UK 08英国の歯車機械の系譜

英国は、歯車の歯を正しい形にする理論と、それを削る機械の両方で早くから手を付けた国です。時計師の歯切り機、Willis の歯形の研究とオドントグラフ、Whitworth のホブ切りの特許は、どれも 19 世紀の前半に英国で生まれました。20 世紀に入ると、船のタービンの減速歯車という、とびきり速く、大きく、静かでなければならない歯車が英国の歯車づくりを引っ張ります。Parsons は歯車の音の原因をホブ盤の親ウォームホイールに突き止めてクリープ機構を考え、Sunderland と Sykes は中央の溝のない山歯(ダブルヘリカル)歯車を削る機械を作りました。この章では、機械の仕組みがどう変わり、現場の歯車づくりがどう変わったかを、特許・当時の業界誌(Engineering・The Engineer)・研究書・メーカーの沿革で 1 つずつ確かめ、出来事ごとに出典(ページが分かるものはページ番号)を付けてたどります。

タービンの歯車が
英国の歯切りを
鍛えた!

マスコットのチップス
19 世紀かさ歯車の創成1900 年ごろ歯車形削り盤1950 年代ホブ盤今CNC ホブ盤
歯切り盤の移り変わり(イメージ図。特定の国・機種ではありません)

歯切り盤には大きく 2 つの考え方があります。刃物そのものが歯溝の形をしていて 1 溝ずつ削る成形法と、刃物と歯車の素材をかみ合う歯車どうしのように動かして歯形を「生み出す」創成法です。英国の歯切りの歴史は、成形法の時計の歯切り機から始まり、ホブ・ラック形カッタ・歯車形カッタによる創成法へ進みました。削り方の今の解説は歯車の加工法に、日本の歯切り盤の歴史は国産アーカイブ第 4 章「歯切り盤の系譜」に、歯形・工具・規格の歴史の年表は読みもの「歯車の勉強」にまとめています。かさ歯車と歯車形削り盤はアメリカの歯車機械の章、ホブ盤の完成とスカイビングはドイツの歯車機械の章で詳しく扱います。

時計の歯切り機と歯形の理論(1670〜1850 年ごろ)

機械で歯車の歯を切る技術は、時計づくりから始まりました。時計の歯車は小さく、歯数が多く、しかも正確に等分されていなければなりません。そこで時計師は、歯車の素材を回して決まった角度ずつ止める割り出し板と、小さな回転やすり(のちのフライス)を組み合わせた歯切り機(wheel-cutting engine)を使いました。Woodbury の『History of the Gear-Cutting Machine』(1958)によると、文字の記録に残る英国の歯切り機は Robert Hooke の日記にあるもので、1670 年ごろの考案です。London の Science Museum には、それとよく似た 1672 年ごろの歯切り機が残り、Woodbury はおそらく現存する最古の歯切り機だろうと書いています[1]。割り出し板、切り込みの深さを決めるねじ、手回しのクランクで回す成形の刃物という、のちの歯切り盤の基本がすでにそろっていました。

18 世紀には York の時計師 Henry Hindley が、ずっと頑丈な歯切り機を作ります。1741 年の秋にこれを見た技術者 John Smeaton が、のちに王立協会の論文で紹介しました。箱形の枠、切り込みの深さを決めるマイクロメータに加えて、ウォームの頭に 60 等分の目盛りを付け、割り出し板にない歯数も分けられる差動割り出しの仕組みを持っていたと Woodbury は書いています。フライス盤の割り出し台に同じ考えが現れる 150 年以上前のことです。刃物を素材の軸と平行に動かして、歯溝の底を平らに削ることもできました[1]。1783 年の Samuel Rehé の歯切り機は、枠を一段と重くして割り出し板を 19 インチ(約 480mm)に大きくし、時計の道具から機械の歯車を切る機械へ移る途中の姿を見せています[1]。

ホブ切りの考えも、この時代の英国の計器づくりの中に現れます。目盛りを刻む分割機で知られる Jesse Ramsden は、1768 年にねじ(ウォーム)に刃を付けたもので歯車の歯を切りました。Woodbury はこれを、ホブで歯を切った最初の例としています。ただし計器を作るための一品の仕事で、生産のための機械ではありませんでした[1]。

歯形の理論を現場へ:Hawkins・Buchanan・Willis

大きな機械の歯車は、長いあいだ木や鋳物で作られ、歯形は職人の勘で決められていました。蒸気機関と工場の動力伝達で歯車の負荷と速さが上がると、歯形を正しく決める理論が必要になります。Woodbury は、フランスの数学者の理論を英国の技術者と現場に「翻訳」した人として 3 人を挙げています[1]。

1 人目の John Isaac Hawkins は、1806 年に Camus の歯形の論文を英訳しました。初版には他人の誤りが混じり、30 年にわたる論争を招きましたが、1837 年の第 2 版の追記で、インボリュート歯形なら大きさの違う歯車どうしでも同じピッチでかみ合い、中心距離が少しずれても正しく回ることを説きました。ねじ切り旋盤の換え歯車のように、何枚もの歯車を組み替えて使う機械が増えていたことが背景にあると Woodbury は書いています[1]。2 人目の Robertson Buchanan は、1808 年の『Essay on the Teeth of Wheels』で、数学の教育を受けていない水車大工(ミルライト)でもコンパスと物差しで歯形を描ける表と手順を示しました[1]。

3 人目が、Cambridge の Robert Willis です。Willis は歯車を機構学(メカニズム)の体系の中に位置づけ、かさ歯車やねじ歯車の幾何を整理しました。現場の歯車に効いたのは次の 3 つです。まず、インボリュート歯の圧力角 14.5°を提唱しました(正弦がほぼ 1/4 になる角度で、のちに Brown & Sharpe の方式にも受け継がれます)。次に、Manchester で使われていた歯の大きさの表し方にdiametral pitch(直径 1 インチあたりの歯数)の名を付け、円ピッチとの対照表を示しました。そして 1838 年、歯形を 2 つの円弧で近似して描くための目盛り付きの定規、オドントグラフ(odontograph)を考えて名づけ、作り方と表を発表しました[1]。1864 年の William Fairbairn の『Treatise on Mills and Millwork』は、Willis のオドントグラフを図入りで説明し、板紙か木の目盛り板で、London の Holtzapffel(飾り旋盤で知られる工房)で手に入ると書いています[3]。製図板の上で正しい歯形を描ければ、その形の成形カッタや木型を作れます。理論が工場の道具になったわけです。

Whitworth のホブ切りの特許1835 年 6 月英国特許 6,850 号[1]
Willis のオドントグラフ1838 年圧力角 14.5°・diametral pitch[1][3]
Bodmer の歯切り盤の特許1839 年 5 月英国特許 8,070 号[1]

技術者の歯切り盤:Fox・Roberts・Bodmer・Whitworth

1820〜40 年代になると、時計師の道具ではなく、工場の大きな歯車を切る技術者の歯切り盤が現れます。Woodbury によると、1820 年ごろ James White ははすば歯車やまがりばかさ歯車を切れる歯切り機を著書に示し、Derby の James Fox は 1833 年より前に、旋盤のような頑丈な台に素材を立てて付け、割り出し円筒とねじで分割する歯切り機を使っていました(主に鋳物の歯車の木型を削るためのものでした)[1]。Manchester では、Richard Roberts のものとされる 1824〜34 年ごろの歯切り盤が、換え歯車で歯数を割り出し、カッタの頭を傾けてかさ歯車も切れるようにしていました。この機械は 1908 年にもまだ英国の工場で使われていたといいます[1]。

スイス生まれで Manchester に工場を構えた John George Bodmer は、1839 年 5 月 29 日の英国特許 8,070 号で、成形フライスで平歯車を切り、内歯車・かさ歯車・ウォームホイール・ラックの付属装置も持つ歯切り盤を示しました。金属の歯車用のカッタは、焼入れしやすいように分割式でした。成形カッタの研ぎ直しには手間と費用がかかったと Woodbury は書いています[1][2]。

そして Joseph Whitworth です。Whitworth は平面とねじの基準で知られますが(第 1 章)、歯切り盤でも先頭を走りました。Woodbury は、1834〜44 年の Whitworth の機械を、インボリュートの成形カッタ、歯車による割り出し、ベルトとウォームで回す動力のカッタをそろえた最初の歯切り盤とし、1851 年までには自動送りの型も作られていたとしています[1][2]。さらに 1835 年 6 月 11 日の英国特許 6,850 号では、素材とホブを歯車列で正確な比に結んで回し、ウォームホイールを切る機械を示しました。Woodbury はこれを、ホブ切りを生産の機械に使った最初で、インボリュート歯を創成した最初の機械と位置づけています(切れるのははすば・ウォームホイールだけでした)[1]。のちのホブ盤の核心である「刃物と素材の回転を歯車で同期させる」考えが、ここに出ています。

現場で何に効くか。今もウォームホイールは、相手のウォームと同じ形のホブで切ります。ウォームとホイールの軸を直角に保ったまま、ホブと素材を決まった比で回す、という Whitworth の特許と同じ考え方です。英国の古い図面に出てくる「D.P.(diametral pitch)」や圧力角 14.5° は、Willis 以来の英国・米国の方式の名残りで、モジュールと圧力角 20° の今の歯車とはそのままかみ合いません。

歯車工場と歯切り盤メーカー(1851〜1906 年)

19 世紀の半ばには、英国の歯切り盤は生産の機械になっていました。Woodbury は 1851 年の Leeds の Shepherd, Hill and Spink の機械を例に挙げます。カッタの駆動はまだロープでしたが、自動送りを備え、換え歯車で割り出す機械でした[1]。Woodbury は、1850 年までに成形カッタ・型板・創成という歯の形づくりのすべての方式が生産の機械になり、正しく削った平歯車・かさ歯車・ウォーム歯車を、英国の機械の設計者は(米国より先に)たくさん使えるようになっていた、とまとめています[1]。

1856 年 12 月 6 日には、Christian Schiele が英国特許 2,896 号で、素材とホブを歯車で正しい比に回して、平歯車・はすば歯車・ウォームホイールを切る機械を示しました。Whitworth の機械がウォームホイールしか切れなかったのに対し、ホブを素材の軸と直角に置いて平歯車も切る点が新しく、Woodbury はこれをホブ盤の型の始まりとしています。ただ、実際に使われたかは分からず、ホブ盤が広まるのは 40 年ほど後のことでした[1][2]。Woodbury はその理由を、歯形がまだサイクロイド中心でホブを作りにくかったこと、量産の需要が来ていなかったこと、ホブを焼入れ後に正しい形に仕上げるのが難しかったことに求めています[1]。

David Brown:木型屋から歯車工場へ

のちに英国最大の歯車メーカーになる David Brown は、1860 年に Huddersfield(Yorkshire)で型屋(パターンメーカー)として始まりました。得意は鋳物の歯車の木型でした。1935 年に工場を取材した The Engineer 誌によると、息子たちが加わると歯車そのものを作るようになり、歯の間隔を正確に分ける機械を入れ、作りやすい歯形を研究しました。1890 年に最初の歯切り盤が入ると、歯を削った歯車が鋳物の歯車をしのぐことがはっきりし、歯車の工場が木型の工場を上回っていきます[6][7]。1902 年には Lockwood に新しい Park Works を作り、1903 年には標準化したウォーム減速機を作っていました。1906 年ごろからは自動車とトラックの需要でウォーム歯車に力を入れます[6]。

Manchester と Rochdale の歯切り盤メーカー

歯切り盤を作る側では、Manchester の会社が目立ちます。Woodbury によると、1877 年に量産用の自動歯切り盤が英米の 3 社から同時に売り出されました。米国の Brown & Sharpe と Gould & Eberhardt、そして英国の Craven Brothers です[1][9]。素材を付ければ最後の歯まで自分で切って止まる機械で、1 人が何台も受け持てるようになりました(米国側の話はアメリカの歯車機械の章)。1900 年のパリ万国博覧会には、Manchester の Smith & Coventry が、2 本の刃物で 1 枚の歯の両側を削るかさ歯車の歯切り盤を出しています[1]。

Rochdale の John Holroyd & Co. は、同社の沿革によると 1860 年に Manchester で工作機械と繊維機械の店として始まり、のちに Rochdale(Milnrow)へ移りました[8]。1897 年には、ねじを旋盤の刃物でなくフライスで削るねじのフライス削り(thread milling)の機械の特許を取ります。Steeds(1969)は、工場の責任者だった Liebert が 1897 年に特許を取り、Holroyd がそれを作ったとしています。米国でも Henry Liebert の「Machine for Milling Screws」が 1900 年に成立しました[8][2][10]。ねじとウォームとホブは同じ「らせん」の仲間で、Holroyd はこの技術をウォーム歯車とホブ盤へ広げていきます。Steeds の本は 1904 年の Holroyd のホブ盤を図版に載せ、1906 年には London の Olympia の機械展に出た Holroyd のホブ盤を Engineering 誌が写真入りで紹介しました[2][13]。同じ記事は、自動車の工業の伸びから生まれた新しい機械として、歯車のホブ盤やカムの切削盤を挙げています[13]。

自動車の歯車では、Frederick W. Lanchester の仕事も見逃せません。Lanchester は自分の自動車の後車軸に、ホイールを抱き込む鼓形(hour-glass)のウォームを使い、それを作るためのホブ盤を 1896 年に設計しました[9][2]。ウォームの後車軸は、のちに David Brown の得意分野になります。

現場で何に効くか。英国の歯車工場は「型屋」から始まった所が多く、木型と鋳物の歯車の時代の考え方(歯形を図で描いて型を作る)から、歯切り盤で歯を削る時代へ、19 世紀の終わりに切り替わりました。古い英国製の機械を直すときに、歯車が鋳物のままか削り歯かを見ると、作られた時代の見当が付きます。

タービンの減速歯車と山歯歯車(1897〜1918 年)

20 世紀のはじめ、英国の歯車づくりに最も高い要求を突きつけたのは、蒸気タービンの減速歯車でした。タービンは毎分数千回転で回るのが得意ですが、船のプロペラは毎分 100 回転前後でなければ効率よく水をかけません。その差を歯車で減速しようとすると、歯車は大きく、周速は速く、伝える力はとても大きくなります。少しの歯の誤差でも、振動と騒音、歯の傷みになって現れます。

Parsons と Vespasian

蒸気タービンの船を実用にした Charles Parsons は、1911 年の講演(Rede lecture)で、1897 年に長さ 22 フィート(約 6.7m)のランチに、毎分 2 万回転のタービンを14 対 1 のはすば歯車で減速して積んだことを、最初のギヤードタービン船として紹介しています[11]。本格的な試験は 1908 年に買った貨物船 Vespasian(4,350 トン)で行われました。往復機関を外して、高圧と低圧の 2 台のタービンがそれぞれ毎分 1,400 回転の小歯車を回し、推進軸の 70 回転の大歯車にかみ合う形に積み替えると、石炭の節約は 15%、プロペラを手直しすると 22% になりました[11]。1913 年の Parsons の論文によると、このあとギヤードタービンは貨物船・英仏海峡の客船・軍艦に広がり、建造中のものを合わせると 12 万馬力をこえていました[14]。

Muir のホブ盤と、歯車が鳴る理由

歯車を削ったのは、Manchester の William Muir & Co. のホブ盤でした。Parsons の 1913 年の論文によると、歯の精度の要求を自分で確かめるため、1910 年に Parsons Marine Steam Turbine Company の工場に Muir 製のホブ盤 2 台を入れ、同じ型の 2 台を発電機や圧延機の歯車を作る C. A. Parsons & Co. にも入れました。2 台は 1913 年までに合わせて約 5 万馬力ぶんの歯車を切っています[14]。1960 年の Electrical Review 誌の訃報は、Muir の技術担当役員だった W. Owen が、Parsons と組んで最初のタービン歯車のホブ盤を設計した人だと伝えています[17]。

ところが、できた歯車は鳴りました。Parsons は歯車箱の上にマイクを吊るし、記録計(オシログラフ)で音を調べます。すると音の高さは、歯車の回転数の 160 倍、つまりホブ盤のテーブルを回す親ウォームホイールの歯数 160と同じ周期でした。親ウォームホイールの小さな誤差が、削った歯車に同じ周期で写り、それが音になっていたのです。測ると、誤差は親歯車の歯と同じ周期で並んでいました[14]。はじめはばねで小歯車の軸受を支えて音を和らげましたが、Parsons はそれを不完全な対策と考え、歯そのものの精度を上げる方法を探しました。

クリープ機構(1912 年)

Parsons と Carnegie、Cook が 1912 年 12 月 20 日に出願した英国特許(1913 年 12 月公開)が、クリープ機構(creep mechanism)です[20]。親ウォームホイールが付いたテーブルの上にもう 1 枚のテーブルを載せ、素材を載せた上のテーブルを、下のテーブルより1% ずつ先へ「這わせる(creep)」ように歯車で回します。下のテーブルは 1% 遅く回して、素材の回転は元のままにします。こうすると、親歯車の誤差は歯車の軸を通る面に並ぶのではなく、歯車のまわりにゆるいらせん状に散らばります。ホブは素材が 1 回転するごとに少しずつずれた位置で削るので、誤差の山は削り重ねでならされ、Parsons の説明では残る誤差は元の約 5 分の 1 になりました[14]。Steeds は、この「クリープ」法がこの時期のすぐ後に Parsons と同僚によって開発されたと書いています[2]。1936 年の客船 Queen Mary の減速歯車も、クリープ機構を備えたホブ盤で切られました[30]。

Muir のホブ盤を Parsons へ1910 年2 台+2 台[14]
クリープ機構の特許1912 年 12 月GB191229380[20]
Sykes の山歯の特許1911 年 7 月GB191101759[18]

山歯歯車を削る:Sunderland と Sykes

タービンの減速歯車には、山歯(ダブルヘリカル、ヘリンボーン)歯車がよく使われました。はすば歯車は滑らかにかみ合いますが、軸方向に押す力(スラスト)が出ます。左右逆向きのはすばを並べれば、その力が打ち消されます。ただ、ホブで山歯を切ると、ホブが逃げるために左右の歯の間に中央の溝が要り、歯車が幅広く重くなります。この溝をなくす機械を考えたのが、Sunderland と Sykes でした。

Sam Sunderland(その事業はのちに Keighley Gear Company に受け継がれます)は、1903 年にはすば歯車・ウォームホイールを切る機械、1907 年にかさ歯車の創成機の英国特許を取ったあと、1908 年 10 月 8 日に、ラックの形をした多刃のカッタで平歯車を創成する歯車平削り盤の特許を出願しました(米国特許 948,830 は 1910 年)[12][15]。カッタを往復させ、そのあいだに素材を転がしながらカッタを送ります。Steeds によると、カッタを歯車のまわり 1 周ぶん長くしなくてよいよう、カッタを数歯ぶん戻す「ステップバック」の動きを付けたのが工夫で、1909 年ごろから Shipley の J. Parkinson & Son が作りました[2]。1912 年には、歯をねじれ角に傾けたラック形カッタで山歯歯車を中央の溝なしに削る特許も出しています[19]。1917 年の Engineering 誌は、刃先が絶えず入れ替わるので 1 歯ずつ削る方式より発熱と摩耗が少ない、と解説しました[16]。Woodbury も、Fellows の歯車形削り盤と並べて、複数の歯を同時に削る機械として Sunderland を挙げています[1]。

William Edwin Sykes は 1911 年 7 月 17 日、歯車の形をした 2 本のカッタで山歯歯車を削る方法の英国特許を出願しました。カッタはライフル棒(らせんの溝を切った棒)でねじられながら往復し、素材と転がり合って左右のはすばの歯形を創成します[18]。1913 年には 2 本のカッタを 1 つの往復台に載せて交互に削らせる改良も出願しています[21]。1916 年の Engineering 誌は、West Drayton の Power Plant Company が作って自社で使う Sykes の機械を紹介しました。米国の Fellows の歯車形削り盤の原理を発展させたもので、左右のカッタがクランクで往復して中央の線まで削るので、ホブ切りの山歯に要る中央の逃げ溝が要りません。ホブ盤の約半分、エンドミルで削る場合の 20 分の 1 の時間で仕上がったといいます[23]。1928 年には同社が、直径 9 フィート 6 インチ(約 2.9m)、幅 30 インチ(約 760mm)までのタービン歯車を削れる Sykes 式の大形機を完成しています[27]。

規格と研削の始まり

同じころ、歯車の規格づくりも国境を越えて始まりました。1910 年 7 月、Birmingham で米国機械学会(ASME)と英国の機械学会(IMechE)の合同会議が開かれ、互換性のあるインボリュート歯車の方式が話し合われます。結論は出ませんでしたが、Brown & Sharpe 式が広まる流れになったと Woodbury は書いています[1]。焼入れした歯車の仕上げでは、1908 年に Thomas Humpage が機械学会で、ホブ盤にコランダム(研削材)のウォームを付けて焼入れした自動車の歯車を仕上げる実験を発表しました。Woodbury は、焼入れ歯車の研削を試みた最初は英国の Humpage だとしています[1]。ねじ状の砥石で歯車を連続して研ぐ今の歯車研削(ねじ状砥石研削)と同じ考え方で、研削盤の歴史は第 7 章 研削盤で扱います。

現場で何に効くか。ホブ盤で削った歯車に、ある決まった周期の音(歯車の 1 回転にテーブルのウォームホイールの歯数ぶんの山)が出るときは、テーブル駆動のウォームとホイールの誤差を疑います。Parsons と Couling(後述)が突き止めたのと同じ現象です。今の CNC ホブ盤は、テーブルを高精度のウォームやダイレクトドライブで回し、誤差を補正することでこれを抑えています。

規格・研究と二つの大戦(1919〜1945 年)

山歯歯車の機械は米国へ

第一次世界大戦が終わってまもなく、David Brown は Keighley Gear Company(Sam Sunderland の事業の後継)を買い、大戦で広げた工場をさらに大きくしました[6]。Sykes の機械は大西洋を渡ります。1925 年 11 月の米国の業界誌によると、Buffalo の Farrel Foundry & Machine がその 3 年前に Sykes の歯切り盤の米国・カナダの特許を買い、英国から 4 台を運んで「Sykes 式の連続山歯歯車」を作り始めました。需要が伸びて Buffalo の機械は 15 台になり、西海岸とシカゴの歯車会社も機械一式を買っています[24]。英国生まれの歯切り盤が、米国の鉄鋼・製紙などの重い歯車の工場に広まったわけです(アメリカの歯車機械の章)。Sunderland の平削り盤も大形化し、1931 年の The Engineer 誌は、平歯車を創成する機械として当時最大の直径 15 フィート(約 4.6m)の Sunderland 歯車平削り盤を紹介しています[29]。

ウォーム歯車の Holroyd と David Brown

戦間期の英国の歯車会社は、ウォーム歯車で名を上げます。Holroyd は 1924 年の機械展にウォームホイールのホブ盤とウォームの研削盤を出し[25]、同社の沿革によると、1931 年には国立物理学研究所(NPL)の試験で、ウォーム歯車として効率 98.2% を記録しました[8]。ウォームは滑りが大きく効率が低いと思われがちですが、歯形・材料(りん青銅)・仕上げを詰めれば平歯車に近い効率が出せることを示したわけです。David Brown では技術者の H. E. Merritt が、1930 年に英国で出願したウォーム歯車の特許を残しています(米国では 1934 年成立)[28]。

1935 年に David Brown の Park Works を訪ねた The Engineer 誌は、約 2,000 人の工場の様子を伝えています。小さな平歯車・はすば歯車はMaag の歯車研削盤で仕上げ、まがりばかさ歯車は Gleason の機械を何台も並べて切り、山歯歯車は形削りか平削りの創成法で削り、鉱山の巻上機の三重のはすば歯車はエンドミルで削っていました。ウォーム用のりん青銅も自社で鋳造していました。第一次大戦の前には米国の Timken と組んで、自社の特許のウォームの後車軸を米国で作る会社も作っています[6]。Fraser の Harry Ferguson の伝記によると、Ferguson の新しいトラクタの歯車・変速機・操向装置を作ったのも David Brown で、それが同社自身のトラクタ事業につながりました[49]。

英国規格(BS)の歯車規格

英国の歯車の規格は、1927 年の BS 235「Gears for Traction」(電車などの歯車)から始まりました。1932 年の BS 436「Machine-Cut Gears:Helical and Straight Spur」(平歯車・はすば歯車、1940 年改訂)、1934 年の BS 545(かさ歯車)、1937 年の BS 721(ウォーム歯車)、1941 年の BS 978(計器・時計の歯車)が続きます[26]。のちに Merritt が書いたところでは、BS 436・545・721 は寸法の互換だけでなく、設計・精度・許容荷重まで含む「設計の手引き」を目指した規格でした[26]。インチの時代の規格なので、日本の JIS(モジュール・圧力角 20°)の歯車とはそのまま入れ替えられません。

Merritt の『Gears』と戦車の変速機

David Brown の技術者 Henry Edward Merritt は、英国の歯車工学の代表的な教科書『Gears』を 1942 年に Pitman から出しました[32][33]。設計・加工・試験まで一冊にまとめた本で、1946 年に第 2 版、1954 年に第 3 版が出ています。Merritt は戦車の変速機でも名を残しました。1939 年 12 月に英国で出願した装軌車両の操向装置の特許は、変速機と差動装置を組み合わせ、左右の履帯の速さを歯車で変えて曲がる方式です[31]。1943 年の英国の調査報告は、ドイツの Tiger 戦車を調べる中で、Merritt 式の差動操向が英国の Churchill・Cromwell・Centaur の各戦車に使われていると記しています[34]。多くの歯車を正確に、たくさん作る力が戦争の装備を支えたわけです。

音の原因はやはりウォームホイール(1943 年)

大戦の最中の 1943 年 1 月、Rugby の British Thomson-Houston(BTH)の S. A. Couling が機械学会で、タービン発電機の減速歯車の研究を発表します。BTH はクリープ機構を使わず米国製のホブ盤で歯車を切っていましたが、500kW・毎分 8,000 回転の歯車が「笛のような」音を出しました。鉛を詰める、はずみ車を付けるなどの対策は効かず、音の周波数(毎秒 1,340 回)が、低速軸の回転数とホブ盤の親ウォームホイールの歯数 120 の積に一致することから、原因を突き止めます。Couling は 360 歯の新しい親ホイールを作り、歯を 1 ピッチずつずらして削り直しながら精度を上げて、音を聞こえない高さへ追い出しました[36]。30 年前の Parsons の発見が、ここでも確かめられたことになります。

★タービン歯車のホブ盤から今へ(1946 年〜)

BS 1498 と Grade A のホブ盤

戦後、英国はタービン歯車を削るホブ盤そのものを規格にしました。1952 年の The Engineer 誌によると、二度の大戦で積み上げた経験は、1948 年の BS 1498(タービンなどの歯車用のホブ盤)にまとめられました。海軍省の求めで、国立物理学研究所(NPL)、船級協会の Lloyd's Register、ホブ盤のメーカーと使い手が作った規格で、通常の生産用の Grade B と、高い周速で大きな荷重を伝える歯車用の Grade A を定めています[39]。

この規格を満たす機械を作ったのが、Manchester の David Brown Machine Tools(旧 Muir Machine Tools)です。Parsons と最初のタービン歯車ホブ盤を作った Muir が、1944 年 12 月に David Brown の傘下に入っていたのです[5]。同誌によると、同社はクリープ式とソリッドテーブル式(クリープなしで親歯車そのものを精密にする方式)の両方のホブ盤を長く作ってきました。同社の親機の割り出しウォームホイールは、親から子へと作り直すたびに誤差を減らしてきたもので、「今あるほとんどすべてのタービン歯車ホブ盤の割り出しウォームホイールの曾祖父」だといいます。精度が上がってクリープ機構は要らなくなりつつある、という見方も紹介しています。Grade A を満たした最初の機械は 1948 年に Birkenhead の造船所 Cammell Laird へ納められ、荒削り用と仕上げ用に別々の割り出しウォームホイールを持ち、停電でも削り続けられるよう 2 系統の動力を備えていました[39]。ホブ盤の部門は戦後 Craven Brothers にもあり、Muir 出身の W. Owen が 1955 年まで設計主任を務めました[17]。

研究の組織と規格の整備

海軍と Vickers は歯車の研究協会(Admiralty-Vickers Gearing Research Association)を作り、1949 年に報告書 No.1 を出し、のちにホブ盤の据え付けや再調整の手引きもまとめています[40]。政府の科学技術研究庁(DSIR)は戦後、East Kilbride(Glasgow 近郊)に機械工学研究所(MERL)を作り、1959 年に国立工学研究所(NEL)と名を変えました。歯車と工作機械、歯の誤差の測定はその研究の柱の 1 つでした[41][42]。規格も、1952 年の BS 1807(タービンなどの歯車の精度)に続き、シェービングカッタ・ホブ・成形カッタ・用語・ラック形カッタの規格が 1953〜56 年に次々にできます。一方で Merritt は 1956 年の The Engineer 誌で、設計と許容荷重を扱う BS 436・545・721 の改訂が遅れていると論じました[26]。

ロータの Holroyd

戦後の Holroyd は、ねじとウォームで磨いたらせんの形を削る技術を、ねじ圧縮機のロータ(雄雌のねじ状の回転子)へ広げます。同社の沿革によると、1953 年に受託で削る部門 Holroyd Precision Rotors を作り、1967 年に技術革新で女王賞(Queen's Award)、1993 年にロータのカッタ研削盤で、2004 年にねじ・歯車の研削の技術で再び女王賞を受けました[8]。ロータの歯形は歯車よりずっと複雑ですが、創成と成形研削、工具の形を正確に作る技術は歯車研削盤と共通です。

今の英国の歯車機械

米国の Gleason は 1966 年に英国 Plymouth に工具工場を建てました[45]。Holroyd は 2010 年に中国の重慶機電(CQME)のグループに入り、PTG(Precision Technologies Group)Holroyd として、Rochdale でロータのフライス削り・研削盤、歯車研削盤、ウォームの研削盤、摩擦かくはん接合機を作っています[8]。David Brown は 2016 年にフィンランドの Santasalo と一緒になり David Brown Santasalo になりました。同社は産業用の歯車装置を作り、Power Plant Gears・Sykes・BTH・Radicon などの古い歯車ブランドの装置の保守も受け継いでいます[7][46]。今の歯車の機械と工具のメーカーは歯切り工具・歯車加工機のメーカーに、工具ごとの使い方はホブ・ピニオンカッタ・シェービングカッタのページにまとめています。

現場で何に効くか。大きなタービン歯車や圧延機の山歯歯車を修理・作り直すときは、元の歯車が「ホブ切り(中央に溝がある)」か「Sykes 式・Sunderland 式(溝なしで突き合わせ)」かで、使える機械が変わります。溝のない山歯は、今もピニオンカッタで左右を削る機械か、5 軸の機械で削るのが普通です。英国製の古い歯車箱は Grade A/B(BS 1498)や BS 436 の等級で作られていることがあるので、図面の規格の版を確かめてください。

日本とのつながり

日本の歯切りの始まりには、米国とドイツの機械が大きな役割を果たしました(アメリカ・ドイツの章)。英国の機械もそこに加わっています。会田俊夫『歯車の技術史』(1970)によると、1914 年に日本の歯切り専門の工場が英国製のホブ盤を据え付け、これが歯切りの業者が外国製のホブ盤を置いた最初とされます[22]。日本最初のホブ盤とされる 1906 年のドイツ Pfauter 製のホブ盤(造船所と海軍工廠)から 8 年後のことでした(国産アーカイブ第 4 章の年表)。

船のタービンの歯車でも英国とのつながりがあります。会田によると、大正の末までに日本ではいろいろなホブ盤の国産化がひととおり済みましたが、軍艦・商船の主機のタービン歯車を切る大形の歯切盤は、英国の William Muir や米国の Westinghouse などの外国製でした[22]。Muir は、この章で見たとおり 1910 年に Parsons のためにタービン歯車のホブ盤を作った会社です[14]。タービン歯車のように大きく精密な歯車を削る機械は、国産化がいちばん遅れた分野の 1 つで、英国の経験が日本の造船にも入っていたことが分かります。

英国の歯車の規格と教科書は、インチの歯車の時代の日本の技術者にも読まれました。ただし日本は戦後、JIS でモジュールと圧力角 20° の方式をとったので、英国の D.P.・14.5° の歯車とは歯形が違います。古い英国製の機械の歯車を作り直すときは、まず歯形の方式を確かめるのが出発点です(「歯車の勉強」の歯形と規格の節)。

⑂メーカーの系図

英国の歯車と歯切り盤の主な会社の、社名の移り変わりと事業の行き先です。帯の色が変わるところで社名が変わり、赤い矢印は事業の行き先です。Muir が David Brown に入ったのは 1944 年 12 月です(Muir の創業は 1894 年の機械学会の工場案内による 1842 年)。Sunderland の事業が David Brown へ移ったのは「第一次大戦後まもなく」です。Parkinson・Power Plant・Craven は、確かめられた最後の年で帯を止めています。

18501890193019702010David Brown(型屋)David Brown and Sons(Park Works)→ David Brown の各社David Brown SantasaloSam Sunderland → Keighley GearDavid Brown へWilliam Muir & Co.(Manchester、のち Muir Machine Tools)David Brown Machine Tools にJ. Parkinson & Son(Shipley)Sunderland 歯車平削り盤Power Plant Co.(West Drayton)Sykes 式W. E. Sykes の特許・のち W. E. Sykes Ltd(Staines)米国の特許を Farrel へJohn Holroyd & Co.(Manchester→Rochdale)PTG HolroydCraven Brothers(Manchester)歯切り盤・ホブ盤Gleason の Plymouth 工場帯の区切りが社名の変更。赤い矢印は合併・事業の譲渡の行き先。右端の › は今も続く会社。点線はその先が未確認。
出典:各社の沿革と社史 [6][7][12][14][39][4][5][2][29][23][27][46][18][24][8][1][17][45]

見に行ける所

歯切り盤は工場で使い切られることが多く、古い機械が見られる所はわずかです。公開日・見学の可否と展示の中身は、行く前にそれぞれの施設の案内で確かめてください。

Science MuseumLondon(Kensington)Woodbury(1958)は、ここに Robert Hooke の機械とよく似た 1672 年ごろの歯切り機と、1789 年の時計の歯車の歯切り機があると書いています。現存する最古の歯切り機とされるものです。いま展示されているかは、行く前に収蔵品の検索か博物館に確かめてください[1]
Science and Industry MuseumManchesterWhitworth・Roberts・Bodmer・Muir・Craven Brothers・Smith & Coventry など、この章に出る歯切り盤の作り手の多くが Manchester にいました。博物館は世界初の工業都市としての Manchester を伝えています。工作機械・歯切り盤の展示があるかは、修復中の建物もあるので行く前に確かめてください[47][1]
Discovery Museum(Turbinia)Newcastle upon TyneParsons の最初のタービン船 Turbinia(1894 年進水)を展示しています。Turbinia はタービンでプロペラを直接回す船で、Parsons はこのあと減速歯車を使うギヤードタービンへ進み、その歯車を削るためにクリープ機構のホブ盤を考えました[48][11]

⌛年表

この章で確かめた出来事のすべてです。番号は出典で、押すとその資料(ページが分かるものはそのページ)が開きます。「p.」は本・雑誌のページ、「コマ」はスキャンの通し番号(Woodbury の本と国立国会図書館の資料)です。

時計の歯切り機と歯形の理論歯車工場タービン規格と大戦戦後と今1700175018001850190019502000167018341860190819321948黄色の点は大事な出来事(下の表の ★、年は混み合うところを省略)。時代の区切りの年は目安です。

時計の歯切り機と歯形の理論1670〜1850 年ごろ

年出来事メーカー・機種出典
1670年ごろ★Robert Hooke が時計の歯車を切る歯切り機(wheel-cutting engine)を考える。London の Science Museum には、これとよく似た 1672 年ごろの歯切り機が残り、Woodbury は現存する最古の歯切り機だろうとする—[1・コマ28][1・コマ3]
1741年York の時計師 Henry Hindley の歯切り機を、1741 年の秋に John Smeaton が見る(1786 年に王立協会の論文で紹介)。箱形の頑丈な枠、切り込みの深さのマイクロメータ、60 等分の目盛りによる差動割り出しを備え、歯溝の底を平らに削れたHenry Hindley(York)[1・コマ30][1・コマ31]
1768年計器職人 Jesse Ramsden が、ねじ(ウォーム)に刃を付けたもの=ホブで歯車の歯を切る。Woodbury はこれをホブ切りの最初の例とする(計器づくりの中の仕事で、生産の機械ではなかった)—[1・コマ18][1・コマ57]
1783年Samuel Rehé の歯切り機。枠を重く頑丈にし、割り出し板を直径 19 インチ(約 480mm)に大きくした。時計師の道具が機械の歯車を切る機械へ移る途中の姿—[1・コマ31]
1806年John Isaac Hawkins がフランスの数学者 Camus の歯形の論文を英訳する(『Teeth of Wheels』)。1837 年の第 2 版の追記では、中心距離がずれても正しくかみ合うインボリュート歯形の利点を説いた—[1・コマ14][1・コマ15][1・コマ16]
1808年Robertson Buchanan が『Essay on the Teeth of Wheels』を出す。数学の歯形の理論を、機械の教育を受けていない水車大工(ミルライト)にも使える表と手順にした—[1・コマ20]
1820年ごろJames White が、はすば歯車・まがりばかさ歯車を切れる歯切り機を著書で示す。時計師の機械から技術者の機械へ移る途中のもの—[1・コマ38][1・コマ39]
1833年より前Derby の James Fox が、旋盤のような頑丈な台に歯車の素材を立てて付け、割り出し円筒とねじで分割する歯切り機を使う。主に鋳物の歯車の木型を削るためのものだったJames Fox(Derby)[1・コマ39]
1834〜44年★Joseph Whitworth の歯切り盤。インボリュートの成形カッタ、歯車による割り出し、ベルトとウォームで回すカッタを備え、平歯車とかさ歯車を切った。1851 年までに自動送りの型も作られるJoseph Whitworth(Manchester)[1・コマ42][1・コマ44][2]
1824〜34年ごろRichard Roberts のものとされる歯切り盤(Bodmer の作の可能性もある)。換え歯車で歯数を割り出し、カッタの頭を傾けてかさ歯車も切れた。1908 年にもまだ英国の工場で使われていたRichard Roberts(Manchester)[1・コマ40][1・コマ41]
1835年6月★Whitworth が英国特許 6,850 号(1835 年 6 月 11 日)で、素材とホブを歯車列で正確な比に結んでウォームホイールを切る機械を示す。Woodbury は、ホブ切りを生産の機械に使った最初で、インボリュート歯を創成した最初の機械とする(はすば・ウォームホイールだけ)Joseph Whitworth[1・コマ43][1・コマ57]
1838年★Cambridge の Robert Willis がオドントグラフ(odontograph:歯形を円弧で近似して描くための目盛り付きの定規)を考えて名づけ、作り方と表を発表する。インボリュート歯の圧力角 14.5° を提唱し、「Manchester pitch」と呼ばれた方式に diametral pitch の名を付けた。1841 年に『Principles of Mechanism』Robert Willis(Cambridge)[1・コマ17][1・コマ19][3・p.31]
1839年5月スイス生まれの John George Bodmer が英国特許 8,070 号(1839 年 5 月 29 日)で歯切り盤を示す。成形フライスで平歯車を切り、内歯車・かさ歯車・ウォームホイール・ラックの付属装置も付く。金属の歯車用のカッタは焼入れしやすいよう分割式だったJ. G. Bodmer(Manchester)[1・コマ39][1・コマ40][2]
1842年Maudslay のもとで働いた William Muir が Manchester で独立する。1851 年に Strangeways に Britannia Works を建て、船・機関車・ボイラ・銃の工場向けの工作機械を作った(1894 年には約 400 人)1894 年の機械学会の工場案内は 1842 年、1944 年の鉄道誌は「創業 101 年」とするWilliam Muir(Manchester)[4][5]
1850年6月John Hunt が英国特許 13,146 号(1850 年 6 月 20 日)で、型板(テンプレート)による歯切りに創成の考えを組み合わせた機械を示す—[1・コマ47]

歯車工場と歯切り盤メーカー1851〜1906 年

年出来事メーカー・機種出典
1851年Leeds の Shepherd, Hill and Spink の歯切り盤。カッタの駆動はまだロープだが、自動送りを備え、換え歯車で割り出す、生産用の機械になっていたShepherd, Hill and Spink(Leeds)[1・コマ44][1・コマ45]
1856年12月Christian Schiele が英国特許 2,896 号(1856 年 12 月 6 日)で、素材とホブを歯車で正しい比に回して平歯車・はすば歯車・ウォームホイールを切る機械を示す。Woodbury はこれをホブ盤の型の始まりとするが、実際に使われたかは分からないとする—[1・コマ43][1・コマ57][2]
1860年★David Brown が Huddersfield で型屋(パターンメーカー)を始める。得意は鋳物の歯車の木型だったDavid Brown(Huddersfield)[6・p.69][7]
1860年John Holroyd が Manchester で工作機械と繊維機械の店を始める(同社の沿革による。のちに Rochdale へ移り、ウォーム歯車とねじ・歯車の機械のメーカーになる)John Holroyd & Co.[8]
1864年William Fairbairn の『Treatise on Mills and Millwork』が、Willis のオドントグラフの使い方を図入りで説明する。板紙か木の目盛り板で、London の Holtzapffel で手に入るとある—[3・p.30][3・p.31]
1877年Manchester の Craven Brothers が量産用の自動歯切り盤を売り出す。同じ年に米国では Brown & Sharpe と Gould & Eberhardt も自動歯切り盤を出したCraven Brothers(Manchester)[1・コマ64][9]
1890年David Brown の工場に最初の歯切り盤が入る。鋳物の歯車より歯を削った歯車のほうがよいとはっきりし、歯車の工場が木型の工場を上回っていくGrace's Guide は機械で切った歯車の始まりを 1898 年とするが、会社を取材した The Engineer(1935)の 1890 年を採ったDavid Brown[6・p.69]
1896年Frederick W. Lanchester が、自動車の後車軸の鼓形(hour-glass)ウォームとホイールを作るためのホブ盤を設計するLanchester[9・p.208][2]
1897年Holroyd がねじのフライス削り(thread milling)の機械の特許を取る(同社の沿革。Steeds は、設計者の Liebert が 1897 年に特許を取り Holroyd が作ったとする)。米国でも Henry Liebert の「Machine for Milling Screws」が 1900 年に成立John Holroyd & Co.[8][2][10]
1900年Manchester の Smith & Coventry がパリ万国博覧会に、2 本の刃物で 1 枚の歯の両側を削るかさ歯車の歯切り盤を出すSmith & Coventry(Manchester)[1・コマ50]
1902年David Brown and Sons が手狭になった工場に代えて Lockwood(Huddersfield)に新しい Park Works を作る。1903 年には標準化したウォーム減速機を作っていたDavid Brown and Sons[6・p.69]
1903年3月Sam Sunderland が、単一歯のカッタと換え歯車ではすば歯車・ウォームホイールを切る機械の英国特許を出願する(1903 年第 4,791 号)Sam Sunderland[12]
1904年Holroyd がホブ盤を作る(Steeds の図版)。1906 年には London の Olympia の機械展にホブ盤を出し、Engineering 誌が写真入りで紹介したJohn Holroyd & Co.[2][13・p.395]

タービンの減速歯車と山歯歯車1897〜1918 年

年出来事メーカー・機種出典
1897年Charles Parsons が長さ 22 フィート(約 6.7m)のランチに、毎分 2 万回転のタービンを 14 対 1 のはすば歯車で減速して積む。Parsons は「最初のギヤードタービン船」としたParsons[11・p.48]
1908年★Parsons が貨物船 Vespasian(4,350 トン)を買い、往復機関を外して減速歯車付きのタービンに積み替える。タービンの小歯車は毎分 1,400 回転、推進軸は 70 回転。石炭の節約は 15%、プロペラの手直しで 22%Parsons[11・p.48][11・p.49][11・p.50][14・p.371]
1908年Thomas Humpage が機械学会(IMechE)で、焼入れした自動車の歯車を、コランダムのウォームを付けたホブ盤で仕上げる実験を発表する。Woodbury は、焼入れ歯車を研削する試みは英国の Humpage が最初だとする—[1・コマ66][1・コマ67]
1908年10月★Sunderland が、ラック形の多刃のカッタで平歯車を創成して削る歯車平削り盤の英国特許を出願する(1908 年第 21,225 号。米国特許 948,830 は 1910 年)Sam Sunderland[15][2・p.144]
1909年ごろShipley(Yorkshire)の J. Parkinson & Son が Sunderland の歯車平削り盤を作る。カッタを歯車のまわり 1 周ぶんに長くしなくてよいよう、カッタを数歯ぶん戻す「ステップバック」の動きを付けたJ. Parkinson & Son(Shipley)Sunderland 歯車平削り盤[2・p.144][16・p.617]
1910年★Parsons Marine Steam Turbine Company の工場に、Manchester の William Muir & Co. が作ったホブ盤 2 台が入る。船のタービンの減速歯車を削り、1913 年までに合わせて約 5 万馬力ぶんの歯車を切った。同じ型の 2 台は Heaton の C. A. Parsons & Co. にもWilliam Muir & Co.(Manchester)[14・p.371][17]
1910年7月Birmingham で米国機械学会(ASME)と英国の機械学会(IMechE)の合同会議があり、互換性のあるインボリュート歯車の規格の案が話し合われる。まとまらなかったが、Brown & Sharpe 式が広まる流れになった—[1・コマ23]
1911年7月★William Edwin Sykes が、歯車形の 2 本のカッタで山歯(ダブルヘリカル)歯車を削る方法の英国特許を出願する。カッタはライフル棒でねじられながら往復し、素材と転がり合って歯形を創成するW. E. Sykes[18]
1912年9月Sunderland が、歯をねじれ角に傾けたラック形カッタで、山歯歯車を中央の溝なしに削る方法の英国特許を出願するSam Sunderland[19]
1912年12月★Parsons・Carnegie・Cook が「クリープ機構」の英国特許を出願する(1913 年 12 月公開)。素材を載せたテーブルを親ウォームホイールに対して毎回少しずつずらし、親歯車の誤差を歯車のまわりにらせん状に散らして、決まった周期の誤差(音の原因)を消すParsonsクリープ機構[20][14・p.372][2・p.146]
1913年3月Parsons が造船学会(INA)で「船の推進用の機械歯車」を発表する。歯車の音が親ウォームホイールの 160 歯と同じ周期だったことを、マイクと記録計で突き止めた経緯と、クリープ付きのテーブルの効果(誤差は約 5 分の 1)を説明したParsons[14・p.371][14・p.373]
1913年9月Sykes が、2 本のカッタを 1 つの往復台に載せて交互に削らせる、山歯歯車の形削り盤の改良の英国特許を出願する(1914 年公開)W. E. Sykes[21]
1914年日本の歯切り専門の工場が英国製のホブ盤を据え付ける。会田俊夫『歯車の技術史』は、歯切りの業者が外国製のホブ盤を置いた最初とする(国産アーカイブ第 4 章)—[22・コマ104]
1916年7月★Engineering 誌が、West Drayton の Power Plant Company が作って使う Sykes の山歯歯車の歯切り盤を紹介する。Fellows の歯車形削り盤の原理を発展させたもので、左右 2 本のカッタが中央の線まで削るので、ホブ切りの山歯に要る中央の逃げ溝が要らない。ホブ盤の約半分、エンドミルの 20 分の 1 の時間で削れたというPower Plant Co.(West Drayton)Sykes の山歯歯車形削り盤[23・p.34]
1917年12月Engineering 誌が Sunderland の創成式の平歯車平削り盤を図入りで解説する。ラックの歯をカッタにし、刃先が絶えず変わるので 1 歯ずつの方式より発熱と摩耗が少ないJ. Parkinson & SonSunderland 歯車平削り盤[16・p.617]

規格・研究と二つの大戦1919〜1945 年

年出来事メーカー・機種出典
1919年ごろ第一次世界大戦が終わってまもなく、David Brown が Keighley Gear Company(Sam Sunderland の事業の後継)を買う記事は「戦後まもなく」とだけ書き、年は示さないDavid Brown and Sons[6・p.69]
1922年ごろ米国 Buffalo の Farrel Foundry & Machine が Sykes の歯切り盤の米国・カナダの特許を買い、英国から 4 台を運ぶ。1925 年には Buffalo で 15 台が動き、西海岸やシカゴの会社も機械一式を買った1925 年 11 月の記事の「3 年前」から逆算した年Farrel Foundry & Machine(米国 Buffalo)[24・p.456]
1924年Holroyd が機械展にウォームホイールのホブ盤とウォーム研削盤を出すJohn Holroyd & Co.[25]
1925年ごろ日本では大正の末にいろいろなホブ盤の国産化がひととおり済む。ただし軍艦・商船の主機のタービン歯車を切る大形の歯切盤は、英国の William Muir や米国の Westinghouse などの外国製だった(会田 1970)—[22・コマ105]
1927年英国規格 BS 235「Gears for Traction」(電車などの歯車)ができる。英国で最初の歯車の規格—[26]
1928年4月Power Plant Company が Sykes 式の大形の山歯歯車創成機を完成する。直径 9 フィート 6 インチ(約 2.9m)、幅 30 インチ(約 760mm)までのタービン歯車を削れ、標準のねじれ角は 30°Power Plant Co.[27・p.467]
1930年10月David Brown の技術者 H. E. Merritt の考えたウォーム歯車の特許が英国で出願される(米国では 1934 年成立)David Brown and Sons[28]
1931年Holroyd のウォーム歯車が国立物理学研究所(NPL)の試験で効率 98.2% を記録する(同社は今も破られていない記録とする)John Holroyd & Co.[8]
1931年4月The Engineer 誌が、平歯車の創成用としてそれまでで最大の Sunderland 歯車平削り盤を紹介する(直径 15 フィート=約 4.6m まで)J. Parkinson & SonSunderland 歯車平削り盤(15 フィート)[29・p.438]
1932年★BS 436「Machine-Cut Gears:Helical and Straight Spur」(平歯車・はすば歯車)ができる(1940 年改訂)。続いて BS 545 かさ歯車(1934)、BS 721 ウォーム歯車(1937)、BS 978 計器・時計の歯車(1941)—[26]
1935年7月The Engineer 誌が David Brown の Park Works を取材する。約 2,000 人。小さな歯車は Maag の歯車研削盤で仕上げ、まがりばかさ歯車は Gleason の機械を何台も並べて切り、ウォームと青銅も自社で作っていたDavid Brown and Sons[6・p.69]
1936年大西洋航路の客船 Queen Mary の減速歯車は、特許のクリープ機構を備えたホブ盤で切られた(Cunard White Star の案内書)—[30]
1939年12月H. E. Merritt が装軌車両(戦車など)の操向装置の特許を出願する。変速機と差動装置を組み合わせ、左右の履帯の速さを歯車で変えて曲がる方式David Brown[31]
1942年★H. E. Merritt の教科書『Gears』(Pitman)が出る。歯車の設計・加工・試験をまとめた英国の代表的な本で、1946 年に第 2 版、1954 年に第 3 版—[32][33]
1943年英国の調査報告が、Merritt 式の差動操向が Churchill・Cromwell・Centaur の各戦車に使われていると記す(ドイツの Tiger 戦車の調査の中で)—[34]
1943年山歯歯車の歯切り盤を考えた W. E. Sykes が亡くなる。会社の W. E. Sykes Ltd は Staines(Middlesex)で歯切り盤と精密な計器を作っていたW. E. Sykes Ltd(Staines)[35]
1943年1月BTH の S. A. Couling が機械学会で、タービン発電機の減速歯車の「笛のような音」の原因がホブ盤の 120 歯の親ウォームホイールにあったことを示し、360 歯の新しい親ホイールで音を消した経緯を発表するBritish Thomson-Houston(Rugby)[36・p.197]
1944年12月Huddersfield の David Brown & Sons が、Manchester の Muir Machine Tools(Britannia Works)の株の支配権を手に入れる。高い精度の機械の急ぎの需要に応えるため、Muir の工場を作り直すとしたDavid Brown & Sons・Muir Machine Tools[5][37][38]

タービン歯車のホブ盤から今へ1946 年〜

年出来事メーカー・機種出典
1948年英国規格 BS 1498「タービンなどの歯車用のホブ盤」ができる。海軍省の求めで NPL・Lloyd's Register・メーカーと作り、高速・高荷重の歯車用の Grade A を定めたMerritt(1956)は BS 1498 の初版を 1954 年とするが、1952 年の記事が「1498 : 1948」と書くのでそちらを採った—[39・p.546]
1948年★Grade A を満たす最初のタービン歯車のホブ盤が Birkenhead の造船所 Cammell Laird に納められる。荒削り用と仕上げ用に別の割り出しウォームホイールを持つ機械David Brown Machine Tools(旧 Muir Machine Tools)[39・p.546]
1949年海軍と Vickers の歯車研究協会(Admiralty-Vickers Gearing Research Association)が報告書 No.1 を出す。のちにホブ盤の据え付けや再調整の報告も出した—[40]
1952年BS 1807「タービンなどの歯車:精度」ができる。1953〜56 年にはシェービングカッタ(BS 2007)・ホブ(BS 2062)・成形カッタ(BS 2518)・用語(BS 2519)・ラック形カッタ(BS 2697)の規格が続く—[26]
1952年4月The Engineer 誌が、Manchester の David Brown Machine Tools(旧 Muir Machine Tools)はクリープ式とソリッドテーブル式の両方のタービン歯車ホブ盤を長く作ってきたと紹介する。同社の親機の割り出しウォームホイールは「今あるほとんどすべてのタービン歯車ホブ盤の曾祖父」だというDavid Brown Machine Tools[39・p.546]
1953年Holroyd がねじ圧縮機などのロータを削る受託の部門 Holroyd Precision Rotors を作る(同社の沿革)John Holroyd & Co.[8]
1956年10月Merritt が The Engineer 誌で「英国の歯車規格はどこへ行くのか」を書き、12 の歯車規格を挙げて、設計と許容荷重を扱う BS 436・545・721 の改訂の遅れを論じる—[26]
1959年5月戦後にできた機械工学研究所(MERL、East Kilbride)が国立工学研究所(NEL)と名を変える。歯車と工作機械、歯の誤差の測定も研究した—[41][42]
1960年6月W. Owen の訃報。元 William Muir & Co. の技術担当役員で、Parsons と組んで最初のタービン歯車のホブ盤を設計し、1955 年まで Craven Brothers の歯車ホブ盤部門の設計主任だった—[17]
1960年11月米国 New Jersey 州 Trenton の De Laval Steam Turbine が、ウォーム減速機の事業 Delroyd を、Holroyd と共同で持つ De Laval-Holroyd Inc. に移すJohn Holroyd & Co.・De Laval Steam Turbine[43][44]
1966年米国の Gleason が英国 Plymouth に工具工場を建てるGleason[45・p.23]
1967年Holroyd が技術革新で女王賞(Queen's Award)を受ける。1993 年にはロータのカッタ研削盤で、2004 年にはねじ・歯車の研削の技術で再び受賞(同社の沿革)John Holroyd & Co.[8]
2010年Holroyd が中国の重慶機電(CQME)のグループに入り、Precision Technologies Group(PTG)の名を使い始める。ロータのフライス削り・研削盤、歯車研削盤、摩擦かくはん接合機を作るPTG Holroyd[8]
2016年David Brown がフィンランドの Santasalo と一緒になり David Brown Santasalo になる。産業用の歯車装置の会社で、Power Plant Gears・Sykes・BTH・Radicon などの古い歯車ブランドの保守も受け継ぐDavid Brown Santasalo[7][46]

よくある質問

ホブ盤の考え方は英国で生まれたのですか?
ホブで歯を切ること自体は、1768 年の Jesse Ramsden の計器づくりが最初の例とされます。素材とホブを歯車列で同期させて回す機械は、1835 年の Whitworth の英国特許(ウォームホイール用)と、1856 年の Schiele の英国特許(平歯車・はすば歯車も)に現れます。ただ、ホブの軸をねじれ角だけ傾けて差動歯車ではすば歯車も切る今のホブ盤の基本をまとめたのはドイツの Pfauter(1897 年)で、広く使われるようになったのは 20 世紀に入ってからです。
Parsons のクリープ機構とは何ですか?
ホブ盤のテーブルを回す親ウォームホイールの誤差が、削った歯車に同じ周期で写り、タービンの減速歯車が鳴る問題を解くための仕組みです。Parsons・Carnegie・Cook が 1912 年に特許を出願しました。素材を載せたテーブルを親ホイールに対して毎回 1% ほどずらして回し、誤差を歯車のまわりにらせん状に散らして、周期的な誤差(音)を消します。戦後は親歯車そのものの精度が上がり、クリープなしのホブ盤も増えました。
中央に溝のない山歯(ダブルヘリカル)歯車はどうやって削ったのですか?
英国では 2 つの方式が生まれました。Sam Sunderland の歯車平削り盤(1908 年特許、J. Parkinson & Son 製)はラック形の多刃のカッタで、W. E. Sykes の機械(1911 年特許、Power Plant Co. 製)は歯車形の 2 本のカッタで、左右のはすばを中央の線まで削ります。Sykes の米国の特許は 1922 年ごろ米国の Farrel が買い、米国でも広まりました。
英国の歯車の規格(BS 436 など)はいつできましたか?
最初は 1927 年の BS 235(電車などの歯車)で、平歯車・はすば歯車の BS 436 は 1932 年(1940 年改訂)、かさ歯車の BS 545 は 1934 年、ウォーム歯車の BS 721 は 1937 年、計器・時計の歯車の BS 978 は 1941 年です。タービン歯車用のホブ盤の規格 BS 1498 は 1948 年に作られました(Merritt 1956・The Engineer 1952 による)。

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出典

特許は Espacenet で番号・出願日・公開日を、業界誌(Engineering・The Engineer ほか)と本は Internet Archive のスキャンで、メーカーの沿革と博物館の案内は各ページを 2026 年 10 月に確かめました。Woodbury の本の番号はスキャンのコマ(1 コマに見開き 1〜2 ページ)、国立国会図書館の資料もコマ番号です。Steeds・Rolt など「貸出のみ」の本は、Internet Archive の全文検索で該当の文を確かめました。英国の 1916 年ごろまでの特許は「年+番号」で数えます(例:1908 年第 21,225 号=GB190821225A)。本文で「同社は〜とします」と書いたものはメーカー自身の記述です。特許の年(出願・公開)と機械の年(完成・発表)は 1〜数年ずれることがあるので、本文で書き分けています。

  1. Robert S. Woodbury『History of the Gear-Cutting Machine』MIT Technology Press(1958)※番号はスキャンのコマ(Internet Archive の n 番号。1 コマに 1〜2 ページ)コマ 3・14・15・16・17・18・19・20・23・28・30・31・38・39・40・41・42・43・44・45・47・50・57・64・66・67
  2. W. Steeds『A History of Machine Tools 1700–1910』Clarendon Press(1969。Internet Archive は貸出のみ。内容は全文検索の断片で確かめた)p. 144・146
  3. William Fairbairn『Treatise on Mills and Millwork』Part II, Longman(1864)p. 30・31
  4. 『Proceedings of the Institution of Mechanical Engineers』1894 年(7 月の Manchester 大会の工場案内)pp.419–421
  5. The Railway Gazette 第 81 巻 24 号(1944 年 12 月 15 日)「David Brown & Sons and Muir Machine Tools」
  6. 「Gear Works of David Brown's, Huddersfield」The Engineer 160 巻(1935 年 7 月 19 日)p.69〜(2 ページの付録つき)p. 69
  7. David Brown Santasalo「Our Story」(同社の沿革)
  8. PTG Holroyd Precision「Our History」(同社の沿革)
  9. L. T. C. Rolt『A Short History of Machine Tools』MIT Press(1965。英国版は『Tools for the Job』。Internet Archive は貸出のみ)p. 208
  10. 米国特許 US655878A H. Liebert「Machine for Milling Screws」(1899 年 12 月 12 日出願、1900 年 8 月 14 日成立)
  11. Charles A. Parsons『The Steam Turbine:The Rede Lecture 1911』Cambridge University Press(1911)p. 48・49・50
  12. 英国特許 GB190304791A(1903 年第 4,791 号)S. Sunderland「Machines for Cutting Helical or Worm Wheels」(1903 年 3 月 2 日出願、11 月 26 日公開)
  13. 「Hobbing-Machines; Engineering and Machinery Exhibition, Olympia」(John Holroyd and Co.)Engineering 82 巻(1906 年 9 月 21 日)pp.394〜395p. 395
  14. C. A. Parsons「Mechanical Gearing for the Propulsion of Ships」(造船学会 INA で 1913 年 3 月 13 日に発表)Engineering 95 巻(1913 年 3 月 14 日)pp.371〜373p. 371・372・373
  15. 英国特許 GB190821225A(1908 年第 21,225 号)S. Sunderland「Gear Cutting Machines」(1908 年 10 月 8 日出願、1909 年 5 月 6 日公開)。米国では US948830A(1910 年 2 月 8 日)
  16. 「The Sunderland Gear Planers」(J. Parkinson and Son, Shipley)Engineering 104 巻(1917 年 12 月 14 日)p.617p. 617
  17. Electrical Review 166 巻 24 号(1960 年 6 月 10 日)訃報:W. Owen(Craven Brothers の歯車ホブ盤部門の設計主任、元 William Muir & Co. の技術担当役員)
  18. 英国特許 GB191101759A W. E. Sykes「Cutting Helical Gear Wheels」(1911 年 7 月 17 日出願、1912 年 2 月 1 日公開)
  19. 英国特許 GB191221997A S. Sunderland「Cutting Double Helical Wheel Teeth」(1912 年 9 月 27 日出願、1913 年 7 月 24 日公開)
  20. 英国特許 GB191229380A「Improvements in Gear-cutting Machines」C. A. Parsons・A. Q. Carnegie・S. S. Cook(1912 年 12 月 20 日出願、1913 年 12 月 18 日公開)
  21. 英国特許 GB191320367A W. E. Sykes「Machines for Cutting Double Helical Teeth on Gear Wheels」(1913 年 9 月 9 日出願、1914 年 8 月 7 日公開)
  22. 会田俊夫『歯車の技術史』開発社(1970)コマ 104・105
  23. 「The Sykes Gear-Cutter for Double Helical Teeth」(Power Plant Company, West Drayton)Engineering 102 巻(1916 年 7 月 14 日)pp.34〜35p. 34
  24. 「The Sykes Herringbone Gear Generator」The Blast Furnace and Steel Plant 13 巻(1925 年 11 月)p.456p. 456
  25. Engineering 118 巻(1924 年 7〜12 月)索引:J. Holroyd & Co. の Worm-Wheel Hobbing Machine(p.401)・Worm-Grinding Machine(p.405)
  26. H. E. Merritt「Whither British Standards for Gears?」The Engineer 202 巻(1956 年 10 月 19 日)
  27. 「A Large Double Helical Gear Generating Machine」(Power Plant Company)The Engineer 145 巻(1928 年 4 月 27 日)p.467p. 467
  28. 米国特許 US1948795A「Worm Gearing」David Brown & Sons(発明者 H. E. Merritt。英国優先 1930 年 10 月 16 日、1934 年 2 月 27 日成立)
  29. 「A Large "Sunderland" Gear Planer」The Engineer 151 巻(1931 年 4 月 17 日)p.438p. 438
  30. Cunard White Star『Queen Mary』(1936 年 6 月。Internet Archive は貸出のみ。全文検索の断片で確かめた)
  31. 米国特許 US2377354A「Steering Mechanism for Tracklaying Vehicles」H. E. Merritt(英国優先 GB3255439・1939 年 12 月 20 日、英国では GB567635A。1945 年 6 月 5 日成立)
  32. 新刊紹介「Gears. By H. E. Merritt. London: Sir Isaac Pitman and Sons」The Engineer 174 巻(1942 年 9 月 4 日)
  33. British Book News 30 号(British Council、1942 年 10 月):H. E. Merritt『Gears』Pitman, 30s.
  34. David Fletcher 編『Tiger! The Tiger Tank: A British View』HMSO(1986。戦時の英国の調査報告の再録。Internet Archive は貸出のみ)
  35. The Engineers' Digest(英国版)第 4 巻 7 号(1943 年 7 月)人の消息(W. E. Sykes の死去)
  36. S. A. Couling「High-Speed Helical Gear Production」(機械学会 IMechE で 1943 年 1 月 22 日に発表した論文の抄録)Engineering 155 巻(1943 年 3 月 5 日)p.197〜p. 197
  37. Automobile Engineer 第 47 巻 7 号(1957 年 7 月)David Brown の工作機械部門の紹介
  38. The Engineer 第 212 巻 5523 号(1961 年 12 月 1 日)人事の記事(「1944 年に David Brown が会社を買った」)
  39. 「Turbine Gear Hobbing Machines」(David Brown Machine Tools Ltd の寄稿にもとづく)The Engineer(1952 年 4 月 18 日)p.546p. 546
  40. The Institution of Production Engineers Journal 30 巻 7 号(1951 年 7 月)文献紹介:Admiralty-Vickers Gearing Research Association『Report No. 1』(1949)
  41. 「Mechanical Engineering Research Laboratory Changes to National Engineering Laboratory」Engineering 187 巻(1959 年 5 月 8 日)
  42. Harry Melville『The Department of Scientific and Industrial Research』George Allen & Unwin(1962。Internet Archive は貸出のみ)
  43. Iron and Steel Engineer(AISE)第 37 巻 11 号(1960 年 11 月)De Laval の Delroyd 事業の移管
  44. The Oil and Gas Journal 第 58 巻 48 号(1960 年 11 月 28 日)De Laval の Delroyd 事業の移管
  45. Gleason Corporation『Gleason 160:Yesterday and Today』(2025、社史。番号は電子版のページ)p. 23
  46. David Brown Santasalo「Heritage Brands」(同社が受け継ぐ歯車ブランドの一覧)
  47. Science and Industry Museum(Manchester)公式サイト
  48. Discovery Museum(Newcastle upon Tyne)「Turbinia」の案内
  49. Colin Fraser『Harry Ferguson: Inventor and Pioneer』John Murray(1972。Internet Archive は貸出のみ)