USA 09アメリカの歯車機械の系譜

歯車の歯を切る機械(歯切り盤)の歴史で、アメリカはかさ歯車と歯車形削り盤の国です。ねじのような刃物で連続して切るホブ盤の完成形はドイツの Pfauter が先に出しましたが、歯形を刃物に頼らず「転がして」作る創成歯切り、研ぎ直しても形の変わらない歯車用カッター、自動車の後車軸を変えたまがりばかさ歯車とハイポイドギヤ、歯車形の刃物で内歯車まで切る Fellows のギヤシェーパ、歯面を薄くそぐシェービングは、どれもアメリカで実用になりました。この章では、機械の仕組みがどう変わり、現場の歯車づくりがどう変わったかを、特許・当時の業界誌・研究書・メーカーの社史で 1 つずつ確かめ、出来事ごとに出典(ページが分かるものはページ番号)を付けてたどります。

かさ歯車と
ギヤシェーパは
アメリカ生まれ!

マスコットのチップス
19 世紀かさ歯車の創成1900 年ごろ歯車形削り盤1950 年代ホブ盤今CNC ホブ盤
歯切り盤の移り変わり(イメージ図。特定の国・機種ではありません)

歯切り盤には大きく 2 つの考え方があります。刃物そのものが歯溝の形をしていて 1 溝ずつ削る成形法と、刃物と歯車の素材をかみ合う歯車どうしのように動かして歯形を「生み出す」創成法です。ホブ切り・歯車形削り・かさ歯車の創成はどれも創成法です。削り方の今の解説は歯車の加工法に、日本の歯切り盤の歴史は国産アーカイブ第 4 章「歯切り盤の系譜」に、歯形・工具・規格の歴史の年表は読みもの「歯車の勉強」にまとめています。ホブ盤の完成とスカイビングはドイツの歯車機械の章で詳しく扱います。

割り出しと成形歯切り(1833〜1883 年)

19 世紀の前半、金属の歯車は鋳物のまま使うか、職人が手で仕上げるものでした。歯を機械で正しく切るには、まず円周を正確に等分する(割り出す)技術が要ります。アメリカでこれを持っていたのは、時計や測量の計器を作る人たちでした。1833 年に Providence(Rhode Island 州)で時計・計器の店を始めた David Brown と息子の Joseph R. Brown(ジョセフ・R・ブラウン)は、その年の新聞広告ですでに平歯車・はすば歯車・かさ歯車と、割り出し板の注文を受けています[1][2]。1853 年に Lucian Sharpe が加わって店は J. R. Brown & Sharpe(のちの Brown & Sharpe、ブラウン・アンド・シャープ)になりました[1]。

1855 年、Brown は自社用の精密歯切り機を作ります。目盛りは米沿岸測量部にあった英国製の割り出し機から写したもので、直径約 37 インチ(約 940mm)までの歯車を切れました。これは売り物ではなく、割り出し板や精密な歯車を作るために、専用の部屋で大事に使われました[2][1]。計器づくりの割り出しの精度が、歯切り盤の精度の出発点になったわけです。

研ぎ直しても形の変わらない成形カッター(1864 年)

成形法で歯を切るには、歯溝と同じ形の刃物(成形フライス)が要ります。ところが当時のフライスの刃は手でやすりがけして作ったもので、研ぎ直すたびに形が崩れました。Brown はこれを解決するカッターを考え、1864 年 11 月 29 日に米国特許 45,294 を取ります[3]。刃の背に逃げ(二番取り)を付け、すくい面だけを研ぎ直せば、何度研いでも刃先の輪郭が同じになる形です。Roe は、これを歯車の歯を切るために考えられた「研ぎ直しても輪郭が正しく保たれる成形フライス」として紹介しています[1]。

このカッターは、歯形の選び方まで変えました。Woodbury によると、Brown & Sharpe は 1867 年の最初のカタログに歯車用カッターの組を載せています。当時主流のサイクロイド歯形では、12 枚の小歯車からラックまで切るのに 1 つのピッチで 24 本の組が要りましたが、インボリュート歯形なら 8 本で足りました。市販の歯車カッターを作っていたのは同社だけだったので、その評判がインボリュート歯形の普及を大きく後押ししたといいます[2]。1886 年の同社の『Practical Treatise on Gearing』は、1 つのピッチにつき 8 本(No.1〜No.8)で 12 枚以上のすべての歯数を切れると説明しています[8]。日本の現場で今も使う「並歯車用カッター 8 本組」の考え方は、ここから来ています。

成形カッターの特許1864 年 11 月J. R. Brown、米国特許 45,294[3]
インボリュートの組8 本で全歯数12 枚以上。サイクロイドは 24 本[2][8]
自動歯切り盤の発売1877 年Brown & Sharpe・Gould & Eberhardt[2][1]

自動歯切り盤(1877 年)

南北戦争のあと、ミシンや農機具で歯車の需要が増え、熟練工が足りなくなります。そこで、素材を付ければ最後の歯まで自分で切って止まる自動歯切り盤が求められました。1860 年ごろには Nashua(New Hampshire 州)の Gage, Warner & Whitney が、重りの倒れる力で送りを反転し、戻るときに割り出す自動機を作っています。1867 年には Philadelphia の William Sellers がパリ万国博覧会に、1 つの動きが終わらないと次へ進まない仕組みの自動歯切り盤を出しました[2]。

量産品として売り出されたのは 1877 年です。この年、米国では Brown & Sharpe と Newark(New Jersey 州)の Gould & Eberhardt が、英国では Craven Brothers が自動歯切り盤を出しました[2]。Brown & Sharpe の 2 機種は Edward H. Parks の設計で、小形はミシン用の小さな平歯車・かさ歯車に、大形は一般の機械の歯車に使われました[1]。同社の記録では、1879 年に小形を 16 台作り、値段は 650 ドルでした[2]。割り出しはウォームとウォームホイール、歯数は換えのラチェット車で決める仕組みで、1 人が何台も受け持てるようになったのが現場の大きな変化です。Woodbury は、こうした自動歯切り盤を自動盤とならぶ「自動化の先駆け」と位置づけています[2]。

大きなかさ歯車は型板で(Gleason・Corliss)

かさ歯車は、歯の大きさが外側から内側へ小さくなるので、1 つの形の刃物では正しい歯形を切れません。そこで使われたのが、拡大した歯形の型板(テンプレート)にローラーを沿わせて、平削りの刃物を動かす方式です。Colt の兵器工場で働いたあと 1865 年に Rochester(New York 州)で工場を始めた William Gleason(ウィリアム・グリーソン)は、1874 年に最初のかさ歯車平削り盤を作りました。同社は社史で、これを「かさ歯車という新しい産業の始まり」と位置づけています[4][1]。1876 年のフィラデルフィア独立百年博覧会では、George H. Corliss が会場の動力を回した大蒸気機関の大きなかさ歯車を削るために、型板式の歯切り盤を作って見せ、注目を集めました[2]。

Woodbury は、型板式の歯切り盤の代表的なメーカーとして Gleason を挙げています。1909 年の Flanders の本は、Gleason の型板式の平歯車平削り盤が直径 20 フィート(約 6m)までの歯車を切れたと紹介しています[2][6]。Roe は 1916 年に、Gleason は汎用の工作機械から始めてかさ歯車の歯切り盤だけに絞った会社だと書きました[1]。スミソニアンの国立アメリカ歴史博物館は、Gleason のかさ歯車平削り盤を所蔵品として登録しています[48]。

現場で何に効くか。成形カッターの番号(No.1〜No.8)は、そのカッターで切れる歯数の範囲を表します。範囲の端の歯数を切ると歯形が少しずれるので、精度の要る歯車は創成法(ホブ・ピニオンカッター)で切るのが今の常識です。それでも、少量の修理品や割り出し台を使う仕事では、Brown & Sharpe 以来の 8 本組がいまも役に立ちます。

創成歯切りの誕生とホブ盤(1884〜1912 年)

成形法と型板式には、どちらも「正しい歯形を誰かが先に作っておく」必要がありました。これを不要にしたのが創成法です。刃物を基準のラック(直線の歯の歯車)の 1 枚の歯に見立て、歯車の素材をそのラックの上で転がすように動かせば、刃物の形が単純な直線でも、正しいインボリュート歯形が自然に削り出されます。

Bilgram のかさ歯車創成機(1884 年)

この考え方で実際に役に立つ機械を作ったのが、Philadelphia の Hugo Bilgram(ヒューゴ・ビルグラム)です。1882 年に出願し、1884 年 3 月 11 日に「かさ歯車カッター」の米国特許 294,844 を取りました[5]。平削りの刃物は往復するだけで、素材の側を、ピッチ円すいの頂点を中心に振りながら 2 本の鋼の帯で回して「転がし」ます。Woodbury はこれを、ラックの歯形の刃物で歯車をかみ合わせて作る「型取り創成」の最初の機械とし、需要の背景にはチェーンのない自転車の流行があったと書いています[2]。Flanders の 1909 年の本にも、Bilgram の機械が詳しく載っています[6]。Bilgram の機械でできるかさ歯車の歯形は、インボリュートでもサイクロイドでもない新しい形で、Boston の George B. Grant(ジョージ・B・グラント)が「オクトイド」と名づけました[2]。Bilgram は 1901〜02 年に、平歯車用とかさ歯車用の自動の創成機も出しています。全部の歯に少しずつ切り込み、何周もして歯形を仕上げる仕組みです[2]。

George B. Grant:歯車の本と、最初のホブ盤

Grant は理論と実務の両方で大きな仕事をしました。1885 年の『Handbook of the Teeth of Gears』と 1891 年の『Odontics』で、インボリュート歯形がサイクロイド歯形より効率・強さ・中心距離のずれへの強さですぐれることを数式で示しています。1885 年当時、工場ではまだサイクロイド歯形が多かったといいます[2]。機械では、1887 年に出願して 1889 年 6 月 11 日に成立した米国特許 405,030 で、ホブ(刃を付けたウォーム)と素材を一緒に回しながら、ホブを歯幅の方向へ送って平歯車とウォームホイールを切る機械を示しました[9]。Woodbury は、これを実際に使われたことが確かな最初のホブ盤としています[2]。Grant はほかに、刃先で歯形をなぞる方式のかさ歯車平削り盤(1889 年)と、「プラノイド」歯形のかさ歯車創成機(1894 年)の特許も取りました[10][11]。

同じころ、Pratt & Whitney は Ambrose Swasey の設計した「エピサイクロイド・エンジン」を作っています。これは歯車ではなく、歯車カッターの型板を正しい歯形に削るための機械でした[2]。Swasey は 1885 年に、ラックの歯の形のフライスで平歯車を創成する機械の特許も取りましたが、仕組みが複雑で広まりませんでした[7][2]。

Fellows の歯車形削り盤(1896 年)

平歯車の創成で最も成功したのが、Vermont 州 Springfield の Edwin R. Fellows(エドウィン・R・フェローズ)の歯車形削り盤(ギヤシェーパ)です。Fellows は機械の教育を受けずに Jones & Lamson に入り、製図主任になった人です。Roe によると、Connecticut 州 Torrington の衣料品店で飾り付けをしていた 22 歳の Fellows は、James Hartness(ジェームズ・ハートネス)が Springfield へ移るときに一緒に来て、1 週間ねじの頭の溝を削ったあと製図室に移りました[1]。American Precision Museum は、Jones & Lamson を平タレット旋盤に集中させたかった Hartness が独立を勧め、Fellows は 1896 年 7 月に Hartness ら地元の実業家の出資で会社を作ったと説明しています。最初の 36 インチの試作機は同じ年に Fitchburg で作られ、売られませんでした[12]。

仕組みの要は刃物です。刃物は歯車そのものの形をしたピニオンカッターで、カッターと素材を歯車どうしのようにかみ合わせてゆっくり回しながら、カッターを上下に往復させて削ります。1897 年 3 月 30 日に、機械(米国特許 579,708)とカッター(579,570)の特許が成立しました[14][15]。カッターは焼入れのあとで研削して歯形を仕上げます。Woodbury は、焼入れした刃物を平らな砥石の面(ラックの歯の片側に見立てる)と転がり合わせて研ぐカッター研削盤こそが Fellows の仕事の核心だとし、それが可能になったのは 1890 年ごろに研削盤が進歩したからだと書いています[2]。1897 年 12 月 9 日の American Machinist は表紙から「The Fellows Gear Shaper」を取り上げ、型板も手仕上げも要らない新しい方式だと伝えました[16]。1899 年には Franklin Institute が Fellows に John Scott Medal を贈っています[2]。

ギヤシェーパの強みは、内歯車や、段付きの軸の根元の歯車のように、ホブが逃げられない所も切れることです。Flanders の 1909 年の本は、Fellows の機械が内歯車を切る様子や、ラックを切る付属装置を写真入りで紹介しています[6]。はすば歯車は、カッター軸をらせんの案内(ヘリカルガイド)に沿ってひねりながら上下させて切ります。Flanders は、この方式が Fellows の最初の構想に入っていたと書き、のちの 1939 年には、右ねじれと左ねじれを切り替えられるヘリカルガイドの特許も Fellows の会社から出願されています[6][35]。

Gleason のかさ歯車創成機(1898 年)

Gleason では、William の息子 James E. Gleason が 1892 年に入社し、機械の設計を担いました[4]。1898 年 6 月 7 日の米国特許 605,249 は、回転するカッターで歯溝の両側を仕上げる、初めから全自動のかさ歯車創成機です[17]。Woodbury によると、Bilgram の機械が基準のラックを固定して素材を転がしたのに対し、Gleason の機械は素材を定位置で回し、基準の歯車(ラック)の側を動かしました。相対的な動きは同じです[2]。1900 年には Brown & Sharpe の Oscar J. Beale も、2 枚の歯付き円板で歯溝の両側を同時に削るかさ歯車創成機を設計し、Woodbury はこれを Fellows に次いで商業的に重要な創成機としています[2]。Gleason は 1903 年に The Gleason Works として法人になり、1905 年のリエージュ万国博覧会に 15 インチのすぐばかさ歯車創成機を出しました[4]。

ホブ盤:Pfauter の特許と米国のメーカー

ホブ切りは、1 枚ずつ往復して削る方式と違って連続して切れるので、能率が段違いです。ただ、Woodbury によると 19 世紀のうちは、ホブを焼入れ後に正しい形に研削するのが難しく、ホブと素材の軸を正確に合わせる手間もあり、「ホブで切ると歯面に小さな平らな面ができる」という疑いもあって、なかなか広まりませんでした[2]。突破口になったのは、ドイツ Chemnitz の Robert Hermann Pfauter(ヘルマン・ファウター)です。1897 年にドイツで特許を取り、1900 年 1 月 2 日には米国特許 640,728 も成立しました[19][18]。Woodbury は、ホブの軸をねじれ角だけ傾けて送る方式と、素材とホブを歯車列で同期させる方式を Pfauter が組み合わせ、差動歯車ではすば歯車も切れるようにしたことで、ホブ盤の基本ができたとしています[2](くわしくはドイツの歯車機械の章)。

米国のメーカーもすぐに続きました。Brown & Sharpe の記録では、1904 年に技術者が De Laval(蒸気タービン)・Newton・Bilgram の工場を訪ねてホブ切りを調べ、ホブは焼入れ後に研削しなければならないこと、軸合わせが難しいこと、機械を重く作る必要があることを報告しています[2]。Flanders の 1909 年の本には、Gould & Eberhardt の横形のホブ盤や、Grant-Lees Machine Co. のホブ盤がはすば歯車やウォームホイールを切る写真が載っています[6]。同じ 1909 年の 6 月には、Grant-Lees の副社長だった E. J. Lees が H. T. Bradner と Cleveland で Lees-Bradner Company を作り、自分の考えた歯車創成機を売り出しました[22][23]。Woodbury によると、この本が紹介したホブ盤のメーカーは 24 社で、どれも 1900 年以降に自動車などの需要に応えて作られたものでした[2]。Brown & Sharpe は研究を重ね、1915 年にホブ盤 No.34 と No.44 を出しています[2]。Rockford(Illinois 州)の Barber-Colman は、Roe によると 1896 年ごろに工具と歯切りカッターを作り始めた会社で[1]、1910 年には量産用の No. 12 ホブ盤を出し[24][25]、のちに米国を代表するホブ盤のメーカーになり、その設計は今も Bourn & Koch に受け継がれています[45]。

歯車研削の始まりと、規格の議論

焼入れすると歯車はひずみます。そこで、焼入れ後の歯を砥石で仕上げる歯車研削が考えられました。Detroit の Leland & Faulconer は 1899 年ごろ、チェーンのない自転車の軽いかさ歯車のために、焼入れした歯を型板に沿って研削する機械を作りました[2]。研削では砥石そのものが減っていくので、歯形を保つには砥石の形を直し、減った分を補う仕組みが欠かせません。Detroit の Gear Grinding Machine Co. の Ward と Taylor は、ダイヤモンドで砥石を自動で成形し、その減りを機械が補正する仕組みで 1908 年 5 月 26 日に特許を取り、Woodbury はこれを歯車研削を実用にした決め手の発明としています[21][2](研削盤そのものの歴史は第 8 章 研削盤)。

歯車の互換の規格づくりも、この時期に始まります。Flanders が 1908 年 12 月に ASME(米国機械学会)でインボリュート歯車の互換の方式を発表すると、ASME は 1909 年 1 月に委員会を作り、1910 年に英国の学会と合同で議論しました。1910 年は、ホブで切った歯面に平らな面ができるかをめぐる「ホブ切り論争」の年でもあり、これは Flanders の実験で決着しています[2]。

自動車と二つの大戦(1913〜1945 年)

20 世紀に入ると、歯車の最大の使い手は自動車になります。後車軸でエンジンの回転を直角に曲げるかさ歯車、変速機のはすば歯車は、強く、静かで、安く大量に作らなければなりません。Woodbury は、自動車が求めた歯車の量と品質はそれまでに例がなかったと書いています[2]。

まがりばかさ歯車(1913 年)

すぐばのかさ歯車は、歯が 1 枚ずつかみ合っては離れるので、速く回すと音が出ます。歯を曲線にすれば、いつも複数の歯が少しずつずれてかみ合い、滑らかに力を伝えられます。Gleason の社史によると、1913 年に James E. Gleason と Arthur Stewart がまがりばかさ歯車(スパイラルベベルギヤ)を設計しました[4]。James E. Gleason は 1913 年 5 月 26 日に、曲がった歯を自動で創成する機械の特許を出願しています(1919 年成立)[26]。翌 1914 年には、最初の量産形の 15 インチ自動まがりばかさ歯車創成機が売り出されました[4]。

ハイポイドギヤ(1924 年)

1919 年にスイスから移った Ernest Wildhaber(アーネスト・ヴィルトハーバー)は、Gleason で歯車理論を担当し、生涯に 279 件の特許を取った人です[27]。Gleason の技術資料によると、Wildhaber は 1924 年にハイポイドギヤを発明しました[27]。小歯車の軸を大歯車の中心からずらしたかさ歯車で、プロペラシャフトを低くできるので、車体を 50mm 以上下げられます。1924 年 3 月 25 日出願の「Gearing」(1928 年成立)、1927 年出願・1931 年成立の「Hypoid Gear」の特許が、Wildhaber の名で Gleason に譲渡されています[29][30]。Gleason の社史は 1927 年の Packard 426 をハイポイドの差動装置を積んだ最初の量産車とし、技術資料は発明から 5 年たたずに大手の自動車メーカーがみなハイポイドの後車軸に切り替えたと書いています[4][27](どちらも同社の記述です)。

AGMA と、歯車を測る技術

1916 年には AGMA(米国歯車工業会)ができ、Gleason は創立の会員でした[4]。Woodbury は、1917 年 9 月の AGMA の会合で Brown & Sharpe の技術者が歯車の検査について講演した記録を引いています[2]。当時の歯車の測定は、ピッチ円の寸法を測る専用のマイクロメータや、ピン(ワイヤ)を当てて測る方法で、歯形の一部しか分かりませんでした。Woodbury は、Springfield の James Hartness が 1919 年に出願し 1921 年に成立したねじの光学的な検査方法(スクリュースレッド・コンパレータ)と、その原理を歯車に応用したことで、ようやく歯車をきちんと検査できるようになったとしています[28][2]。Fellows の会社も 1933 年に、歯形とねじれ(リード)を測る機械の特許を出願しています[34]。歯形の規格は、AGMA の委員会が Earle Buckingham(MIT)の指導で今の基準にまとめていきました[2]。

シェービングと歯車研削

第一次世界大戦のあと、焼入れしない歯車でも高い精度が求められるようになり、ホブやシェーパで速く荒切りした歯面を、薄くそいで整える歯車シェービング盤が生まれます。Woodbury は代表例として、1928 年に ASME で発表された Pratt & Whitney の機械を挙げています[2]。シェービングを量産の工程にしたのは Detroit の National Broach & Machine です。歯車の形をした刃物(シェービングカッタ)を、軸を交差させて素材とかみ合わせて回すと、歯面に沿った滑りで薄い切りくずが出ます。同社の Robert S. Drummond は 1931 年に歯車の仕上げ方法の特許を出願し(1935 年成立)、1930 年代の後半には「Surface Shaving」などのシェービングの特許が National Broach & Machine の名で次々に出願されました[31][32]。シェービングで、ホブ切りの歯面の送りマークが消え、歯形とリードの小さな修正(クラウニング)もできるようになりました。

焼入れ後の仕上げでは、Gleason が 1931 年にまがりばかさ歯車とハイポイドギヤの研削盤の開発を始め、1938 年に売り出しました。1930 年代の終わりには、焼入れした高精度の歯車が要る航空機で、Gleason の Zerol ベベルギヤが広く使われます[4]。Fellows も 1931 年にはすば歯車の研削盤の特許を出願していて、歯切りから仕上げ・測定へと手を広げていました[33]。

二つの大戦

第一次世界大戦で、Gleason は航空機・トラック・トラクター・大砲のための歯車を何千と切りました[4]。1930 年代には、ソ連のスターリングラード・トラクター工場の歯車部門の立ち上げも手伝っています[4]。第二次世界大戦では、Gleason は 1940 年から軍需に入り、2,500 人をこえる従業員で、車両の変速機や差動装置だけでなく、レーダー・探照灯・射撃管制装置の歯車まで作りました。戦時生産の「E」賞を 5 回受け、同社は M4 シャーマン戦車の歯車と小歯車はすべて Gleason の機械で切られたとしています[4]。1942 年には、Wildhaber の考えたカービックカップリング(端面に曲がった歯を付けた継手)を売り出し、ジェットエンジンに使われました[4]。

戦後の量産と仕上げ(1945〜1987 年)

戦後のアメリカの歯車づくりは、自動車の量産ラインを軸に進みます。Woodbury は 1958 年に、多くの歯車はホブで荒く切り、焼入れし、歯車研削で仕上げるようになっていて、これは Norton が円筒研削で始めた「量産の研削」の考え方を歯車に広げたものだと書いています。焼入れしない歯車はシェービングで、さらに精度と面の細かさが要るものは、National Broach & Machine の考えた研削材を練り込んだ樹脂の歯車形のホーンでかみ合わせて磨く歯車ホーニングで仕上げました[2]。

Gleason の量産機

Gleason は 1945 年に研究開発部を作り[4]、1954 年には Rochester の工場が敷地 27 エーカー、床面積 60 万平方フィート(約 5.6 万 m²)をこえる規模になりました。1950 年代までに取った特許は約 176 件で、すぐばかさ歯車を 1 枚のブローチ状のカッターで一気に切る Revacycle、カービックカップリング、すぐばかさ歯車の Coniflex(1940 年代から)などが含まれます[4][27]。社史は、ハイポイドの小歯車を切る No.116 創成機と、大歯車を荒・仕上げで切る No.606/607 フォーメート機がいちばん売れた機械で、世界の自動車メーカーがこれを何台も並べたとしています[4]。大歯車は創成せずに成形で切る(フォーメート)、量産向けのやり方です[27]。

1972 年には「コンプリーティング」の理論がまとまり、かさ歯車を 5 回に分けて切っていたのを 1 回の工程で、時間を 25% に縮めて切れるようになります。1974 年の No.645 などは剛性を上げ、ヘリカルモーションと傾きを換え歯車とカムで与える機械でした[4]。同社は 1966 年に英国 Plymouth に工具工場を作り、1968 年にニューヨーク証券取引所に上場、1971 年にベルギーにも工場を作り、1972 年には中国から 79 台を受注しています[4]。

規格と教育

AGMA は戦後、歯車の精度の規格を整えていきます。1961〜64 年の AGMA 390.01・390.02 は、数字が大きいほど精密な等級を使いました[39]。1958 年には Rockford の Barber-Colman で最初の「ギヤスクール」(歯車の理論と加工の講習会)が開かれ、Gleason の社史によると、いまも Gleason Cutting Tools が続けています[4]。同じ 1958 年に、MIT の Robert S. Woodbury が『History of the Gear-Cutting Machine』を出しました。Brown & Sharpe の社内の文書を使った歯切り盤の技術史で、この章でも最も多く頼っている本です[2]。

NC の波と、外国の機械

歯切り盤の NC 化は、旋盤やフライス盤より遅れました。ホブと素材、カッターと素材を、決まった比で回し続けなければならないからです。1975 年にはドイツの Pfauter がパリの EMO で最初の NC ホブ盤を見せ、1983 年に CNC ホブ盤 PE150 を出しました[19]。1984 年 5/6 月に Elk Grove Village(Illinois 州)の Randall Publishing から創刊された専門誌 Gear Technology の創刊号には、Pfauter の米国の会社 American Pfauter が CNC ホブ盤・CNC の歯車測定機・CBN 砥石の歯車研削盤を宣伝する広告が載っています[44]。円筒歯車の歯切り盤では、ドイツの機械が米国の工場に入ってくる時代になっていました。

米国の老舗も形を変えていきます。Sundstrand の技術者だった Loyd Koch と Larry Bourn は 1971 年から機械の再生を手がけ、1975 年に Rockford で Bourn & Koch を作りました[43]。1985 年には Barber-Colman の工作機械部門を買い、ホブ盤の設計と補修部品・サービスを引き継いでいます[45]。Gleason は 1984 年に Gleason Corporation に組み替えられました[4]。

★CNC と統合(1988 年〜)

PHOENIX:歯車列をやめたかさ歯車の機械

機械式のかさ歯車創成機は、ロール(転がし)の比、カッターの位置、ヘリカルモーションなどを、たくさんの換え歯車・カム・軸で作っていました。1988 年に Gleason が公開した PHOENIX は、5 年以上かけて開発した6 軸の CNC 機で、こうした歯車列・軸・ハンドルをすべてやめ、それぞれの動きを小さな電動機で作りました。段取りの時間が短くなり、同じ機械で歯切りと研削の両方ができるようになったと社史は書いています[4]。1990 年代の前半には機種が増え、切削油を使わずに超硬の刃で速く切る「Power Cutting」が開発され、1995 年には研削で静かな歯車を作る UMC(Universal Motion Concept)ができました[4]。

Gleason による統合

1990 年代の後半、Gleason は円筒歯車の機械へ大きく踏み出します。1995 年にミュンヘンの Hurth Maschinen und Werkzeuge(シェービング・研削・ホーニング盤)を、1997 年にはホブ盤の大手、ドイツの Hermann Pfauter のグループを傘下に入れました[4][19]。こうして、かさ歯車の Gleason が、円筒歯車のホブ切り・形削り・シェービング・研削・ホーニングまでそろえた会社になります。2000 年には再び非上場になり、Rockford 近くの Pfauter-Maag Cutting Tools は Gleason Cutting Tools Corporation になりました。2005 年には Dayton(Ohio 州)の歯車測定機メーカー M&M Precision Systems を買って Gleason Metrology Systems にし、2006 年に円筒歯車の生産機 Genesis シリーズを出しています[4]。2012 年には最初のパワースカイビング盤を売り(スカイビングはドイツの章で詳しく)、2017 年に歯車設計ソフトの KISSsoft、2019 年に Faessler の歯車ホーニングの事業を加えました[4]。

Fellows の終わりと、Bourn & Koch

創業者の E. R. Fellows は 1945 年 5 月に亡くなるまで社長を務めました[36][37]。会社は 1974 年に Emhart に買われ、のちに Boston の Goldman Industrial Group の子会社になります[41][42]。そして Fellows は 2002 年に幕を下ろします。Gear Technology によると、親会社の Goldman Industrial Group が破産の手続きに入り、North Springfield の Fellows Corp. は 2 月 13 日に操業を止めました。同じグループの Jones & Lamson・Bryant Grinder なども閉じています[13]。同誌は論説で「誰かが Fellows を買って名前を残してほしい」と書きました[13]。その年のうちに、Rockford の Bourn & Koch が Fellows の歯車形削り盤を図面と書類ごと引き継ぎ、のちに新しい型の Fellows のギヤシェーパも開発しています[43][46]。古い機械式の 10-4 形を CNC の機械に作り直す改修も手がけています[43]。

規格の向きが変わる

AGMA の精度の規格は、1988 年の ANSI/AGMA 2000-A88 で「Q」の数字(大きいほど精密)にまとまり、2001 年の ANSI/AGMA 2015-1-A01 からは ISO と同じく数字が大きいほど粗い向きに変わりました[39]。古い図面の等級を読むときは、どの版の規格かを必ず確かめてください(「歯車の勉強」の精度の節)。

いまの顔ぶれ

いま米国に本拠を置く歯車機械・工具の会社には、Rochester の Gleason(かさ歯車・円筒歯車の機械、工具、測定機)、Rockford の Bourn & Koch(Barber-Colman のホブ盤と Fellows のギヤシェーパを受け継ぐ)、1927 年創業の Star Cutter(ホブ・ピニオンカッター・シェービングカッタ・スカイビングカッタ、ホブ盤。販売とサービスは Star SU)などがあります[4][45][46][47]。今の歯車の機械と工具のメーカーは歯切り工具・歯車加工機のメーカーに、工具ごとの使い方はホブ・ピニオンカッタ・シェービングカッタ・スカイビングカッタのページにまとめています。

現場で何に効くか。中古の歯車機械を見るときは、「割り出しは換え歯車か CNC の電子ギヤか」「シェーパのはすばはヘリカルガイドの交換が要るか」「かさ歯車の機械は機械式(No.116 などの換え歯車とカム)か PHOENIX 以降の CNC 機か」を見ると、段取りの手間と得意な仕事が分かります。古い Fellows や Barber-Colman の機械は、今も改修して使われています。

日本とのつながり

日本の歯切りは、アメリカの機械で始まりました。会田俊夫『歯車の技術史』によると、1901 年に米 Gould & Eberhardt の自動歯切り盤が、1903 年には Cincinnati の自動歯切り盤が日本で買われ、歯切りの能率と精度が上がりました。かさ歯車では、1915〜16 年に Gleason の創成式のかさ歯車歯切り盤が汽車会社と池貝鉄工所に入り、日本でも創成法でかさ歯車を切るようになっています。民間の歯切り工場の中にも、1920 年にホブ盤を買い、さらに Gleason のかさ歯車歯切り盤や Fellows の歯車形削り盤、ドイツのホブ盤をそろえた所もありました[20](国産アーカイブ第 4 章の年表)。

戦後は、自動車の歯車の量産とともにアメリカの仕上げの技術が入ってきます。不二越鋼材工業(いまの不二越)は、日本の自動車メーカーがシェービング盤を入れたもののカッタの補給に困っていたことから、1953 年 11 月に米 Michigan Tool とシェービングカッタの製造技術で提携しました[38]。それでも 1968 年の機械振興協会の調査は、国内の工作機械の需要で最も外国の機械に頼っているのは歯切り盤と歯車仕上げ機械で、まがりばかさ歯車の歯切り盤は国内の市販品が少なく、米 Gleason が世界的に有名だと書いています[40]。

その後、日本のメーカーは自社の技術でホブ盤・歯車研削盤・ドライカットへ進みます(国産アーカイブ第 4 章)。Gleason の側では、1994 年に日本の OGA Corporation に出資して 1999 年に完全子会社にし(いまの Gleason Asia)、2013 年には新潟のラック加工機メーカー、サイクニ機械(Saikuni Machinery)がグループに入りました[4]。

⑂メーカーの系図

アメリカの歯車機械の主なメーカーの、社名の移り変わりと買収です。帯の色が変わるところで社名が変わり、赤い矢印は事業の行き先です。Barber-Colman は工作機械部門だけが Bourn & Koch へ移りました(会社はほかの事業で続きました)。Brown & Sharpe と Gould & Eberhardt は、のちの工作機械事業の行方を一次資料で確かめきれなかったので描いていません。

186018801900192019401960198020002020William Gleason の工場Gleason Tool Co.The Gleason WorksGleason CorporationHurth(ミュンヘン)Gleason へHermann Pfauter(Chemnitz、1952 年から Ludwigsburg)Gleason へFellows Gear Shaper Co.Fellows Corp.(Emhart の一部門、のち Goldman Industrial Group)製品を継承Barber-Colman(Rockford)工作機械部門Bourn & KochStar Cutter(いまは Star SU と組む)帯の区切りが社名の変更。赤い矢印は合併・事業の譲渡の行き先。右端の › は今も続く会社。
出典:各社の沿革と社史 [4][19][12][41][13][46][1][45][43][47]

見に行ける所

歯車機械は工場で使い切られることが多く、古い機械が見られる所はわずかです。公開日・見学の可否は、行く前にそれぞれの施設の案内で確かめてください。

American Precision MuseumWindsor(Vermont 州)1846 年の Robbins & Lawrence の工場の建物にある工作機械の博物館。Fellows の歯車形削り盤のうち、知られている中で最も古い製造番号 59(1898〜1903 年ごろ)を所蔵(裏方の見学で見られる)。1942 年の「7 形」高速ギヤシェーパは実演に使われ、真ちゅうの小さな歯車を削る[12]
The Henry Ford(ヘンリー・フォード博物館)Dearborn(Michigan 州)Gleason の社史は、William Gleason の最初の機械がここに残るとしています。Woodbury(1958)は Bilgram のかさ歯車創成機の良い実物もここにあると書いています。いま展示されているかは行く前に博物館の収蔵品の検索で確かめてください[4][2]
Brown's Race(ハイフォールズ地区)Rochester(New York 州)Genesee 川の滝を見下ろす、水路沿いの古い工場街。William Gleason が 1865 年に工場を構えた場所で、1911 年まで Gleason の工場があった。いまはハイフォールズ(High Falls)の歴史地区[4]
Gleason の本社工場(1000 University Avenue)Rochester(New York 州)1904 年に土地を買い、1905 年に最初の建物、1911 年に移転を終えた Gleason の本社と工場。いまも Gleason Corporation の本拠地。工場の中は一般公開されていないので、外から見るだけにしてください[4]

⌛年表

この章で確かめた出来事のすべてです。番号は出典で、押すとその資料(ページが分かるものはそのページ)が開きます。「p.」は本のページ、「コマ」はスキャンの通し番号(国立国会図書館の資料と Woodbury の本)です。

割り出しと成形創成とホブ盤自動車と大戦戦後の量産CNC と統合184018601880190019201940196019802000202018641874188418961909191619241942198819952002黄色の点は大事な出来事(下の表の ★、年は混み合うところを省略)。時代の区切りの年は目安です。

割り出しと成形歯切り1833〜1880 年代

年出来事メーカー・機種出典
1833年David Brown と息子の Joseph R. Brown が Providence(Rhode Island 州)で時計・計器の店を始める(のちの Brown & Sharpe)。同じ年の新聞広告で、平歯車・はすば歯車・かさ歯車と割り出し板の注文を受けているBrown & Sharpe[1・p.202][2・コマ34]
1833年Ezra Gould が Newark(New Jersey 州)で工作機械の店を始める(のちの Gould & Eberhardt)Gould & Eberhardt[1・p.259]
1853年Lucian Sharpe が共同経営に加わり、店は J. R. Brown & Sharpe になる。このときの従業員は 14 人J. R. Brown & Sharpe[1・p.202]
1855年J. R. Brown が精密歯切り機を作る。目盛りは米沿岸測量部の割り出し機から写し、直径約 37 インチ(約 940mm)までの歯車を切れた。売り物ではなく、自社の割り出し板と精密歯車を作るのに使ったJ. R. Brown & Sharpe精密歯切り機[2・コマ45][1・p.206]
1860年ごろNashua(New Hampshire 州)の Gage, Warner & Whitney が自動の歯切り盤を作る。成形フライスで 1 歯ずつ切り、割り出しも自動。直径 8 フィート(約 2.4m)までの平歯車を切れたGage, Warner & Whitney[2・コマ63]
1864年11月★J. R. Brown が、刃のすくい面を研ぎ直しても歯形が変わらない歯車用の成形フライス(逃げを付けた総形カッター)で米国特許 45,294 を取る。これで町の工場でも正しい歯形の歯車を切れるようになるJ. R. Brown & Sharpe歯車用成形フライス[3][1・p.206][2・コマ22]
1865年Colt の兵器工場で働いた William Gleason が Rochester(New York 州)で 1 部屋の機械工場を始める。初めは旋盤・平削り盤など汎用の工作機械を作ったWilliam Gleason[4・p.8][4・p.7][1・p.183]
1867年Brown & Sharpe の最初のカタログに歯車用カッターの組が載る。サイクロイド歯形は 1 つのピッチで 24 本の組が要ったが、インボリュート歯形は 8 本で足りた。市販の歯車カッターを作るのは同社だけで、インボリュート歯形が広まるきっかけになったBrown & Sharpe[2・コマ22]
1867年Philadelphia の William Sellers がパリ万国博覧会に自動歯切り盤を出す。割り出しと送りの動きを順に止め合う仕組みで、歯を切り終えると自然に止まったWilliam Sellers & Co.[2・コマ63]
1868年J. R. Brown & Sharpe が法人になり、Brown & Sharpe Manufacturing Company になるBrown & Sharpe Mfg. Co.[1・p.204]
1874年★William Gleason が最初のかさ歯車平削り盤を作る。型板(テンプレート)に沿って刃物を動かして歯を削る機械で、同社はこれを「かさ歯車という産業の始まり」と位置づけ、1940 年代まで使われたとしているWilliam Gleasonかさ歯車平削り盤[4・p.7][4・p.8][2・コマ46]
1875年Gleason が Kidd Iron Works を買い、歯車機械を作る会社へ移っていくWilliam Gleason[4・p.8]
1876年フィラデルフィア独立百年博覧会で、George H. Corliss が大きなかさ歯車を削るための型板式の歯切り盤を見せる。会場の動力を回した Corliss の大蒸気機関の歯車を作るためのもので、技術者の注目を集めたGeorge H. Corliss[2・コマ46]
1877年★米国で Brown & Sharpe と Gould & Eberhardt が量産用の自動歯切り盤を売り出す(英国では Craven Brothers)。Brown & Sharpe の 2 機種は Edward H. Parks の設計で、小形はミシン用の平歯車・かさ歯車向けだったBrown & Sharpe・Gould & Eberhardt[2・コマ64][1・p.214]
1877年Gleason のかさ歯車歯切り盤が初めて海外に売れ、イタリアへ渡るGleason[4・p.8]
1879年Brown & Sharpe の記録では、この年に小形の自動歯切り盤を 16 台作り、値段は 650 ドルだったBrown & Sharpe[2・コマ64]
1886年Brown & Sharpe の『Practical Treatise on Gearing』が、インボリュート歯車は 1 つのピッチにつき 8 本のカッター(No.1〜No.8)で 12 枚以上のすべての歯数を切れると説明する。日本の現場でもおなじみの「並歯車用カッター 8 本組」の考え方Brown & Sharpe[8・p.61]

創成歯切りの誕生とホブ盤1884〜1912 年

年出来事メーカー・機種出典
1884年3月★Philadelphia の Hugo Bilgram が、かさ歯車の歯を「転がして」削り出す創成機で米国特許 294,844 を取る(1882 年出願)。歯車の素材を基準の歯車と転がり合わせるように動かし、1 本の刃物で正しい歯形を作る。米国の創成歯切り盤の始まりHugo Bilgramかさ歯車創成機[5][2・コマ50][6・p.69]
1885年George B. Grant が『Handbook of the Teeth of Gears』を出し、インボリュート歯形はサイクロイド歯形よりすぐれると数式で示す(1891 年には『Odontics』)。このころ実際の工場ではまだサイクロイド歯形が多かった—[2・コマ21][2・コマ22]
1885年9月Ambrose Swasey(Warner & Swasey)が、ラックの歯の形のフライスで平歯車を創成する歯切り盤で特許を取る。仕組みが複雑で広くは使われなかったAmbrose Swasey[7][2・コマ52]
1887年William Gleason の長女 Kate Gleason が米国と欧州の販売の責任者になる。1893 年の欧州の旅で英国・フランス・ドイツなどから注文を取ったGleason[4・p.9][4・p.8]
1880年代の終わりPratt & Whitney が Ambrose Swasey の設計した「エピサイクロイド・エンジン」を作り、歯車カッターの型板を正しい歯形に削るのに使う。歯車そのものではなく、カッターを作るための機械だったPratt & Whitney[2・コマ37][2・コマ49]
1889年6月★George B. Grant が、ホブと歯車の素材を一緒に回しながらホブを送って平歯車・ウォームホイールを切る機械で米国特許 405,030 を取る(1887 年出願)。Woodbury は、実際に使われたことが確かな最初のホブ盤とするGeorge B. Grantホブ盤[9][2・コマ58]
1889年7月Grant が、刃物の先で歯形をなぞって描く方式(描出創成)のかさ歯車平削り盤で特許を取るGeorge B. Grant[10][2・コマ50]
1890年1889 年の火事のあと、Gleason の 2 つの会社が合わさって Gleason Tool Company になり、歯車機械に重心を移すGleason Tool Company[4・p.10]
1893年William と James E. Gleason が、型板を差し替えて使う自動のかさ歯車平削り盤を作るGleason Tool Company自動かさ歯車平削り盤[4・p.10]
1894年1月Grant が「プラノイド」歯形のかさ歯車創成機で特許を取る。Bilgram の創成機の歯形を「オクトイド」と名づけたのも GrantGeorge B. GrantPlanoid[11][2・コマ52]
1896年ごろRockford(Illinois 州)の Barber-Colman が工具と歯切りカッターを作り始めるRoe の綴りは Barber-ColemanBarber-Colman[1・p.274]
1896年7月★Jones & Lamson の製図主任だった Edwin R. Fellows が、Springfield(Vermont 州)で Fellows Gear Shaper Company を設立。社長の James Hartness が独立を勧め、地元の実業家と出資した。最初の試作機(36 インチ)は同じ年に Fitchburg で作られたFellows Gear Shaper Company歯車形削り盤(ギヤシェーパ)[12][1・p.199][13・p.20]
1897年3月Fellows が歯車形削り盤(米国特許 579,708)と、焼入れ後に研削して歯形を仕上げるピニオンカッター(579,570)の特許を取る。カッターと素材を歯車どうしのようにかみ合わせて回しながら上下に削る仕組みで、内歯車も切れたFellows Gear Shaper Company[14][15][2・コマ53]
1897年12月American Machinist が表紙から「The Fellows Gear Shaper」を紹介し、型板も手仕上げも要らない新しい歯切りの方式だと伝えるFellows Gear Shaper Company[16]
1898年6月James E. Gleason が、回転するカッターで歯溝の両側を仕上げるかさ歯車創成機で米国特許 605,249 を取る。Bilgram の機械と逆に、素材は定位置で回り、想像上のラック(基準の歯車)の側が動く。初めから全自動だったGleasonかさ歯車創成機[17][2・コマ55]
1899年Franklin Institute が Fellows に John Scott Medal を贈るFellows Gear Shaper Company[2・コマ53][2・コマ54]
1899年Detroit の Leland & Faulconer が、焼入れしたかさ歯車の歯を型板に沿って研削する機械を作る。チェーンのない自転車の軽い歯車のためで、米国の歯車研削の始まりとされるLeland & Faulconer[2・コマ47][2・コマ66]
1900年Brown & Sharpe の Oscar J. Beale が、2 枚の歯付き円板で歯溝の両側を同時に削るかさ歯車創成機を設計する。Woodbury は Fellows に次いで商業的に重要だった創成機とするBrown & Sharpe[2・コマ55][2・コマ56]
1900年1月ドイツの Robert Hermann Pfauter が、ウォームホイールなどをホブで切る装置で米国特許 640,728 を取る(ドイツの特許は 1897 年)。差動歯車ではすば歯車も切れるホブ盤の基本ができあがる(ドイツの章で詳しく)Hermann Pfauter[18][19][2・コマ59]
1901〜02年Bilgram が平歯車・はすば歯車用(1901 年)、かさ歯車用(1902 年)の自動の創成歯切り盤を出す。1 回ずつ全部の歯に浅く切り込み、何周もして歯形を仕上げる仕組みBilgram Machine Works[2・コマ51][2・コマ65]
1901年日本で米 Gould & Eberhardt(G&E)の自動歯切り盤が買われる(1903 年には Cincinnati の自動歯切り盤も)。歯切りの能率と精度が上がったGould & Eberhardt[20・コマ104]
1903年William Gleason が 2 つの会社をたたみ、The Gleason Works として法人にする。同じ年から、20 フィートの平歯車・内歯車平削り盤がパナマ運河の閘門の歯車を削ったGleason Works[4・p.11]
1904年Brown & Sharpe の技術者が De Laval・Newton・Bilgram の工場を訪ね、ホブ切りを調べる。ホブの精度(焼入れ後の研削)、ホブと素材の軸合わせ、機械の剛性が大事だと報告したBrown & Sharpe[2・コマ60]
1905年Gleason がベルギーのリエージュ万国博覧会に 15 インチのすぐばかさ歯車創成機を出す。1904 年に University Avenue の土地を買い、1911 年に工場の移転を終えるGleason Works15 インチ すぐばかさ歯車創成機[4・p.12][4・p.7]
1908年5月Detroit の Gear Grinding Machine Co. の Ward と Taylor が、砥石の形をダイヤモンドで自動で直し、減った分も機械が補う仕組みで特許を取る。Woodbury は歯車研削を実用にした決め手の発明とするGear Grinding Machine Co.[21][2・コマ66]
1908年12月Ralph E. Flanders が ASME(米国機械学会)でインボリュート歯車の互換の方式を発表し、歯車の規格づくりの議論が始まる。ASME は 1909 年に委員会を作り、1910 年に英国の学会と合同で話し合った—[2・コマ23]
1909年★Flanders の『Gear-Cutting Machinery』が当時の歯切り盤を分類して解説する。Gleason の型板式平削り盤は直径 20 フィート(約 6m)まで、Fellows の歯車形削り盤は内歯車も切れると紹介し、Gould & Eberhardt・Grant-Lees などのホブ盤も載せた。1900 年以降にできたホブ盤のメーカーは 24 社あった—[6・p.66][6・p.75][6・p.164][6・p.171][2・コマ61]
1909年6月Cleveland で E. J. Lees と H. T. Bradner が Lees-Bradner Company を作る。2 人は Grant-Lees Machine Co. の副社長・工場長と販売部長で、Lees が考えた新しい自動の歯車創成機を売り出すための会社だったLees-Bradner[22・p.47][23・p.102]
1910年ホブで切った歯面に小さな平らな面ができるかをめぐる「ホブ切り論争」が米・英・独の業界誌で起きる。Flanders の実験で決着した—[2・コマ23][2・コマ24]
1910年10月Barber-Colman の No. 12 ホブ盤が業界誌の新製品欄に載る。工作機械や自動車の変速機の平歯車・はすば歯車を量産で切るための機械で、直径 12 インチ・4 DP(モジュール約 6.4)・歯幅 10 インチまで切れ、重さは約 1.7t だったMachinery 1910 年 11 月号は「最近開発した」と書くBarber-ColmanNo. 12 ホブ盤[24・p.38][25・p.73]

自動車と二つの大戦1913〜1945 年

年出来事メーカー・機種出典
1913年5月★James E. Gleason と Arthur Stewart がまがりばかさ歯車(スパイラルベベルギヤ)を設計し、曲がった歯を自動で創成する機械の特許を出願する(1919 年成立)。歯が長く、かみ合いが滑らかになり、自動車の後車軸に使われたGleason Worksまがりばかさ歯車[4・p.12][26]
1914年Gleason が最初の量産形の 15 インチ自動まがりばかさ歯車創成機を売り出すGleason Works15 インチ 自動まがりばかさ歯車創成機[4・p.14]
1915年Brown & Sharpe が 1904 年からの研究をもとに、ホブ盤 No.34 と No.44 を出すBrown & SharpeNo.34・No.44[2・コマ60][2・コマ61]
1915〜16年Gleason の創成式かさ歯車歯切り盤が日本の汽車会社と池貝鉄工所に入り、日本でもかさ歯車を創成法で切るようになるGleason Works[20・コマ104]
1916年★AGMA(米国歯車工業会)ができる。Gleason は創立の会員。1917 年 9 月の AGMA の会合では Brown & Sharpe の技術者が歯車の検査について講演した—[4・p.15][2・コマ67]
1914〜18年第一次世界大戦で、Gleason は航空機・トラック・トラクター・大砲の歯車を何千と切り、鋳物も何千トンと作るGleason Works[4・p.14]
1919年スイスから移った Ernest Wildhaber が Gleason に歯車理論の担当として入る。生涯の特許は 279 件Gleason Works[27・p.50]
1920年代日本の歯切り工場の中には、1920 年にホブ盤を買い、さらに Gleason のかさ歯車歯切り盤、Fellows の歯車形削り盤、ドイツのホブ盤をそろえた所があった(会田『歯車の技術史』)—[20・コマ104]
1921年5月James Hartness がねじを光で拡大して検査する方法(スクリュースレッド・コンパレータ)の特許を取る。この考え方を歯車に当てはめて、ようやく歯形をきちんと検査できるようになったと Woodbury はいうJones & Lamson[28][2・コマ67][2・コマ68]
1924年3月★Wildhaber がハイポイドギヤ(小歯車の軸を大歯車の中心からずらしたかさ歯車)を考え、特許を出願する。プロペラシャフトを下げられるので、車体を 50mm ほど低くできる。ハイポイドギヤそのものの特許は 1927 年出願・1931 年成立Gleason Worksハイポイドギヤ[27・p.50][29][30]
1927年Gleason の社史は、Packard 426 をハイポイドの差動装置を積んだ最初の量産車とする。Gleason の技術資料は、発明から 5 年たたずに大手の自動車メーカーがハイポイドの後車軸に切り替えたとする同社の資料の記述。自動車メーカー側の資料では確かめていないPackardPackard 426[4・p.15][27・p.50]
1928年焼入れしない精密な歯車を仕上げる「歯車シェービング盤」が出てくる。Woodbury は代表例として、ASME で 1928 年に発表された Pratt & Whitney の機械を挙げるPratt & Whitney[2・コマ67]
1931年Gleason がまがりばかさ歯車とハイポイドギヤの研削盤の開発を始め、1938 年に売り出す。1930 年代の終わりには、焼入れした高精度の歯車が要る航空機に Zerol ベベルギヤが広く使われるGleason Works[4・p.16]
1931年8月Detroit の Robert S. Drummond が、歯車の仕上げ方法の特許を英国で出願する(米国では 1932 年 4 月に出願し、1935 年に成立)。1930 年代の後半には、シェービングの特許が次々に National Broach & Machine の名で出願されるNational Broach & Machine[31][32]
1931年9月Fellows がはすば歯車の研削盤の特許を出願する(1934 年成立)。1933 年には歯形とねじれ(リード)を測る機械の特許も出願し、Fellows は歯切りから仕上げ・測定へ広げるFellows Gear Shaper Company[33][34]
1930年代Gleason がソ連のスターリングラード・トラクター工場の歯車部門の立ち上げを手伝うGleason Works[4・p.17]
1939年10月Fellows が、右ねじれ・左ねじれのはすば歯車を切り替えて削るためのヘリカルガイドで特許を出願する(1940 年成立)。歯車形削り盤では、カッター軸をガイドに沿ってひねりながら上下させて、はすば歯車を切るFellows Gear Shaper Company[35][6・p.155]
1940〜45年★第二次世界大戦。Gleason は 1940 年から軍需に入り、2,500 人をこえる従業員で車両の変速機・差動装置、レーダー、射撃管制装置の歯車を作り、戦時生産の「E」賞を 5 回受ける。同社は M4 シャーマン戦車の歯車はすべて Gleason の機械で切られたとしている。1942 年には Wildhaber のカービックカップリングを売り出すGleason Works[4・p.18][4・p.19]
1945年5月Fellows Gear Shaper Company の創業者 Edwin R. Fellows が 5 月 21 日に Springfield で亡くなる(79 歳)。歯車形削り盤を考えてから半世紀、亡くなるまで社長だったFellows Gear Shaper Company[36][37]

戦後の量産と仕上げ1945〜1987 年

年出来事メーカー・機種出典
1945年Gleason が研究開発部を作り、新しい歯車の種類・機械・加工法・品質の基準を研究するGleason Works[4・p.19]
1946年ドイツの Carl Hurth がはすば歯車のシェービング盤を作る(Hurth はのちに Gleason の傘下へ)Hurth[4・p.29]
1953年11月日本の不二越鋼材工業が米 Michigan Tool とシェービングカッタの製造技術で提携する。日本の自動車メーカーはシェービング盤を入れたものの、カッタの補給に困っていたMichigan Tool[38・コマ71]
1954年Gleason の Rochester 工場は敷地 27 エーカー、床面積 60 万平方フィート(約 5.6 万 m²)をこえる。1950 年代までに同社の特許は約 176 件(Revacycle・カービックカップリング・Coniflex など)Gleason Works[4・p.20]
1958年Rockford の Barber-Colman で最初の「ギヤスクール」(歯車の理論と加工の講習)が開かれる。いまの Gleason Cutting Tools が続けているBarber-Colman[4・p.20]
1950年代National Broach & Machine が、研削材を練り込んだ樹脂の歯車形のホーン(砥石)で歯面を仕上げる歯車ホーニングを広めるNational Broach & Machine[2・コマ67]
1958年MIT の Robert S. Woodbury が『History of the Gear-Cutting Machine』を出す。Brown & Sharpe の社内資料を使った、歯切り盤の技術史の基本文献—[2・コマ70]
1950年代ハイポイドの小歯車を切る No.116 創成機と、大歯車を荒・仕上げで切る No.606/607 フォーメート機が Gleason でいちばん売れる機械になる。世界の自動車メーカーがこれを何台も並べた(同社の記述)Gleason WorksNo.116・No.606/607[4・p.21]
1946〜64年AGMA の歯車精度の規格が整えられていく。1961〜64 年の AGMA 390.01・390.02 は、数字が大きいほど精密な等級を使った—[39]
1966年Gleason が英国 Plymouth に工具工場を建てる。1968 年にニューヨーク証券取引所に上場Gleason Works[4・p.23]
1968年日本の機械振興協会の調査は、国内の需要で最も外国の機械に頼っているのは歯切り盤と歯車仕上げ機械で、まがりばかさ歯車の歯切り盤は国内の市販品が少なく米 Gleason が世界的に有名だと書くGleason Works[40・コマ64][40・コマ24]
1972年Gleason が「コンプリーティング」の理論をまとめ、かさ歯車を 1 回の工程で切れるようにする(従来の 5 回切りの 25% の時間)。1974 年に No.645 などの新しい機械。同じ 1972 年には中国から 79 台を受注Gleason Works[4・p.24]
1974年ガラス製造機械などの Emhart が Fellows を買う。1979 年の Fellows の技術資料は社名を「Fellows Corporation, an Emhart Unit」と書いている。のちに Fellows は Boston の Goldman Industrial Group の子会社になった1974 年は Stafford 1989 による。Gear Solutions の会社紹介も 1974 年に Emhart、1984 年に Goldman とするが、本文を開けなかったので Goldman の年は書いていないFellows Corporation[41][42][13・p.20]
1975年ドイツの Pfauter がパリの EMO で最初の NC ホブ盤を見せる(ドイツの章で詳しく)Hermann Pfauter[19][4・p.31]
1975年Sundstrand の技術者だった Loyd Koch と Larry Bourn が、1971 年からの機械の再生の仕事をもとに Rockford で Bourn & Koch を作るBourn & Koch[43・p.1]
1984年The Gleason Works が Gleason Corporation に組み替えられる。世界で 3,000 人、うち地元の郡に 1,650 人Gleason Corporation[4・p.26]
1984年5月歯車の加工の専門誌 Gear Technology が Elk Grove Village(Illinois 州)の Randall Publishing から創刊される。創刊号の広告には、CNC ホブ盤を売る American Pfauter(ドイツ Pfauter の米国の会社)が載る—[44・p.1][44・p.5]
1985年Bourn & Koch が Barber-Colman の工作機械部門を買い、ホブ盤の設計と補修部品・サービスを引き継ぐBourn & Koch[45]

CNC と統合1988 年〜

年出来事メーカー・機種出典
1988年★Gleason が 5 年以上かけて開発した 6 軸 CNC のかさ歯車歯切り・研削盤 PHOENIX を公開する。機械の中の歯車列・軸・ハンドルをやめ、すべての動きを小さな電動機で作る。段取りが短く、歯切りと研削の両方に使えたGleason CorporationPHOENIX[4・p.27]
1988年ANSI/AGMA 2000-A88 が出る。歯車の精度を「Q」の数字で表し、数字が大きいほど精密。2001 年の ANSI/AGMA 2015-1-A01 から、ISO と同じく数字が大きいほど粗い向きに変わる—[39]
1990年代前半PHOENIX の機種が増え、切削油を使わない高速の「Power Cutting」が開発される。1995 年に、静かな歯車を研削する UMC(Universal Motion Concept)Gleason Corporation[4・p.28]
1994年Gleason が日本の OGA Corporation に出資し、1999 年に完全子会社にする(いまの Gleason Asia)Gleason Corporation[4・p.28]
1995年★Gleason がミュンヘンの Hurth Maschinen und Werkzeuge(円筒歯車のシェービング・研削・ホーニング盤)を買うGleason Corporation・Hurth[4・p.29]
1997年★ホブ盤の大手、ドイツの Hermann Pfauter のグループが Gleason の傘下に入る。かさ歯車の Gleason が、円筒歯車のホブ切り・形削り・研削まで持つ会社になるGleason Corporation・Hermann Pfauter[4・p.31][19]
2000年Gleason が再び非上場の会社になる。Rockford 近くの Pfauter-Maag Cutting Tools は Gleason Cutting Tools Corporation になるGleason Corporation[4・p.32]
2002年2月★親会社 Goldman Industrial Group の破産で、North Springfield の Fellows Corp. が 2 月 13 日に操業を止める。創業から 105 年だった。同じ年、Rockford の Bourn & Koch が Fellows の歯車形削り盤を図面ごと引き継ぐFellows Corp.[13・p.20][13・p.9][43・p.1][46]
2005年Gleason が Dayton(Ohio 州)の歯車測定機メーカー M&M Precision Systems を買い、Gleason Metrology Systems にするGleason Corporation[4・p.33]
2006年Gleason が円筒歯車の生産機 Genesis シリーズ(縦形ホブ盤・シェービング盤・ねじ状砥石の歯車研削盤)を出すGleason CorporationGenesis[4・p.33][19]
2012年Gleason が最初のパワースカイビング盤を売る(ドイツの章で詳しく)Gleason Corporation[4・p.36][19]
2013年新潟のラック加工機メーカー、サイクニ機械(Saikuni Machinery)が Gleason のグループに入るGleason Corporation[4・p.36]
2017年歯車と変速機の設計ソフトの KISSsoft(スイス)が Gleason に加わる。2019 年には Faessler の歯車ホーニングの事業もGleason Corporation[4・p.38]
2025年Gleason が創業 160 年を迎え、社史をまとめるGleason Corporation[4・p.4]

よくある質問

Gleason と Fellows は、それぞれ何で知られる会社ですか?
Gleason(1865 年、Rochester)はかさ歯車の歯切り盤の会社で、1874 年のかさ歯車平削り盤、1898 年の自動のかさ歯車創成機、1913 年のまがりばかさ歯車、1920 年代のハイポイドギヤ、1988 年の CNC 機 PHOENIX で知られます。Fellows(1896 年、Springfield, Vermont)は、歯車形のピニオンカッターで歯を削る歯車形削り盤(ギヤシェーパ)を実用にした会社で、内歯車を切る機械として世界に広まりました。
アメリカで最初のホブ盤を作ったのは誰ですか?
実際に使われたことが確かな最初のホブ盤は、George B. Grant の機械(1887 年出願、1889 年に米国特許 405,030)とされます。ただ、ホブの軸をねじれ角だけ傾け、差動歯車ではすば歯車も切れるようにして今のホブ盤の基本をまとめたのはドイツの Pfauter(1897 年のドイツ特許、1900 年の米国特許 640,728)で、米国のメーカーはその後に続きました。
ハイポイドギヤはいつ、なぜ広まったのですか?
Gleason の Ernest Wildhaber が 1924 年に考えました。小歯車の軸を大歯車の中心からずらすので、プロペラシャフトを低くでき、車体を 50mm 以上下げられます。Gleason の資料によると、1927 年の Packard 426 が最初の量産車で、数年のうちに大手の自動車メーカーが後車軸に採り入れました。
Fellows の会社は今もありますか?
Fellows Corp. は親会社の破産で 2002 年 2 月に操業を止めました。同じ年に Rockford の Bourn & Koch が Fellows の歯車形削り盤を図面ごと引き継ぎ、新しい型の開発や古い機械の CNC 化を続けています。

この先と関係するページ

出典

特許は Google Patents で番号・出願日・成立日を、業界誌と本は Internet Archive のスキャンで、メーカーの沿革と博物館の解説は各ページを 2026 年 10 月に確かめました。Woodbury の本の番号はスキャンのコマ(1 コマに見開き 1〜2 ページ)、国立国会図書館の資料もコマ番号です。Gleason の社史・技術資料の番号は電子版のページです。「最初」「世界初」は、本文で「同社は〜とします」と書いたものはメーカー自身の記述です。特許の年(出願・成立)と製品の年(発表・出荷)は 1〜数年ずれることがあるので、本文で書き分けています。

  1. Joseph W. Roe『English and American Tool Builders』Yale University Press(1916。スキャンは 1926 年の再版)p. 183・199・202・204・206・214・259・274
  2. Robert S. Woodbury『History of the Gear-Cutting Machine』MIT Technology Press(1958)※番号はスキャンのコマ(Internet Archive の n 番号。1 コマに 1〜2 ページ)コマ 21・22・23・24・34・37・45・46・47・49・50・51・52・53・54・55・56・58・59・60・61・63・64・65・66・67・68・70
  3. 米国特許 45,294「Improved Cutter for Cutting Gear-Wheels」J. R. Brown(1864 年 11 月 29 日成立)
  4. Gleason Corporation『Gleason 160:Yesterday and Today』(2025、社史。番号は電子版のページ)p. 4・7・8・9・10・11・12・14・15・16・17・18・19・20・21・23・24・26・27・28・29・31・32・33・36・38
  5. 米国特許 294,844「Bevel-Gear Cutter」H. Bilgram(1882 年 12 月 6 日出願、1884 年 3 月 11 日成立)
  6. Ralph E. Flanders『Gear-Cutting Machinery』Wiley(1909)p. 66・69・75・155・164・171
  7. 米国特許 327,037「Gear-Cutting Machine」A. Swasey(1885 年 9 月 29 日成立)
  8. Brown & Sharpe Mfg. Co.(O. J. Beale)『Practical Treatise on Gearing』(1886)p. 61
  9. 米国特許 405,030「Machine for Cutting Spur and Worm Gears」G. B. Grant(1887 年 12 月 12 日出願、1889 年 6 月 11 日成立)
  10. 米国特許 407,437「Machine for Planing Gear-Teeth」G. B. Grant(1887 年 1 月 14 日出願、1889 年 7 月 23 日成立)
  11. 米国特許 512,189「Machine for Generating Beveled Gear-Teeth」G. B. Grant(1894 年 1 月 2 日成立)
  12. American Precision Museum「Machine of the Month: Gear Shapers」
  13. Gear Technology 2002 年 5/6 月号(論説と業界ニュース「Fellows Corp. Closes」)※番号は PDF のページp. 9・20
  14. 米国特許 579,708「Gear-Shaping Machine」E. R. Fellows(Springfield, Vermont。1897 年 3 月 30 日成立)
  15. 米国特許 579,570「Cutter and Cutter-Head for Gear-Shaping Machines」E. R. Fellows(1897 年 3 月 30 日成立)
  16. 「The Fellows Gear Shaper」American Machinist 20 巻 49 号(1897 年 12 月 9 日)pp.915〜
  17. 米国特許 605,249「Machine for Forming Gear-Teeth」J. E. Gleason(1898 年 6 月 7 日成立)
  18. 米国特許 640,728「Apparatus for Cutting Worm-Wheels」R. H. Pfauter(Chemnitz。1899 年 8 月 10 日出願、1900 年 1 月 2 日成立)
  19. Gleason-Pfauter Maschinenfabrik「This is our story」(沿革)
  20. 会田俊夫『歯車の技術史』開発社(1970)コマ 104
  21. 米国特許 888,675「Grinding-Wheel-Trimming Mechanism for Gear-Truing Machines」F. A. Ward・W. N. Taylor(Gear Grinding Machine Co.。1907 年 3 月 27 日出願、1908 年 5 月 26 日成立)
  22. The Iron Age 第 83 巻 24 号(1909 年 6 月 17 日)p.1951(Cleveland の業界の動き。Lees-Bradner Company の結成)※番号はスキャンのコマ(Internet Archive の n 番号)p. 47
  23. American Machinist 第 32 巻 25 号(1909 年 6 月 24 日)(業界の動き。Lees-Bradner Company の結成)※番号はスキャンのコマ(Internet Archive の n 番号)p. 102
  24. 「The Barber-Colman Gear Hobber」American Machinist 第 33 巻 43 号(1910 年 10 月 27 日)p.795 ※番号はスキャンのコマ(Internet Archive の n 番号)p. 38
  25. 「Barber-Colman No. 12 Gear Hobbing Machine」Machinery(New York)1910 年 11 月号 ※番号はスキャンのコマ(Internet Archive の n 番号)p. 73
  26. 米国特許 1,325,784「Gear-Cutting Machinery」J. E. Gleason(まがりばかさ歯車の自動創成機。1913 年 5 月 26 日出願、1919 年 12 月 23 日成立)
  27. Gleason Corporation『Gear Technology Solutions』(技術資料集。番号は電子版のページ)p. 50
  28. 米国特許 1,377,068「Process of Inspecting and Gaging Screw-Threads」J. Hartness(1919 年 1 月 16 日出願、1921 年 5 月 3 日成立)
  29. 米国特許 1,694,027「Gearing」E. Wildhaber(Gleason Works に譲渡。1924 年 3 月 25 日出願、1928 年 12 月 4 日成立)
  30. 米国特許 1,826,852「Hypoid Gear」E. Wildhaber(Gleason Works に譲渡。1927 年 5 月 5 日出願、1931 年 10 月 13 日成立)
  31. 米国特許 1,989,651「Method of Finishing Gears」R. S. Drummond(英国で 1931 年 8 月 17 日、米国で 1932 年 4 月 11 日出願、1935 年 1 月 29 日成立)
  32. 米国特許 2,206,770「Surface Shaving」R. S. Drummond(National Broach & Machine に譲渡。1938 年 12 月 19 日出願、1940 年 7 月 2 日成立)
  33. 米国特許 1,942,416「Helical Gear Grinding Machine」E. R. Fellows(Fellows Gear Shaper Co.。1931 年 9 月 29 日出願、1934 年 1 月 9 日成立)
  34. 米国特許 2,060,518「Machine for Measuring Gears and Helical Leads」E. W. Miller(Fellows Gear Shaper Co.。1933 年 11 月 25 日出願、1936 年 11 月 10 日成立)
  35. 米国特許 2,217,666「Right and Left Hand Helical Guide for Machine Spindles」E. W. Miller(Fellows Gear Shaper Co.。1939 年 10 月 2 日出願、1940 年 10 月 15 日成立)
  36. Faydor L. Litvin『Development of Gear Technology and Theory of Gearing』NASA Reference Publication 1406(1997)3.5 節「Edwin R. Fellows」
  37. American Precision Museum(Machine Tool Hall of Fame)「Edwin R. Fellows(1865-1945)」
  38. 『不二越五十年史』不二越(1978)コマ 71
  39. P. Olson(AGMA)「AGMA Historic Accuracy Grades」Gear Technology 2025 年 6 月号
  40. 『機械工業経済研究報告書』42-5 機械振興協会経済研究所(1968)コマ 24・64
  41. D. C. Stafford『Macmillan Directory of Multinationals』Macmillan(1989。Emhart の項)
  42. Raymond J. Drago『Fundamentals of Gear Design』Butterworths(1988。参考文献に「Fellows Corporation, an Emhart Unit, 1979」)
  43. J. Goral「Continuing a Legacy:Bourn & Koch Provides Retrofit Machine for Gear Shaping」Gear Technology 2020 年 11/12 月号p. 1
  44. Gear Technology 創刊号(1984 年 5/6 月号、Randall Publishing)p. 1・5
  45. Bourn & Koch「Gear Hobbers」(Barber-Colman の工作機械部門の買収)
  46. Bourn & Koch「Fellows Gear Shapers」(Fellows の歯車形削り盤の継承)
  47. Star SU「About Us」(Star Cutter の沿革と製品)
  48. Smithsonian 国立アメリカ歴史博物館「Gleason bevel gear planer」(所蔵品 MC.327007)