の Favretto は 2017 年に Rescaldina(Milano 県)の Rosa Ermando(1964 年に Ermando Rosa が創業)[21][22]のグループに入り、いまは Rescaldina の工場で平面・形状の研削盤を作っています[27]。歯切り工具の Samputensili は 1988 年に歯車研削盤を作り始め[24]、2010 年にはホブ盤を手放して工具と歯車研削盤に絞りました[25]。その機械の事業は 2021 年にドイツの EMAG に入り、EMAG SU になっています[30](イタリアの歯車機械の章)。Ghiringhelli は 2021 年に創業 100 年を迎えました[4]。
現場で何に効くか。イタリアの研削盤は「センタレスなら Ghiringhelli、内面なら Meccanica Nova や Morara、平面なら Favretto や Rosa、工具研削なら Tacchella」というように、専業メーカーの名前で選ばれてきました。古い機械の部品やサービスを探すときは、ブランドがどのグループに移ったか(Morara・Tacchella → IMT、Favretto → Rosa Ermando、Samputensili の機械 → EMAG SU)を知っておくと、問い合わせ先が分かります。
日本とのつながり
日本とイタリアの研削盤は、どちらも米国の研削盤を手本に始まりました。日本でも大正の初めに米国 Norton の工具研削盤や Heald の内面研削盤にならった機械が作られ、戦時に Landis を手本にした油圧式の万能研削盤が量産されています(国産アーカイブ第 3 章「研削盤の系譜」)。1909 年の Itala、1914 年の Lancia の工場に並んでいたのも同じ Landis・Norton・Heald の機械でした[1][2]。
戦後は、研削の測定でイタリアと日本がつながります。Bologna の Marposs は 1970 年に日本へ進出し、最初の事務所を東京に、次の事務所を自動車会社の多い町に置いて、代理店に頼らず直接に売り、保守も日本で行いました。1998 年には売上の 13% を日本で上げています[15]。日本の研削盤メーカーが 1970 年代に進めた定寸装置付きの全自動研削盤や CBN 研削盤(国産アーカイブ第 3 章「CBN・高速研削」)は、イタリアの専業メーカーにとって強い競争相手になり、Morara は 2001 年に自分たちの市場を「日本・ドイツ・スイスの大きなグループとの競争」と書いています[3]。
⑂メーカーの系図
イタリアの研削盤と、研削の測定機器の主なメーカーの移り変わりです。帯の色が変わるところで社名や事業が変わり、赤い矢印は事業の行き先です。Tacchella と Ghiringhelli の社名が変わった正確な年は確かめきれなかったので、確かめられた資料の年(Tacchella Macchine は 1968 年の記事、Ghiringhelli は共同創業者が離れた 1955 年)で区切っています。Morara・Tacchella の 2014 年より後は、IMT のブランドとして記事に出てくる年まで描き、その先は点線にしています。
見に行ける所
イタリアの研削盤そのものを展示している博物館は、今回の調べでは確かめられませんでした。研削盤が生まれた町の歴史と資料に触れられる場所を挙げます。公開日・見学や資料の閲覧の可否は、行く前にそれぞれの施設の案内で確かめてください。
⌛年表
この章で確かめた出来事のすべてです。番号は出典で、押すとその資料(ページやコマが分かるものはその場所)が開きます。「p.」は本や雑誌のページ、「コマ」はスキャンの通し番号(Internet Archive の本・雑誌・新聞・官報)です。
輸入の研削盤と自動車の工場1909〜1920 年代
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1909年5月 | ★米国商務労働省の Carden が Torino の自動車会社 Itala を視察。米国 Landis の研削盤 9 台(No.1・No.1½・No.3・No.23)、Brown & Sharpe の万能研削盤・No.13 研削盤・平面研削盤、ドイツ Mayer & Schmidt のシリンダ研削盤が並ぶ | Itala(Torino)Landis・Brown & Sharpe・Mayer & Schmidt | [1・コマ170][1・コマ171] |
| 1909年5月 | ★同じ報告に、Itala が自分で作った機械として、玉軸受を研ぐための万能研削盤・金属のこ盤・プレス・4 軸のシリンダ中ぐり盤が挙がる。国産の研削盤の早い例 | Itala玉軸受用の万能研削盤 | [1・コマ171] |
| 1909年5月 | 陸軍の精密工場(約 150 人)の米国製の機械は数台だけで、その 1 つが Landis の研削盤。ドイツ製の機械が多く、Carden は米国のメーカーの売り込み不足を嘆く | Laboratorio di Precisione(Rome) | [1・コマ172][1・コマ173] |
| 1911年 | ★Lancia で生産の研削が始まる(少なくとも 1911 年から)。1914 年の目録には Brown & Sharpe の精密研削盤、クランク軸を研ぐ Norton の重研削盤、シリンダを研ぐ Heald の遊星形内面研削盤が並ぶ | Lancia(Torino) | [2・コマ216][2・コマ217] |
| 1914年 | Lancia の研削盤は 1907 年の 4 台から 1914 年末に 23 台へ。研削盤・歯切り盤・平削り盤・形削り盤はすべて米国製で、Norton の研削盤は旋削・やすり・磨きで 5 時間かかったクランク軸の仕事を 15 分にした | Lancia | [2・コマ211][2・コマ216][2・コマ217] |
国産の研削盤と砥石:自給の時代1914〜1945 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1914年 | Morara が精密機械の工場として始まる。下請けの加工と工作機械の修理をした | Morara(Bologna) | [3] |
| 1921年 | Giuseppe Ghiringhelli と Mario Pisoni が Luino(Varese 県)で旋削の下請け工場 Ghiringhelli & Pisoni を作る。1930 年から研削の仕事に移る | Ghiringhelli & Pisoni | [4] |
| 1926年 | Amerigo Giordano の手引書『Abrasivi, affilatrici, rettificatrici(砥材・工具研削盤・研削盤):説明・選び方・使い方』が Milano の Hoepli から出る(403 ページ) | — | [5・コマ257] |
| 1932年 | 砥石を作るための粉の人造コランダムと炭化けい素の一時輸入(関税なしで入れ、製品にして出す)の制度ができる(1932 年 7 月 18 日の法律 900 号。1936 年に再開) | — | [6・コマ1] |
| 1934年 | ★航空機工業からの大口の注文をきっかけに、Morara が内面・外面の研削盤を設計して作り始める。当時イタリアの市場ではほとんど手に入らない機械だった | Morara | [3] |
| 1934年 | Riccardo Favretto が Torino で部品加工の工場を始める。のちに船・航空機の真ちゅうや特殊合金の部品を加工した | Favretto(Torino) | [7・コマ13] |
| 1934年 | 鉄道の業界誌の業者一覧に「Tacchella Andrea & F.lli、Acqui」がポンプ・クレーン・特殊装置・鉄工・修理、電動機の修理の会社として載る | Tacchella(Acqui) | [8] |
| 1935年 | ★Giuseppe Ghiringhelli が、自分の工場で使うために最初のセンタレス研削盤を設計して作る | Ghiringhelliセンタレス研削盤 | [4] |
| 1935年 | Andrea Tacchella の修理工場が工作機械づくりへ向かい、少しずつ工場になる。1942 年には 100 人を超えた | Tacchella | [9・コマ7] |
| 1937年 | Novarese の 3 兄弟が Bologna 近くで Meccanica Nova を始める。初めは下請けの工場 | Meccanica Nova(Bologna) | [10] |
| 1937年8月 | 政府が Ronco Scrivia の Silvio Morando & C. に、炭化けい素と人造コランダムの耐火物と砥石の工場の拡張を許す(工場の新設・拡張は許可制だった) | Silvio Morando & C. | [11・コマ10] |
| 1939年 | Meccanica Nova が最初の内面研削盤を NOVA の名で作る | Meccanica NovaNOVA 内面研削盤 | [10] |
| 1940年3月 | 政府が Rome の I.M.A.(Industria Mole Abrasive)に砥石工場を許可する一方、手引書の筆者 Amerigo Giordano らが申請した Torino の砥石工場は認めない | — | [12・コマ8] |
復興・輸入・専業メーカー1945〜1974 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1948年 | Ghiringhelli と Meccanica Nova が、戦後すぐに最初の研削盤を輸出する | Ghiringhelli・Meccanica Nova | [4][10] |
| 1948年 | 創業者 Andrea Tacchella が亡くなり、若い 2 人の息子 Elio と Franco が会社を継ぐ | Tacchella | [9・コマ7] |
| 1948〜50年 | Lancia が米国の借款(IMI-Eximbank と ERP=Marshall 計画)で買った機械に、研削盤 19 台(Landis と Cincinnati が中心)が入る | Lancia | [2・コマ243] |
| 1949年 | ★CIA の調べでは、イタリアの人造砥粒は Verona の Fratelli Galtarossa(工場は Domodossola と Trento)が作り、1949 年の生産はアルミナ 4,800 t・炭化けい素 500 t。砥石は Norton の Corsico 工場、Ermoli、Bottaccini など約 10 社 | Fratelli Galtarossa | [13・コマ57] |
| 1950年 | 戦争で壊れた工作機械の修理と作り直しをしていた Favretto が、平面研削盤の生産を始める | Favretto平面研削盤 | [7・コマ13] |
| 1950年3月 | 官報の「ドイツ軍が持ち去り取り戻した機械」の一覧に、Bologna の C. Morara & C. の研削盤(製造番号 MM 152)が載る | Morara | [14・コマ9] |
| 1951年1月 | Lancia の追加の借款の申し込み(実現せず)に、歯車の穴を研ぐ Heald の内面研削盤 2 台と、自動で測って止まる Landis の外面研削盤 14 台、Micromatic のホーニング盤、Gisholt の超仕上げ盤が並ぶ。未熟練の人でも高精度で量産できることが理由だった | Lancia | [2・コマ246] |
| 1952年 | 技師 Mario Possati が Bologna 近くの Bentivoglio で、電子式の測定・制御の機器をつくる Marposs を作る(研削盤の定寸装置で知られる) | Marposs(Bentivoglio) | [15] |
| 1955年 | 共同創業者の Pisoni が離れ、Ghiringhelli は研削盤の生産を広げる。1958 年から 3 人の子が経営に加わる | Ghiringhelli | [4] |
| 1957年6月 | ★ドル圏から輸入しやすくする品目の表に、歯車研削盤と座標研削盤、長いねじの研削盤、ねじれスプライン・インボリュート軸の研削盤、ジェットエンジンの羽根の研削盤、クランク軸の多砥石研削盤が加わる。国内では作れない専用の研削盤だった | — | [16・コマ4][16・コマ7] |
| 1957年10月 | 第 39 回トリノ自動車ショーに Torino の Giustina が転がり軸受と研削盤(エンジンのバルブを研ぐ研削盤など)を出す | Giustina(Torino) | [17・コマ182][17・コマ285] |
| 1958年 | イタリアの工作機械の輸入は 15,200 t・1,300 万ポンド。国内市場の小さい種類の機械は輸入に頼り、国産はアジア・アフリカ向けの簡単な機械が多い、と英誌は伝える | — | [18・コマ60] |
| 1961年 | Ghiringhelli が Luino の Voldomino に新工場を建てて移る。英国の業界誌の一覧にも「Officina Meccanica Ghiringhelli & C, Luino:センタレス研削盤」と載る | Ghiringhelli | [4][19・コマ28] |
| 1961年8月 | ★Giustina がセンタレス研削盤 R90/C を出す。研削砥石 20×10 インチを 16 hp で回し、調整車は磁気増幅器で速さを無段に変え、両方の砥石に油圧のダイヤモンドドレッサ。砥石のへりを自動で補正する。米国 Besly-Welles のライセンスで両頭の円板研削盤も作った | GiustinaR90/C センタレス研削盤 | [20・コマ186][20・コマ187] |
| 1964年 | Ermando Rosa が、Milano 県 Rescaldina で研削盤のメーカー Rosa Ermando を始める。家族の金属加工の工房は 1890 年までさかのぼる。のちに平面・成形の研削盤で知られ、2017 年に Torino の Favretto を傘下に入れる年は社長 Riccardo Rosa の経歴書と、2024 年に同氏が UCIMU の会長に選ばれたときの記事による。1955 年の UCIMU の会員の広告に載る「ROSA, Milano」との関係は確かめていない | Rosa Ermando(Rescaldina) | [21][22] |
| 1965年 | Ghiringhelli が下請けの加工をやめ、センタレス研削盤だけを作る会社になる | Ghiringhelli | [4] |
| 1967年 | Meccanica Nova が米国 Van Norman から外面研削盤のライセンスを得る | Meccanica Nova | [10] |
| 1968年4月 | ★Tacchella は Acqui Terme と Cassine の 2 工場・270 人で、工具研削盤と精密研削盤を作り、生産の半分以上を輸出(Fiat・Citroën・Rolls-Royce、ソ連・ポーランド・中国など)。Cassine に 1 万 m² の新工場。送りねじはすべて研削仕上げ | Tacchella Macchine | [9・コマ7] |
CNC と専業メーカーの今1975 年〜
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1975年 | ★Ghiringhelli が Paris の EMO に CNC で動かすセンタレス研削盤を出す(同社は最初期の 1 台とする) | GhiringhelliCNC センタレス研削盤 | [4] |
| 1975年3月 | 約 250 人が働く Cassine の Tacchella の工場で、雇用をめぐって労働者が工場を占拠する | Tacchella Macchine | [23・コマ12] |
| 1980年 | Meccanica Nova が、社内で開発した CNC を積む内面研削盤を作る(同社は欧州で最初とする) | Meccanica Nova | [10] |
| 1980年 | Morara が Bologna に新しい工場(1 万 8 千 m²)を建てる。2001 年までに 5,000 台を超える研削盤を作り、内外径を同時に研ぐ CNC 研削盤も出す | Morara | [3] |
| 1981年 | Ghiringhelli が株式会社 Rettificatrici Ghiringhelli S.p.A. になる。1989 年には 21 機種・14 の型をそろえた | Rettificatrici Ghiringhelli | [4] |
| 1988年 | 歯切り工具の Samputensili が最初の歯車研削盤を出す(歯車の機械の章で詳しく) | Samputensili(Bologna)歯車研削盤 | [24] |
| 1993年 | Meccanica Nova が Torino の研削盤メーカー Famir International を買う | Meccanica Nova | [10] |
| 2008年 | Ghiringhelli が量産用のセンタレス研削盤 APG(Alta Produzione Ghiringhelli)を出す。2013 年には台を鋳鉄から人造の石(合成クォーツ)に替える | GhiringhelliAPG | [4] |
| 2010年10月 | Samputensili がホブ盤の事業を手放し、工具と歯車研削盤・多機能の歯車加工機に絞る | Samputensili | [25] |
| 2014年 | 業界誌の記事で、Morara と Tacchella の研削盤が IMT のブランドとして扱われている(リニアモータの外面研削盤 MTL 1000 など) | IMT | [26] |
| 2017年 | Favretto が Rescaldina(Milano 県)の Rosa Ermando のグループに入る。いまは Rescaldina で平面研削盤を作る | Favretto | [27] |
| 2017年4月 | 台湾の Fair Friend グループ(FFG)が、関係会社 Grinding Technology Srl を通じて、Morara・Tacchella・Meccanodora の 3 つの研削盤のブランドを IMT から買う。FFG は回転部品の加工に研削を加えるとした発表は 2017 年 4 月 19 日(PES Media) | Morara・Tacchella・Meccanodora・FFG | [28][29] |
| 2019年 | Ghiringhelli が EMO Hannover に、Siemens の SINUMERIK ONE を積み、機械のデジタルツイン(コンピュータ上の分身)を作れるセンタレス研削盤 APG-DT を出す | GhiringhelliAPG-DT | [4] |
| 2021年 | Ghiringhelli が創業 100 年に A80 シリーズを出す。同じ年、Samputensili の歯車研削盤の事業はドイツ EMAG の EMAG SU になる | Ghiringhelli・EMAG SU | [4][30] |
よくある質問
- イタリアで最初に研削盤を作ったのはどこですか?
- 資料で確かめられる早い例は、Torino の自動車会社 Itala が 1909 年までに自分で作っていた玉軸受用の万能研削盤です(米国商務労働省の視察報告)。研削盤を売り物として作る会社では、Bologna の Morara が 1934 年に航空機工業の注文をきっかけに内面・外面の研削盤を作り始め、Luino の Ghiringhelli が 1935 年に最初のセンタレス研削盤を作りました。
- イタリアのセンタレス研削盤のメーカーはどこですか?
- 代表的なのは Luino(Varese 県)の Rettificatrici Ghiringhelli です。1921 年に旋削の下請け工場として始まり、1935 年に自社用のセンタレス研削盤を作り、1965 年からセンタレス研削盤だけを作っています。1975 年に CNC のセンタレスを EMO に出し、2021 年に創業 100 年を迎えました。1961 年には Torino の Giustina もセンタレス研削盤 R90/C を出しています。
- Marposs は何の会社ですか?
- 1952 年に技師 Mario Possati が Bologna 近くの Bentivoglio で作った、電子式の測定と制御の機器の会社です。研削盤に付けて研削中に寸法を測り、狙いの寸法で砥石を引かせる定寸装置で広く知られます。1970 年に日本に進出しました。
- Morara と Tacchella はいまどうなっていますか?
- 2014 年の業界誌の記事では、Morara と Tacchella の研削盤は IMT のブランドとして扱われています。2017 年 4 月には、台湾の Fair Friend グループ(FFG)が関係会社の Grinding Technology を通じて、両ブランドと Meccanodora を IMT から買いました。中古機の部品やサービスは、ブランド名で現在の窓口を探してください。
この先と関係するページ
出典
米国政府の報告・業界誌・新聞・官報・会社の本は Internet Archive のスキャンで、メーカーの沿革は各社の公式サイト(古いものは Internet Archive の保存)を 2026 年 10 月に確かめました。番号の付いた資料のほとんどはスキャンのコマ(Internet Archive の n 番号)で、「p.」は印刷のページです。メーカーの沿革だけにもとづく年(例:最初の機械・最初の輸出)は、本文で「同社は〜とします」と書き分けています。新聞の会社の紹介記事は、会社の取材にもとづく記事として扱っています。
- Godfrey L. Carden『Machine-Tool Trade in Austria-Hungary, Denmark, Russia, and Netherlands, with Supplementary Reports on Italy and France』米国商務労働省(1910)コマ 170・171・172・173
- Duccio Bigazzi・Giancarlo Subbrero「Tecnologia e organizzazione produttiva alla Lancia (1906-1969)」、Franco Amatori ほか『Storia della Lancia: impresa, tecnologie, mercati 1906-1969』Fabbri Editori(1992)コマ 211・216・217・243・246
- Morara「Profilo aziendale」(2001 年の公式サイト。Internet Archive の保存)
- Rettificatrici Ghiringhelli「Rettificatrici Ghiringhelli」(沿革)
- 『Bollettino delle pubblicazioni italiane』1926 年(Biblioteca Nazionale Centrale di Firenze の新刊目録)コマ 257
- 『Gazzetta Ufficiale del Regno d'Italia』1936 年 11 月 9 日 第 259 号(一時輸入の再開)コマ 1
- 『La Stampa』1997 年 9 月 22 日「Favretto, sessant'anni di storia」(Torino の産業界の特集面)コマ 13
- 『Rivista tecnica delle ferrovie italiane』1934 年(巻末の業者の広告・一覧)
- 『La Stampa』1968 年 4 月 10 日「Le meravigliose macchine utensili di Tacchella」(ピエモンテの産業を紹介する特集面)コマ 7
- Meccanica Nova「Azienda」(沿革 Milestones)
- 『Gazzetta Ufficiale del Regno d'Italia』1937 年 8 月 9 日 第 183 号(工場の新設・拡張の許可)コマ 10
- 『Gazzetta Ufficiale del Regno d'Italia』1940 年 4 月 24 日 第 97 号(工場の新設の許可・不許可)コマ 8
- 米中央情報局(CIA)「World Production and Distribution of Abrasives」1951 年 3 月 19 日(CIA-RDP79T00935A000100040001-9、1999 年公開)コマ 57
- 『Gazzetta Ufficiale della Repubblica Italiana』1950 年 3 月 9 日 第 57 号 臨時増刊「Beni asportati dai tedeschi e recuperati」第 14 次一覧(ドイツ・オーストリアから取り戻した機械の返還)コマ 9
- 『l'Unità』1998 年 9 月 22 日「Marposs Giappone」(Bologna の Marposs の日本進出)
- 『Gazzetta Ufficiale della Repubblica Italiana』1957 年 6 月 28 日 第 160 号(外国貿易省令 1957 年 6 月 25 日、輸入の表「A Import」への追加)コマ 4・7
- 『39° Salone internazionale dell'automobile, Torino 1957: catalogo ufficiale』(第 39 回トリノ自動車ショーの公式カタログ)コマ 182・285
- Richard Bailey「Machine Tool Firms React to Freer Trade」『Engineering』(London)1960 年 6 月 17 日号 p.813コマ 60
- 『Industrial Diamond Review』1961 年 5 月号(欧州の機械メーカーの一覧)コマ 28
- 『Machinery』(London)第 99 巻 1961 年 8 月 30 日号「Giustina Grinding Machines」pp.485〜486コマ 186・187
- Riccardo Rosa の経歴書(Fidia S.p.A. の役員の候補者の資料、伊語)
- 「Riccardo Rosa è il nuovo presidente di UCIMU」Legnanonews(地域の報道サイト)2024 年 7 月 12 日
- 『Stampa Sera』1975 年 3 月 1 日「Acqui. «Tacchella» sempre occupata」コマ 12
- Samputensili「History」(2010 年 1 月の公式サイト。Internet Archive の保存)
- 『Gear Technology』2010 年 10 月 11 日「MAG Acquiring Samputensili Gear Hobbing Line」
- Giusy De Donno「The tradition of quality」『Metal Working World Magazine』2014 年 1 月 20 日(Bologna の部品加工会社と IMT の研削盤)
- Favretto GrindTech「Azienda」
- 「FFG acquires Italian grinding manufacturers Meccanodora, Morara and Tacchella」PES Media(英国の業界誌のサイト)2017 年 4 月 19 日(Internet Archive の 2019 年の保存)
- 「Fair Friend Group adds to European machine tool brand collection with Italy's Meccanodora, Morara and Tacchella」Machinery(英国の業界誌)
- EMAG「EMAG SAMPUTENSILI(EMAG SU)– Gear Cutting Solutions」
- Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia Leonardo da Vinci「Collezioni」
- Museo Nazionale dell'Automobile(Torino)公式サイト