GERMANY 04NC・メカトロニクスとインダストリー 4.0
数値制御(NC)は 1952 年に米国の MIT で生まれましたが、ドイツはそれを少し遅れて取り入れ、独自の形に育てました。大学の研究所が米国の技術を調べて会議で広め、電機メーカーの Siemens が NC 装置の SINUMERIK を作り、目盛りのメーカー Heidenhain が工場で打ち込める TNC を出し、大学と企業が NC の言語 EXAPT を共同で作りました。工作機械メーカーは、Trumpf のレーザ加工機や Gildemeister・Deckel・Maho のフライス盤と旋盤で世界に売り、1990 年代の再編を経て日本の森精機と組んだ DMG MORI が生まれます。そして 2011 年、工場の機械と製品をネットでつなぐインダストリー 4.0 がドイツから唱えられました。この章では、NC の装置と機械と会社の 70 年を、Stuttgart 大学の博士論文(Siemens の社内年表や契約書、VDW の統計を使ったもの)・人名事典・メーカーの沿革で 1 つずつ確かめ、出来事ごとに出典を付けてたどります。
リレーから
マイコン、
そしてネットへ!

NC の発明そのもの(Parsons と MIT、APT 言語、最初のマシニングセンタ)はアメリカ工作機械アーカイブ第 4 章にあります。この章はドイツが NC をどう取り入れ、どう育てたかをたどります。旋盤・フライス盤・研削盤など機械ごとの NC 化は機種の章(第 5 章〜第 9 章)、いまの NC の使い方はNC プログラムの解説にまとめています。
研究所と見本市から始まった NC(1948〜1963 年)
Aachen が米国を見に行く
ドイツで最初に NC に取り組んだのは大学でした。Aachen 工科大学の WZL(工作機械研究所)を 1936 年から 1973 年まで率いた Herwart Opitz は、米国によく出かけて MIT の研究を知っており、1952 年には助手の Helmut Hucks を MIT に送って、できたばかりの NC フライス盤を調べさせました。WZL は 1955 年に NC 機の模型を作り、Aachen の会合で少人数に見せています[2]。Opitz が 1948 年に始めた Aachen 工作機械会議(AWK)は、1956 年の第 8 回で MIT の Milton C. Shaw らが NC を紹介し、西ドイツで初めて広い聴衆の前で NC が論じられる場になりました[2][1]。Darmstadt 工科大学の Stromberger の研究所も 1957 年に、磁気テープの制御に改造したターレット旋盤を報告しています[2]。
最初の NC 機:1959 年の Paris と 1960 年の Hannover
電機メーカーは 1950 年代の後半に NC 装置の開発を始めます。Siemens は 1957 年に Erlangen の研究室で開発に取りかかり、1958 年 1 月にリレーで組んだ 1 軸の直線制御を経営陣に見せました[2]。1960 年にはリレー式の位置決め・直線制御を「Siemens-NC」として出し、Pittler がターレット旋盤 Piromat 23N に付けています[5]。
工作機械メーカーで最初に NC 機を見せたのは、Baden-Württemberg の 2 社でした。1959 年の Paris の第 6 回欧州工作機械展に、Nürtingen の Heller が自社のリレー式 NC を付けたターレットボール盤 SBR 32 を、Reutlingen の Burkhardt & Weber が NC のマシニングセンタを出しています。SBR 32 は、西ドイツで最初の NC 工作機械とみられています[2]。翌 1960 年 9 月の Hannover の工作機械展には、西ドイツの 11 社が NC 機を並べました。制御は Siemens-Schuckert が 4 台、RWTH Aachen・BBC・SEL・AEG が 1 台ずつで、ほとんどはリレーで組んだ位置決め・直線制御(決まった位置へ動いてから削る、または 1 軸ずつまっすぐ動く)でした。AEG だけが直線と円弧を補間するトランジスタ式の輪郭制御を、Waldrich Siegen のロール旋盤に付けて見せています[2]。
なぜドイツの NC は遅れて始まったのか
米国では NC は空軍の資金で航空機の部品のために育てられました。西ドイツにはそのような後ろ盾がなく、戦後の復興で注文はあふれ、工場は新しく入れた普通の機械で中〜大量の部品を作っていました。1962 年、西ドイツの約 470 の工作機械メーカーのうち 75% は従業員 250 人以下で、NC の開発費を自分で出せたのは 1 割ほど、実際に NC 機を作っていたのは数社でした。NC 装置は機械の値段の 3 割以上を占め、小さな機械ほど割に合わなかったのです[2]。一方で、目盛りのメーカー Heidenhain は 1952 年に光で目盛りを読む測長器を、1961 年には光電式のロータリエンコーダ ROD 1(1 回転 1 万本の目盛り)とリニアスケール LID 1 を出しており、位置を正しく測る部品はドイツの中で育っていました[3][2]。Heller は 1962 年に NC フライス盤と ATC 付きのマシニングセンタを開発しています[6]。
位置決め・直線制御と輪郭制御。ボール盤や中ぐり盤は、決まった位置へ速く動いて止まり、そこで穴をあければ済みます(位置決め)。フライス盤で斜めの面や円弧を削るには、2 つ以上の軸を同時に、速さの比を変えながら動かす計算(補間)が要ります(輪郭制御)。リレーで組んだ初期の NC は前者しかできず、輪郭制御には電子回路が必要でした。旋盤のテーパや丸みも輪郭制御が要るため、NC 旋盤は輪郭制御が安くなる 1960 年代半ばまで広がりませんでした。
SINUMERIK と EXAPT(1964〜1974 年)
SINUMERIK の名前
1964 年 9 月の Hannover の工作機械展で、Siemens は NC に「SINUMERIK」の名を付け、回路をリレーからトランジスタに替えました。翌 1965 年には最初の輪郭制御 Sinumerik BG(サーボモータと位置検出器の閉ループ)と BO(パルスモータの開ループ)を出しています[2][5]。同じ 1965 年の秋、Siemens は日本の富士通と契約を結び、Fanuc の電気油圧パルスモータ(電気のパルスで回る小さなモータの力を油圧で強める送り装置)を作って売るようになります。位置検出器を省ける安い NC の組み合わせでした[2]。1967 年の Hannover の欧州工作機械展では、Siemens の展示に Fanuc 260 が並びました[2]。
開ループと閉ループ。開ループの NC は「何パルス送れ」と指令するだけで、刃物台が本当にそこへ着いたかは確かめません。パルスモータが脱調(指令に追いつけず回り損なう)しない範囲なら安く正確ですが、重い送りや速い送りには向きません。閉ループの NC は、モータの回転やテーブルの位置を検出器で測り、指令とのずれをサーボモータで打ち消します。値段は上がりますが、重い機械でも速く正確に動かせます。初期の NC は値段との兼ね合いでこの 2 つを使い分け、検出器が安く良くなるにつれて閉ループが当たり前になりました。
NC 旋盤を一気に広げたのは、米国 GE の安い輪郭制御 GE 100S でした。1965 年にブリュッセルの展示会で、旋盤メーカーの Heyligenstaedt が GE 100S 付きの NC 旋盤を 100 台以上受注したといいます[2]。VDF の Boehringer は 1964 年に最初の NC 旋盤を見せましたが、直線制御では旋盤に向かず、輪郭制御に替えた 1967 年から売れ始めました[2]。Bielefeld の Gildemeister も最初の NC 旋盤 RSA を 1965 年に見せ、1967 年に売り出しています[7]。Bosch は 1968 年に NC 装置の小さなメーカー Dr. Masing を買い、米国 Bendix のライセンスで輪郭制御の NC を作り始めました[2]。
EXAPT と Opitz コード
NC が広がると、プログラムを作る手間が問題になります。米国の MIT が作った NC の言語 APT は形を書けても、回転数や送りのような加工の条件を自分で決められませんでした。そこで 1964/65 年から、Aachen の WZL と TU Berlin(Simon、のち Spur)、1965 年からは Stuttgart の Stute の研究所が加わって、APT に加工の技術を足した EXAPT(Extended APT)を作ります。1967 年には企業が資金を出す EXAPT-Verein ができ、Siemens も設立に加わりました[2][1]。旋削の部分(EXAPT 2)は、Gildemeister の設計部長だった Spur の経験が生かされています[2]。Opitz の研究からは 1964 年、部品の形を数字の並びで表す「Opitz コード」が生まれ、似た部品をまとめて作るグループテクノロジーの基礎として世界に広まりました。日本語にも訳されています[1]。
Trumpf の TRUMATIC 20
Stuttgart の Trumpf は、もともと曲がる軸の工具と電動のはさみの会社でした。米国の Cincinnati で NC の旋盤の設計に加わった Berthold Leibinger が設計部長になり、1967 年、型板をなぞって板を打ち抜く機械に輪郭制御の NC を付けた TRUMATIC 20 を Hannover の欧州工作機械展に出します。工具の交換まで自動で、紙テープの指令でどんな形でも少しずつ打ち抜いて(ニブリング)切り抜けました[2][8]。この機械が、のちのレーザ加工機の会社 Trumpf の出発点になります(くわしくは第 9 章)。
数字で見る 1970 年
1957〜70 年に西ドイツで作られた NC 工作機械は 2,861 台、9 億 600 万マルク。1970 年の 368 台のうち 302 台は輪郭制御の NC 旋盤でした。1971 年半ばに NC 機を作っていたのは 53 社で、全体の約 12% にすぎません[2]。1970 年の Hannover の展示会では、Siemens が会場の 13 台の工作機械を 1 台の計算機につなぐ DNC(直接数値制御)を実演し[2]、1973 年には Siemens 最初の CNC(計算機を組み込んだ NC)Sinumerik 580 が出ます。AEG はこれより 5 年早く CNC を出していました[2]。
CNC と工場でのプログラミング(1975〜1989 年)
Siemens と Fanuc
1975 年 7 月、Siemens と富士通ファナック(1972 年に富士通から独立)は新しい契約を結び、NC 装置を共同で開発することにしました。アジアでは Fanuc が Sinumerik を、欧州では Siemens が Fanuc を売り、米国には合弁の General Numeric を作ります[2]。最初の成果が 1976 年の Sinumerik System 7 で、Intel 3000 にNC 用の命令を足したマイクロプロセッサを使い、装置が小さく安くなって、機械のシーケンス制御(PLC)も CNC に入りました[2][5]。提携は、欧州共同体の委員会が 1982 年から販売の取り決めを調べ、1986 年に市場を閉ざしたとして両社に罰金を科したあと、1987 年 6 月に終わります。以後 2 社は世界の市場で競い合っています[2]。
Heidenhain の TNC と Maho
この時代のドイツの NC で最も大きな変化は、機械の前で作業者がプログラムを作る考え方でした。Heidenhain は 1976 年、Pfronten の Maho と組んで 3 軸の NC TNC 110/120 を出します。値段は当時の NC の約 5 分の 1 で、Maho や Deckel の小さなフライス盤にも NC が付けられるようになりました[3][2]。Maho は 1975 年の EMO Paris に最初の NC フライス盤 MH 900 NC を出して売れませんでしたが、Heidenhain の TNC を付けた機械が 1976〜77 年から成功し、TNC 121 付きだけで 6,000 台以上売れています[2]。Heidenhain は 1979/80 年から、図面の寸法を問いかけに答える形で打ち込む方式を「Klartext(平文)」と呼んで売り出し、1981 年には 3 軸の輪郭制御 TNC 145 を出しました[2][3]。München の Deckel は Grundig と組み、1978 年に小さな画面で操作を案内する NC「Dialog 1」を工具フライス盤に付けています[2]。
旋盤でも同じ流れがありました。Gildemeister は 1977 年に自社の CNC「Elektropilot M」を出し[7][2]、Traub は 1979 年の最初の CNC 旋盤で、日本の三菱電機の NC の上に工場でプログラムを作れる自社のソフトを載せました[2]。Siemens も 1977 年の EMO Hannover で、旋盤の輪郭を短く指令できる CNC を出しています[2]。
現場で何が変わったか。それまでの NC は、事務所の「プログラム係」が紙テープを作り、工場の作業者は機械を見守るだけ、という分け方が前提でした。機械の前で図面を見ながら打ち込める TNC や会話式の CNC は、1 個・数個の注文が多い町工場や型の工場に NC を広げました。いまの日本の町工場で当たり前の「機械の前で段取りしてプログラムを作る」やり方は、この時代のドイツと日本の NC の競争から生まれたものです。
レーザ加工機
Trumpf は 1979 年、打ち抜きと 500W の CO2 レーザを 1 台にした TRUMATIC 180 LASERPRESS を出しました。出力が足りず穴の開け始めを打ち抜きで作る必要があったため、2 つを組み合わせたのです。3 年で 200 台売れ、1985 年には自社の CO2 レーザ TLF 1000(1kW 超)を、1987 年には板を動かさず加工ヘッドが動くレーザ加工機 TRUMATIC L 3000 を出します[11][12][2]。
日本の NC に押される
1985 年の NC 装置の世界のシェア(その他の小さなメーカーを除く)は、日本のファナック・三菱電機・オークマで約 6 割、ドイツの Siemens と Heidenhain で 15% 弱、米国の GE は 5.6% でした。1970〜74 年の西ドイツの国内では GE が NC 旋盤の装置の 42% を占めていたことを思うと、10 年で地図が大きく塗り替わったことになります[2]。1989 年の EMO Hannover では、ドイツの数社が作った NC と駆動装置のデジタル通信の規格 Sercos が発表されました[2]。
再編と DMG MORI(1990〜2010 年)
1990 年代の初め、ドイツの工作機械工業は統一後の好況のあと深い不況に落ち、働き手を大きく減らしました。研究者は、注文ごとに機械を作り込みすぎて、日本のように安く作れなくなったことを大きな原因に挙げています[14]。München の Deckel と Pfronten の Maho は 1993 年 6 月に合併の契約を結びましたが、Deckel Maho AG は 1994 年に破綻し、Bielefeld の Gildemeister が大部分を引き取ります。Geretsried・Pfronten・Seebach の工場が Gildemeister のグループで続きました[2][14][7]。NC 装置の側でも、Grundig が 1993 年に Gildemeister の NC 部門の過半を買い、1996 年には Heidenhain が Grundig の NC 部門を引き取って、Deckel・Maho・Gildemeister の NC の流れが Heidenhain に集まります[2]。
Siemens は 1994 年に、駆動装置とデジタルでつなぎ、機械メーカーが自分のソフトを入れられる Sinumerik 840D を出し、1996 年には安全機能をソフトで監視する Safety Integrated、1997 年には画面で加工の手順を組む ShopMill・ShopTurn を加えました[5][2]。Heidenhain の TNC は 1996 年に累計 10 万台に達しています[2]。Bosch の NC は 2001 年に Bosch Rexroth へ移りました[2]。
機械メーカーも形を変えます。Esslingen の INDEX は 1997 年に隣町の Traub を買い[16]、EMAG は 1994 年に、主軸が工作物をつかみ上げて刃物の上へ運ぶ立て形のピックアップ旋盤 VSC を出しました[15](くわしくは第 5 章)。Gosheim の Hermle は 1990 年に株式会社になって上場し、5 軸のマシニングセンタで知られるようになります[13]。Tuttlingen の Chiron(1958 年に送りユニットから工作機械へ)、Mindelheim の Grob(1968 年に工場、自動車部品のライン)も、南ドイツの中堅として育ちました[4][9](マシニングセンタの話は第 6 章)。
精度を測って、電子で補う
NC の精度は、機械の剛性と、位置を測る目盛りの精度で決まります。Heidenhain は 1966 年にごみや切削油から目盛りを守る密閉形のリニアスケールを、1987 年には光の干渉を使ってさらに細かく読むスケールを出しました[3]。テーブルの位置をモータの回転からではなく、テーブルに付けたスケールで直接測れば、送りねじの誤差や熱による伸びも含めて補正できます。大学では、WZL が 1973 年から工作機械の講座を独立させるなど、機械の剛性・振動・熱変形の研究が続けられました[2]。こうした研究は、機械を硬く精密に作るだけでなく、測った誤差を NC で打ち消す方向へ進みます。
森精機と DMG
2003 年、日本の森精機製作所は Heidenhain の CNC を載せた機械を欧州で売り出します。そして 2009 年 3 月、森精機と独 DMG(Gildemeister)は業務提携を始め、続いて資本提携に進みました。2011 年に共同開発の機械、2012 年に欧州の販売・サービスの一体化と進みます[17]。機械の精度の研究でも、大きな機械の位置の誤差を測って NC で補正する「体積補正」を Siemens が 2008 年に航空機の部品用の大形機向けに出すなど、機械の誤差を電子の力で補う方向が強まりました[2]。
★インダストリー 4.0 といま(2011 年〜)
2011 年 4 月の Hannover Messe(見本市)で、Henning Kagermann・Wolf-Dieter Lukas・Wolfgang Wahlster が「Industrie 4.0」という言葉を打ち出しました。機械と製品がネットでつながり、製品が自分の作り方を伝える工場を、蒸気・電気・コンピュータに続く「第 4 の産業革命」と呼んだのです[2]。工作機械にとっての課題は、メーカーごとにばらばらな機械のデータの出し方でした。VDW は 2017 年の EMO Hannover で、メーカーを問わず同じ形で機械をつなぐ共通インタフェース umati を 17 社で始め、2019 年の EMO では 70 社・110 台の機械がつながる実演を行いました。2020 年に最初の正式版が出て、機械工業全体の土台になる OPC UA for Machinery の最初の版も 9 月に出ます[2][19][18]。Siemens は 2019 年の EMO で、機械の「デジタルの双子」を作りやすくした SINUMERIK ONE を出しています[2]。
umati は現場で何に効くか。工場にメーカーの違う機械が並ぶと、稼働状況・加工中のプログラム・アラームを集めるには、機械ごとに別のつなぎ方と翻訳が要りました。umati は OPC UA という共通の通信の上で「この情報はこの名前・この形で出す」と決めておくため、対応した機械なら同じ画面に同じ形で並べられます。機械の稼働率の見える化や、主軸やボールねじの傷みの兆しをつかむ保全に使えます。日本の工場でも、輸入機と国産機が混ざるラインほど効き目が大きい仕組みです。
DMG MORI は 2013 年の EMO Hannover で操作盤のアプリの仕組み CELOS を見せ、10 月に社名をそろえ、2016 年 8 月に日独の会社の支配・利益移転契約が発効して一体の経営になりました。2020 年 9 月には旧 Maho の町 Pfronten に、5 軸機などを作る monoBLOCK の工場を動かし始めています[17]。
いまのドイツの工作機械工業は、2024 年に約 65,000 人、生産額は約 150 億ユーロで、中国に次ぐ世界 2 位(シェア約 13%)です。生産の 7 割以上を輸出し、輸出額では世界一とされます[20]。米 Gardner 社の 2024 年の世界調査でも、生産は中国・ドイツ・日本の順でした[21](日本の数字は数字で見る歴史)。
日本とのつながり
- 電気油圧パルスモータ(1965 年)。Siemens が作って売った Fanuc の電気油圧パルスモータは、日本で 1962 年の第 1 回日本国際工作機械見本市(いまの JIMTOF)に出た「わが国初の NC 立旋盤」にも使われた方式です(国産アーカイブ第 1 章)[2]。
- Siemens と Fanuc(1965〜1987 年)。ライセンス、販売、共同開発(System 7)と 20 年あまり組み、1987 年に別れて競争相手になりました[2]。逆向きの技術の流れとして、ファナックは 1979 年に Siemens の技術でワイヤ放電加工機の自動結線装置を出しています(国産アーカイブ第 6 章)。
- NC 装置のシェア(1985 年)。日本の 3 社で約 6 割、ドイツの 2 社で 15% 弱。ドイツの旋盤メーカー Traub は 1979 年の最初の CNC 旋盤に三菱電機の NC を使いました[2]。
- Opitz コード(1964 年)。部品の分類の方法として日本語にも訳されました[1]。
- Trumpf と Heidenhain の日本法人。Trumpf は 1977 年に横浜に子会社を作り(日本の板金機メーカーとは今も競争相手)[8][2]、Heidenhain は 1980 年に日本法人を作っています[3]。
- DMG MORI(2009 年〜)。森精機製作所と Gildemeister の提携から日独の 1 つのグループに。森精機の歩みは国産アーカイブ第 1 章・第 2 章・第 7 章にあります[17]。
- 見本市。EMO(Hannover・Milano)と JIMTOF(東京)は、日本のメーカーが新しい機械を出す場でもあります。1983 年の EMO Paris には、日本の複合加工機が出ています(第 7 章)。
⑂メーカーの系図
この章に出てくる主な工作機械メーカーと NC 装置のメーカーの、社名と持ち主の移り変わりです。帯の区切りで社名や持ち主が変わり、赤い矢印は合併・事業の行き先です。Gildemeister(DMG MORI の独側)は 2016 年から日本の DMG 森精機と一体の経営になっています。
見に行ける所
公開日・見学の可否・展示の入れ替えは、行く前にそれぞれの施設の案内で確かめてください。
⌛年表
この章で確かめた出来事のすべてです。番号は出典で、押すとその資料(ページが分かるものはそのページ)が開きます。「p.」は本・論文・PDF のページ(PDF の資料は PDF のページ)、「図」は computer&AUTOMATION の写真の枚目、「コマ」は国立国会図書館のスキャンの番号です。
研究所と見本市から始まった NC1948〜1963 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1948年 | WZL の Herwart Opitz が Aachen 工作機械会議(AWK)を始める。1954 年から 2 年ごと、1959 年から 3 年ごとに開かれ、世界最大級の生産技術の会議になる | WZL(RWTH Aachen) | [1][2・p.150] |
| 1952年 | Opitz が助手の Helmut Hucks を米国の MIT に送り、生まれたばかりの NC フライス盤を調べさせる | WZL(RWTH Aachen) | [2・p.118][2・p.137] |
| 1952年 | Traunreut の Heidenhain が、目盛りを光で読む測長器(リニア)と角度の測定器を初めて作る。翌 1953 年に 0.01mm まで読める工作機械用の光学式の読取り器を出す | Heidenhain | [3][2・p.179] |
| 1955年 | WZL が NC 工作機械の模型を作り、Aachen の精密加工の会合で少人数に見せる | WZL(RWTH Aachen) | [2・p.118][2・p.137] |
| 1956年 | ★第 8 回 AWK で MIT の Milton C. Shaw らが NC を紹介し、西ドイツで初めて広い聴衆の前で NC が論じられる。WZL は磁気テープに操作を記録して再生する旋盤の制御を試す | — | [2・p.118][2・p.137] |
| 1957年 | Darmstadt 工科大学の Stromberger の研究所が、磁気テープの制御に改造したターレット旋盤を報告する。助手の Wilhelm Simon は 1963 年にドイツ語の NC の標準的な教科書を書く | — | [2・p.119][2・p.120] |
| 1957〜58年 | Siemens が Erlangen の研究室で NC の開発を始め、1958 年 1 月に 1 軸のリレー式の直線制御を経営陣に見せる。位置の検出は信頼性を重んじてアナログ式を選ぶ | Siemens-Schuckertwerke | [2・p.188][2・p.189] |
| 1958年 | 1921 年に Tuttlingen で医療器具の会社として生まれた Chiron が、金属加工の送りユニットを出し、のちのマシニングセンタのメーカーへの一歩を踏み出す | Chiron | [4] |
| 1959年 | ★Paris の第 6 回欧州工作機械展に、Heller の自社のリレー式 NC を付けたターレットボール盤 SBR 32 と、Burkhardt & Weber の NC マシニングセンタが並ぶ。SBR 32 は西ドイツで最初の NC 工作機械とみられるBurkhardt & Weber の機種は表紙の説明で MT 3、結論の章で MT4。Schiess が 1957 年に NC 機を出したという二次文献の記述は、同社の 100 年史と合わず裏付けがない(Wissert p.122 の注) | Gebr. Heller・Burkhardt & WeberSBR 32・MT 3 | [2・p.6][2・p.122][2・p.199] |
| 1959年 | Siemens の 2 軸の NC ができ、1 軸の装置を Paris の欧州工作機械展の ZF(歯車メーカー)の展示で見せる。電機メーカーはまだこの展示会に出展できなかった | Siemens | [2・p.189] |
| 1960年 | Siemens がリレー式の NC(位置決めと直線の制御)を「Siemens-NC」の名で出す。1961 年に Pittler がターレット旋盤 Piromat 23N に付ける | SiemensSiemens-NC | [5・図1][2・p.189] |
| 1960年9月 | ★Hannover の工作機械展(9 月 11〜20 日)に、西ドイツの 11 社が NC 工作機械を出す。制御は Siemens-Schuckert が 4 台、RWTH Aachen・BBC・SEL・AEG が各 1 台。AEG だけが直線と円弧を補間するトランジスタ式の輪郭制御(Waldrich Siegen のロール旋盤)で、ほかはリレー式の位置決め・直線制御 | — | [2・p.121] |
| 1961年 | Heidenhain が光電式のロータリエンコーダ ROD 1(1 回転 10,000 本の目盛り)とリニアスケール LID 1(目盛りの間隔 0.008mm)を出す | HeidenhainROD 1・LID 1 | [3][2・p.179] |
| 1962年 | Heller が NC フライス盤と、自動工具交換(ATC)付きのマシニングセンタを開発する(同社の沿革) | Gebr. Heller | [6] |
| 1962年 | 西ドイツの約 470 の工作機械メーカーのうち 75% は従業員 250 人以下で、NC の開発費を負担できたのは 1 割ほど。実際に NC 機を作っていたのは数社だった | — | [2・p.123] |
| 1963年 | Milano の第 8 回欧州工作機械展に、ラジオの Grundig の最初の NC と、Erbach の Dr. Masing のトランジスタ式の位置決め NC が現れる | Grundig・Dr. Masing | [2・p.175][2・p.182] |
SINUMERIK と EXAPT1964〜1974 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1964年 | Opitz の研究から、部品の形を数字で表す分類「Opitz コード」ができ、似た部品をまとめて作るグループテクノロジーの基礎になる。日本語にも訳される | — | [1] |
| 1964年 | VDF の Boehringer が最初の NC 旋盤 V800 NC を Hannover で見せる。直線制御では旋盤に向かず試作で終わり、1967 年に輪郭制御へ切り替えてから売れ始める | Gebr. BoehringerV800 NC | [2・p.124][2・p.236] |
| 1964〜67年 | ★EXAPT(Extended APT)の開発。WZL と TU Berlin(Simon、のち Spur)に、1965 年から Stuttgart の Stute の研究所が加わる。米国の NC 言語 APT に、回転数や送りなど加工の条件を足す。1967 年に企業が支える EXAPT-Verein ができ、Siemens も設立に加わる | — | [2・p.139][2・p.151][2・p.190][1] |
| 1964年9月 | ★Hannover の工作機械展で Siemens の NC に「SINUMERIK」の名が付き、リレーからトランジスタの回路に変わるSiemens の 50 周年の記事には「1960 年に SINUMERIK の名で」とするものもある。Siemens の社内年表(1982 年)を使った Wissert の記述を採った | SiemensSINUMERIK | [2・p.190][5・図2] |
| 1965年 | Siemens が富士通と契約し、Fanuc の電気油圧パルスモータを作って売る。安い開ループの NC で、高い位置検出器を省ける | Siemens・富士通 | [2・p.190][2・p.330] |
| 1965年 | 米 GE の安い輪郭制御 GE 100S が西ドイツに入り、NC 旋盤が一気に売れ始める。Heyligenstaedt はこの年のブリュッセルの展示会で GE 100S 付きの NC 旋盤を 100 台以上受注する | Heyligenstaedt | [2・p.128][2・p.129] |
| 1965・67年 | Bielefeld の Gildemeister が最初の NC 旋盤 RSA(4 軸)を見せ、1967 年に売り出す。同じ年に小形の NC 旋盤 RN も出す | GildemeisterRSA・RN | [7] |
| 1965年9月 | Brüssel の欧州工作機械展で Siemens が最初の輪郭制御 Sinumerik BG(サーボ・閉ループ)と BO(パルスモータ・開ループ)を出す | SiemensSinumerik BG・BO | [2・p.190] |
| 1966年 | Heidenhain が、ごみや切削油から目盛りを守る密閉形のリニアスケールを出す(1968 年には光電式の目盛りのための双方向カウンタ) | Heidenhain | [3] |
| 1966年5月 | London で開かれた最初の NC 工作機械の国際展示会に、VDF の 3 社が共同で NC 旋盤など 4 台を出す | VDF(Boehringer・Heidenreich & Harbeck・Wohlenberg) | [2・p.236] |
| 1967年 | ★Trumpf が輪郭制御の NC を付けた打ち抜き・ニブリング機 TRUMATIC 20 を Hannover の欧州工作機械展に出す。工具交換まで自動で、穴あけの形を紙テープで指令するTrumpf の沿革は「1968 年 Paris の第 11 回欧州工作機械展で評判に」と書く。Wissert は 1967 年 Hannover の展示会(業界誌 Werkstatt und Betrieb の報告)とする | TrumpfTRUMATIC 20 | [2・p.261][8] |
| 1967年 | Hannover の欧州工作機械展の Siemens の展示に、新しい Sinumerik 200・300 系と並んで Fanuc 260 が置かれる。Siemens が西欧で Fanuc の NC を売るようになる | Siemens・富士通Fanuc 260 | [2・p.190][2・p.191] |
| 1967年 | VDF が小形コンピュータで NC 旋盤のプログラムを作る装置(のちの Autoprogramer)を発表。手で書くより時間を半分近くに減らせた | VDFAutoprogramer | [2・p.237] |
| 1968年 | Bosch が Dr. Masing の 3 分の 2 を買い、米 Bendix の NC のライセンスで輪郭制御の NC を作る(1972 年末に全部を買って Bosch の産業機器部門に) | Bosch・Dr. Masing | [2・p.183][2・p.184] |
| 1968年 | 1926 年に München で創業した Grob が、Mindelheim に 2 つめの工場を作る(1976 年に本社も Mindelheim へ)。自動車のエンジン部品の加工ラインで大きくなる | Grob | [9] |
| 1970年 | 1957〜70 年に西ドイツで作られた NC 工作機械は 2,861 台、9 億 600 万マルク。1970 年の 368 台のうち 302 台は輪郭制御の NC 旋盤で、1971 年半ばの NC 機のメーカーは 53 社(全体の約 12%) | — | [2・p.126][2・p.127] |
| 1970年 | Hannover の工作機械展で Siemens が、会場に散らばった 13 台の工作機械を 1 台の計算機につなぐ DNC(直接数値制御)を実演する | Siemens | [2・p.191] |
| 1972年 | 富士通の NC 部門が富士通ファナックとして独立し、Siemens との契約も引き継がれる | 富士通ファナック | [2・p.190][2・p.192] |
| 1973年 | Opitz の退官で WZL は 4 人の教授(König・Eversheim・Weck・Pfeifer)の体制になる。職員は 1956 年の 123 人から 382 人に増えていた | WZL(RWTH Aachen) | [2・p.136][1] |
| 1973年 | Siemens 最初の CNC(計算機を組み込んだ NC)Sinumerik 580。AEG はこれより 5 年早く CNC を出していた | SiemensSinumerik 580 | [2・p.193] |
CNC と工場でのプログラミング1975〜1989 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1975年 | 欧州工作機械展が「EMO」と名を変えて Paris で開かれ、欧州の外のメーカーにも開かれる | — | [10][2・p.193] |
| 1975〜77年 | Maho の最初の NC フライス盤 MH 900 NC(1975 年 EMO Paris)は売れなかったが、Heidenhain の TNC を付けた機械が 1976〜77 年から成功し、TNC 121 付きだけで 6,000 台以上売れる | MahoMH 900 NC・TNC 121 | [2・p.125] |
| 1975年7月 | ★Siemens と富士通ファナックが新しい契約を結び、NC を共同で開発することにする。アジアでは Fanuc が Sinumerik を、欧州では Siemens が Fanuc を売り、米国には合弁 General Numeric を作る | Siemens・富士通ファナック | [2・p.193] |
| 1976年 | Fanuc と共同で開発したマイクロプロセッサの CNC Sinumerik System 7。装置が小さく安くなり、シーケンス制御(PLC)も CNC に入る | SiemensSinumerik System 7 | [2・p.194][5・図4] |
| 1976年 | ★Heidenhain が Pfronten の Maho と組んで 3 軸の NC TNC 110/120 を出す。値段は当時の NC の約 5 分の 1 で、小さなフライス盤にも NC が付けられるようになる | Heidenhain・MahoTNC 110/120 | [3][2・p.179][2・p.180] |
| 1977年 | EMO の名になって初めての Hannover 開催(9 月。前身の欧州工作機械展は 1967 年にも Hannover で開かれた)。Siemens は輪郭を短く指令でき、小さな画面の付いた旋盤用の CNC(Sprint 版)を出す | — | [2・p.194] |
| 1977年 | Trumpf が横浜に日本の子会社を作る | Trumpf | [8] |
| 1977年 | Gildemeister が自社の CNC「Elektropilot M」と、マイクロプロセッサで動く多軸自動盤を出す。旋盤の CNC で工場でのプログラミングを早くから取り入れる | GildemeisterElektropilot M | [7][2・p.434] |
| 1978年 | Grundig が München の Deckel の工具フライス盤 FP 系のために、小さな画面で操作を案内する NC「Dialog 1」を作る | Deckel・GrundigDialog 1 | [2・p.176][2・p.177] |
| 1979年 | Traub が最初の CNC 旋盤を出す。日本の三菱電機の NC の上に、工場でプログラムを作れる自社のソフトを載せる | Traub | [2・p.125][2・p.221] |
| 1979年 | ★Trumpf が打ち抜きと 500W の CO2 レーザを 1 台にした TRUMATIC 180 LASERPRESS を出す。3 年で 200 台売れる | TrumpfTRUMATIC 180 LASERPRESS | [11][2・p.263] |
| 1979年 | EMO Milano で Siemens が、PLC(Simatic)をバスでつないだ CNC Sinumerik System 8 を出す | SiemensSinumerik System 8 | [2・p.194] |
| 1979/80年 | Heidenhain が、図面の寸法をそのまま打ち込む会話式のプログラミングを「Klartext」と呼んで売り出す。1981 年に 3 軸の輪郭制御 TNC 145 | Heidenhain | [2・p.180][2・p.181][3] |
| 1980年 | Heidenhain が日本に子会社を作る | Heidenhain | [3] |
| 1982年 | Heller が自社の CNC を載せたマシニングセンタ BEA の量産を始める | Gebr. HellerBEA・uniPro NC 80 | [6] |
| 1982〜87年 | 欧州共同体の委員会が Siemens と Fanuc の販売の取り決めを調べ、1986 年に市場を閉ざしたとして両社に罰金。1987 年 6 月に提携が終わり、2 社は競争相手になる | Siemens・ファナック | [2・p.195] |
| 1982年 | Gildemeister が NC と電子の部門を Gildemeister Automation として分ける(1993 年に Grundig が過半を買う) | Gildemeister | [7][2・p.178] |
| 1985年 | ★NC 装置の世界のシェア(その他の小さなメーカーを除く)で、日本のファナック・三菱電機・オークマが約 6 割、ドイツの Siemens と Heidenhain が 15% 弱、米国の GE は 5.6% にとどまる。1970〜74 年の西ドイツの国内では、米 GE が NC 旋盤の装置の 42% を占めていた | — | [2・p.207][2・p.208] |
| 1985年 | Trumpf が自社で作った CO2 レーザ TLF 1000(1kW 超、高周波励起)を出す。1987 年には板を動かさずに加工ヘッドが動くレーザ加工機 TRUMATIC L 3000 | TrumpfTLF 1000 | [12][2・p.263] |
| 1985年 | Bosch が Bendix の流れから離れた自社の CNC の最初の機種 CC300 を出す | BoschCC300 | [2・p.184] |
| 1987年 | Heidenhain が、光の干渉を使って細かく位置を読む開放形のリニアスケールを出す | Heidenhain | [3] |
| 1989年 | EMO Hannover で、ドイツの数社が作った NC と駆動装置のデジタル通信の規格 Sercos が発表される | — | [2・p.436] |
再編と DMG MORI1990〜2010 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1990年 | 1938 年に Gosheim でねじと旋削部品の工場として生まれた Hermle が株式会社になり上場する。のちに 5 軸のマシニングセンタで知られる | Hermle | [13] |
| 1993年6月 | 6 月 28 日、München の Deckel と Pfronten の Maho が合併の契約を結ぶ(Deckel Maho AG) | Deckel・Maho | [2・p.177] |
| 1994年 | ★1990 年代初めの不況で Deckel Maho AG が破綻し、Bielefeld の Gildemeister が引き取る。Geretsried・Pfronten・Seebach の 3 工場が Gildemeister グループで続く | Gildemeister・Deckel Maho | [14・p.41][2・p.178] |
| 1994年 | Siemens が駆動装置とデジタルでつなぎ、機械メーカーが自分のソフトを入れられる Sinumerik 840D を出す | SiemensSinumerik 840D | [5・図6] |
| 1994年 | EMAG が、主軸が工作物をつかみ上げて刃物の上へ運ぶ立て形のピックアップ旋盤 VSC を出す(くわしくは第 5 章) | EMAGVSC | [15] |
| 1996年 | Siemens が安全機能をソフトで監視する Safety Integrated を出し、翌年に画面で加工の手順を組む ShopMill・ShopTurn を出す | Siemens | [5・図7][2・p.437] |
| 1996年 | Heidenhain の TNC が 20 年で 10 万台に達する | Heidenhain | [2・p.180] |
| 1996年10月 | Heidenhain が Grundig の NC 部門を引き取る。Deckel・Maho・Gildemeister の NC の流れがここに集まる | Heidenhain・Grundig | [2・p.178] |
| 1997年 | Esslingen の INDEX が隣町 Reichenbach の Traub を買い、2 つのブランドで続ける | INDEX・Traub | [16] |
| 2001年 | Bosch の産業機器部門と Mannesmann Rexroth が一緒になり Bosch Rexroth に。NC の事業もここに入る | Bosch Rexroth | [2・p.184][2・p.185] |
| 2003年 | 森精機製作所が Heidenhain の CNC を載せた機械を欧州で売り出す | 森精機製作所 | [17] |
| 2008年 | Siemens が、大きな機械の位置の誤差を測って NC で補正する「体積補正(Volumetric Compensation)」を航空機の部品用の大形機向けに出す | Siemens | [2・p.438] |
| 2009年3月 | ★森精機製作所と独 DMG(Gildemeister)が業務提携を始め、続いて資本提携へ。2011 年に共同開発の機械、2012 年に欧州の販売・サービスを一緒にする | 森精機製作所・DMG | [17] |
インダストリー 4.0 といま2011 年〜
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 2011年4月 | ★Hannover Messe で Henning Kagermann・Wolf-Dieter Lukas・Wolfgang Wahlster が「Industrie 4.0」を唱える。機械と製品がネットでつながり、製品が自分の作り方を伝える工場を「第 4 の産業革命」と呼ぶ | — | [2・p.439] |
| 2013年 | EMO Hannover 2013 で DMG MORI が操作盤のアプリの仕組み CELOS を見せ、10 月に社名を DMG 森精機(独側は DMG MORI SEIKI AG)にそろえる | DMG森精機CELOS | [17] |
| 2016年8月 | DMG 森精機と独 DMG MORI AG の支配・利益移転契約が発効し、日本の DMG 森精機の下で一体の経営になる(2015 年に連結子会社) | DMG MORI | [17] |
| 2017年 | ★VDW が EMO Hannover 2017 で、工作機械をメーカーを問わず同じ形でつなぐ共通インタフェース umati を始める(17 社)。EMO 2019 で 70 社・110 台がつながる実演 | VDWumati | [2・p.442][18] |
| 2019年 | Siemens が EMO 2019 で、機械の「デジタルの双子」を作りやすくした CNC SINUMERIK ONE を出す | SiemensSINUMERIK ONE | [2・p.438] |
| 2020年 | umati の最初の正式版が出て、機械工業全体の土台になる OPC UA for Machinery の最初の版も 9 月に出る。いまは約 25 の分野の規格(Companion Specification)がある | — | [2・p.442][19][18] |
| 2020年9月 | DMG MORI が独 Pfronten(旧 Maho の町)に、5 軸機などの一体形の機械を作る monoBLOCK の工場を動かし始める | DMG MORI | [17] |
| 2024年 | ★ドイツの工作機械工業は約 65,000 人、生産額は約 150 億ユーロで、中国に次ぐ世界 2 位(シェア約 13%)。生産の 7 割以上を輸出し、輸出額では世界一(VDW) | — | [20] |
| 2024年 | 米 Gardner 社の世界調査(2024 年版)で、工作機械の生産は中国 1 位、ドイツ 2 位、日本 3 位 | — | [21] |
よくある質問
- ドイツで最初の NC 工作機械は何ですか?
- Stuttgart 大学の博士論文(2023 年)は、Nürtingen の Heller が 1959 年の Paris の欧州工作機械展に出した、自社のリレー式 NC 付きのターレットボール盤 SBR 32 を「おそらく西ドイツで最初の NC 機」としています。同じ展示会には Burkhardt & Weber の NC マシニングセンタも出ていました。Schiess が 1957 年に NC 機を出したという記述も見かけますが、同社の 100 年史と合わず裏付けがありません。
- SINUMERIK の名前はいつからですか?
- Siemens は 1960 年にリレー式の NC を「Siemens-NC」として出し、1964 年 9 月の Hannover の工作機械展で、トランジスタの回路に替えた NC に「SINUMERIK」の名を付けました(Siemens の社内年表による)。記事によっては 1960 年から SINUMERIK と書くものもあります。
- Heidenhain の TNC は何が新しかったのですか?
- 1976 年の TNC 110/120 は、Maho のフライス盤に合わせて作られた NC で、値段は当時の NC の約 5 分の 1 でした。作業者が機械の前で図面の寸法を打ち込める作りで、のちに「Klartext」と呼ばれる会話式のプログラミングに育ちます。小さなフライス盤と、1 個・数個の注文の多い工場に NC を広げた装置です。
- DMG MORI はドイツの会社ですか、日本の会社ですか?
- 両方の流れを持つ 1 つのグループです。独 Gildemeister(1994 年に Deckel Maho を引き取った)と日本の森精機製作所が 2009 年に提携し、2013 年に社名をそろえ、2016 年に日本の DMG 森精機と独 DMG MORI AG の支配・利益移転契約が発効して一体の経営になりました。ドイツの Bielefeld・Pfronten などと、日本の伊賀・奈良などに工場があります。
この先と関係するページ
出典
博士論文・人名事典・メーカーと業界団体の沿革は、2026 年 10 月に各ページを確かめました。Wissert 2023 のページ番号は PDF のページ(印刷ページ+12)、Fleischer 1997 は PDF のページ(印刷ページ+2)です。computer&AUTOMATION の Sinumerik の年表は写真の枚目で示しました。VDW のページはこちらから直接つながらなかったため、Internet Archive の 2025 年の版で確かめています。「最初」「世界初」は、本文で「〜とする」「〜とみられる」と書いたものは資料の書き手の判断です。年は資料によって 1〜2 年ずれることがあり(発表・展示・発売の違い)、どちらを採ったかは年表の注に書きました。
- Manfred Weck・Hans Starck「Opitz, Herwart Siegfried」『Neue Deutsche Biographie』19 巻(1999)550〜552 ページ
- Thomas Wissert『Einführung der numerisch gesteuerten Werkzeugmaschinen in der Bundesrepublik Deutschland zwischen 1950 und 1980 unter besonderer Berücksichtigung von Baden-Württemberg』Logos Verlag Berlin(2023、Stuttgart 大学の博士論文、オープンアクセス)p. 6・118・119・120・121・122・123・124・125・126・127・128・129・136・137・139・150・151・175・176・177・178・179・180・181・182・183・184・185・188・189・190・191・192・193・194・195・199・207・208・221・236・237・261・263・330・434・436・437・438・439・442
- HEIDENHAIN「Milestones in the history of HEIDENHAIN」
- CHIRON Group「History」
- computer&AUTOMATION「Numerische Steuerungen: Die Historie der Sinumerik」(写真は Siemens 提供、全 11 枚)図 1・2・4・6・7
- HELLER「HELLER history」
- 『International Directory of Company Histories』「Gildemeister AG」(Encyclopedia.com 収録)
- TRUMPF「History 1967–1977: The Success Story of Numerical Control」
- GROB-WERKE「Historie」
- CECIMO(欧州工作機械工業協力委員会)「EMO History」
- TRUMPF「History 1978–1984」
- TRUMPF「History 1985–1995: TRUMPF Conquers the World of Lasers」
- HERMLE「Das Unternehmen」(沿革)
- Manfred Fleischer『The Inefficiency Trap: Strategy Failure in the German Machine Tool Industry』edition sigma/WZB(1997)p. 41
- EMAG「History」
- INDEX「100 years INDEX」「The INDEX Group」
- DMG森精機「History」
- VDW「umati: connecting the world of machinery」
- umati「About umati」
- VDW(ドイツ工作機械工業会)「Die deutsche Werkzeugmaschinenindustrie」
- 日本工作機械工業会『MACHINE TOOL INDUSTRY JAPAN 2025』Machine Tool Production(PDF)
- Deutsches Museum「Werkzeugmaschinen – Grundlage für die Produktion von Gütern」
- Industriemuseum Chemnitz「Dauerausstellung」
- Industriemuseum Chemnitz「Die Sammlung」
- VDW「Messen des VDW」(EMO Hannover・EMO Milano の開催の順)
- 「Deckel, Friedrich Wilhelm」『Neue Deutsche Biographie』(Deutsche Biographie)
- TRUMPF「History 1934–1949」