ITALY 07イタリアの歯車機械の系譜

イタリアは、ホブ盤やかさ歯車歯切り盤を最初に発明した国ではありません。20 世紀のはじめ、Torino の自動車工場は米国とドイツの歯切り盤を買い、その使い方を磨きました。戦後、Bologna で歯切り工具の会社 Samputensili が生まれ、工具を作るための機械、工具を研ぎ直す機械、歯の角を落とす面取り機、歯面を薄くそぐシェービングの工具と機械、そして焼入れ後の歯を仕上げる歯車研削盤へと進みます。Torino の Sicmat はシェービング盤の専業メーカーとして世界の自動車工場に機械を売りました。この章では、歯車を「切る」機械から「仕上げる」機械へという仕組みの変わり方と、それで現場の歯車づくりがどう変わったかを、米国政府の視察報告・官報・特許・業界誌・社史で 1 つずつ確かめ、出来事ごとに出典を付けてたどります。

工具の会社が
機械の会社に
なったんだ!

マスコットのチップス
19 世紀かさ歯車の創成1900 年ごろ歯車形削り盤1950 年代ホブ盤今CNC ホブ盤
歯切り盤の移り変わり(イメージ図。特定の国・機種ではありません)

歯車を作る方法は大きく 2 つあります。歯の溝と同じ形の刃物で 1 溝ずつ削る成形歯切りと、相手の歯車やラックとかみ合うように刃物と素材を一緒に回し、歯形を「転がして」作る創成歯切りです。創成の代表がホブ盤(ねじ状の刃物)、ギヤシェーパ(歯車形の刃物)、かさ歯車の創成機です。量産の歯車は、歯を切ったあと、焼入れの前に歯面を薄くそぐシェービング、焼入れの後に研ぐ歯車研削やホーニングで仕上げます。今の加工法は歯車の加工法に、工具はホブ・ピニオンカッタ・シェービングカッタのページに、日本の歯切り盤の歴史は国産アーカイブ第 4 章「歯切り盤の系譜」にまとめています。

輸入の歯切り盤と Torino の自動車工場(1877〜1930 年代)

イタリアと歯車機械の最初の記録は、米国の Gleason の社史にあります。Rochester の Gleason のかさ歯車歯切り盤が初めて海外に売れたのは 1877 年、行き先はイタリアでした[1]。この頃のかさ歯車歯切り盤は、歯の形をなぞる型板(テンプレート)を使い、刃物を型板に沿わせて歯面を削る機械です(Gleason の発展はアメリカの歯車機械の章)。

1908 年、Milano の技術誌が描いた「型板のいらない」歯切り盤

自動車が走り始めると、変速機と後車軸のかさ歯車が大量に要るようになります。Milano の技術誌『Il Politecnico』は 1907〜08 年に、Alfredo Galassini の長い連載「Dentatrici coniche senza sagoma(型板を使わないかさ歯車歯切り盤)」を載せました。1908 年の巻で取り上げたのは、Gleason が 3 枚の型板を使う機械を完成させたあとに作った新しい型板なしの機械です。図は、Torino の大手自動車工場の 1 つで実際に動いている機械から描かれていました[2]。

この機械では、かさ歯車がかみ合う相手として、平らな仮想の冠歯車を考えます。2 本の刃物がその冠歯車の 1 枚の歯の両側の面になり、素材の歯車と刃物の台を、冠歯車と歯車がかみ合うときと同じ比で一緒に回すと、刃物の往復で歯面の形が少しずつ「包絡線」として削り出されます。1 歯の両側を削り終えると刃物が逃げ、割り出し装置が歯車を次の歯へ回します。型板を作り直さなくても、歯数や歯の大きさに合わせて正しい歯形が出せるのが利点でした[2]。この「仮想の冠歯車と転がす」考え方は、今のかさ歯車の創成歯切り盤にも生きています。

1909 年の視察報告:Itala と Rome の工場

1909 年 5 月、米国商務労働省の Godfrey Carden は Torino の自動車会社 Itala(約 800 人)を訪ねました。工場には米国 Springfield の Fellows のギヤシェーパ、Brown & Sharpe の 26 インチ歯切り盤 3 台、ドイツの Reinecker の歯切り盤と Biernatzki のホブ盤が並んでいました。イタリア製の機械としては、Torino の Dubosc(報告の綴りは Dubose)の歯切り盤がありました[3]。Fellows のギヤシェーパは、歯車の形をした刃物(ピニオンカッタ)を上下させながら素材と一緒に回して歯を創成する機械で、変速機の段付きの歯車や内歯車を切れます。Brown & Sharpe の歯切り盤は、溝の形の刃物で 1 溝ずつ削る成形歯切りの自動機でした。創成と成形、米国製とドイツ製が 1 つの工場に並ぶのが、この時代のイタリアの姿です。

Rome の陸軍の精密工場 Laboratorio di Precisione(約 150 人、測距儀や照準器を作る)には、米国 Bilgram のかさ歯車平削り盤がありました。Bilgram は、1 本の刃物を往復させてかさ歯車を創成する機械です。Carden は、米国から直接買ったと聞いたのに、銘板にはイタリアの会社名が付いていたと書いています。同じ工場には、英国 Greenwood & Batley の古い万能ねじれ歯切り盤もありました[3]。

Lancia の歯切り部門(1911 年)

Torino の Lancia は 1911 年、Borgo San Paolo の新工場に歯切り部門を作りました。旧工場から Bilgram 2 台・Fellows 1 台・Brown & Sharpe 2 台・Savant 1 台、合併した Fides から Gleason・Brown & Sharpe・Reinecker を集め、戦争の前に Brown & Sharpe と英国 Sunderland の機械、さらに Gleason と Fellows を足しています。歯切り盤は 1907 年の 2 台から 1914 年末の 17 台へ増えました[4]。台帳を調べた Bigazzi と Subbrero は、ほぼすべての種類のメーカーと機種がそろうこの顔ぶれを、新しい機械を試す工場の姿勢の表れと見ています。英国の Sunderland は、ラックの形の刃物で歯を創成する平削り式の歯切り盤です。1924 年 6 月の米業界誌『American Machinist』の記事は、米国製の歯切り盤を使う点で Lancia を欧州の先頭に置きました[4]。

この時代に変わったこと。自動車の歯車は、静かに回ることと、たくさん作れることの両方を求められました。型板をなぞる機械から、相手の歯車と「転がして」歯形を作る創成の機械(Bilgram・Gleason・Fellows・Sunderland・ホブ盤)へ移ったことで、歯形の精度が機械と刃物で決まるようになり、腕のよい職人がいなくても同じ歯車を作れるようになります。イタリアの工場は、米国で売り出されて間もない機械をすぐに買っていました。

戦後の復興と Samputensili・Sicmat(1948〜1974 年)

持ち去られた歯切り盤

第二次世界大戦の終わりに、北イタリアの工場の機械はドイツ軍に持ち去られました。戦後の官報には、ドイツとオーストリアから取り戻した機械の一覧が何回も載り、持ち主に返還の申し出を求めています。1949 年 7 月の第 11 次の一覧には Torino の Sicmat のラジアルボール盤 2 台、10 月の第 12 次には、ウォームと歯車を切る小形の歯切り盤 Italmikron D-55 が 8 台(最大モジュール 3、換え歯車の箱つき)載っています[8][9]。取り戻せなかった財産の補償の一覧は 1968 年まで続き、Bologna の Minganti の歯切り盤 2 台もその中にあります[17]。どれも、戦争の前からイタリアで歯切り盤や工作機械が作られていた証拠です。

Marshall 計画の歯切り盤

大きな自動車会社は、米国の借款で新しい機械を買いました。Lancia は 1948〜50 年に米国の借款(IMI-Eximbank と ERP=Marshall 計画)を受け、米国への注文には新しい Gleason を含む歯切り盤 6 台がありました。1951 年 1 月の追加の申し込み(援助が続かず実現せず)には、米国 Barber-Colman の自動ホブ盤 6 台が入り、「1 人で 3〜4 台を受け持てるので、歯車を安く量産できる」と理由が書かれています。かさ歯車の組を仕上げる Gleason のラップ盤も計画にありました[4]。1959〜63 年には Lancia の歯切り盤は 52 台から 97 台に増え、つかみの装置で工作物を自動で入れ替えて、1 人で 9 台の組を受け持つまでになります[4]。自動のホブ盤の目的は、1 台を速くするより、1 人が受け持てる台数を増やすことでした。

冷戦の中で、歯切り盤は戦略物資でもありました。1950 年 9 月、米誌『U.S. News & World Report』は、共産圏に流れているとみられる物資の 1 つとして「イタリアの歯切り機械」を挙げています[10]。

Samputensili の誕生(1949 年)

1949 年、Bologna の精密機械の会社 SAMP(Società per Azioni Meccanica di Precisione)から、歯切り工具をつくる独立部門 Samputensili(SAMP の工具、の意味)が生まれました。SAMP は 1936 年に Gaetano Maccaferri が線材の機械の小さな工場として始めた会社で、よい歯車が手に入らないため歯車も自分で作り、戦争中は空軍に精密な歯車を納めていました[5]。最初の客はイタリア空軍、従業員は 20 人です。当時の市販の機械では工具に求める品質が出せなかったため、工具を作る機械も自分で作りました[6][7]。航空機のエンジンと変速機の歯車は、軽く強く、しかも精度が高くなければならず、その歯車を切る工具には特に厳しい精度が要ります。1952 年にはドイツに販売の事務所を置きました[6]。

同じ 1952 年 9 月、米国商務省の週報は Bologna の Samputensili の申し出を載せています。歯車カッタ・ギヤシェーパ・ホブ盤・円形シェービングカッタを米国のライセンスで作りたい、それらの工具を輸出したい、工具鋼を買いたい、というものです[11]。工具の会社が、工具を使う機械まで視野に入れていたことが分かります。

輸入の自由化と、輸入に頼った大形の歯車機械

1957 年 6 月、イタリア政府はドル圏(米国など)から輸入しやすくする品目の表に、直径 800mm・モジュール 8 以上の歯車形削り盤、40 t を超える単軸ホブ盤、山歯歯車(やまば)の歯切り盤、歯車転造盤、歯車研削盤を加えました[13]。大きな歯車や焼入れ後の歯車の仕上げに使う機械は、まだ国内で作れず、米国から買う必要があったのです。英国の業界誌も 1960 年に、イタリアの工作機械工業は戦後に急成長したが、国内の市場が小さい種類の機械は輸入に頼っていると書いています[14]。

Sicmat のシェービング盤(1961 年)

そうした中で、Torino の Sicmat(Stabilimento Industriale Costruzione Macchinario Attrezzature Torino)は、自動車の歯車の仕上げに使うシェービング盤を作りました。1961 年の英国の業界誌が紹介した万能シェービング盤 SSU 310 は、直径 1〜12 インチ(約 25〜305mm)の歯車を扱い、カッタヘッドは左右に 25° まで振れます。工作物を載せてボタンを押すと、空圧で主軸台と心押しが締まり、覆いが閉じ、テーブルが上がってカッタとかみ合い、決めた往復の数だけ動いて 1 サイクルを終えます[15]。

シェービングは、細い溝の刃を持つ歯車形のカッタを、歯車と軸を少し交差させてかみ合わせて回し、歯面を薄く(0.1mm 前後)そぎ取る仕上げです。軸が交差しているので歯面どうしが横にすべり、そのすべりで刃が歯面を削ります。SSU 310 が持つ 3 つの送り方は、テーブルを歯車の軸の向きに往復させる普通(縦)送り、斜めに送ってカッタの幅全体を使うダイアゴナル、歯幅より広いカッタで歯車の軸と直角に送るアンダーパスです。一般に、斜めや直角の送りほど 1 個の時間が短く、カッタの減りも均一になります。「ホブ切り → シェービング → 焼入れ」は、戦後の自動車の変速機の歯車の標準の工程になりました(ドイツの Hurth が 1946 年にはすば歯車のシェービング盤を作ったことはドイツの歯車機械の章)[1]。

電子で測る歯車の検査機(1967 年)

Samputensili は工具の精度を確かめるための測定機も作りました。1967 年 3 月、同社の Carlo Occhialini と Claudio Tattini は、ねじれ面(ホブやウォームのつる巻き)とインボリュート歯形を検査する機械をイタリアで出願し、米国でも 1970 年に特許 3,534,481 になっています[16]。この機械は、回る 2 つのドラムに記録した周波数を、回転とともに読み取る頭で拾い、2 つの周波数の位相のずれとして回転の伝わり方の誤差(伝達誤差)を測ります。歯車を回したときの「進みすぎ・遅れすぎ」を電気の信号で比べる考え方で、機械式の歯車と針で歯形をなぞる測定から、電子式の測定へ移る早い例です。英国の業界誌の 1969 年の索引には、Samputensili の SU 130 形のホブ・ウォームの試験機も載っています[18]。

1971 年、Samputensili は南部の Ortona(Chieti 県)に新工場を開き、1974 年にフランスとブラジルに子会社を作りました。ブラジルの工場はのちにグループの主な工具工場の 1 つになります[6]。

仕上げの機械:面取り・カッタ研削・歯車研削(1975〜1997 年)

面取りとバリ取り:歯の端を整える

ホブで歯を切ると、歯の端にバリ(めくれ)と鋭い角が残ります。そのままシェービングや焼入れをすると、角が欠けたり、焼きが入りすぎて割れたり、組み立てたあとに欠けが変速機の中を回ったりします。Samputensili は 1975 年に最初の面取り機を出しました[6]。Occhialini は 1977 年 5 月、歯車の端を面取りする刃物と、バリを取る円板を平行な 2 本の軸に載せ、同じ寸法の基準で一度に処理する工具をイタリアで出願し(米国特許 4,290,718、1981 年成立)[19]、1980 年 1 月には面取り・バリ取りの工具を歯車にかみ合わせやすくする装置を出願しています(米国特許 4,412,765、1983 年成立)[20]。面取りの工具も歯車のようにかみ合って回るので、段取りのときに歯を合わせる手間が問題でした。

シェービングカッタを研ぎ直す機械

シェービングカッタは高価な工具で、減ったら歯面を研ぎ直して何度も使います。研ぎ直しで歯形がずれると、それで仕上げた歯車の歯形もずれます。Samputensili は 1977 年に最初のシェービングカッタ研削盤を出し、自社の工具を研ぐ機械を、工具を使う客にも売るようになりました[6]。1982 年には工具に硬い膜を付ける PVD コーティング(真空の中で窒化チタンなどの膜を付ける)の設備を社内に入れています[6]。工具の会社が、工具を作る・研ぐ・被膜を付ける・測る、をすべて自分でやるようになりました。

歯車研削盤(1988 年)

1988 年、Samputensili は最初の歯車研削盤を出し、米国に Samputensili America を作ります[6]。歯車研削は、焼入れでひずんだ歯面を砥石で研いで正しい形に戻す仕上げです。シェービングは焼入れの前の仕上げなので、焼入れのひずみは残ります。静かさを求める自動車や、強さを求める航空機・ヘリコプターの歯車では、焼入れの後に研ぐことが増えていきました。歯車研削盤には、歯の溝の形をした砥石で 1 溝ずつ研ぐ成形研削と、ねじ状の砥石で連続して研ぐ創成研削があり、Samputensili はのちに両方の機械を作ります[6]。

同じ 1988 年、Torino の Sicmat の技術者 Bossi と Miletto は、FMS(柔軟な生産システム)に組み込むシェービングセンタを論文で報告しました[22]。工作物の出し入れやカッタの交換を自動にして、何種類もの歯車を人手を介さずに流す方向です。1980 年 3 月のイタリアの新聞には、東ドイツの工作機械の広告に、円筒歯車の研削盤とホブ盤、すぐば・円弧歯のかさ歯車歯切り盤が並んでいます[21](東ドイツの Modul・Niles はドイツの歯車機械の章)。

Samputensili は 1991 年に日本、1995 年に韓国に子会社を作り、1996 年に北京に販売の事務所を開きました[6][23]。

現場で何に効くか。「ホブ切り → 面取り・バリ取り → シェービング → 焼入れ → 歯車研削(またはホーニング)」という今の歯車の工程のうち、真ん中から後ろの機械と工具を、1 つの会社でそろえたのが Samputensili でした。面取りを忘れた歯車がシェービングカッタの刃を欠く、研ぎ直したカッタの歯形がずれる、といった現場の困りごとが、工具の会社に機械を作らせたと言えます。工具ごとの使い方はシェービングカッタのページにあります。

Chemnitz・Star SU と国際化(1998〜2014 年)

ホブ盤の老舗を買う(2000 年)

Samputensili は 1998 年から、ドイツ Chemnitz のホブ盤メーカー Hurth Modul と主な市場で一緒に売り始め、2000 年に同社を買いました。平歯車とかさ歯車のホブ盤が品ぞろえに加わり、Chemnitz の工場はブラジル・米国・フランス・日本・韓国の工場と一つのネットワークになります[24][6]。Chemnitz の工場は、1900 年に Hermann Pfauter が始めたホブ盤の本家で、東ドイツ時代は VEB Modul でした。その移り変わりはドイツの歯車機械の章にあります。ホブ盤は、ねじ状の刃物(ホブ)を回しながら素材の歯車も一緒に回し、ホブを歯幅の向きに送って歯を連続して切る機械です。工具の会社が、自分の工具をいちばん多く使う機械を手に入れたことになります。

Star SU(2002 年)と Fellows のカッタ

2002 年、Samputensili の米国子会社 SU America と、米国 Michigan の Star Cutter(1927 年創業の工具メーカー)[40]は、歯切り工具の販売を一つにまとめ、折半出資の Star SU を作りました[25][6][7]。同じ年、Samputensili は米国 Fellows のピニオンカッタの部門を買います[6]。Fellows は 1896 年からギヤシェーパと歯車形の刃物を作ってきた会社で、2002 年 2 月に親会社の破産で操業を止めていました[25](アメリカの歯車機械の章)。1909 年に Torino の Itala にあった Fellows のギヤシェーパの刃物が、約 90 年後にイタリアの会社に引き継がれたことになります。

同じ 2002 年、Samputensili はホブ切りと面取り・バリ取りを 1 台で行う CDM シリーズを、2003 年にはねじ状の砥石で創成研削する S 250 G を出しました[6]。創成研削は、ねじ状の砥石をホブのように回しながら歯車と同期させて回し、全部の歯を連続して研ぐ方法で、1 溝ずつ研ぐ成形研削より速く、量産の自動車の歯車に向きます。砥石と歯車の回転を正確に合わせるのは、機械式の歯車列ではなく CNC の電子の同期(電子ギヤ)の役目です。2005 年には耐摩耗の被膜 Alcrona を工具に使い始め、上海に合弁の工具工場を作りました。従業員は世界で 560 人になります[6]。

SAMP の 3 部門と、Chemnitz を手放す(2010 年)

2006 年、Samputensili・Sampingranaggi(平歯車とかさ歯車をつくる工場)・Sampsistemi(線材とケーブルの機械)は合わさって、新しい SAMP S.p.A. の 3 部門になりました。SAMP は Bologna の Maccaferri 家の企業グループの一社です[6][26]。2007 年には Star SU が Torino の Sicmat のシェービング盤の北米での販売を引き受けます。Sicmat の客には Fiat・Piaggio・Renault・GM・John Deere・Caterpillar などが並んでいました[27]。

2010 年は大きな転換の年でした。2 月、Maccaferri グループは Ortona 工場を閉じる方針を出し、139 人の解雇に反対した作業員が工場の屋根で抗議しています[28]。10 月には Chemnitz のホブ盤と面取り・バリ取りの事業を米国の工作機械グループ MAG に売り(MAG Modul Verzahntechnik に)、Samputensili は工具・歯車研削盤・多機能の歯車加工機に絞りました。北米では Star SU が両社の機械の販売とサービスを続けます[29]。欧州の工場は Bologna 近くの Bentivoglio の Technology Centre にまとめられました[23]。Star SU の提携は 2014 年に南米(Star SU do Brasil)、2015 年に中国(Star SU China)へ広がります[30]。

★再編:EMAG SU と Star SU Europe(2015 年〜)

2015 年、Samputensili は Torino の Sicmat を買い、シェービング盤の生産を Bentivoglio に移しました。10 月の EMO Milano にはシェービング盤 RASO 200 を出しています[31]。戦前からの工作機械メーカーで、戦後はシェービング盤の専業になった Torino の会社が、Bologna の工具の会社に引き継がれたことになります。

2016 年 1 月、SAMP の Samputensili 部門は Samputensili Machine Tools(機械)と Samputensili Cutting Tools(工具)の 2 社に分かれました。会社の説明は、工具の品質のために工作機械を作り始めてから約 50 年、得意は焼入れ後の仕上げ(ハードフィニッシング)と面取り・バリ取りで、ダイレクトドライブ・リニアモータ・省エネルギーの設計・段取りと加工を並行する工程・機上の測定とドレッシングの装置を多くの機械に標準で付けている、としています[30]。

2021 年 2 月、ドイツの旋盤メーカー EMAG が Samputensili Machine Tools と Samputensili CLC を買い、EMAG SU にしました。シェービング・形削り・歯車研削・成形研削などの機械が EMAG の品ぞろえに入り、2022 年 6 月には Bologna 県 Anzola dell'Emilia に新しい工場ができています[32][33](EMAG のホブ盤の Koepfer はドイツの歯車機械の章)。工具の側は Star Cutter との提携が 2022 年に欧州に広がり、Star SU Europe の名で Bentivoglio からホブ・スカイビングカッタ・マスターギヤ・面取り工具・ピニオンカッタ・シェービングカッタを作っています[7]。1949 年に 20 人で始まった Bologna の工具の会社は、機械はドイツのグループに、工具は米国のグループと組んだ会社に、と 2 つに分かれて今に続いています。

今の会社(場所)主な製品もとをたどると
EMAG SU(Anzola dell'Emilia、Bologna 県)シェービング盤・歯車研削盤・形削り盤など[33]Samputensili Machine Tools(2016 年)。2015 年に Sicmat のシェービング盤を統合。2021 年から EMAG のグループ
Star SU Europe(Bentivoglio、Bologna 県)ホブ・スカイビングカッタ・マスターギヤ・面取り工具・ピニオンカッタ・シェービングカッタ[7]Samputensili Cutting Tools(2016 年)。1949 年の Samputensili の工具の流れ
MODUL(Chemnitz、ドイツ)ホブ盤2000〜2010 年は Samputensili のホブ盤工場(ドイツの章)

歯車を使う産業:自動車・二輪・ヘリコプター

イタリアの歯車機械を育てたのは、まず Torino の自動車です。1908 年に Gleason の型板なしのかさ歯車歯切り盤が動いていたのは Torino の大手自動車工場で[2]、1909 年の Itala、1911 年からの Lancia の歯切り部門は、米国とドイツの最新の歯切り盤を集めていました[3][4]。戦後は Sicmat のシェービング盤が Fiat をはじめ欧米の自動車工場に入り、客の一覧には Pontedera のスクーターと二輪の Piaggio の名もあります[27]。Samputensili の最初の客がイタリア空軍だったように[6]、航空機の歯車は工具の精度を引き上げる役目を果たしました。

いまのイタリアで歯車の技術が集まる場所の 1 つが、ヘリコプターです。旧 Agusta の流れをくむ Leonardo のヘリコプター部門は、Varese 県 Cascina Costa をトランスミッションの開発と生産の拠点にしています。約 2 万 1 千 m² の工場で、素材から旋削・歯切り・寸法の検査・溶接・熱処理・研削・仕上げ・ラップ仕上げまでを社内で行い、AW139 は潤滑油が抜けても 60 分回り続ける変速機を最初に積んだヘリコプターだと同社はしています[34][35]。ラップ仕上げは歯面どうしの摩擦を減らし、摩耗と振動と騒音を減らす仕上げで、1951 年の Lancia の計画にあったかさ歯車のラップ盤と同じ考え方です。

確かめきれなかったこと。農業機械(トラクタ)の変速機・車軸の歯車メーカーや、Ducati など二輪の歯車の内製、Politecnico di Milano・Università di Bologna の歯車の研究の歴史は、今回の調べでは一次資料で年や中身を確かめきれませんでした。分かりしだい足していきます。

日本とのつながり

日本とイタリアの歯車づくりは、同じ道筋をたどりました。どちらも 20 世紀の前半は米国とドイツの歯切り盤を輸入し、戦後は自動車の変速機の歯車を「ホブ切り → シェービング → 焼入れ」で量産しました。日本では、シェービングカッタは輸入に頼り、研ぎ直せる会社も限られていたため、1953 年に国内の工具メーカーが米国の工具メーカーと技術提携してシェービングカッタを国産化しています(国産アーカイブ第 4 章「歯切り盤の系譜」)。イタリアでは、工具の会社 Samputensili が 1952 年に米国のライセンスで歯車の工具と機械を作りたいと申し出ており[11]、工具から始めて機械へ進むという順番も似ています。

Samputensili は 1991 年に日本に子会社を作り(のちに販売・サービスの事務所に)[6][23]、2000 年に Chemnitz の工場を買ったときには、日本の拠点もグループの生産のネットワークの一つに数えられています[24]。日本の歯車機械メーカーも 1970 年代からシェービング盤や歯車研削盤を自社の技術で作るようになり(国産アーカイブ第 4 章)、歯車の仕上げの機械は、ドイツ・スイス・イタリア・米国・日本のメーカーが競う分野になりました。

⑂メーカーの系図

イタリアの歯車の工具と機械の主なメーカーと、関係する外国の工場の移り変わりです。帯の色が変わるところで社名や持ち主が変わり、赤い矢印は事業の行き先です。Sicmat の帯は、確かめられたいちばん古い記録(1949 年の官報)から描いています(戦前から工作機械を作っていたことは分かっていますが、創業の年は確かめきれませんでした)。Lancia は 1969 年に Fiat のグループに入るまでを描き、その先は点線にしています。

1890191019301950197019902010Lancia(via Ormea)Lancia(Borgo San Paolo。歯切り部門)Sicmat(Torino。シェービング盤)Samputensili が買収Samputensili(SAMP の部門、Bologna)SAMP S.p.A. の Samputensili 部門Samputensili Machine ToolsEMAG SUSamputensili Cutting ToolsStar SU EuropeStar SU LLC(Star Cutter と折半、北米→南米・アジア)Hurth Modul(Chemnitz)Samputensili WerkzeugmaschinenMAG へ(MAG Modul)Fellows(米国。ピニオンカッタ部門)カッタ部門を買収帯の区切りが社名の変更。赤い矢印は合併・事業の譲渡の行き先。右端の › は今も続く会社。点線はその先が未確認。
出典:各社の沿革と社史 [4][8][15][27][31][6][30][32][7][25][38][24][29][39]

見に行ける所

イタリアの歯切り盤そのものを展示している博物館は、今回の調べでは確かめられませんでした。歯車と、歯切り盤を使った工場の歴史に触れられる場所を挙げます。公開日・見学や資料の閲覧の可否は、行く前にそれぞれの施設の案内で確かめてください。

Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia Leonardo da Vinci(国立科学技術博物館)Milano(Lombardia 州)Leonardo da Vinci の手稿をもとに 1950 年代に作った機械の模型の収蔵があり、ねじ切り機の換え歯車の模型(1955〜56 年、収蔵の目録 ST070-00053)もその 1 つ。イタリアの工業の常設展と、1920 年代から集めた文書館がある。展示中かどうかは館の案内で[12][36]
Museo Nazionale dell'Automobile(国立自動車博物館、MAUTO)Torino(Piemonte 州)80 のブランドの 200 台を超える車で自動車の歴史をたどる博物館。この章の歯切り盤を最初に使った Torino の自動車工場の町にある。どの車が展示中かは館の案内で[37]
Archivio Storico Fiat(Fiat の歴史文書館)Torino(Piemonte 州)1985 年にできた Fiat の企業文書館で、Lancia の文書(1906〜1969 年)も持つ。この章の Lancia の歯切り盤の台帳は、ここの資料を使った研究による。閲覧の可否と手続きは文書館に問い合わせを[4]

⌛年表

この章で確かめた出来事のすべてです。番号は出典で、押すとその資料(ページやコマが分かるものはその場所)が開きます。「p.」は本や雑誌のページ、「コマ」はスキャンの通し番号(Internet Archive の本・雑誌・新聞・官報)です。特許は出願の年に置き、成立の年は本文に書いています。

輸入の歯切り盤復興と工具仕上げと研削国際化再編18801900192019401960198020002020190819491957196719771988200020102016黄色の点は大事な出来事(下の表の ★、年は混み合うところを省略)。時代の区切りの年は目安です。

輸入の歯切り盤と Torino の自動車工場1877〜1930 年代

年出来事メーカー・機種出典
1877年米国 Rochester の Gleason のかさ歯車歯切り盤が、初めて海外に売れてイタリアへ渡るGleason[1・p.8]
1908年★Milano の技術誌『Il Politecnico』が、型板(テンプレート)を使わない Gleason の新しいかさ歯車歯切り盤を図解する。図は Torino の大手自動車工場で動いている 1 台から描いたもの。1 歯ずつ、2 本の刃物で両側の歯面を創成で削る仕組みを細かく説明しているGleason(米国)型板を使わないかさ歯車歯切り盤[2・コマ61][2・コマ62]
1909年5月★米国商務労働省の Carden が Torino の自動車会社 Itala(約 800 人)を視察。Fellows のギヤシェーパ、Brown & Sharpe の 26 インチ歯切り盤 3 台、ドイツの Reinecker の歯切り盤と Biernatzki のホブ盤が並んでいたItala(Torino)Fellows・Brown & Sharpe・Reinecker・Biernatzki[3・コマ170][3・コマ171]
1909年5月同じ報告に、イタリア製の歯切り盤として Torino の Dubosc(報告の綴りは Dubose)の機械が Itala にあると記される。Rome の陸軍の工場にも同社の機械があったDubosc(Torino)[3・コマ171][3・コマ173]
1909年5月陸軍の精密工場 Laboratorio di Precisione(約 150 人、測距儀・照準器を作る)に米国 Bilgram のかさ歯車平削り盤。米国から直接買ったと聞いたのに、銘板にはイタリアの会社名があったと Carden は書く。英国 Greenwood & Batley の古い万能ねじれ歯切り盤も使われていたLaboratorio di Precisione(Rome)Bilgram の歯車平削り盤[3・コマ172][3・コマ173]
1911年★Lancia が Borgo San Paolo の新工場に歯切り部門を作る。旧工場の Bilgram 2・Fellows 1・Brown & Sharpe 2・Savant 1 に、合併した Fides から Gleason・Brown & Sharpe・Reinecker が加わったLancia(Torino)[4・コマ217]
1914年Lancia の歯切り盤は 1907 年の 2 台から 1914 年末に 17 台へ(研削盤は 4 台から 23 台へ)。戦前に Brown & Sharpe と英国 Sunderland の機械、のちに Gleason と Fellows を足したLancia[4・コマ216][4・コマ217]
1924年6月米業界誌『American Machinist』の記事「Methods at the Lancia works」が、米国製の歯切り盤を使う点で Lancia を欧州の先頭に置く記事そのものは未見。Bigazzi・Subbrero の注によるLancia[4・コマ464]
1936年Bologna の Gaetano Maccaferri が、線材の引抜き機・金網の織機などを作る小さな工場 S.A.M.P. を始める。質のよい歯車が手に入らないので、歯車も自分で作り始めた。戦争中はイタリア空軍に精密な歯車を納め、そのために歯切り工具も自作するようになる創業者の孫で SAMP の会長 Antonio Maccaferri の談話による。会社の 2010 年の沿革は 1949 年の Samputensili の分離から書くS.A.M.P.(Bologna)[5]

戦後の復興と Samputensili・Sicmat1948〜1974 年

年出来事メーカー・機種出典
1948〜50年Lancia が米国の借款(IMI-Eximbank と ERP=Marshall 計画)で機械を買う。米国に注文した約 120 万ドル分に、研削盤 19 台(Landis・Cincinnati が中心)と、新しい Gleason を含む歯切り盤 6 台があったLancia[4・コマ243]
1949年★Bologna の SAMP(精密機械の会社)から、歯切り工具をつくる独立部門 Samputensili が生まれる。最初の客はイタリア空軍、従業員 20 人。市販の機械では工具の品質が出ないので、工具を作る機械も自分で作ったSamputensili(Bologna)[6][7]
1949年7月官報の「ドイツ軍が持ち去り取り戻した機械」の一覧に、Torino の Sicmat のラジアルボール盤 2 台が載る。Sicmat が戦争の前から工作機械を作っていたことが分かるSicmat(Torino)[8・コマ3][8・コマ4]
1949年10月同じ一覧に、ウォームと歯車を切る小形の歯切り盤 Italmikron D-55 が 8 台(最大モジュール 3、換え歯車の箱つき)。戦争中に持ち去られた歯切り盤が戻ってきたItalmikronD-55[9・コマ3]
1950年9月米誌『U.S. News & World Report』が、共産圏へ流れているとみられる物資の 1 つに「イタリアの歯切り機械」を挙げる(Marshall 計画の援助を受けた軸受工場とともに)—[10・コマ30]
1951年1月Lancia が米国に追加の借款を申し込む(実現せず)。計画には、1 人で 3〜4 台を受け持てる Barber-Colman の自動ホブ盤 6 台、歯車の穴を研ぐ Heald の内面研削盤、かさ歯車の組を仕上げる Gleason のラップ盤が入っていたLanciaBarber-Colman のホブ盤ほか[4・コマ244][4・コマ246]
1952年Samputensili がドイツに販売事務所を置くSamputensili[6]
1952年9月米国商務省の週報が、Bologna の Samputensili の申し出を載せる。歯車カッタ・ギヤシェーパ・ホブ盤・円形シェービングカッタを米国のライセンスで作りたい、歯車の工具を輸出したい、工具鋼を買いたい、というものSamputensili[11・コマ8][11・コマ10]
1955〜56年Milano の国立科学技術博物館のために、Leonardo da Vinci の手稿にあるねじ切り機の換え歯車の模型が作られる(いまも同館の Leonardo の模型の収蔵品)—[12]
1957年6月★イタリア政府がドル圏(米国など)から輸入しやすくする品目の表に、直径 800mm・モジュール 8 以上の歯車形削り盤、40 t を超える単軸ホブ盤、山歯歯車の歯切り盤、歯車転造盤、歯車研削盤を加える—[13・コマ4][13・コマ7]
1958年イタリアの工作機械の輸入は 15,200 t・1,300 万ポンド。英誌は、戦後急成長したが国内市場が小さい種類の機械は輸入に頼り、Fiat や Olivetti も自社の工作機械工場を持つ、と伝える—[14・コマ60]
1961年9月★Torino の Sicmat が万能シェービング盤 SSU 310 を出す。普通(縦)送り・ダイアゴナル・アンダーパスの 3 方式、直径 1〜12 インチの歯車、カッタヘッドは左右 25° まで振れ、空圧で主軸台と心押しを締めて自動で 1 サイクルを回すSicmat(Torino)SSU 310 万能シェービング盤[15・コマ191]
1959〜63年Lancia の歯切り盤が 52 台から 97 台へほぼ倍になる。つかみの装置で工作物を自動で入れ替え、1 人で 9 台の組を受け持つようになったLancia[4・コマ254]
1967年3月★Samputensili の Carlo Occhialini と Claudio Tattini が、歯車の伝達誤差を電子的に測る検査機をイタリアで出願(米国特許 3,534,481、1970 年成立)。2 つの回転ドラムに記録した周波数の位相のずれから誤差を読むSamputensiliねじれ面とインボリュートの検査機[16]
1968年1月戦争中にドイツへ持ち去られた財産の補償の一覧(1952 年の Bonn の協定と 1964 年の伊独協定による)に、Bologna の Minganti の歯切り盤 2 台が載るMinganti(Bologna)[17・コマ5]
1969年英国の業界誌『Machinery and Production Engineering』1969 年の索引に、Samputensili の SU 130 形のホブ・ウォームの試験機が載るSamputensiliSU 130[18]
1971年Samputensili が南部の Ortona(Chieti 県)に新工場を開くSamputensili[6]
1974年Samputensili France と Samputensili do Brasil を作る。ブラジルはのちにグループの主な工具工場の 1 つになるSamputensili[6]

仕上げの機械:面取り・カッタ研削・歯車研削1975〜1997 年

年出来事メーカー・機種出典
1975年Samputensili が最初の面取り機(歯の端の角を落とす機械)を出すSamputensili面取り機[6]
1977年★Samputensili が最初のシェービングカッタ研削盤を出す。自社のシェービングカッタを研ぎ直す機械を、工具の客にも売るようになるSamputensiliシェービングカッタ研削盤[6]
1977年5月Occhialini が、歯車を面取りする刃物とバリを取る円板を平行な 2 本の軸に載せ、同じ寸法の基準で一度に処理する工具をイタリアで出願(米国特許 4,290,718、1981 年成立)Samputensili[19]
1980年1月Occhialini が、面取り・バリ取り工具を歯車にかみ合わせやすくする装置をイタリアで出願(米国特許 4,412,765、1983 年成立)Samputensili[20]
1980年3月イタリアの新聞に東ドイツの工作機械の広告。円筒歯車の研削盤、円筒歯車のホブ盤、すぐばと円弧歯のかさ歯車歯切り盤が並ぶ(東ドイツの歯車機械はドイツ第 8 章で扱う)—[21]
1982年Samputensili が工具の PVD コーティング(真空中で硬い膜を付ける)の設備を社内に入れるSamputensili[6]
1988年★Samputensili が最初の歯車研削盤を出し、米国に Samputensili America を作る。工具の会社が、焼入れ後の歯車を仕上げる機械のメーカーになるSamputensili歯車研削盤[6]
1988年Sicmat の Bossi と Miletto が、FMS(柔軟な生産システム)に組み込むシェービングセンタを論文で報告するSicmat[22]
1991年Samputensili Japan を作る(のちに販売・サービスの事務所に)Samputensili[6][23]
1995〜96年韓国に Samputensili Korea(歯切り工具の工場と販売)、1996 年に北京に販売の事務所を開くSamputensili[6][23]

Chemnitz・Star SU と国際化1998〜2014 年

年出来事メーカー・機種出典
1998年Samputensili と Chemnitz(ドイツ)のホブ盤メーカー Hurth Modul が、主な市場で一緒に売り始めるSamputensili・Hurth Modul[24]
2000年★Samputensili が Hurth Modul(もと Pfauter の Chemnitz 工場)を買い、ホブ盤を品ぞろえに加える。Chemnitz はブラジル・米国・フランス・日本・韓国の工場と一つのネットワークになるSamputensili平歯車・かさ歯車のホブ盤[24][6]
2002年★Samputensili の米国子会社 SU America と米国 Michigan の Star Cutter が、歯切り工具の販売を一つにして折半出資の Star SU を作るStar SU LLC[25・p.20][6][7]
2002年Samputensili が米国 Fellows のピニオンカッタの部門を買う。ホブ切りと面取り・バリ取りを 1 台で行う CDM シリーズも出すSamputensiliCDM シリーズ[6]
2003年Samputensili がねじ状の砥石で歯車を創成研削する S 250 G を出すSamputensiliS 250 G[6]
2005年Samputensili が耐摩耗被膜 Alcrona を工具に使い始め、上海に合弁の工具工場を作る。従業員は世界で 560 人Samputensili[6]
2006年Samputensili・Sampingranaggi(平歯車とかさ歯車の工場)・Sampsistemi(線材とケーブルの機械)が合わさって新しい SAMP S.p.A. の 3 部門になる。SAMP は Bologna の Maccaferri 家の企業グループの一社SAMP S.p.A.[6][26]
2007年8月Star SU が Sicmat のシェービング盤の北米での販売を引き受ける。Sicmat の客には Fiat・Piaggio・Renault・GM・John Deere・Caterpillar などが並ぶSicmat・Star SU[27]
2010年2月Maccaferri グループが Ortona 工場を閉じる方針を出し、139 人の解雇に反対して作業員が工場の屋根で抗議するSamputensili[28・コマ5]
2010年10月★Samputensili が Chemnitz のホブ盤と面取り・バリ取りの事業を米国の MAG に売る(MAG Modul Verzahntechnik に)。Samputensili は工具・歯車研削盤・多機能の歯車加工機に絞り、欧州の工場を Bologna 近くの Bentivoglio の Technology Centre にまとめるSamputensili・MAG[29][23]
2014〜15年Star SU の提携が南米(Star SU do Brasil、2014 年)と中国(Star SU China、2015 年)に広がるStar SU[30][7]

再編:EMAG SU と Star SU Europe2015 年〜

年出来事メーカー・機種出典
2015年10月★Samputensili が Torino のシェービング盤メーカー Sicmat を買い、生産を Bentivoglio に移す。EMO Milano 2015 にシェービング盤 RASO 200 を出すSamputensili・SicmatRASO 200[31]
2016年1月★SAMP の Samputensili 部門が、Samputensili Machine Tools と Samputensili Cutting Tools の 2 社に分かれる。会社の説明では、工具の品質のために工作機械を作り始めてから約 50 年Samputensili[30]
2021年2月★ドイツの EMAG が Samputensili Machine Tools と Samputensili CLC を買い、EMAG SU にする。シェービング・形削り・歯車研削・成形研削などの機械が EMAG の品ぞろえに入るEMAG SU[32][33]
2022年Star Cutter との提携が欧州にも広がり、工具の会社(旧 Samputensili Cutting Tools)は Star SU Europe の名になる。ホブ・スカイビングカッタ・マスターギヤ・シェービングカッタなどを作るStar SU Europe[7]
2022年6月EMAG SU が Bologna 県 Anzola dell'Emilia に新しい工場を開くEMAG SU[32][33]
今ヘリコプターの Leonardo は、Cascina Costa(Varese 県)をトランスミッションの開発・生産の拠点とし、歯切り・熱処理・研削・ラップ仕上げまで社内で行う。AW139 は油が抜けても 60 分回せる変速機を最初に積んだとするLeonardo(旧 Agusta)[34][35]

よくある質問

Samputensili はどんな会社ですか?
1949 年に Bologna の精密機械の会社 SAMP から生まれた、歯切り工具の会社です。最初の客はイタリア空軍でした。のちに面取り機(1975 年)、シェービングカッタ研削盤(1977 年)、歯車研削盤(1988 年)を作り、2000〜2010 年はドイツ Chemnitz のホブ盤工場も持ちました。2016 年に機械と工具の 2 社に分かれ、機械は 2021 年からドイツの EMAG の EMAG SU、工具は Star SU Europe として続いています。
Star SU とは何ですか?
2002 年に、Samputensili の米国子会社 SU America と、米国 Michigan の工具メーカー Star Cutter が、歯切り工具の販売をまとめて作った折半出資の会社です。初めは北米の販売とサービスを受け持ち、2014 年に南米、2015 年にアジア、2022 年に欧州へ提携が広がりました。
Samputensili が Chemnitz の Hurth Modul を買ったのはいつですか?
2000 年です。1998 年から一緒に売っていた両社が一つになり、平歯車とかさ歯車のホブ盤が Samputensili の品ぞろえに入りました。2010 年にホブ盤の事業は米国の MAG に売られ、MAG Modul Verzahntechnik になりました。この工場の 1900 年からの歴史は、ドイツの歯車機械の章にあります。
シェービング盤の Sicmat はどうなりましたか?
Torino の Sicmat は、戦前から工作機械を作り、戦後はシェービング盤の専業メーカーとして Fiat や欧米の自動車工場に機械を売りました。2007 年に北米の販売を Star SU に任せ、2015 年に Samputensili に買われて、生産は Bologna 近くの Bentivoglio に移りました。その流れは今の EMAG SU に入っています。

この先と関係するページ

出典

米国政府の報告・業界誌・新聞・官報・研究書は Internet Archive のスキャンで、メーカーの沿革は各社の公式サイト(古いものは Internet Archive の保存)を 2026 年 10 月に確かめました。番号の付いた資料のほとんどはスキャンのコマ(Internet Archive の n 番号)です。米国特許の番号と日付は、Google Patents が自動の閲覧を受け付けなかったため、米特許庁の『Official Gazette』のスキャンで確かめ、リンクは Google Patents にしています。Samputensili の年は、同社の沿革(2010・2013・2016 年版)と Gear Technology 誌の記事を突き合わせ、ドイツの歯車機械の章と年を合わせました。会社の沿革だけにもとづく「最初の」は、その会社にとっての最初の意味です。

  1. Gleason Corporation『Gleason 160:Yesterday and Today』(2025、社史。番号は電子版のページ)p. 8
  2. Alfredo Galassini「Dentatrici coniche senza sagoma」(型板を使わないかさ歯車歯切り盤)『Il Politecnico』第 56 巻(Milano、1908)pp.50〜60 ほか(前半は第 55 巻 p.626〜)コマ 61・62
  3. Godfrey L. Carden『Machine-Tool Trade in Austria-Hungary, Denmark, Russia, and Netherlands, with Supplementary Reports on Italy and France』米国商務労働省(1910)コマ 170・171・172・173
  4. Duccio Bigazzi・Giancarlo Subbrero「Tecnologia e organizzazione produttiva alla Lancia (1906-1969)」、Franco Amatori ほか『Storia della Lancia: impresa, tecnologie, mercati 1906-1969』Fabbri Editori(1992)コマ 216・217・243・244・246・254・464
  5. 「Gear Profile: Antonio Maccaferri」『Gear Technology』2014 年 1・2 月号 pp.36〜38(SAMP の会長への聞き取り)
  6. Samputensili「History」(2010 年 1 月の公式サイト。Internet Archive の保存)
  7. Star SU Europe「Profile」(旧 Samputensili Cutting Tools、Bentivoglio)
  8. 『Gazzetta Ufficiale della Repubblica Italiana』1949 年 7 月 23 日 第 167 号 臨時増刊「Beni asportati dai tedeschi e recuperati」第 11 次一覧(ドイツ・オーストリアから取り戻した機械の返還)コマ 3・4
  9. 『Gazzetta Ufficiale della Repubblica Italiana』1949 年 10 月 6 日 第 230 号 臨時増刊「Beni asportati dai tedeschi e recuperati」第 12 次一覧コマ 3
  10. 『U.S. News & World Report』1950 年 9 月 22 日号(共産圏への戦略物資の流れの記事)コマ 30
  11. 米国商務省『Foreign Commerce Weekly』1952 年 9 月 8 日号(海外の貿易・ライセンスの引き合い)コマ 8・10
  12. Lombardia Beni Culturali「Ingranaggi di macchina per filettare le viti」(Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia の Leonardo の模型、ST070-00053)
  13. 『Gazzetta Ufficiale della Repubblica Italiana』1957 年 6 月 28 日 第 160 号(外国貿易省令 1957 年 6 月 25 日、輸入の表「A Import」への追加)コマ 4・7
  14. Richard Bailey「Machine Tool Firms React to Freer Trade」『Engineering』(London)1960 年 6 月 17 日号 p.813コマ 60
  15. 『Machinery』(London)第 99 巻 1961 年 9 月 6 日号「Sicmat Type SSU 310 Universal Gear Shaving Machine」p.548コマ 191
  16. 米国特許 3,534,481「Machine for the Control of Helicoids and Involutes」C. Occhialini・C. Tattini(Samputensili S.p.A.。1968 年 3 月 25 日出願、伊優先 1967 年 3 月 28 日、1970 年 10 月 20 日成立)
  17. 『Gazzetta Ufficiale della Repubblica Italiana』1968 年 1 月 20 日 第 16 号 臨時増刊(Koblenz の仲裁委員会・Bonn の裁判所に出された補償の申し立ての一覧)コマ 5
  18. 『Machinery and Production Engineering』第 114 巻(1969 年 1〜6 月)索引
  19. 米国特許 4,290,718「Tools for Bevelling and Deburring Gears」C. Occhialini(Samputensili S.p.A.。1978 年 4 月 24 日出願、伊優先 1977 年 5 月 3 日、1981 年 9 月 22 日成立)
  20. 米国特許 4,412,765「Apparatus for Facilitating Chamfering/Deburring Tool and Gear Meshing」C. Occhialini(Samputensili S.p.A.。1981 年 1 月 12 日出願、伊優先 1980 年 1 月 9 日、1983 年 11 月 1 日成立)
  21. 『l'Unità』1980 年 3 月 10 日(東ドイツの工作機械の広告)
  22. O. Bossi・A. Miletto(SICMAT)「Gear Shaving Center for FMS」『Robotics and Computer-Integrated Manufacturing』4 巻 1-2 号(1988)pp.149〜154
  23. Samputensili「History」(2013 年 10 月の公式サイト。Internet Archive の保存)
  24. 『Gear Technology』2000 年 9/10 月号 Industry News「Samputensili Acquires Hurth Modul」
  25. 『Gear Technology』2002 年 5/6 月号 Industry News「SU America and Star Cutter Consolidate Sales」(番号は PDF のページ)p. 20
  26. Samputensili「The SAMP Group」「The Maccaferri Industrial Group」(2010 年 1 月の公式サイト。Internet Archive の保存)
  27. 『Gear Technology』2007 年 8 月 30 日「Star SU and Sicmat Sign Distribution Agreement」
  28. 『l'Unità』2010 年 2 月 4 日「Operai sul tetto a Ortona: Chiudono la Samputensili」コマ 5
  29. 『Gear Technology』2010 年 10 月 11 日「MAG Acquiring Samputensili Gear Hobbing Line」
  30. Samputensili「Profilo」(2016 年 5 月の公式サイト、伊語。Internet Archive の保存)
  31. 『Gear Technology』2015 年「Samputensili Acquires Gear Shaving Machine Technology Company Sicmat」
  32. EMAG「History」(沿革)
  33. EMAG「EMAG SAMPUTENSILI(EMAG SU)– Gear Cutting Solutions」
  34. Leonardo Helicopters「RID: Cascina Costa, excellence for helicopter transmissions」
  35. Leonardo「A history of Italian ingenuity and technology(Italy)」(拠点の一覧)
  36. Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia Leonardo da Vinci「Collezioni」
  37. Museo Nazionale dell'Automobile(Torino)公式サイト
  38. MODUL MT Verzahntechnik「Historie」(沿革)
  39. American Precision Museum「Machine of the Month: Gear Shapers」
  40. Star SU「About Us」(Star Cutter の沿革と製品)