GERMANY 05ドイツの旋盤の系譜
ドイツの旋盤は、英国の旋盤を手本に Chemnitz の機械工場が自分で作るところから始まり、米国式のタレット旋盤と自動盤で量産の道具になり、20 世紀には VDF の普通旋盤、Index・Traub・Gildemeister の自動盤、東の大形旋盤、そして EMAG の立て形ピックアップ旋盤まで、形を何度も変えてきました。この章では、旋盤の仕組み――主軸を回す仕掛け(段車 → 1 本ベルトと歯車の変速箱 → 電動機 → 電磁クラッチ → NC のモータ)、刃物を替える仕掛け(タレット → カム → 倣い → NC)、刃物の材料(炭素鋼 → 高速度鋼 → 超硬)――がどう変わったか、それで現場の削り方がどう変わったかを、当時の技術書・百科事典・特許・州の文書館・メーカーの資料で 1 つずつ確かめ、出来事ごとに出典を付けてたどります。
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ドイツの工作機械の歴史を時代の流れで読むなら、第 1 章「ザクセンとベルリン:ドイツ工作機械の始まり」から第 4 章「NC・メカトロニクスとインダストリー 4.0」までの時代の章があります。この章は旋盤という機械の側から、同じ時代をたどり直します。今の旋盤の仕組みそのものは旋盤の解説に、日本の旋盤の歴史は国産アーカイブ第 1 章にまとめています。
英国の手本から Chemnitz の旋盤へ(1826〜1890 年ごろ)
ドイツの旋盤は、売り物としてではなく、機械工場が自分の工場で使う道具として始まりました。ザクセンの Chemnitz では、紡績機械の工場 Haubold が 1826 年に自分の工場用の工作機械を作り、機関車と紡績機械の Richard Hartmann も 1842 年に同じことを始めています[1]。そこから、工作機械を売り物として専門に作る工場が生まれます。ハンガリー生まれの錠前工 Johann Zimmermann(ツィンマーマン)は、1844 年に共同で始めた工場を 1848 年に一人で持ち、形削り盤・平削り盤・ボール盤と旋盤を続けて作るようになりました。のちに「ドイツの工作機械づくりの父」と呼ばれる人です[1][2]。
36 台の刃物台つき旋盤
1856 年の『Album der Sächsischen Industrie』は、Zimmermann の新しい工場を「模範工場」と呼んで紹介しています。30 馬力の蒸気機関 1 台が天井の伝動軸を回し、その下に平削り盤 20 台、溝削り盤、ボール盤、歯車の割り出し盤と並んで、鉄製の刃物台つき旋盤(Supportdrehbank)が 36 台ありました。うち 1 台は長さ 47 フィート(約 14m)の送りねじを切れたといいます。250 人が働き、それまで英国から機械を買っていた技術者が、この工場の機械に切り替え始めていると書かれています[3]。
この時代の旋盤の仕組みは、1906 年の百科事典の図がよく伝えています。主軸は天井の伝動軸から段車(段々になったベルト車)で回し、ベルトを掛け替えて速さを変え、遅い回転は主軸台の歯車の減速(バックギヤ)で出しました。刃物は手で持つのではなく、2 段の送り台を持つ刃物台(Support)に締め、長い品物は送りねじ(Leitspindel)と換え歯車で刃物台を送って、ねじも切りました。換え歯車は多いもので 60 枚もそろえていたとあります[15]。手の技量に頼っていた削りを、機械の送りに任せる――これが英国の旋盤から受け継いだ核心でした。
産地になった Chemnitz
Zimmermann の機械は 1862 年の London 万博で金メダルを受け、1867 年の Paris 万博では Hartmann とともに金メダルを取りました。1868 年の工場は約 1,000 人の規模で、自社の工場に旋盤 160 台を並べ、作った工作機械の 4 分の 3 をロシア・オーストリア・英国・南米へ出しています[1]。1860 年ごろには Hartmann・Zimmermann・Diehl・Sondermann & Stier・Reinecker の工場が並び、Chemnitz はドイツの工作機械の中心になりました。Sondermann & Stier は 1880 年に 89 種類の機械を年に約 4,000 台作っています[1]。
旋盤の仲間では、Reinecker の逃げ旋盤(Hinterdrehbank)が独特です。フライスの刃の背を、刃先の形のまま少しずつ逃がして削る旋盤で、こうして作ったフライスは研ぎ直しても形が変わりません。Reinecker は 1873 年の Wien 万博に逃げを付けたフライスを出し、1882 年からは逃げ旋盤そのものも売りました。米国の機械を手本にした仕事でした[1][7]。大きな旋盤では、Zimmermann は 1910 年までに心間 24m の旋盤まで作っています[1]。
タレット旋盤・自動盤と高速度鋼(1869〜1914 年)
普通の旋盤は、刃物を 1 本ずつ締め替えながら削ります。同じ部品を何百、何千と作るなら、刃物を前もって全部並べておき、順に回して使えばよい――これがタレット旋盤(ドイツ語で Revolverdrehbank)です。刃物を挿した頭(タレット)を割り出して回し、止め(ストッパ)で決まった寸法まで送れば、熟練工でなくても同じ寸法の部品がそろいます。ドイツにこの考えを持ち込んだのは、Berlin と Leipzig の 2 人でした。
Loewe:米国式の工場
Ludwig Loewe(レーヴェ)は職人でも技術者でもない商人で、1869〜70 年に Berlin で会社を起こし、1870 年に米国を視察しました。米国の工場が一つの製品に絞り、専用の機械と互換性のある部品で大量に作っていることに学び、1873 年からは工作機械をほかの工場にも売り始めます[4][5]。1896〜98 年には Berlin-Moabit に工作機械の新工場を建て、米国の技術者 3 人を招いて互換生産の工場として整えました。1897 年に入社した若い Georg Schlesinger(シュレジンガー)は、米国の技術者の通訳から始めて、治具・ゲージと、旋盤・タレット旋盤・フライス盤などの標準機種の準備をまとめる役になります。少ない機種を見込みで大量に作るやり方は、第一次世界大戦後の「合理化」を 20 年先取りしていたと評されています[5][13]。Schlesinger はのちに TH Berlin の教授となり、工作機械の精度検査を学問にしました(第 2 章)。
Pittler:16 穴のタレット
Leipzig の Wilhelm von Pittler(ピットラー)は、ミシンと刺しゅう機の発明家でした。1888 年に 6 通りに使える金属加工の万能機を作り、1889 年に Maschinenfabrik „Invention“ を起こし、1890 年にタレットを付けた旋盤を作ります。工具の穴は初め 6 つで、1894 年から 16 に増えました[9]。1893 年 2 月 24 日には「タレットつき金属加工機」のドイツ特許 74951 を出願しています[11]。最初の大口の客は自転車のハブを作る Schweinfurt の Ernst Sachs で、100 台を超える機械を買いました。自転車は、互換性のある部品で量産した最初の産業の 1 つでした[9]。
1919 年の Hülle の教科書は、Pittler の「多穴タレット旋盤」を、頑丈な箱形のベッドと 16 穴のタレットを持ち、刃物を何通りにも組み合わせられる機械として紹介しています[14]。Pittler の会社は 1895 年に株式会社になり、1899 年に Leipzig-Wahren の新工場へ移り、1901 年からは米国の機械を手本にした半自動・自動の旋盤(単軸と多軸の自動盤)も作ります。こうした機械は、1 人の工員に何台もの旋盤を受け持たせました[10]。
自動盤:カムに手順を覚えさせる
タレット旋盤でも、タレットを回して送るのは人の手です。それも機械にやらせたのが自動盤です。1919 年の教科書は、Loewe の自動タレット旋盤を「1 本の制御軸に付けたカム胴とカム円板が、タレットの送りと戻し、割り出し、刃物台の出入りを順に動かす」機械として説明しています[14]。カムの形が加工の手順そのもので、部品が変わればカムを作り直します。段取りには手間がかかりますが、いったん回り出せば 1 回転で 1 個、人が付いていなくても同じ部品が出てきます。
さらに、棒材を何本も同時に削るのが多軸自動盤です。Bielefeld の Gildemeister(1870 年創業)は、1906 年から Wilhelm Berg のもとで品ぞろえを多軸自動盤とドラム形タレット旋盤に絞りました[6]。1919 年の教科書には、4 本の棒材を 4 本の主軸で同時に削る Gildemeister の 4 軸自動盤が載っています[14]。そして 1914 年、Esslingen で Hermann Hahn が Index を起こし、カムで動く自動盤「Index I」を作ります。社名はタレットの割り出し(Indexieren)から取りました[18][19]。
高速度鋼と電動機:主軸台が変わる
1900 年の Paris 万博で米国の Taylor と White が見せた高速度鋼は、ドイツの旋盤の作りを根元から変えました。1914 年の Lueger の技術事典は、旋盤の進歩は高速度鋼に引っ張られたと書いています。速く削るには主軸の回転数の段を増やし、各部を頑丈にしなければならない。段車は幅を広げ、小さな段は避け、歯車の減速は 1 段から 2 段以上に増やす。新しい機械の多くは、1 本のベルトか電動機で回し、主軸台の中の歯車の変速箱で速度を変える形になった、と[17]。その例に挙げられたのが、主軸台の上に電動機を載せた Göppingen の Boehringer(ベーリンガー)の精密高速旋盤です。Boehringer は 1896 年に電動機で動く最初の旋盤を作ったとし、1905 年からは旋盤に絞りました[12]。高速度鋼がドイツの旋盤をどれほど揺さぶったかは、アメリカの旋盤の章で紹介している Loewe の試しの話にも表れています。
大きな旋盤も、電動機で変わります。1906 年の百科事典は、Düsseldorf の Schiess の立て旋盤(直径 9.5m まで)を、約 25 馬力の電動機で回転台を毎分 0.09〜4 回転の 20 段に変える機械として図で示しました。夜も人がほとんど付かずに回せるよう、個別の電動機で動かす、と書いています[15]。1914 年の Lueger の事典には、面板の直径 11m、重さ 300t の Schiess の立て旋盤が載っています[17]。
現場で何が変わったか。タレット旋盤と自動盤で、旋盤の仕事は「腕のいい旋盤工が 1 個ずつ寸法を合わせる」ものから、「段取りをする人が刃物とカムを合わせ、あとは機械に任せる」ものに分かれました。今の CNC 旋盤でも、刃物の並べ方と工程の順番を考えるのが段取りの中心なのは、この時代からの続きです。
1 本ベルトの主軸台・超硬工具・VDF・戦争(1914〜1945 年)
第一次世界大戦では、旋盤は砲弾と砲身を削る機械になりました。Boehringer は砲弾を削る機械と砲身の中ぐり旋盤を作っています[12]。Pittler は 1920 年より前から、便せんに「大陸でいちばんのタレット旋盤と自動盤の専門工場」とうたっていました[10]。
1919 年の教科書が描く旋盤
Hülle の教科書の第 4 版(1919 年)は、この時代の旋盤の仕組みを細かく伝えています。主軸の速度は、天井の伝動軸か電動機から掛け替えない 1 本のベルト(Einscheibenantrieb)で歯車の変速箱を回し、歯車の組み合わせを入れ替えて変える[14]。Boehringer の高速旋盤では、20 馬力の段付き電動機(回転数を段で変えられる電動機)が 400〜1,400 回転を 5 段に変え、それを歯車でさらに広げていました[14]。Loewe の普通旋盤・荒削り旋盤や、Boehringer の重いタレット旋盤も、図入りで説明されています。ベルトを手で掛け替える段車の旋盤は、レバーで歯車を切り替える旋盤に置き換わりつつありました。
超硬工具が求めた剛性
1920 年代の後半、刃物の側でもう一度大きな変化が起きます。Krupp の超硬工具「Widia(ヴィディア)」です。名前は「wie Diamant(ダイヤモンドのよう)」から来ていて、商標は 1925 年 12 月に出願、1926 年 5 月に登録され、1927 年の Leipzig 見本市で公に出ました[20][21]。超硬工具は高速度鋼よりずっと速く削れますが、刃先が欠けやすく、振動を嫌います。旋盤は、もっと速く回る主軸と、もっと太く重いベッド・主軸台を求められるようになりました(超硬工具の歴史は第 2 章)。
VDF:大きさで分けて作る
1928 年、Göppingen の Boehringer・Hannover の Wohlenberg・Hamburg の Heidenreich & Harbeck・Zerbst の Franz Braun の 4 社が、作る・売るの共同体 VDF(Vereinigte Drehbank-Fabriken、統合旋盤工場)をつくりました。各社が旋盤の大きさを分担し、同じ考え方の旋盤をそろえて売ります。世界恐慌のさなか、VDF の輸出の半分以上はソ連向けでした[12]。1934 年にはモスクワの工場が、VDF の歯車式主軸台の旋盤を手本にした機械を並べています[24]。日本の国立科学博物館の資料は、VDF の旋盤を Schlesinger の研究をもとにした機械と説明しています[25]。
自動盤の側では、Index が 1934 年の特許で「Index Werke Hahn & Kolb」、1937 年の自動盤のカムの特許で「Index Werke」と名乗っていて[58][59]、カム式の単軸自動盤を磨き続けていたことが分かります。1938 年ごろには Reichenbach an der Fils で Hermann Traub(トラウブ)の会社が始まり[28]、同じ 1938 年には、のちに教育用・工具室の旋盤で知られる Weiler も創業しています[26]。Chemnitz の Escher は 1930 年に Berlin の Deutsche Niles-Werke に売られ、Niles の Siegmar 工場として旋盤・立て旋盤・横中ぐりフライス盤を作りました[8]。
二度目の戦争
1939 年に創業 50 年を祝った Pittler は、この年、大陸ヨーロッパで最大のタレット旋盤メーカーでした[30][10]。1934 年までには、Magdeburg の工作機械の会社の株の 75% も手に入れています[23]。銃と砲弾の部品を削る旋盤の注文で売上は伸び、工場は女性の再訓練を始め、多くの外国人と強制労働者を働かせています[10]。1945 年 3 月の空襲で Chemnitz の工作機械工場はほとんど壊れましたが、Niles の旋盤工場は残り、戦後はソ連の管理の下で賠償の旋盤を作ります[1][8]。Leipzig の Pittler の本工場は接収・解体され、Bielefeld の Gildemeister の工場も空襲で壊れました[10][6]。戦争と分断の全体は第 3 章にあります。
東西の旋盤:倣い・パンチカード・大形旋盤(1945〜1970 年)
戦後、ドイツの旋盤は東と西に分かれます。Pittler の役員と幹部は 1948 年に西の Langen(Hessen)で Pittler Maschinenfabrik AG を起こし、新工場でタレット旋盤を作り直しました[10][9]。東の Leipzig では、接収した Pittler の財産で国営の VEB Drehmaschinenwerk Leipzig(DREMA)がつくられます[33]。Bautzen にあった鋳物・機械の工場は、1952 年に西の Eislingen で EMAG として出直し、旋盤と専用機を作り始めました[37][38]。
倣い旋盤:型板をなぞって削る
段の多い軸を何百本も削るとき、段ごとに寸法を測って止めるのは手間です。そこで広まったのが倣い旋盤です。品物と同じ形の型板(または見本の 1 本)を触針でなぞり、その動きを油圧で強めて刃物台を追わせると、刃物は型と同じ輪郭を描きます。Boehringer は 1951 年 12 月に「倣い刃物台(Nachformsupport)つきの旋盤」を出願し[36]、同じ年にクランク軸のピン(中心からずれた軸部)を削る旋盤も出願しています[35]。自動車の部品の量産が、旋盤に「1 回の段取りで形まで削る」ことを求めたのです。EMAG も 1975 年に、カムと型板でねじ切りまでする油圧倣い旋盤を出願しています[46]。
VDF は戦後も続きました。1949 年に Boehringer が出願した旋盤の特許には、Göppingen の技術者に並んで Hannover と Hamburg の技術者が発明者として名を連ねていて、VDF の仲間の工場が一緒に設計していたことがうかがえます[32]。
パンチカードで動くタレット旋盤
1950 年代末ごろの VDF のタレット旋盤 RS 50〜RS 100 の英語版カタログは、この時代の仕組みをよく伝えます。タレット旋盤の工員は 8 時間に 6,000〜10,000 回もの操作をこなし、疲れて不良が増える。そこで VDF は、穴をあけたカードで主軸の回転数・回転の向き・送りを自動で切り替えるようにした。カードは工場の計画係が前もって作り、手の操作を約 3 割減らした――と書いています。変速は主軸台の電磁クラッチで行い、レバーは高速域のベルト駆動との切り替えに 1 本残るだけ。ベッドは幅広く、焼入れして研削した V 形の案内面を 2 本持ち、切りくずはベッドの間から下へ落とします。主軸端は DIN の短いテーパの規格に合わせていました[22]。NC の手前で、旋盤はすでに「紙に書いた手順を機械が読む」方向へ進んでいたのです。
Gildemeister は 1950 年にタレット旋盤 RV 50 を出し、1951 年に棒材用とチャック用の多軸自動盤を加えました[6]。1950 年には、タレットの割り出しに合わせて主軸の変速を電気と油圧で切り替える仕掛けを出願し[34]、1966 年にはカムの制御軸を縦送り台の上に移した多軸自動盤を出願しています[41]。1970 年には、VDF の 1 社だった Hamburg の Heidenreich & Harbeck を買いました[6]。
東の大形旋盤:「8. Mai」と DREMA
東ドイツでは、旧 Escher・Niles の Chemnitz の工場が 1953 年 5 月 8 日に「VEB Großdrehmaschinenbau „8. Mai“」(大形旋盤工場「5 月 8 日」)と名を変えました。旋盤・立て旋盤・横中ぐりフライス盤を作るこの工場は、1950 年には東側の経済圏で最大の旋盤メーカーとされ[8][1]、1978 年には製品の 7 割以上を輸出しています[1]。1969〜70 年には、回転する部品を削る機械の工場が Berlin の「7. Oktober」コンビナートにまとめられ、「8. Mai」と Leipzig の DREMA もそこに入りました。工作機械の輸出は国営の WMW の名で行われ、州の文書館には「WMW」の宣伝写真が残っています[8][33][1]。東ドイツでは 1963 年から NC 旋盤、1967 年から NC の斜めベッド旋盤が作られ、1971 年の Leipzig 春の見本市には NC の回転部品の加工システム ROTA F 125 NC が出ています[1][8]。
NC から CNC・ターニングセンタへ(1955〜1990 年)
NC(数値制御)の話は米国の MIT から始まりますが、ドイツでも早くから追いかけていました。Aachen の WZL の Herwart Opitz は 1952 年に部下を MIT へ送り、1955 年に自作の NC 機の模型を Aachen の研究集会で見せます。1960 年の Hannover Messe では、ドイツのメーカーが NC 機を並べました[39]。Siemens は同じ 1960 年に工場で使える NC 装置を出し、1964 年に SINUMERIK の名を付けています[40]。NC 全体の流れは第 4 章にあります。
初期の NC 旋盤の送り:パルスと油圧
社史をまとめた事典によると、Gildemeister は 1965 年に最初の NC 旋盤 RSA を見せ、1967 年に売り出しました[6]。このころの NC 旋盤の送りの仕組みは、Gildemeister の 1969 年の出願によく表れています。題は「NC で動く電気のステッピングモータと油圧の増幅器を持つ送り駆動」。NC 装置が出すパルスで少しずつ回るステッピングモータは力が弱いので、その動きを油圧で強めて送りねじや送り台を動かしていました[42]。1971 年には「十字の送り台を持つ NC 旋盤」も出願しています[60]。
主軸を割り出す:C 軸の芽
ターニングセンタ(旋削のほかに、回転工具で穴あけ・フライス削りもする旋盤)に欠かせないのが、主軸を好きな角度で止める C 軸です。Index は 1972 年 12 月、主軸の回転を NC につなぎ、決まった角度ごとに割り出して止められる NC 旋盤を出願しました(米国特許 3,878,742)[45]。その一方で、同じ Index のカム式の単軸自動盤は 1971 年に 4 万台目に達し、カムで動く刃物台の改良の特許もまだ出していました[18][44]。カム式は安く速く、何万個も作る部品ではなお主役だったのです。
1977 年には Gildemeister が自社の CNC 装置 Elektropilot を出し、マイクロプロセッサで制御する多軸自動盤を作りました。EMAG は同じころから、自動で品物を出し入れする CNC 旋盤のセルを世界に売り始めます[6][37]。Traub は 1979 年に、NC 旋盤で刃先の位置を刃物台に対して測って決める方法を出願しています。工具を替えるたびに試し削りで寸法を合わせる手間を減らす、今の工具補正・ツールプリセットにつながる技術です[47]。Index は 1983 年に CNC の旋削・フライス加工の機械を、1985 年に CNC の多軸自動盤を出しました(どちらも同社は世界初とします)[18]。
1988 年、西ドイツで作られた旋盤の生産額の 74.6% が NC 旋盤になっていました。同じ年の日本は 89.5% で、NC 旋盤の世界の生産の約半分を占め、西ドイツとイタリアがそれに続きます[48]。1980 年代の西ドイツの旋盤メーカーは、日本の NC 旋盤と正面から競うことになりました。
ピックアップ旋盤と再編(1990 年〜)
立て形ピックアップ旋盤:主軸が取りに行く
1992 年、EMAG は旋盤の形をひっくり返します。主軸を下向きに吊り、その主軸ごと X・Z の方向に動かす。主軸は自分でコンベヤの上の素材をチャックでつかみ(ピックアップ)、下に並んだ動かない刃物の上へ運んで削り、削り終えたら置いて次を取りに行く。EMAG はこれを世界で初めての、主軸が主な軸の方向に動く立て形の旋盤としています[51][38]。1992 年 4 月には、モータ内蔵の主軸を十字の送り台に載せ、切りくずと切削液の受けや計測の仕掛けまで組み込んだ機械の特許を出願しました(日本などにも出願)[52]。考えたのは、1969 年に技術の責任者となり、1975 年に会社を買い取った Norbert Heßbrüggen です[43]。
この形には、現場の利点がいくつもあります。機械が自分で品物を出し入れするので、ローダを別に付けなくても 1 台がそのまま自動の加工セルになる。刃物が品物の下にあるので、切りくずが邪魔されずに落ちる。ワークの流れを左右どちらからでも組めるので、機械を並べたラインが短くなる[51]。ベッドは鋳鉄ではなく、反応樹脂のコンクリート(ポリマーコンクリート)を流し込んだもので、EMAG は 1991 年にこの一体のベッドの旋盤も出願していました[50][51]。2017 年に創業 150 年を迎えたころ、世界で 12,500 台を超えるピックアップ旋盤が使われていました[37][43]。主軸を立てる考えは EMAG だけのものではなく、Gildemeister も 1990 年に、最大 4 本のワーク主軸が自分の案内面で動く立て形の旋盤を欧州で出願しています[49]。
再編:Index と Traub、Pittler と EMAG
1990 年代は、旋盤メーカーがまとまっていく時代でした。1997 年、Index は隣町 Reichenbach の Traub を買い、Index と Traub の 2 つのブランドを残してグループにしました[19][18]。東では、Leipzig の DREMA が 1990 年に民営化されて 1991 年に Pittler-TORNOS となりましたが[33]、1997 年に倒産し、1999 年 9 月に EMAG が引き取って EMAG Leipzig にしました[53][37]。Chemnitz の「8. Mai」は 1993 年に NILES Drehmaschinenbau が受け継いでいます[8]。Gildemeister は 1994 年に Deckel Maho の大半を手に入れ、旋盤とマシニングセンタの両方を持つグループになりました[6]。VDF の中心だった Boehringer は、Oerlikon-Bührle(1973 年)、IWKA(1987 年)、MAG(2006 年)と持ち主を替え、2013 年に台湾の Fair Friend Group に入っています[12]。
旋盤は、1 台で削り終える方向にも進みました。EMAG は 1998 年に旋削と研削を 1 台でする VSC 250 DDS を[37]、Index は 2002 年に CNC の旋削・研削の機械を出しています(同社は世界初とします)[18]。複合加工機全体の流れは国産アーカイブの第 7 章「複合加工機・5 軸の系譜」にあります。
今の顔ぶれ
今のドイツの旋盤の主なメーカーは、Bielefeld の DMG MORI(旧 Gildemeister)、Esslingen と Reichenbach の Index・Traub、Salach の EMAG、Chemnitz の Niles の流れ、教育用と工具室の旋盤の Weiler(本社は Herzogenaurach から 1990 年代に Emskirchen へ)などです[27]。2014 年に 100 年を迎えた Index は、世界で約 2,200 人、売上約 4.5 億ユーロの会社でした[19]。
日本とのつながり
日本の旋盤は、戦前に VDF から多くを学んでいます。池貝鉄工所は 1935〜56 年、VDF の旋盤を手本に、主軸台や送りの箱をユニットにした普通旋盤を作りました。軍の多様な注文に合わせて、標準旋盤・単能旋盤・正面旋盤・タレット旋盤を同じユニットの組み合わせで量産でき、精度・重切削・耐久性のどれでも当時としては画期的だった、と国立科学博物館の資料は書いています。1937 年製の 1 台が日本工業大学に残っています[25]。大隈鐵工所も 1939 年、超高速旋盤 LT 形を設計するときに、米国の旋盤と並べて VDF の旋盤を参考にしました[31]。この 2 つは国産アーカイブ第 1 章の年表にも載せています。
戦後は競争と提携の相手になります。1988 年には、NC 旋盤の生産で日本が世界の約半分、西ドイツが 2 番手でした[48]。2009 年、Gildemeister と日本の森精機製作所が業務・資本の提携を結び、2013 年に両社は DMG MORI の名に変わり、2015 年 5 月に日本側がドイツ側の株の 52.54% を持ちました[54][55]。多軸自動盤とタレット旋盤から始まった Bielefeld の会社と、繊維機械から旋盤に転じた奈良の会社が、1 つのグループになったことになります。EMAG のピックアップ旋盤の基本の特許も、日本に出願されています[52]。
⑂メーカーの系図
ドイツの旋盤の主なメーカーの、社名の移り変わりと事業の行き先です。帯の色が変わるところで社名や持ち主が変わり、矢印は事業の行き先です。帯の途切れは、戦争・分断で会社が止まった期間か、そこから先を確かめていないところです。Pittler は戦後、西の Langen と東の Leipzig(DREMA)の 2 本に分かれ、東の流れは 1999 年に EMAG に入りました。
見に行ける所
古い旋盤は工場で使い切られることが多く、見られる所は多くありません。収蔵品はいつも展示されているとは限らないので、公開日・見学の可否・展示の入れ替えは、行く前にそれぞれの施設の案内で確かめてください。
⌛年表
この章で確かめた出来事のすべてです。番号は出典で、押すとその資料(ページが分かるものはそのページ)が開きます。「p.」は本・PDF のページ、「コマ」はスキャンの通し番号(Hülle の教科書と国立国会図書館の資料)です。特許は出願日の年で載せています。
英国の手本から Chemnitz の旋盤へ1826〜1890 年ごろ
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1826年 | Chemnitz の紡績機械の工場 Haubold が、自分の工場で使う工作機械を含む設備を自分で作る。ドイツの旋盤は、まず機械工場が自分のために作る道具として始まった | C. G. Haubold | [1・p.7] |
| 1842年 | Richard Hartmann が Chemnitz の工場で、工具と工作機械を自分の工場用に作り始める | Richard Hartmann | [1・p.7] |
| 1848年 | ★Johann Zimmermann(ツィンマーマン)が Chemnitz の工場の単独の持ち主になり、形削り盤・平削り盤・ボール盤と旋盤を続けて作る(売り物の工作機械を専門に量産した工場の始まりとされる)VDI の年表は工場の創業を 1844 年とし、ERIH は 1844 年に共同経営で始め 1848 年に単独の持ち主になったとする。この章は工作機械専業になった 1848 年で載せた | Johann Zimmermann | [1・p.7][2] |
| 1852年 | Zimmermann の機械が München の産業博覧会で初めて公に認められる | Johann Zimmermann | [1・p.7] |
| 1856年 | ★『Album der Sächsischen Industrie』が Zimmermann の新工場を紹介。30 馬力の蒸気機関で動く工場に鉄製の刃物台つき旋盤(Supportdrehbank)が 36 台あり、うち 1 台は長さ 47 フィート(約 14m)の送りねじを切れた。250 人が働き、英国から機械を買っていた技術者がこの工場の機械に切り替えつつあると書く | Johann Zimmermann | [3] |
| 1857年 | Hartmann が工作機械の量産を始める | Richard Hartmann(Sächsische Maschinenfabrik) | [1・p.7] |
| 1860年ごろ | Hartmann・Zimmermann・Diehl・Sondermann & Stier・Reinecker の工場が並び、Chemnitz がドイツの工作機械づくりの中心になる | — | [1・p.8] |
| 1862年 | London の万国博覧会で Zimmermann が金メダルを受ける。1867 年の Paris 万博では Zimmermann と Hartmann がともに金メダル | Johann Zimmermann | [1・p.8] |
| 1868年 | Zimmermann の工場の従業員は約 1,000 人(1848 年は 56 人)。自社の工場には旋盤 160 台・平削り盤と溝削り盤 90 台などが並び、作った工作機械の 75% をロシア・オーストリア・英国・南米へ出した | Johann Zimmermann | [1・p.8] |
| 1871年 | Zimmermann の工場が株式会社になる | Chemnitzer Werkzeugmaschinenfabrik vorm. Joh. Zimmermann | [1・p.9][2] |
| 1873年 | Chemnitz の Reinecker が Wien 万博に、刃の背を逃がして削った(逃げを付けた)フライスを出す。刃を研いでも形が変わらない工具を作る逃げ旋盤(Hinterdrehbank)を米国の手本で作り、1882 年からは機械としても売る | J. E. ReineckerHinterdrehbank(逃げ旋盤) | [1・p.8][7] |
| 1874年 | Bernhard と Hermann の Escher 兄弟が Chemnitz で工作機械の工場を始める(のちの大形旋盤の Niles・「8. Mai」の前身) | Gebr. Escher | [8] |
| 1880年 | Chemnitz の Sondermann & Stier は 89 種類の工作機械を売り、年に約 4,000 台を作る | Sondermann & Stier | [1・p.8] |
タレット旋盤・自動盤と高速度鋼1869〜1914 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1869〜70年 | Ludwig Loewe(ルートヴィヒ・レーヴェ)が Berlin で会社を起こし(はじめはミシン)、1870 年に米国を視察。一つの製品に絞り、専用の機械と互換性のある部品で大量に作る米国式を手本にするNDB は創業を 1869 年、Fischer の論文は 1870 年とする | Ludwig Loewe & Co. | [4][5・p.5] |
| 1870年 | Friedrich Gildemeister(ギルデマイスター)が Bielefeld で工作機械の工場を起こす | Gildemeister & Comp. | [6] |
| 1873年 | Loewe が工作機械を自社の工場のためだけでなく、ほかの工場にも売り始める | Ludwig Loewe & Co. | [4][5・p.9] |
| 1888年 | Leipzig のミシン・刺しゅう機の発明家 Wilhelm von Pittler(ピットラー)が、6 通りに使える金属加工の万能機を作る | Wilhelm von Pittler | [9] |
| 1889年 | Pittler が Leipzig-Gohlis に Maschinenfabrik „Invention“ を起こす | Maschinenfabrik „Invention“(Pittler) | [9][10] |
| 1890年 | Pittler がタレット(刃物を何本も挿して回して割り出す頭)を付けた旋盤を作る。工具穴は初め 6 つ、1894 年から 16 に増やし、自転車のハブなどの量産に使われた | PittlerRevolverkopf-Maschine | [9] |
| 1893年2月 | ★Pittler が「タレットつき金属加工機」のドイツ特許 74951 を出願する(2 月 24 日)NDB は DRP 74951 を 1892 年の「10 本用のドラム形タレット」の特許として挙げる。DEPATISnet の書誌の出願日は 1893 年 2 月 24 日なので、出願日で載せた | PittlerDE 74951 | [11][9] |
| 1895年 | Pittler の会社が株式会社になり、1899 年に Leipzig-Wahren の新工場へ移る | Leipziger Werkzeugmaschinenfabrik vorm. W. v. Pittler AG | [9][10] |
| 1896年 | Göppingen の Boehringer(ベーリンガー)が、電動機で動く最初の旋盤を作ったとする。1905 年からは旋盤、とくにタレット旋盤と平削り盤に絞る年は同社の沿革の記述。当時の資料では確かめていない | Gebr. Boehringer | [12] |
| 1896〜98年 | ★Loewe が Berlin-Moabit に工作機械の新工場を建てる。米国の技術者 3 人を招いて互換生産の工場として設計し、旋盤・タレット旋盤・フライス盤・研削盤など少ない機種を見込みで大量に作る | Ludw. Loewe & Co. AG | [13][5・p.17] |
| 1897年 | Georg Schlesinger(シュレジンガー)が Loewe に入り、米国の技術者の通訳から、治具・ゲージと旋盤・タレット旋盤など標準機種の準備をまとめる役になる(1904 年に TH Berlin の工作機械の教授) | Ludw. Loewe & Co. AG | [5・p.18][13] |
| 1901年 | Pittler がタレット旋盤に加えて、米国の機械を手本にした半自動・自動の旋盤(単軸と多軸の自動盤)を作り始める。1 人で何台もの旋盤を受け持てるようになった | Pittler | [10][14・コマ209] |
| 1906年 | 『Meyers』の百科事典が、Düsseldorf の Schiess の電動の立て旋盤を図で紹介。直径 9.5m までの品物を削り、約 25 馬力の電動機で回転台を毎分 0.09〜4 回転の 20 段に変える | Ernst SchiessKarusselldrehbank(立て旋盤) | [15] |
| 1906年 | 同じ百科事典が、Pittler の特許の機械を「旋削・ねじ切り・フライス削りまで 1 台でこなす送りねじ式の旋盤」として紹介する。足踏みでも天井の伝動軸でも動かせた | Pittler | [15] |
| 1906年 | Gildemeister を Wilhelm Berg が率い、1915 年までに品ぞろえを多軸自動盤・ドラム形タレット旋盤などに絞る | Gildemeister | [6] |
| 1910年 | Zimmermann の会社は 30 年で約 5 万台の工作機械を作り、心間 24m の旋盤、加工長 18m の平削り盤まで作っていた | Chemnitzer Werkzeugmaschinenfabrik vorm. Joh. Zimmermann | [1・p.9] |
| 1910年 | ブリュッセル万国博覧会のドイツの公式目録で、Gießen の Heyligenstaedt(1875 年創業)は 500 人、年に約 5,000 台、それまでに通算約 14 万台の工作機械を作ったと書く。高速旋盤・平削り盤・ラジアルボール盤などを出品した数字は会社の申告。創業の年は 1876 年とする資料もあり、確かめていない | Heyligenstaedt & Comp.(Gießen) | [16・p.196] |
| 1914年 | ★Lueger の技術事典が、旋盤の進歩は高速度鋼(Schnellschnittstahl)に引っ張られたと書く。主軸の回転数を増やし、各部を頑丈にし、段車の代わりに 1 本のベルトか電動機と歯車の変速箱で回す形が増えた。例に、主軸台に電動機を載せた Boehringer の精密高速旋盤を挙げる | Gebr. Boehringer | [17・p.182] |
| 1914年 | 同じ事典に、面板の直径 11m、直径 12m・高さ 3.4m の品物を削れる Schiess の立て旋盤(重さ 300t)が載る | Ernst Schiess AGKarusselldrehbank | [17・p.182] |
| 1914年 | ★Hermann Hahn が Esslingen で Index を起こし、カムで動く自動盤「Index I」を作る。社名はタレットの割り出し(Indexieren)から | Index(Esslingen)Index I | [18・p.3][19] |
| 1914年 | Chemnitz の Escher が高性能の高速旋盤と片持ちの立て旋盤を作る | Escher(Chemnitz) | [1・p.9] |
1 本ベルトの主軸台・超硬工具・VDF・戦争1914〜1945 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1914〜18年 | 第一次世界大戦で、Boehringer が砲弾を削る機械と砲身の中ぐり旋盤を作る | Gebr. Boehringer | [12] |
| 1919年 | Hülle の教科書(第 4 版)が、電動機と歯車の変速箱の旋盤を詳しく説明する。Boehringer の高速旋盤は 20 馬力の段付き電動機で 400〜1,400 回転を 5 段に変え、ベルトを掛け替えずに歯車で速度を変える「1 本ベルト駆動」も広まっていた | Gebr. Boehringer・Ludw. Loewe & Co. | [14・コマ52][14・コマ64] |
| 1919年 | 同じ教科書が、Pittler の 16 穴のタレット旋盤、カム胴とカム円板を回す制御軸で送りまで機械にさせる Loewe の自動タレット旋盤、4 本の棒材を同時に削る Gildemeister の 4 軸自動盤を紹介する | Pittler・Ludw. Loewe & Co.・Gildemeister | [14・コマ180][14・コマ192][14・コマ202] |
| 1920年以前 | Pittler が便せんに「大陸でいちばんのタレット旋盤と自動盤の専門工場」とうたう | Pittler | [10] |
| 1922年 | Pittler の会社が Pittler Werkzeugmaschinenfabrik AG と名前を変える | Pittler Werkzeugmaschinenfabrik AG | [10][9] |
| 1926年 | Krupp の超硬工具「Widia(ヴィディア、wie Diamant=ダイヤモンドのよう)」の商標が登録され、1927 年の Leipzig 見本市で公に出る。旋盤は、もっと速く回り、もっと頑丈な作りを求められるようになる商標の出願は 1925 年 12 月 18 日、登録は 1926 年 5 月 6 日(DPMA) | KruppWidia | [20][21] |
| 1928年 | ★Boehringer(Göppingen)・Wohlenberg(Hannover)・Heidenreich & Harbeck(Hamburg)・Franz Braun(Zerbst)が、作る・売るの共同体 VDF をつくる。各社が旋盤の大きさを分担し、輸出の半分以上がソ連向けだった結成年と 4 社は Boehringer の沿革、VDF の名と 3 社の連名は戦後のカタログで確かめた | VDF(Vereinigte Drehbank-Fabriken) | [12][22] |
| 1930年 | Chemnitz の Escher が Berlin の Deutsche Niles-Werke に売られ、Niles の Siegmar 工場になる(旋盤・立て旋盤・横中ぐりフライス盤などを作る) | Deutsche Niles-Werke | [8][1・p.9] |
| 1934年まで | Leipzig の Pittler が、Magdeburg の Magdeburger Werkzeugmaschinenfabrik AG の株の 75% を手に入れ、傘下に置く取得の年は確かめていない(1928 年とする資料がある) | Pittler | [23・p.174] |
| 1934年6月 | 米国の業界誌の記者が、モスクワの工作機械工場 Krasny Proletary(赤いプロレタリア)の展示で、ドイツの VDF の歯車式主軸台の普通旋盤(8 インチと 12 インチの 2 つの大きさ、心間 1m と 1.5m)の型を見る。この工場は 1933 年に 2,250 台を作った。ソ連はドイツと米国の機械を手本に旋盤を量産し始めていた | VDF・Krasny Proletary(ソ連) | [24・p.401] |
| 1935〜56年 | ★日本の池貝鉄工所が、Schlesinger の研究をもとにした VDF の旋盤を手本に、部分をユニットにした普通旋盤を作る(1937 年製が日本工業大学に残る) | 池貝鉄工所 | [25] |
| 1938年 | 教育用・工具室向けの旋盤で知られる Weiler が創業する(本社は長く Herzogenaurach、1990 年代に近くの Emskirchen へ)創業年は業界誌の記念記事、所在地は特許の出願人の住所(1987 年 Herzogenaurach、1994 年 Emskirchen)で確かめた | Weiler | [26][27] |
| 1938年ごろ | Reichenbach an der Fils で Traub(トラウブ)が始まる。カムで動く単軸自動盤で知られるようになる創業年は 2013 年の 75 周年の記事から。会社名 Hermann Traub と所在地 Reichenbach は特許の出願人で確かめた | Hermann Traub | [28][29] |
| 1939年 | Pittler が創業 50 年を祝う。この年、大陸ヨーロッパで最大のタレット旋盤メーカーだった | Pittler | [10][30] |
| 1939〜45年 | 第二次世界大戦で、銃と砲弾の部品を削るタレット旋盤・自動盤の注文が増える。Pittler は女性の再訓練を始め、多くの外国人と強制労働者を働かせた | Pittler | [10] |
| 1939年1月 | 日本の大隈鐵工所が海軍の注文で超高速旋盤 LT 形の設計を始め、ケルガー・Monarch・VDF などの旋盤を参考にする | 大隈鐵工所LT 形 | [31・コマ34][31・コマ58] |
| 1945年 | Leipzig の Pittler の本工場は接収・解体される。Bielefeld の Gildemeister の工場も空襲で壊れ、解体の候補に挙げられる | Pittler・Gildemeister | [10][30][6] |
| 1945年3月 | 3 月 5〜6 日の空襲で Chemnitz の工作機械工場はほとんど壊れるが、Niles の旋盤工場は残り、戦後はソ連の管理の下で賠償の旋盤を作る | — | [1・p.9][8] |
東西の旋盤:倣い・パンチカード・大形旋盤1945〜1970 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1948年 | Pittler の役員と幹部が西の Langen(Hessen)で Pittler Maschinenfabrik AG を起こし、1949〜51 年に新工場を建ててタレット旋盤を作り直すSächsisches Staatsarchiv は 1948 年の設立、NDB は 1949〜51 年の新工場を書く | Pittler Maschinenfabrik AG(Langen) | [10][9] |
| 1949年 | Boehringer が旋盤の特許を出願する。発明者に Göppingen のほか Hannover と Hamburg の技術者が並び、VDF の仲間の工場と共同で設計していたことがうかがえる | Gebr. Boehringer | [32] |
| 1949〜59年 | 東の Leipzig では、接収した Pittler の財産で国営の VEB Drehmaschinenwerk Leipzig(DREMA)をつくる。1959 年に旧 Pittler の設計部門(VEB Centex)を合わせる | VEB Drehmaschinenwerk Leipzig | [33][10] |
| 1950年 | Gildemeister がタレット旋盤 RV 50 を出し、1951 年に棒材用とチャック用の多軸自動盤を加える。1950 年にはタレットの割り出しに合わせて変速を電気と油圧で切り替える仕掛けを出願した | GildemeisterRV 50 | [6][34] |
| 1950年 | 旧 Niles の Chemnitz の工場が、東側の経済圏(COMECON)で最大の旋盤メーカーになる | Niles(Siegmar) | [1・p.10] |
| 1951年6月 | Boehringer がクランク軸のピン(偏心した軸部)を削る旋盤を出願する | Gebr. Boehringer | [35] |
| 1951年12月 | ★Boehringer が「倣い刃物台(Nachformsupport)つきの旋盤」を出願する。型板をなぞる触針に刃物を追わせ、段付き軸の形を 1 回の段取りで削る倣い旋削の時代に入る | Gebr. BoehringerNachformsupport | [36] |
| 1952年 | 1867 年に Bautzen で始まった鋳物・機械工場が、西の Eislingen(Fils)で EMAG として出直し、旋盤と専用機を作る | EMAG | [37][38] |
| 1953年5月 | ★旧 Escher・Niles の Chemnitz の工場が「VEB Großdrehmaschinenbau „8. Mai“」と名を変える。大形の旋盤と立て旋盤の東ドイツの拠点になる | VEB Großdrehmaschinenbau „8. Mai“ | [8][1・p.10] |
| 1950年代末ごろ | ★VDF のタレット旋盤 RS 形は、穴をあけたカードで回転数・回転の向き・送りを自動で切り替え、電磁クラッチで変速する。カードは工場の計画係が前もって作り、手の操作を約 3 割減らした。焼入れ研削した V 形の案内面を持つカタログの年は Internet Archive の説明(1950 年代末ごろ)による | VDFRS 50・RS 63・RS 80・RS 100 | [22] |
| 1966年 | Gildemeister が、カムの制御軸を縦送り台の上に置いた多軸自動盤を出願する(切りくずが制御軸に落ちにくい) | Gildemeister | [41] |
| 1969年 | EMAG が Salach に移り、組み合わせ式のプログラム制御の自動旋盤を出す。この年 Norbert Heßbrüggen が技術の責任者になる | EMAG | [37][43] |
| 1970年 | 東ドイツの回転部品の機械(旋盤・研削盤など)が Berlin の「7. Oktober」コンビナートにまとめられ、「8. Mai」(1970 年)と Leipzig の DREMA(1969 年)が入る | VEB Werkzeugmaschinenkombinat „7. Oktober“ | [8][33][1・p.11] |
| 1970年 | Gildemeister が VDF の 1 社だった Hamburg の Heidenreich & Harbeck を買う | Gildemeister・Heidenreich & Harbeck | [6] |
NC から CNC・ターニングセンタへ1955〜1990 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1955年 | Aachen の WZL の Herwart Opitz が、MIT の NC フライス盤を調べさせたうえで、自作の NC 機の模型を Aachen の研究集会で見せる。1960 年の Hannover Messe ではドイツのメーカーが NC 機を並べた | — | [39・p.143] |
| 1960年 | Siemens が工場で使える NC 装置を出し、1964 年に SINUMERIK の名を付ける | SiemensSINUMERIK | [40] |
| 1963年 | 東ドイツで NC 旋盤が作られ始める(1967 年から NC の斜めベッド旋盤) | — | [1・p.10] |
| 1965年 | Gildemeister が初めての NC 旋盤 RSA を見せ、1967 年に売り出す。同じ年に小形の NC 旋盤 RN も出す社史の事典の記述。当時の業界誌では確かめていない | GildemeisterRSA | [6] |
| 1969年 | Gildemeister が「NC で動く電気のステッピングモータを油圧で増幅する送り駆動」を出願する。初期の NC 旋盤の送りは、パルスで少しずつ回るモータと油圧の組み合わせだった | Gildemeister | [42] |
| 1971年 | Index のカム式単軸自動盤が 4 万台目に達する。同じ年にもカムで動く刃物台の特許を出願していて、カム式はまだ現役だった | Index | [18・p.3][44] |
| 1971年3月 | Leipzig 春の見本市に、NC の回転部品の加工システム ROTA F 125 NC が出る | VEB Großdrehmaschinenbau „8. Mai“ROTA F 125 NC | [8] |
| 1972〜73年 | Boehringer がスイスの Oerlikon-Bührle と組み、1973 年に過半の株を持たれる(1981 年に Oerlikon-Boehringer) | Gebr. Boehringer | [12] |
| 1972年12月 | ★Index が、主軸の回転角を NC で決めて止められる NC 旋盤を出願する(米国特許 3,878,742)。のちのターニングセンタの C 軸(主軸の割り出し)につながる考え方 | Index | [45] |
| 1975年 | EMAG が、カムと型板でねじ切りもできる油圧倣い旋盤を出願する | EMAG | [46] |
| 1977年 | Gildemeister が自社の CNC 装置 Elektropilot を出し、マイクロプロセッサで制御する多軸自動盤を作る。EMAG は自動化した CNC 旋盤のセルを世界に売り始める | GildemeisterElektropilot | [6][37] |
| 1978年 | 「8. Mai」が製品の 7 割以上を輸出する | VEB Großdrehmaschinenbau „8. Mai“ | [1・p.11] |
| 1979年10月 | Traub が、NC 旋盤で刃先の位置を刃物台に対して測って決める方法を出願する。工具を替えるたびに試し削りで寸法を合わせる手間を減らす技術 | Hermann Traub | [47] |
| 1983年 | Index が CNC の旋削・フライス加工の機械(ターニングセンタ)を出す(同社は世界初とする)。1985 年には CNC の多軸自動盤を出す「世界初」は同社の講演資料の表現 | Index | [18・p.3] |
| 1988年 | 西ドイツの旋盤の生産額の 74.6% が NC 旋盤になる(日本は 89.5%)。NC 旋盤の生産は日本が世界の約半分で、西ドイツとイタリアが続く | — | [48・p.137] |
ピックアップ旋盤と再編1990 年〜
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1990年 | Leipzig の DREMA が民営化され Leipziger Drehmaschinen GmbH に、1991 年に Pittler-TORNOS と名を変える | Pittler-Tornos | [33] |
| 1990年9月 | Gildemeister が、主軸を立てた旋盤(最大 4 本のワーク主軸が自分の案内面で動く)を欧州で出願する | Gildemeister | [49] |
| 1991年5月 | EMAG が、反応樹脂のコンクリート(ポリマーコンクリート)を一体に流し込んだベッドの旋盤を出願する。鋳鉄より振動を吸いやすいベッドで、のちの VSC にも使われる | EMAG | [50][51・p.4] |
| 1992年 | ★EMAG が、下向きの主軸が自分でワークをつかみに行く立て形のピックアップ旋盤を作る(同社は世界初とする)。工具は動かず、ワークを持った主軸が動いて削る。4 月には主軸を十字の送り台に載せた機械の特許を出願した | EMAGVSC | [51・p.2][38][52] |
| 1993年 | 「8. Mai」は一部が清算、一部が民営化され、1993 年に NILES Drehmaschinenbau GmbH(Chemnitz)が受け継ぐ | NILES Drehmaschinenbau | [8] |
| 1994年 | Gildemeister が Deckel Maho の大半を手に入れ、旋盤とフライス盤・マシニングセンタの両方を持つグループになる | Gildemeister | [6] |
| 1997年 | ★Index が隣町 Reichenbach の Traub Drehmaschinen を買い、グループに入れる。Index と Traub の 2 つのブランドを残す | Index・Traub | [19][18・p.3] |
| 1997年 | Pittler-Tornos が倒産し、1999 年 9 月に EMAG が引き取って EMAG Leipzig にする | EMAG Leipzig | [53][37] |
| 1998年6月 | EMAG が旋削と研削を 1 台でする VSC 250 DDS を出す | EMAGVSC 250 DDS | [37] |
| 2002年 | Index が CNC の旋削・研削の機械を出す(同社は世界初とする) | Index | [18・p.3] |
| 2006年 | IWKA(1987 年から親会社)が Boehringer の工作機械部門を手放し、MAG の一部になる。2013 年に台湾の Fair Friend Group が引き継ぐ | Boehringer | [12] |
| 2009年 | ★Gildemeister と日本の森精機製作所が業務・資本の提携を結ぶ。2013 年に両社は DMG MORI の名に変わり、2015 年 5 月に日本側が独側の株の 52.54% を持つ | Gildemeister・森精機製作所 | [54][55・p.3] |
| 2014年 | Index が創業 100 年を迎える。世界で約 2,200 人、売上は約 4.5 億ユーロ | Index | [19] |
| 2017年6月 | EMAG が創業 150 年を祝う。このころ世界で 12,500 台を超えるピックアップ旋盤が使われていた | EMAG | [37][43] |
よくある質問
- タレット旋盤と自動盤は、何が違うのですか?
- タレット旋盤は、刃物を何本も挿した頭(タレット)を回して刃物を順に使う旋盤で、タレットを送ったり回したりするのは人の手です。自動盤は、その操作もカム(のちには NC)にさせる旋盤で、棒材を送るところから削り終えて切り離すところまで、人が付かずに繰り返します。ドイツでは Pittler と Loewe がタレット旋盤を、Pittler・Gildemeister・Index・Traub が自動盤を広めました。
- VDF の旋盤は、日本の旋盤にどう影響したのですか?
- VDF は 1928 年に Boehringer など 4 社がつくった旋盤の共同体で、大きさごとに分担して同じ考え方の旋盤をそろえました。池貝鉄工所は 1935 年から VDF の旋盤を手本に、主軸台や送りの箱をユニットにした普通旋盤を作り、同じユニットの組み合わせでいろいろな旋盤を量産できるようにしました。大隈鐵工所も 1939 年の LT 形の設計で VDF を参考にしています。
- EMAG のピックアップ旋盤は、普通の旋盤と何が違うのですか?
- 普通の旋盤は品物を回す主軸が動かず、刃物を送って削ります。EMAG が 1992 年に作った立て形のピックアップ旋盤は、下向きの主軸ごと動いて、自分で素材をつかみに行き、下に並んだ動かない刃物の上で削ります。ローダを別に付けなくても 1 台で品物の出し入れまででき、刃物が下にあるので切りくずが落ちやすいのが利点です。
- ドイツで最初の NC 旋盤はどれですか?
- 「この 1 台が最初」と言える資料は見つかっていません。1955 年に Aachen の WZL が NC 機の模型を見せ、1960 年の Hannover Messe でドイツのメーカーが NC 機を並べ、Gildemeister は 1965 年に NC 旋盤 RSA を見せて 1967 年に売り出したとされます。東ドイツでは 1963 年から NC 旋盤が作られました。この章では、それぞれの資料が書く範囲で載せています。
この先と関係するページ
出典
ドイツと欧米の特許は DEPATISnet(ドイツ特許商標庁)の書誌で、人物と会社の古い歩みは『Neue Deutsche Biographie』(NDB)で、東西ドイツの工場の歩みは Sächsisches Staatsarchiv(ザクセン州立文書館)の文書群の解説で、旋盤の仕組みは 1856 年の『Album der Sächsischen Industrie』・1906 年の Meyers・1914 年の Lueger の事典・1919 年の Hülle の教科書・VDF のカタログで、メーカーの沿革と業界誌は各ページを 2026 年 10 月に確かめました。Hülle の教科書の番号はスキャンのコマ(Internet Archive の n 番号)で、印刷のページとの対応は出典の注にあります。国立国会図書館の資料は国産アーカイブと同じコマ番号です。「最初」「世界初」は、本文で「〜とします」と書いたものはメーカー自身の記述です。年は資料によって 1〜4 年ずれることがあり(特許の出願と成立、創業と株式会社化、合意と買収の完了)、どちらを採ったかは年表の注に書きました。
- VDI Westsächsischer Bezirksverein「130 Jahre VDI in Chemnitz:Zeittafel zur Entwicklung von Handwerk, Manufaktur, Industrie」3. Entwicklung des Werkzeugmaschinenbaus(PDF)p. 7・8・9・10・11
- European Route of Industrial Heritage(ERIH)「Johann Zimmermann (1820–1901)」
- Louis Oeser(編)『Album der Sächsischen Industrie』第 1 巻(Neusalza、1856)S.125–127「Maschinenfabrik von Johann Zimmermann in Chemnitz」(Wikisource の翻刻)
- Neue Deutsche Biographie 15(1987)S.77–78「Loewe, Ludwig」(H. C. Graf v. Seherr-Thoß)
- Wolfram Fischer「American influence on German manufacturing before World War I: the case of the Ludwig Loewe Company」、Lescent-Giles ほか編『L'américanisation en Europe au XXe siècle』第 1 巻(IRHiS、2002)pp.59–69(番号は段落)p. 5・9・17・18
- 『International Directory of Company Histories』「Gildemeister AG」(Encyclopedia.com 版)
- Neue Deutsche Biographie 21(2003)S.349「Reinecker, Julius Eduard」(W. Uhlmann)
- Sächsisches Staatsarchiv, Bestand 31011「VEB Großdrehmaschinenbau „8. Mai“ Karl-Marx-Stadt」(文書群の解説と目録)
- Neue Deutsche Biographie 20(2001)S.491 f.「Pittler, Wilhelm von」(H. C. Graf v. Seherr-Thoß)
- Sächsisches Staatsarchiv, Bestand 20792「Pittler Werkzeugmaschinenfabrik AG, Leipzig」(文書群の解説:会社の歴史)
- ドイツ特許 DE 74951「Metallbearbeitungsmaschine mit Revolverkopf」W. von Pittler(Leipzig-Gohlis)、1893 年 2 月 24 日出願(DEPATISnet)
- Boehringer(Göppingen)「Geschichte」(工場跡地の会社による沿革)
- Neue Deutsche Biographie 15(1987)S.78–81「Loewe, Isidor」(H. C. Graf v. Seherr-Thoß)
- Fr. W. Hülle『Die Werkzeugmaschinen:ihre neuzeitliche Durchbildung für wirtschaftliche Metallbearbeitung』第 4 版(Springer、1919)※番号はスキャンのコマ(Internet Archive の n 番号)(コマと印刷ページ:52=S.41、64=S.51、180=S.161、192=S.172、202=S.182、209=S.189 ごろ)コマ 52・64・180・192・202・209
- 『Meyers Großes Konversations-Lexikon』第 6 版 第 5 巻(Leipzig、1906)「Drehbank」S.179–181 と図版「Drehbank」の解説(zeno.org)
- 『Weltausstellung Brüssel 1910. Deutsches Reich. Amtlicher Katalog』(ブリュッセル万国博覧会のドイツの公式目録、1910)(ページ番号は印刷ページ)p. 196
- Otto Lueger『Lexikon der gesamten Technik』第 9 巻(Stuttgart・Leipzig、1914)「Drehen, Drehbank」S.181–184(A. Widmaier、zeno.org)p. 182
- INDEX-Werke「Effizienz und Flexibilität – Automationslösungen bei INDEX」講演資料(2022 年 12 月 12 日、S.3「Historie INDEX-Werke」)p. 3
- INDEX-Werke「100 years INDEX / 110 years INDEX」
- ドイツ特許商標庁 DPMAregister「Marke 351828 Widia」(1925 年 12 月 18 日出願、1926 年 5 月 6 日登録)
- MM MaschinenMarkt「Widia: Ein Werkstoff hart wie Diamant」
- Vereinigte Drehbank-Fabriken(Gebr. Boehringer・Heidenreich & Harbeck・H. Wohlenberg)『VDF Turret Lathes RS 50・RS 63・RS 80・RS 100』英語版カタログ VDF 107/Ie(1950 年代末ごろ、Internet Archive)
- Margarete Winkler『Die Metallindustrie Mitteldeutschlands in ihrer geschichtlichen Entwicklung』(1934)(ページ番号は印刷ページ)p. 174
- 『American Machinist』78 巻(1934 年 6 月 6 日)ソ連の工作機械の展示の見学記(ページ番号は誌面の印刷ページ)p. 401
- 国立科学博物館 HITNET 産業技術史資料共通データベース「普通旋盤」池貝鉄工所、1937 年製(日本工業大学 工業技術博物館の収蔵品)
- Industrial Production「Weiler Werkzeugmaschinen feiert 80-jähriges Betriebsjubiläum」
- ドイツ特許出願 DE 3733936「Zweispindeldrehmaschine」Weiler Werkzeugmaschinen GmbH & Co KG(Herzogenaurach)、1987 年出願/DE 4401920(Emskirchen)、1994 年出願(DEPATISnet)
- Modern Machine Shop「Index/Traub Celebrate Anniversary with German Open House」(2013、Traub の創業 75 周年)
- 英国特許 GB 1,403,032「Single spindle automatic lathes」Traub GmbH、1972 年 9 月 15 日出願(DEPATISnet)
- Industriemuseum Chemnitz 収蔵品「Einspindel-Drehautomat」Pittler、1945 年以前、目録番号 95/408 / W1(museum-digital)
- 大隈鉄工所『製品沿革写真集:創業70周年記念』(1968)※番号は国立国会図書館デジタルコレクションのコマコマ 34・58
- ドイツ特許出願 P 46085「Drehbank」Gebr. Boehringer GmbH(発明者に Göppingen・Hannover・Hamburg の技術者)、1949 年 6 月 17 日出願(DEPATISnet)
- Sächsisches Staatsarchiv, Bestand 20824「VEB Drehmaschinenwerk Leipzig」(文書群の解説)
- ドイツ特許 DE 976165「Steuereinrichtung für Geschwindigkeitswechselgetriebe … an Dreh- und Revolverbänken」Werkzeugmaschinenfabrik Gildemeister & Comp. AG、1950 年 5 月 3 日出願(DEPATISnet)
- ドイツ特許出願 B 15534「Drehbank zum Bearbeiten der Hubzapfen einer Kurbelwelle」Gebr. Boehringer GmbH、1951 年 6 月 23 日出願(DEPATISnet)
- ドイツ特許出願 B 18331「Drehbank mit Nachformsupport」Gebr. Boehringer GmbH、1951 年 12 月 24 日出願(DEPATISnet)
- EMAG「History」(会社の年表)
- EMAG「EMAG – Turning, milling, drilling, grinding」(ブランドの沿革)
- Cornelia Kompe『Zwischen Wissenschaft und Industrie:Technologietransfer am Werkzeugmaschinenlabor der RWTH Aachen 1906–2006』(学位論文、RWTH Aachen、2009)p. 143
- Siemens「60 years of SINUMERIK」(Siemens の歴史のページ)
- ドイツ特許 DE 1287896「Mehrspindel-Drehautomat mit einer oberhalb des Längsschlittenblockes gelagerten Steuerwelle」Gildemeister、1966 年 1 月 14 日出願(DEPATISnet)
- ドイツ特許出願 DE 1935804「Vorschubantrieb für Werkzeugmaschinenschlitten mit numerisch gesteuertem elektrischen Schrittmotor und hydraulischem Verstärker」Gildemeister、1969 年 7 月 15 日出願(DEPATISnet)
- EMAG プレスリリース「The EMAG Group mourns the loss of its former CEO … Norbert Heßbrüggen」(2023 年 9 月 22 日)
- ドイツ特許 DE 2144203「Kurvengesteuerter Arbeitsschlitten für Werkzeugmaschinen」Index-Werke KG Hahn & Tessky、1971 年 9 月 3 日出願(DEPATISnet)
- 米国特許 US 3,878,742「Numerically controlled lathes」Index-Werke KG Hahn & Tessky(優先権 DE 2259372、1972 年 12 月 4 日)(DEPATISnet)
- ドイツ特許出願 DE 2501756「Drehmaschine」(油圧倣い旋盤)EMAG、1975 年 1 月 17 日出願(DEPATISnet)
- ドイツ特許 DE 2941156「Verfahren zum Ermitteln der Lage einer Werkzeugspitze … einer numerisch gesteuerten Werkzeugmaschine, insbesondere Drehmaschine」Hermann Traub GmbH & Co(Reichenbach)、1979 年 10 月 10 日出願(DEPATISnet)
- UNIDO 事務局『The World Machine-Tool Industry』Background paper ID/WG.5/4(第 4 回資本財産業協議会、Praha、1991 年 9 月)p. 137
- 欧州特許出願 EP 0426977「Drehmaschine mit vertikaler Werkstückspindel」Gildemeister AG、1990 年 9 月 14 日出願(優先権 1989 年 11 月 9 日)(DEPATISnet)
- 欧州特許出願 EP 0516103「Drehmaschine mit mindestens einer Grundeinheit」EMAG(優先権 DE 4117472、1991 年 5 月 28 日)(DEPATISnet)
- EMAG「VSC 250・VSC 400・VSC 500」カタログ(ドイツ語、PDF)p. 2・4
- ドイツ特許 DE 4212175「Aus Baugruppen zusammengesetztes Bearbeitungszentrum」EMAG(N. Heßbrüggen・H. Steinbach)、1992 年 4 月 10 日出願(DEPATISnet)
- Industriekultur Leipzig e. V.「Pittlerstr. 26 – Pittler AG」(F. Heyme・H. Pawlitzky、2020)
- DMG森精機「History」
- DMG MORI AKTIENGESELLSCHAFT 2016 年定時株主総会の取締役会スピーチ(PDF、S.3)p. 3
- Industriemuseum Chemnitz(Sächsisches Industriemuseum)収蔵品「Revolverdrehmaschine」Pittler、1915〜1930 年、目録番号 02/0050 / W1(museum-digital)
- Landesarchiv Berlin, B Rep. 250-05 Ludwig Loewe GmbH(Archivportal-D の文書群の説明)
- フランス特許 FR 769567「Pince-barre à rattrapage de jeu tournant avec la broche du tour」Index Werke Hahn & Kolb、1934 年 3 月 3 日出願(DEPATISnet)
- フランス特許 FR 822665「Came basculante pour tours automatiques」Index Werke、1937 年 6 月 4 日出願(DEPATISnet)
- ドイツ特許出願 DE 2104905「Numerisch gesteuerte Drehmaschine mit Kreuzschlitten」Gildemeister、1971 年 2 月 3 日出願(DEPATISnet)