ITALY 08イタリアのその他の工作機械

イタリアの工作機械は、旋盤やフライス盤だけでは語れません。大物の穴と平面を 1 回の段取りで仕上げる大形の横中ぐりフライス盤、自動車の部品を流れ作業で削る専用機と FMS、部品の形を座標で測る三次元測定機、光で鋼板や成形品を切るレーザ加工機、板を自動で曲げるパネルベンダ、そしてイタリアが特に強い木工機械と石材の機械。この章では、こうした機械がイタリアでどんな仕事のために生まれ、仕組みがどう変わり、現場の仕事がどう変わったかを、機種ごとの節に分けてたどります。年や機種は、特許の公報、当時の英米の業界誌、イタリアの官報と新聞、メーカーの発表で 1 つずつ確かめ、出来事ごとに出典(スキャンのコマが分かるものはコマ番号)を付けました。

大物の穴から
石と木まで
イタリアは広い!

マスコットのチップス

この章の機械は、時代の章と重なるところがあります。戦後の復興と産地の広がりは第 2 章、Comau・Mandelli の FMS と Prima・Salvagnini の会社としての歩みは第 3 章で詳しく扱います。この章では機械の仕組みを中心に書きます。日本の中ぐり盤と放電加工機の歴史は、国産アーカイブの第 5 章「ボール盤・中ぐり盤の系譜」と第 6 章「放電加工機の系譜」にまとめています。

大形の横中ぐりフライス盤:Innocenti と PAMA

プレスの枠、タービンや大きな歯車箱の胴、船や製鉄機械の部品のような大物は、旋盤で回すことも、普通のフライス盤のテーブルに載せることもできません。こうした物は床や大きなテーブルに据えたまま、横向きの主軸を持つ機械の方を動かして削ります。これが横中ぐりフライス盤です。太いフライス主軸の中に、細い中ぐり主軸が入れ子になっていて、中ぐり主軸を前へ伸ばして深い穴を削り広げます。主軸頭は柱(コラム)に沿って上下し、柱は工作物に近づいたり離れたりし、テーブルは横に動きます。工作物を据え直さずに、平面を削り、穴をあけ、穴を正確な位置と径に仕上げられるのが強みです。

Innocenti:鋼管の会社が大形機を作る

イタリアでこの機械を大きく作ったのは、スクーターの Lambretta で知られる Innocenti です。1958 年の英国の業界誌によると、会社は 1933 年に Fratelli Innocenti として始まり、鋼管の足場や手すりから、鋼管そのものの製造、さらに製鉄と圧延の設備へ広がりました。Milano の Lambrate の工場は敷地が約 58ha、約 4,000 人が働き、そのうち機械設備部門の約 1,500 人が、鋼管の製造設備、圧延機、大形のプレスと並んで、フランスの C. W. Berthiez の設計によるライセンス生産の大形中ぐりフライス盤を作っていました[6][7]。米国の業界誌によると、Innocenti がこの機械の量産と販売を始めたのは 1950 年ごろです[9]。

1958 年 12 月の同じ英国の誌面は、その一つの FAP 140/95 を詳しく紹介しています[11]。型番の 140 と 95 は、フライス主軸と中ぐり主軸の直径(mm)です。送りはすべて無段変速の電動機で回す送りねじで、毎分約 0.6mm の微送りから約 1.6m の速い送りまで切れ目なく変えられ、主軸も 25 馬力の直流電動機で毎分 6〜1,000 回転を無段で変えました。位置決めは端度器(長さの基準の棒)でスイッチを動かす方式で、0.0004 インチ(約 0.01mm)の精度をうたっています。大形機ならではの工夫は、重さの釣り合わせです。柱を上下する主軸頭は、付ける付属品によって 2〜8t もあります。そこで柱の後ろの油圧のラムで主軸頭を吊り、ポンプの圧力を付属品に合わせて変え、止まっているときはアキュムレータで圧力を保ちました。柱の案内面にも左右の荷重の差を油圧で補う仕組みがあり、重い主軸頭が張り出しても案内面の片当たりを防いでいます。

Innocenti-Berthiez の量産1950 年ごろ〜C. W. Berthiez の設計のライセンス[9]
FAP 140/95 の主軸140mm / 95mmフライス主軸と中ぐり主軸[11]
主軸頭の重さ2〜8t油圧のラムで釣り合わせる[11]

日本の三菱造船へ、そして NC へ

この機械は日本にも渡りました。1959 年 11 月、Innocenti と技術援助の契約を結んだ三菱造船(Mitsubishi Shipbuilding & Engineering)が、Innocenti-CWB の中ぐり・フライス・複合機の製造を始めます。三菱造船は床形・プレーナ形などを作る計画で、1960 年 9 月には Chicago の第 2 回 Coliseum 工作機械見本市に F 140/95 を出品しました[9][12]。大物の機械にも、まもなく数値制御が付きます。1963 年後半の英国の業界誌の索引には、米国 Coleman の NC 装置 Modumatic No.650 を付けた Innocenti-CWB の横中ぐりフライス盤の記事が載っています[19]。

Innocenti の一族は 1972 年に会社を手放し、国の企業グループ IRI が機械部門を引き取って Innse Innocenti Sant'Eustacchio としました。Innse はその後、製鉄設備の会社として Mannesmann Demag、SMS へと移ります[7]。Milano の Innse の工場は 2009 年に閉鎖の危機を迎え、作業者が天井クレーンにとどまって全国の注目を集めたあと、Brescia の Camozzi が買って再開しました[51]。

PAMA:Rovereto の中ぐりフライス盤

今のイタリアの横中ぐりフライス盤の代表は、Trentino の Rovereto に本社を置く PAMA です。1926 年に Verona(ヴェローナ)で創業し、1980 年代に Rovereto へ移りました[5]。横中ぐりフライス盤のほか、門形などのマシニングセンタも作ります。1994 年には Piacenza の Mandelli のグループの一社(FMS-Pama)として国の特別管理に入り、1996 年に新しい Pama S.r.l. が約 130 人の雇用ごと事業を引き継いでいます[44][48]。2022 年 11 月、日本の Nidec が PAMA と関連 9 社の株式を買う契約を結びました。発表によると PAMA は従業員約 430 人、2021 年の売上は 1 億 1,830 万ユーロで、Nidec は大形機の品ぞろえと、5 軸・複合加工の技術の強化をねらいに挙げています[3][4]。

現場で何が変わったか。大物は、据え直すたびに芯出しに何時間もかかり、据え直した分だけ穴の位置がずれます。横中ぐりフライス盤は「工作物は動かさず、機械が回り込む」ことで、平面・穴・ねじ立てを 1 回の段取りで終わらせました。主軸頭の重さの釣り合わせや案内面の荷重の補正は、大形機が精度を出すための、いまも続く工夫です。

⇶専用機・トランスファーマシンから FMS へ:Comau

自動車のエンジンやスクーターの部品のように、同じ物を何万個も作るときは、1 台の汎用機で 1 個ずつ削るより、工程ごとに専用の加工ユニットを並べ、工作物を順に送る方が速くなります。工作物を回る台に載せて割り出すのが回転テーブル形の専用機、まっすぐ送るのがトランスファーマシンです。

1958 年の英国の業界誌は、Innocenti の工作機械部門が自社のために作った専用機を紹介しています。6 か所に割り出す回転テーブルの周りに単軸のユニットヘッドを 7 個並べ、ピストンに直径 2mm の油穴など 7 つの穴を順にあける機械です。テーブルを手で 1 つ回すとマイクロスイッチが働き、各ヘッドがカムで送られて穴をあけます[6]。部品を次の場所へ送り、それぞれの場所で決まった加工をする――トランスファーマシンと同じ考え方です。

Comau:Fiat の機械を作る会社の連合

1973 年、Fiat グループに機械を納めていた Torino の小さな会社数社が集まり、Consorzio Macchine Utensili(工作機械の共同体)を作ります。頭文字を取った名前が Comau です[29]。翌 1974 年には Comau Industriale として機械と設備の制御システムを出願しています[32]。UNIDO の 1991 年の報告は、Fiat グループの Comau を「イタリアと欧州で最大の工作機械会社」とし、世界の大手の表に工作機械の売上 3 億 8,000 万ドル(1989 年)、従業員 3,500 人と載せています[43]。

ヘッドチェンジャ:専用機の考え方を柔軟にする

トランスファーマシンは速い代わりに、部品が変わると作り直しになります。そこで 1970〜80 年代に広がったのが、NC の工作機械と搬送を計算機でつなぐ FMS(フレキシブル生産システム)です。米国標準局が 1986 年にまとめた世界の FMS の一覧には、Comau の名がたびたび出ます。1978 年のソ連 Cheboksary のトラクタ工場(年 5,000 台)、1982 年の Brescia の Iveco の変速機ケース、1984 年の Torino の Fiat の車輪ハブなどです[37]。Iveco の設備は工作機械 10 台にロボットと自動検査を組み合わせ、ヘッドチェンジャ(多軸の主軸頭そのものを取り替える装置)を備えていました。たくさんの穴を一度にあける多軸ヘッドはトランスファーマシンの道具ですが、そのヘッドを交換できるようにすれば、量産の速さを保ったまま、違う部品にも対応できます。専用機と FMS の間をつなぐ工夫です。会社としての Comau の歩みと FMS の広がりは第 3 章で扱います。

現場で何が変わったか。専用機の時代、段取り替えは「機械を作り直す」ことでした。FMS とヘッドチェンジャで、それが「プログラムとヘッドを替える」ことになります。今のマシニングセンタのライン(同じ機械を並べてパレットで流す)は、この延長にあります。

三次元測定機:Torino の DEA

プレス型や車体の模型のような大物の形を確かめるには、昔は大きな定盤の上に置き、ハイトゲージとけがき針で 1 点ずつ高さを測り、線を引いていました。時間がかかるうえ、測る人の腕で結果が変わります。

1963 年の特許:測定子を押すと機械がついてくる

Torino の DEA(Digital Electronic Automation)は 1962 年、Fiat でアナログ計算機を手がけた技術者 Franco Sartorio と Giorgio Minucciani が始めた会社です[14]。2 人は 1963 年 6 月、大物の工作物を 3 座標で測ってけがく装置をイタリアで出願しました。西独の公報によると、対象はプレス型とその模型、大きな鋳物・鍛造品、船や車体の部品、車体そのもの、航空機の風防などです。高さを変えられる腕を縦・横 2 軸のスライドで電動で動かし、腕の先の測定・けがきヘッドから下向きに出た測定子を工作物に当てて、3 座標を読み取ります[20][21]。

工夫は、測定子の動かし方にあります。スライドを手で押すと重さと摩擦で思うように止まらず、測定子を直接押すと支えがたわんで誤差になります。そこで測定子をカルダン継手(2 方向に傾く継手)で支え、作業者が測定子を傾けると、90 度ずらして置いた 2 つの差動トランス(動きを電気の信号に変える部品)が傾きを読み取り、その信号で水平の 2 軸のモータを動かすようにしました。作業者が軽く押すだけで、機械が測定子についてくるのです[20]。1966 年には精密な案内レールにほこりが積もらないようにする装置も出願していて、測定機の精度が案内面で決まることがよく分かります[22]。1970〜71 年の出願では、会社の住所は Torino の南の Moncalieri になっていました[26]。

「測定機の日本人は私たちだ」

1989 年 6 月、イタリアの新聞 l'Unità は DEA を「測定機(ハイテク)では、日本人は私たちだ」という見出しで紹介しました。記事によると、DEA は Fiat の仕事に飽き足りない 2 人の技師が Torino の Borgo San Paolo の倉庫で始めた会社で、創業者で社長の Minucciani は「最初の機械はドイツへ直接見せに行った」と語っています。当時は約 1,000 人のうち 800 人が技術者や大卒で、1988 年の売上は 1,150 億リラ、生産の 80% を輸出し、大形の高度な測定機では世界の生産の約 30% を占めていました。米国 Lockheed の機体を測る長さ 42m・公差 5µm の機械を作る一方、小形の機械 Swift でミツトヨと競おうとしていました。会社は国の企業グループ IRI の一員でした[15]。DEA は 1994 年 9 月、国の企業グループ Finmeccanica から米国 Brown & Sharpe に売られ、その計測グループに入りました[46][47]。2000 年 12 月、スウェーデンの Hexagon が Brown & Sharpe の計測の事業を DEA ごと買うことで合意しました[50]。

測定・けがき装置の出願1963 年 6 月差動トランスで測定子に追従[20]
1988 年の売上1,150 億リラ80% を輸出[15]
大形機の世界シェア約 30%1989 年の新聞記事[15]

現場で何が変わったか。定盤とハイトゲージの「けがき」は、三次元測定機の「座標の測定」に変わりました。記事は、出来上がった物を最後に検査するやり方から、ラインの途中で測って加工に返し、不良を出さないやり方へ移りつつあるとも書いています[15]。

✶レーザ加工機:Prima と立体のレーザ

Torino の Prima は、1977 年の春に Prima Progetti として始まりました。最初はロボット・電子機器・測定機・自動化の開発の会社です[33]。1986 年のイタリアの雑誌の記事は、DEA の創業者の 1 人 Franco Sartorio が DEA を離れて Moncalieri で始めた会社だとし、当時すでに Prima Industrie のグループの一社だったと書いています[14]。

1978 年の特許:成形品の縁をレーザで切る

同社が 1978 年に出願したのは、自動車の内装材を切る自動レーザ切断機です[38]。天井の内張りのような内装材は、硬いか半硬の板を型で押して立体の形にし、そのあと縁を切りそろえ、窓や穴を抜きます。米国の公報によると、それまでは縁の切り落としにも型が要り、型は高く、生産が始まったあとは形を変えられませんでした。少量の生産や量産の立ち上がりでは手で切るしかなく、費用がかさみ、出来もばらつきました。Prima の機械は、工作物を載せる台を 1 軸で動かし、レーザのヘッドを 2 つの直線軸と 2 つの回転軸で動かして、立体の縁に沿ってヘッドを向けながら切ります。発明者は、DEA の 1963 年の特許にも名のある Franco Sartorio です[39][20]。

1979 年、Prima は大きな三次元のプレス部品を加工する、同社として最初のレーザ切断機を据え付けます。1980 年代の終わりには測定機を Finmeccanica に、ロボットを ABB に渡してレーザに絞り、1990 年代の初めにはスイスの Laserwork を買って平らな板を切る二次元の機械にも入りました。1990 年代の半ばには立体用の Optimo・Rapido などを出しています[33]。1999 年 10 月には、成長企業のための Milano の株式市場 Nuovo Mercato に上場しました[49]。

現場で何が変わったか。型でトリムする方法は、量産には速くても、形が変わるたびに型を作り直さなければなりません。5 軸のレーザなら、プログラムを替えるだけで違う形の縁を切れます。立体のレーザ加工は、試作と少量生産のやり方を変えました。

⌐板金機械:Salvagnini のパネルベンダ

板金の曲げの基本の機械はプレスブレーキ(曲げプレス)です。上の型を下の型に押し付けて、板を 1 本の線で曲げます。技師 Guido Salvagnini は、1961 年に曲げプレスの油圧の制御装置を出願し[13]、1963 年に Milano で板金加工のための油圧の機械の会社を始めました[16]。

1977 年の特許:板の方を動かして曲げる

プレスブレーキの弱点は、人の手です。板をプレスに入れて位置を合わせ、別の辺を曲げるたびに板を回し、逆向きに曲げるときは裏返し、曲げ終わったら取り出す――そのすべてを作業者が行います。手作業が多いほど遅く、寸法や角度の誤りも増えます。Salvagnini Transferica が 1977 年 9 月に出願した「縁を折り曲げた長方形の板パネルを作る機械」は、この手作業をなくしました[35]。

米国の公報によると、機械は次の 3 つでできています。1 つ目は C 形の枠を持つ曲げプレスで、下に曲げの受け刃、上に上下する板押さえ、その間に上下に動く一対の曲げ刃を持ちます。2 つ目は、板をつかむ万力を台車に載せた「鉄の手」で、台車はプレスに向かって水平に進み、万力の下あごが垂直の軸の周りに回ります。3 つ目は位置のプログラマです。板の 1 辺を決まった幅だけ受け刃と押さえの間に差し込み、押さえで押さえてから曲げ刃を上か下へ動かして曲げ、板を送り直して次の曲げ、1 辺が終わると板を 90 度か 180 度回して次の辺――を繰り返し、4 辺の上向き・下向きの曲げを人の手を借りずに行います。用途として、金属の家具、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、棚が挙げられています[36]。この機械がのちの P4 の始まりです。

同じ発明は 1979 年に英国と日本でも公開され[35]、Salvagnini は同じ 1979 年に自動パンチング機、1980 年にタレットパンチの工具交換の制御も出願しています。穴をあける機械と曲げる機械をつなぎ、板を人の手を通さずに流す準備です[40]。

現場で何が変わったか。プレスブレーキでは製品の大きさや曲げの向きに合わせて型を替え、人が板を持ち替えます。パネルベンダは曲げ刃が上下両方へ曲げ、板は機械が回すので、扉や箱のパネルの曲げが無人で続きます。家電や配電盤の箱を作る工場の板金ラインの形を変えた機械です。

木工機械:Rimini の SCM と Pesaro の Biesse

イタリアは木工機械の大きな産地でもあります。Adriatico 海側の Rimini と Pesaro には、世界に輸出する木工機械の大手が育ちました。

SCM の始まりは、鋳物と機械加工に通じた Nicola Gemmani と Lanfranco Aureli が 1935 年に一緒に仕事を始めたことです。1952 年夏、Rimini で最初の木工機械「L'Invincibile」ができます。設計は Nicola の息子の技師 Giuseppe Gemmani で、当時の機械より簡単で使いやすいことをねらい、戦後の建築ブームと家具の需要に応えました。1976 年には無垢の木材用のマシニングセンタと、木のドア・窓の加工システムを初めて作ります。1980 年代からは、家具の板にフライス・穴あけをする CNC マシニングセンタの Morbidelli、板を切るパネルソーの Gabbiani、研磨の Dmc などを傘下に入れ、1992 年には木造建築の部材の Routech と縁貼りの Stefani、2002 年には樹脂・複合材・ガラス・石の加工機の CMS を加えました。2021 年の売上は 7 億 5,000 万ユーロで、その 90% が輸出です[8][10]。

Biesse は 1969 年の創業です[23]。特許の記録を見ると、1972 年には家具の板の穴に木のだぼを差し込んで接着する装置を、1974 年と 1976 年には木材・木質の板用の多軸ボール盤の改良を出願しています[28][30][31]。組み立て家具の板には、棚だぼや蝶番、つなぎ金具の穴が決まった間隔でたくさん並びます。たくさんの主軸を一列に並べ、一度の動きで何十もの穴をあける多軸ボール盤は、金属の量産の多軸ボール盤と同じ考え方で、家具の量産の要になりました。

現場で何が変わったか。木工機械は金属用より主軸の回転が速く、刃物も軽い代わりに、扱う板が大きく、穴と溝の数がとても多いのが特徴です。多軸ボール盤から CNC のマシニングセンタへの移り変わりは、金属のボール盤から MC への流れとよく似ています。

石材の機械:Carrara のワイヤと Breton の人造石

爆薬から「線で切る」切り出しへ

Toscana の Carrara は、古代から大理石の産地です。かつては石を山から外すのに爆薬が使われましたが、爆薬は石を砕き、使える石を減らしました。1923 年の Milano の科学雑誌は、Carrara の近くで大きな発破をかけたものの石の多くが砕けて散り、それが爆薬をやめる決め手になったと書いています[2]。

代わりに広まったのが、らせん状にねじった鋼のワイヤ(filo elicoidale)で石を切る方法です。ワイヤそのものが削るのではありません。輪にしたワイヤを滑車で走らせ、切り口にけい砂と水を流すと、ワイヤが砂を引きずって石をすり減らし、溝が少しずつ深くなります。研削やラップと同じ、砥粒で削る加工です。問題は、山の岩にワイヤを入れる最初の切り口でした。ワイヤを通すために大きな縦穴を掘らなければならなかったのです。1898 年 3 月、Carrara の Attilio Monticolo に、その縦穴を掘らずに済む貫入プーリー(puleggia penetrante)の特許が交付されました[1]。1923 年の記事によると、貫入プーリーは直径 40〜50cm・厚さ 7〜8mm の鋼の円板で、周りの溝でワイヤを支えながら、三脚に据えた伸び縮みする腕で岩へ押し込みます。切り込みは 1 時間に 10〜15cm、長さ・深さとも 15〜20m の切り口を作れました。記事はこの使い方の発明者として Monticolo の名を挙げ、山を無駄に崩さずに済むことを大きな意義としています[2]。今では、ダイヤモンドを付けたワイヤで石のブロックを切る機械が使われています[17]。

Breton:石のくずから人造石の板へ

Treviso 県の Castello di Godego で 1963 年に Marcello Toncelli が始めた Brevetti Toncelli(のちの Breton)は、天然石を加工する機械の会社でした。床材の大理石を手がけるうち、当時は無かった石の板の工業的な研磨の工程を作り、さらに砕いた石と樹脂を固めた新しい材料へ進みます[17][18]。Toncelli は 1969 年に、砕いた大理石とポリエステル樹脂でブロックを作る装置を出願し[24][25]、1977 年に樹脂を結合材にした砕石の板の製法を、1981 年に大理石の粒のブロックを振動と真空の下で加圧する方法を出願しました[34][42]。空気を抜きながら揺すって詰めると、すき間の少ない硬い石ができます。これが Bretonstone の技術で、同社は 1982 年に小さな石英と樹脂の板の最初の設備、1984 年に大理石と樹脂の大きなブロックの BB300、1986 年に石英と樹脂の大きな板の BL300 を作ったとしています[17]。今のキッチンの天板によく使われる人造の石英の板は、この流れの上にあります。Breton は今、金属・複合材を削るマシニングセンタも作っています[17](第 5 章)。

現場で何が変わったか。ワイヤソーで切り出した石は割れが少なく、寸法のそろったブロックになります。切りくずだった石の粒が、樹脂と振動・真空で板に生まれ変わることで、石の加工は「削る」だけでなく「固めて作る」工業にもなりました。

積層造形:Prima Additive

Prima Progetti は、1980 年 10 月に「層を重ねて三次元の要素を作る方法」という題の特許を出願しています。発明者は Luigi Gilli と、DEA と Prima の特許に名のある Franco Sartorio です[41]。中身はまだ確かめられていないので、今の 3D プリンタと同じものかどうかは分かりません。

今の Prima の金属積層造形は、2022 年 4 月に Prima Industrie の事業から分かれた Prima Additive が担っています。粉を敷いてレーザで溶かし固める粉末床溶融結合と、粉やワイヤを吹き付けながら溶かして盛る指向性エネルギー堆積の両方の機械を作り、航空宇宙・自動車・医療・エネルギーなどへ売っています。日本の放電加工機メーカーのソディックは、2024 年に資本・業務の提携で株式の 9.5% を持ち、2025 年 5 月に 94.35% まで買い増して子会社にしました[52]。

…この章で扱えなかった機械

イタリアにもボール盤・ブローチ盤・放電加工機・金切りのこ盤のメーカーはありますが、今回は会社の歴史を一次資料(特許・当時の業界誌・公的な記録)で確かめられませんでした。確かめられたものから順に、この章に書き足していきます。アメリカとドイツのこれらの機械の歴史は、アメリカのその他の工作機械とドイツのその他の工作機械に、英国の中ぐり盤・平削り盤は英国のその他の工作機械にまとめています。

日本とのつながり

大形の中ぐりフライス盤。1959 年 11 月、三菱造船は Innocenti との技術援助の契約にもとづいて Innocenti-CWB の中ぐり・フライス・複合機を作り始め、翌年には Chicago の見本市に出品しました[9][12]。60 年あまり後の 2022 年、今度は日本の Nidec が Rovereto の PAMA を買う契約を結びます。Nidec は前の年に三菱重工工作機械(今の Nidec Machine Tool)を、2022 年には OKK を傘下に入れて工作機械に本格的に入ったところで、PAMA の大形の中ぐりフライス盤で品ぞろえを補うとしています[3]。日本の中ぐり盤の歴史は国産アーカイブ第 5 章の年表にあります。

測定機。1989 年の l'Unità の記事は、DEA が大形の高度な測定機では世界の上位にある一方、小形の機械では日本のメーカーに押されていて、新しい小形機 Swift でミツトヨに挑むと書いています。見出しの「日本人は私たちだ」は、当時のイタリアが日本の工作機械と測定機をどう見ていたかをよく表しています[15]。

板金機械。Salvagnini のパネルベンダの発明は、1979 年 7 月に日本でも特許出願として公開されています[35]。

積層造形。ソディックは 2014 年に金属 3D プリンタの事業を始め、主に金型の中に冷却の水路を作る用途で国内に売ってきました。2025 年の Prima Additive の子会社化は、金型以外の用途と欧州の市場を広げるためと説明しています[52]。ソディックの放電加工機の歩みは国産アーカイブ第 6 章にあります。

⑂メーカーの系図

この章の主なメーカーの社名の移り変わりと、事業の行き先です。帯の色が変わるところで社名が変わります。Prima Progetti が Prima Industrie に名前を変えた年と、Salvagnini Transferica のその後の社名の変わり目は確かめきれなかったので、点線で「その先は未確認」としています。DEA は Brown & Sharpe の傘下に入った年を確かめきれず、2000 年の Hexagon との合意で止めています。

192019401960198020002020Fratelli InnocentiInnocenti S.G. per l'Industria e MeccanicaInnse Innocenti Sant'Eustacchio(IRI)Mannesmann Demag が買収PAMA(Verona、1980 年代に Rovereto へ)FMS-Pama(Mandelli グループ、特別管理)Pama S.r.l. → PAMA S.p.A.PAMA(Nidec の傘下)DEA(Digital Electronic Automation)Brown & Sharpe の DEABrown & Sharpe ごと Hexagon へConsorzio Macchine UtensiliComau Industriale → ComauPrima Progetti → Prima IndustriePrima AdditivePrima Additive(ソディックの子会社)SalvagniniSalvagnini TransfericaSCM(L'Invincibile)→ SCM GroupBiesseBrevetti Toncelli → Breton帯の区切りが社名の変更。赤い矢印は合併・事業の譲渡の行き先。右端の › は今も続く会社。点線はその先が未確認。
出典:各社の沿革と社史 [6][7][3][4][5][44][48][14][20][15][47][50][29][32][43][33][39][52][16][36][8][23][28][17][18]

見に行ける所

イタリアの大形機や測定機の古い実物を常に公開している所は、今回は確かめられませんでした。大理石の切り出しの道具と機械は Carrara で見られます。公開日・見学の可否は、行く前にそれぞれの施設の案内で確かめてください。

Museo Civico del Marmo(大理石の市立博物館)Carrara(Toscana 州)1982 年に Carrara 市が開いた大理石の博物館。「産業考古学」の部屋に、古代から今までの大理石の切り出しと加工の機械・道具を並べています。今は一時休館中と案内されているので、行く前に開館を確かめてください[53]
Cava Museo Fantiscritti(Fantiscritti 石切り場博物館)Carrara(Toscana 州)大理石の石切り場の中にある 1987 年開館の野外の博物館。採掘中の石切り場ではなく、石切りの仕事と働く人の暮らしを、等身大の像と再現した家で伝えています。周りの石切り場の景色そのものが見どころです[54]

⌛年表

この章で確かめた出来事のすべてです。番号は出典で、押すとその資料(コマが分かるものはそのコマ)が開きます。「コマ」は Internet Archive のスキャンの通し番号、「PDF p.」は PDF のページです。特許は出願(優先日)の年で載せ、成立や公開の年は本文に書きました。

石切りと戦前大形機と創業FMS・レーザ・板金再編と海外の資本19001920194019601980200020201898195019591973197819892022黄色の点は大事な出来事(下の表の ★、年は混み合うところを省略)。時代の区切りの年は目安です。

大理石の切り出しと戦前の会社1890〜1945 年

年出来事メーカー・機種出典
1898年3月★Carrara の Attilio Monticolo に、らせん状のワイヤ(filo elicoidale)で岩を切るとき、大きな縦穴を掘らずに済む「貫入プーリー」の産業特許が交付される。ワイヤを岩の中へ導く鋼の円板で、大理石の切り出しを爆薬から機械の切断へ変える道具になった官報の 1898 年 3 月交付分の一覧(同年 6 月 10 日号)。らせん線そのものの導入は 1890 年代とされるAttilio Monticolo(Carrara)puleggia penetrante(貫入プーリー)[1・コマ8][2・コマ9]
1923年7月Milano の科学雑誌が、大理石の切り出しで爆薬が使われなくなりつつあると報じる。直径 40〜50cm・厚さ 7〜8mm の鋼の貫入プーリーでらせん線を岩に当て、けい砂を流して 1 時間に 10〜15cm ずつ切り込み、長さ・深さとも 15〜20m の切り口を作る—[2・コマ9]
1926年大形の横中ぐりフライス盤のメーカー PAMA が Verona(ヴェローナ)で創業する(2022 年の Nidec の発表による創業年)。1980 年代に Trentino の Rovereto へ移り、いまもそこに本社を置く創業地と移転は Trento 自治県の 2026 年 6 月の発表による(移転の正確な年は書かれていない)。1955 年の UCIMU の会員の広告には、Verona の Paini Morini Amadori が載る(PAMA との関係は確かめていない)PAMA[3][4][5]
1933年Ferdinando Innocenti の会社が始まる。鋼管の足場や手すりから出発し、のちに鋼管の製造と、製鉄・圧延の設備の大物部品へ広がったMachinery(1958)は 1933 年に Roma で Fratelli Innocenti として設立とし、SMS group の沿革は 1933 年に Milano で Innocenti Società Generale を設立とするFratelli Innocenti[6・コマ3][7]
1935年鋳物と機械加工に通じた Nicola Gemmani と Lanfranco Aureli が Rimini で一緒に仕事を始める。のちの木工機械メーカー SCM の源SCM[8]
1942年Innocenti が社名を Innocenti Società Generale per l'Industria e Meccanica に改める。戦後は Milano の Lambrate の工場に事業を集めたInnocenti[6・コマ3]

大形の中ぐりフライス盤と新しい会社1946〜1972 年

年出来事メーカー・機種出典
1950年ごろ★Innocenti が、フランスの C. W. Berthiez が設計し特許を取った中ぐり・フライス・複合の大形機の、ライセンスによる量産と販売を始める。1 回の段取りで平面削り・穴あけ・中ぐりまでこなす大物用の機械InnocentiInnocenti-CWB(Berthiez 設計)[9・コマ171][6・コマ3]
1952年★SCM が Rimini で最初の木工機械「L'Invincibile」を作る。設計は Nicola の息子の技師 Giuseppe Gemmani。戦後の建築と家具の需要に向けた、簡単で使いやすい機械だったSCM は 1952 年夏の機械をグループの始まりとしているSCML'Invincibile[8][10]
1958年1月英国の業界誌が Innocenti の Lambrate 工場を紹介する。敷地は約 58ha、従業員は約 4,000 人で、機械設備部門の約 1,500 人が鋼管の製造設備・圧延機・Berthiez のライセンスの大形中ぐりフライス盤・大形プレスを作っていたInnocenti[6・コマ3]
1958年1月同じ記事が、Innocenti の工作機械部門が自社用に作った専用機を紹介する。6 位置の割り出しテーブルの周りに単軸のユニットヘッド 7 個を並べ、ピストンに直径 2mm の油穴など 7 つの穴を順にあけるInnocentiピストン用の専用ボール盤[6・コマ9]
1958年12月Innocenti-Berthiez の FAP 140/95 が英国の業界誌で紹介される。フライス主軸は直径 140mm・中ぐり主軸は 95mm、すべての送りは無段変速の電動機で回すねじで、2〜8t の主軸頭を油圧で釣り合わせて上下の動きを軽くしていたInnocentiFAP 140/95[11・コマ134]
1959年11月★Innocenti との技術援助の契約にもとづき、日本の三菱造船(Mitsubishi Shipbuilding & Engineering)が Innocenti-CWB の中ぐり・フライス・複合機の製造を始める。床形・プレーナ形などを作る計画だった三菱造船・InnocentiMitsubishi-Innocenti-CWB[9・コマ171][12・コマ189]
1960年9月三菱造船が作った Innocenti-CWB の F 140/95 が、Chicago の第 2 回 Coliseum 工作機械見本市(9 月 7〜15 日)に出品される。1 回の段取りで加工を終えられる点をうたった三菱造船F 140/95[12・コマ153][12・コマ189]
1961年11月技師 Guido Salvagnini が、曲げプレス(プレスブレーキ)の油圧の制御装置を出願する(英国特許 GB1016679A の優先日)。のちの板金機械メーカーの出発点になる技術Guido Salvagnini[13]
1962年Fiat でアナログ計算機を手がけた技術者 Franco Sartorio と Giorgio Minucciani が、出資者とともに DEA(Digital Electronic Automation)をつくる。数年のうちに自動で測る三次元の測定機を作り、世界でも新しい機械になった年と創業者は 1986 年のイタリアの雑誌の記事(米国政府の翻訳)による。l'Unità(1989)は「Fiat を出た 2 人の技師が Borgo San Paolo の倉庫で始めた」とするDEA(Moncalieri)[14・p.17][15]
1963年Guido Salvagnini が Milano で会社を始め、板金加工のための油圧の機械を作る創業年は社史の題「1963/1993/2013」と内容紹介によるSalvagnini[16]
1963年Marcello Toncelli が Treviso 県の Castello di Godego で Brevetti Toncelli を起こす。従業員 6 人で、天然石を加工する機械の設計と製造から始めた設立の日は同社の沿革が 1 月 26 日、2023 年の発表が 1 月 5 日としているBrevetti Toncelli(のち Breton)[17][18]
1963年(7〜12月の号)英国の業界誌の索引に、米国 Coleman の数値制御装置 Modumatic No.650 を付けた Innocenti-CWB の横中ぐりフライス盤の記事が載る。大物の機械にも NC が付き始めたInnocentiInnocenti-CWB + Coleman Modumatic 650[19・コマ5]
1963年6月★Torino の DEA の Franco Sartorio と Giorgio Minucciani が、プレス型・車体・航空機の風防など大物を 3 座標で測ってけがく装置をイタリアで出願する。測定子を傾けると差動トランスが傾きを読み、モータが 2 軸のスライドを動かして測定子についていく西独特許 DE1260159B のイタリアの優先日。DEA の創業は 1962 年(1986 年のイタリアの雑誌の記事による)DEA大物の測定・けがき装置[20][21]
1966年4月DEA の Sartorio が、精密な機械の案内レールにほこりが積もらないようにする装置を出願する。測定機の精度は案内面の清らかさと真直さで決まるDEA[22]
1969年木工機械メーカーの Biesse がイタリアで創業する(同社の会社概要による)。登記は Marche 州の Pesaro UrbinoBiesse[23]
1969年11月Toncelli が、砕いた大理石とポリエステル樹脂を固めてブロックを作る装置を出願する。同じ年の 4 月には樹脂で固めた化粧板の製法も出願していて、石の「くず」を材料に変える道を探っていたMarcello Toncelli[24][25]
1970年7月DEA が工具の案内装置を出願し、のちの西独の公報に出願人を「D.E.A. Digital Electronic Automation S.p.A., Moncalieri」と記す。工場は Torino の南の Moncalieri に移っていたDEA[26]
1972年Innocenti の一族が会社を売り、国の企業グループ IRI が機械部門を引き取って Innse Innocenti Sant'Eustacchio とする中南米の鉄鋼業界誌の 1972 年 3 月号は、Innocenti Meccanica が Innocenti Santeustacchio に社名を変えたと伝えるInnse Innocenti Sant'Eustacchio[7][27]
1972年1月Biesse が、家具の板の穴に木のだぼを差し込んで接着する装置を出願するBiesse[28]

柔軟な生産と新しい加工法1973〜1990 年

年出来事メーカー・機種出典
1973年★Fiat グループに機械を納めていた Torino の小さな会社数社が集まり、Consorzio Macchine Utensili(工作機械の共同体)、のちの Comau ができる同社の沿革の表記には 1970 と 1973 が混じる。本文の「1973 年に結成」を採ったComau[29]
1974年2月Biesse が木材用の多軸ボール盤の改良を出願し、1976 年には木質の板用の多軸自動ボール盤の改良も出願する。家具の板に棚だぼや金具の穴を一度にあける機械Biesse多軸ボール盤[30][31]
1974年3月Comau Industriale が、機械や設備の制御システムを出願する(米国では 1977 年に成立)Comau Industriale[32]
1975年Breton は、この年を Bretonstone(砕いた石と樹脂を真空の中で振動させて固める技術)の最初の特許の年としているBretonBretonstone[17]
1976年SCM が無垢の木材用のマシニングセンタと、木のドア・窓の加工システムを初めて作るSCM[8][10]
1977年Torino で Prima Progetti が始まる。最初はロボット・電子・測定機・自動化の開発の会社だった1986 年のイタリアの雑誌の記事(米国政府の翻訳)は、DEA の創業者の 1 人 Franco Sartorio が DEA を離れ、1977 年に Moncalieri で Prima Progetti を作ったとし、当時は Prima Industrie のグループの一社だったと書くPrima Progetti(のち Prima Industrie)[33][14・p.17]
1977年4月Toncelli が、樹脂を結合材にした砕石の板の製法と装置を出願するMarcello Toncelli[34]
1977年9月★Salvagnini Transferica が「縁を折り曲げた長方形の板パネルを作る機械」を出願する。曲げプレス 1 台と、板をつかんで送り・回す「鉄の手」と位置のプログラマで、4 辺の上下の曲げを人の手を借りずに続けて行う。米国では 1981 年 1 月に成立Salvagniniパネルベンダ(のち P4)[35][36]
1978年米国標準局の 1986 年の調査は、ソ連 Cheboksary のトラクタ工場(年 5,000 台)のケースとフレームの加工に、1978 年の Comau の FMS を挙げているComau[37・PDF p.183]
1978年3月★Prima Progetti が、自動車の内装材の縁を切る自動レーザ切断機を出願する。テーブルの 1 軸、ヘッドの 2 つの直線軸と 2 つの回転軸で、成形した立体の部品の縁にレーザを当てる。発明者は DEA の特許にも名のある Franco Sartorioイタリアの出願は 1978 年 3 月 1 日。米国の公報(US4728771A、1988 年成立)は優先日を 1978 年 1 月としているPrima Progetti[38][39]
1979年★Prima が、大きな三次元のプレス部品を加工する、同社として最初のレーザ切断機を据え付ける。立体のレーザ加工機は、のちに同社の主力になったPrima Progetti[33]
1979年7月Salvagnini のパネルベンダの発明が、英国(3 月)に続いて日本でも特許出願として公開される(JPS5490063A)。西独・フランス・スペインでも同じ発明が公報に載ったSalvagnini[35]
1979年9月Guido Salvagnini が自動パンチング機を出願し、1980 年にはタレットパンチの工具交換の制御も出願する。穴あけと曲げを機械どうしでつなぐ準備Salvagnini[40]
1980年10月Prima Progetti の Luigi Gilli と Franco Sartorio が「層を重ねて三次元の要素を作る方法」を出願する(題名による。中身は確かめていない)Prima Progetti[41]
1981年5月★Toncelli が、大理石の粒のブロックを振動と真空の下で加圧して作る方法を出願する。空気を抜きながら揺すって詰めることで、すき間の少ない人造石ができるMarcello ToncelliBretonstone[42]
1982年Brescia の Iveco のカバーと変速機ケースの加工に Comau の FMS が入る。工作機械 10 台・ロボット・自動検査に加え、多軸の主軸頭を取り替える「ヘッドチェンジャ」を備えていたComau[37・PDF p.84]
1982年Breton が、小さな石英と樹脂の板を作る最初の Bretonstone の設備を発表するBretonBretonstone[17]
1984年Torino の Fiat の車輪ハブの加工に Comau の FMS が入る(米国標準局の調査による)Comau[37・PDF p.81]
1984年Bretonstone BB300 の設備が、大理石と樹脂の大きなブロックの生産を始める。1986 年には石英と樹脂の大きな板を作る BL300 を考え出したBretonBretonstone BB300[17]
1985年SCM が、家具の板にフライス・穴あけをする CNC マシニングセンタの Morbidelli を傘下に入れ、板の加工の機械と設備へ広がる会社概要は「1985 年から」、70 周年の発表は「1980 年代の終わり」としているSCM[10][8]
1980年代の終わりPrima がレーザ加工機に絞り込み、測定機の事業を Finmeccanica に、ロボットを ABB に渡すPrima Industrie[33]
1989年国連工業開発機関(UNIDO)の 1991 年の報告が、Fiat グループの Comau をイタリアと欧州で最大の工作機械会社とし、世界の大手の表に工作機械の売上 3 億 8,000 万ドル・従業員 3,500 人と載せる表の数字は 1989 年の欄と読める(スキャンの文字の読み取りが粗い)Comau[43・PDF p.38][43・PDF p.39]
1989年6月★l'Unità が DEA を紹介する。Moncalieri に約 1,000 人、1988 年の売上 1,150 億リラで 80% を輸出し、大形の高度な測定機では世界の生産の約 30% を占める。Lockheed 向けに長さ 42m・公差 5µm の機械を作り、小形の Swift でミツトヨに挑むとした。当時は国の企業グループ IRI の一員DEASwift[15]

再編と海外の資本1991 年〜

年出来事メーカー・機種出典
1990年代の初めPrima がスイスの Laserwork を買い、平らな板を切る二次元のレーザ加工機に入る。1990 年代の半ばには立体用の Optimo・Rapido などを出したPrima Industrie[33]
1992年SCM が木造建築の部材を加工する Routech と、縁貼り機の Stefani を傘下に入れるSCM[8]
1994年3月国が Mandelli グループの会社を特別管理(amministrazione straordinaria)の下に置く。Piacenza の Mandelli のほか、Rovereto の FMS-Pama(中ぐりフライス盤の PAMA)、Brescia の Innse Macchine Utensili、Padova の Saimp Sistemi、立て旋盤の Omba なども同じグループだった多くの会社は 1994 年 3 月 15 日に手続きに入った(官報 2003 年 4 月 30 日の一覧)Mandelli グループ・PAMA・Innse[44][45]
1994年9月米国の Brown & Sharpe が、国の企業グループ Finmeccanica から DEA の計測の会社をまとめて買う(9 月 28 日)。対価は自社株 345 万株で、測定機は Brown & Sharpe・Leitz・DEA の 3 つのブランドで売ることにした契約は 1994 年 6 月。DEA の 1993 年の売上は約 1 億 1,070 万ドルDEA・Brown & Sharpe[46][47]
1996年8月特別管理の Mandelli グループの整理で、Rovereto の FMS の事業(中ぐりフライス盤)を新しい Pama S.r.l. が引き継ぐ。約 130 人の雇用がそのまま続いた8 月 30 日の労働省での合意による。Mandelli の Piacenza の工場は Mandelli Industrie が、Padova の Saimp Sistemi は F.R.S. が引き継いだPama S.r.l.(Rovereto)[48]
1999年10月Prima Industrie が、成長企業のための Milano の新しい株式市場 Nuovo Mercato に上場する。この週には 4 社が Nuovo Mercato に上場したPrima Industrie[49]
2000年12月スウェーデンの Hexagon が、米国 Brown & Sharpe の計測の事業とブランドを、Torino の DEA を含めて買うことで合意したと報じられるDEA・Brown & Sharpe・Hexagon[50]
2002年SCM が、樹脂・複合材・ガラス・石を加工する機械の CMS を傘下に入れるSCM[10]
2009年10月Milano の Innse の工場を、Brescia の Camozzi が 400 万ユーロで買って再開する。8 月には閉鎖に反対する作業者 5 人が工場の天井クレーンに 8 日間とどまり、全国に知られていたInnse(Milano)[51]
2021年SCM グループの売上が 7 億 5,000 万ユーロ、その 90% が輸出、従業員は 4,000 人を超えるSCM[8]
2022年4月Prima Industrie の金属 3D プリンタの事業が分かれ、Torino の Prima Additive S.r.l. になるPrima Additive[52]
2022年11月★日本の Nidec が、横中ぐりフライス盤の PAMA と関連 9 社の株式を買う契約を結ぶ。PAMA は従業員約 430 人、2021 年の売上 1 億 1,830 万ユーロ。Nidec は大形機の品ぞろえと 5 軸・複合加工の強化をねらいに挙げたPAMA・Nidec[3][4]
2023年Breton が創業 60 年を祝う。従業員は約 1,000 人、これまでに出した特許は 1,700 件を超えるBreton[18]
2024年4月日本の放電加工機メーカーのソディックが Prima Additive と資本・業務の提携を結び、株式の 9.5% を持つソディック・Prima Additive[52]
2025年5月★ソディックが Prima Additive の株式を買い増して 94.35% を持ち、子会社にする。粉末床のレーザ溶融と、粉末・ワイヤの指向性エネルギー堆積の金属 3D プリンタを作る会社ソディック・Prima Additive[52]

よくある質問

イタリアの三次元測定機の始まりはいつですか?
Torino の DEA の Franco Sartorio と Giorgio Minucciani が、1963 年 6 月に大物の工作物を 3 座標で測ってけがく装置をイタリアで出願しています。測定子を傾けると差動トランスが読み取り、モータが測定子についていく仕組みでした。1989 年には大形の高度な測定機で世界の生産の約 30% を占めると報じられています。
パネルベンダとプレスブレーキはどう違うのですか?
プレスブレーキは型で板を 1 本の線で曲げ、板の位置合わせや持ち替えは人が行います。Salvagnini が 1977 年に出願したパネルベンダは、板押さえで押さえた板の縁を上下に動く曲げ刃で曲げ、板は「鉄の手」がつかんで送り・回すので、4 辺の上向き・下向きの曲げを人の手を借りずに続けられます。
大理石はどうやって山から切り出していたのですか?
かつては爆薬が使われましたが、石が砕けて無駄が多いため、らせん状にねじった鋼のワイヤに砂と水を流して石をすり減らす方法に代わりました。1898 年には Carrara の Attilio Monticolo に、ワイヤを岩に導く貫入プーリーの特許が交付されています。今はダイヤモンドを付けたワイヤで切ります。
イタリアの大形中ぐりフライス盤と日本の関係は?
1959 年に三菱造船が Innocenti との技術援助の契約で Innocenti-CWB の中ぐり・フライス・複合機を作り始め、1960 年に米国の見本市に出品しました。2022 年には日本の Nidec が Rovereto の PAMA を買う契約を結んでいます。

この先と関係するページ

出典

特許は各国の公報(Google Patents の書誌と全文)で、英米の業界誌・イタリアの官報と雑誌は Internet Archive のスキャンで、新聞は l'Unità の紙面の PDF で、メーカーと政府・国際機関の資料は各ページと PDF で、2026 年 10 月に確かめました。「コマ」はスキャンの通し番号、「PDF p.」は PDF のページです。特許の年(出願・公開・成立)と製品の年(発表・据え付け)は 1〜数年ずれることがあるので、本文で書き分けています。「最初の」は、本文で「〜としている」と書いたものはその会社自身の記述です。

  1. Gazzetta Ufficiale del Regno d'Italia 1898 年 6 月 10 日 n.134(農工商省「1898 年 3 月に交付した産業特許の一覧」p.2088)コマ 8
  2. La Scienza per Tutti(Milano)1923 年 7 月の付録「L'abolizione della mina nell'estrazione del marmo」コマ 9
  3. Nidec「Nidec to Execute a Share Transfer Agreement on Italian Machine Tool Manufacturer PAMA and Its Affiliates」(2022 年 11 月 30 日)
  4. PAMA S.p.A.「Azienda」(会社案内、Rovereto)
  5. Trento 自治県 広報「I 100 anni di Pama」(Comunicato 1850、2026 年 6 月 19 日)
  6. Machinery(London)Vol.92 No.2356, 1958 年 1 月 10 日「Methods Employed in the Innocenti Works at Milan, Italy」コマ 3・9
  7. SMS group「Innocenti / SMS Innse」(受け継いだブランドの沿革)
  8. SCM Group プレスリリース「Scm Group compie settant'anni」(2022 年)
  9. Machinery(New York)Vol.67 No.2, 1960 年 10 月「Mitsubishi-Innocenti-CWB Milling, Boring, and Combined Machines」コマ 171
  10. SCM Group「Company profile」(見本市のプレスキット)
  11. Machinery(London)Vol.93 No.2405, 1958 年 12 月 17 日「Innocenti-Berthiez Plano-milling and Boring Machine」コマ 134
  12. American Machinist Vol.104 No.18, 1960 年 9 月 5 日(記事「Mitsubishi-Innocenti CWB Milling and Boring Machine on Display at Coliseum」と三菱造船の告知)コマ 153・189
  13. 英国特許 GB1016679A「曲げプレスの油圧制御装置」Guido Salvagnini(優先日 1961 年 11 月 3 日、公開 1966 年 1 月 12 日)
  14. Mariangela Pattarozzi「Composition of Italian Robotics Industry」Media Duemila No.13(1986 年 1 月)の英訳、米国 JPRS『West Europe Report: Science and Technology』JPRS-WST-86-018(1986 年 4 月 28 日)pp.17〜18(DTIC ADA348256)p. 17
  15. l'Unità 1989 年 6 月 17 日 p.14「Una piccola grande: la Dea. Nelle macchine di misura (alta tecnologia) i giapponesi siamo noi」(Stefano Righi Riva)
  16. Mario Marobin『Salvagnini 30+20 – Jubilee (1963/1993/2013)』Youcanprint(電子書籍の内容紹介)
  17. Breton「History」(沿革と年表)
  18. Breton プレスリリース「Breton S.p.A.: 60 anni di storia con spirito pioneristico」(2023 年)
  19. Machinery and Production Engineering(London)Vol.103(1963 年 7〜12 月)の索引コマ 5
  20. 西独特許 DE1260159B「大きな工作物の測定・けがき装置」Dea S.p.A.、発明者 Franco Sartorio・Giorgio Minucciani(イタリアの優先日 1963 年 6 月 28 日、公告 1968 年 2 月 1 日)
  21. 仏特許 FR1389527A「大物の測定とけがきの電子装置」Dea S.p.A.(出願 1963 年 12 月 24 日)
  22. 米国特許 US3446539A「Guide rail protective device」Dea S.p.A.、発明者 Franco Sartorio(優先日 1966 年 4 月 8 日、成立 1969 年 5 月 27 日)
  23. Biesse「会社概要」
  24. 西独特許 DE2054168C3「砕いた大理石とポリエステル樹脂のブロックを作る装置」Marcello Toncelli(優先日 1969 年 11 月 13 日)
  25. 英国特許 GB1192170A「建物用の化粧板の製法」発明者 Marcello Toncelli(優先日 1969 年 4 月 10 日)
  26. 西独特許 DE2137608C3「工具の案内装置」D.E.A. Digital Electronic Automation S.p.A., Moncalieri(優先日 1970 年 7 月 29 日)
  27. 『Acero Latinoamericano』第 13 巻(1972〜73 年)索引「Innocenti Santeustacchio(Italia), nuevo nombre」No.155(1972 年 3 月)p.41
  28. イタリア特許 IT948891B「板の穴に木のだぼを差し込んで接着する装置」Biesse Snc(1972 年 1 月 19 日)
  29. Comau「History」(沿革)
  30. イタリア特許出願 IT7420092A1「木材用の多軸ボール盤の改良」Biesse Srl(1974 年 2 月 1 日)
  31. イタリア特許 IT1065666B「木質の板用の多軸自動ボール盤の改良」Biesse Srl(1976 年 12 月 16 日)
  32. 米国特許 US4052601A「Control systems for machines and plants generally」Comau Industriale S.p.A.(優先日 1974 年 3 月 18 日、成立 1977 年 10 月 4 日)
  33. Industrial Laser Solutions「Prima Industrie celebrates 30th anniversary」2007 年 6 月 28 日
  34. 西独特許出願 DE2752240A1「樹脂を結合材にした砕石の板の製法と装置」Marcello Toncelli(優先日 1977 年 4 月 22 日)
  35. イタリア特許 IT1086365B「縁を折り曲げた長方形の板パネルを作る機械」Salvagnini Transferica S.p.A.(出願 1977 年 9 月 19 日。同じ発明の公報:GB2004216A 1979 年 3 月、JPS5490063A 1979 年 7 月、DE2839978、FR2403126、US4242898A)
  36. 米国特許 US4242898A「Machine for bending the edges of sheet metal」発明者 Guido Salvagnini、Salvagnini Transferica S.p.A.(優先日 1977 年 9 月 19 日、成立 1981 年 1 月 6 日)
  37. W. P. Darrow『A Survey of Flexible Manufacturing Systems Implementations』NBSIR 86-3413、米国標準局(NBS)1986 年 7 月(付録 C の FMS の一覧)PDF p. 81・84・183
  38. イタリア特許 IT1111412B(出願 IT7867410A0)「自動車の内装材用の自動レーザ切断機」Prima Progetti S.p.A.(1978 年 3 月 1 日)
  39. 米国特許 US4728771A「Automatic cutting machine using laser ray」発明者 Franco Sartorio、権利者 Prima Industrie S.p.A.(優先日 1978 年、成立 1988 年 3 月 1 日)
  40. イタリア特許 IT1123708B「自動パンチング機」Salvagnini Transferica S.p.A.、発明者 Guido Salvagnini(出願 1979 年 9 月 12 日)
  41. イタリア特許出願 IT8068596A0「層を重ねて三次元の要素を作る方法」Prima Progetti S.p.A.、発明者 Luigi Gilli・Franco Sartorio(1980 年 10 月 20 日)
  42. イタリア特許 IT1150426B「大理石の粒のブロックを振動と真空の下で加圧する方法」Marcello Toncelli(1981 年 5 月 7 日)
  43. UNIDO『The World Machine-Tool Industry』背景報告(1991 年 6 月)PDF p. 38・39
  44. Gazzetta Ufficiale 1996 年 7 月 31 日 n.178(工業省 1996 年 7 月 24 日の命令。Mandelli グループ各社の特別管理の継続)
  45. Gazzetta Ufficiale 2003 年 4 月 30 日 n.99(Mandelli Industriale と関連会社の特別管理の清算人の任命。各社の手続きの開始日の一覧)
  46. Brown & Sharpe Manufacturing Co. Form 8-K(米国証券取引委員会への届出、1994 年。DEA の取得の契約)
  47. Brown & Sharpe Manufacturing Co. Form 10-Q(1994 年。1994 年 9 月 28 日に Finmeccanica から DEA グループを取得)
  48. Gazzetta Ufficiale 1997 年 6 月 17 日 n.139(労働省の命令。Mandelli グループの事業の引き継ぎと雇用の助成)
  49. Borsa Italiana 発表「Borsa Italiana: settimana record per le matricole: 5 nuove società quotate」(1999 年 10 月 29 日)
  50. Interempresas(スペインの業界誌)「El holding sueco Hexagon adquiere Brown & Sharpe」2000 年 12 月 11 日
  51. l'Unità 2009 年 10 月 14 日 p.31(Innse の工場を Camozzi が引き継いで再開した記事)
  52. ソディック「Prima Additive 社株式の追加取得による子会社化実施に関するお知らせ」(2025 年 5 月 13 日)
  53. Visit Tuscany(トスカーナ州の観光公式サイト)「Museum of Marble in Carrara」
  54. Visit Tuscany(トスカーナ州の観光公式サイト)「Cava Museo Fantiscritti」