ITALY 04イタリアの旋盤の系譜
イタリアの旋盤づくりは、英国・米国・ドイツの旋盤に囲まれた中で始まりました。19 世紀の兵器工場には英国の機械が何百台も入り、20 世紀の初めの自動車工場は米国のタレット旋盤や自動盤で部品を削っていました。そこへ Lago Maggiore の Züst、Torino の工場、Milano の Grazioli、Tortona の Graziano が普通旋盤を作り、戦後は NC 旋盤、ドイツ資本との合流、そして日本の DMG MORI のグループへと進みます。この章では、旋盤の仕組み――回す仕掛け(平ベルト → 歯車の主軸台 → 電動機 → ビルトインのモータ)、ねじを切る仕掛け(換え歯車 → ギヤボックス)、刃物を替える仕掛け(タレット → カムの自動盤 → NC の自動工具交換 → サーボタレット)――がどう変わったか、それで現場の削り方がどう変わったかを、当時の新聞・業界誌・官報・会社の年次報告で 1 つずつ確かめ、出来事ごとに出典を付けてたどります。
英国・米国の
機械から
Tortona へ!

言葉を 3 つだけ先に。普通旋盤(イタリア語で tornio parallelo)は、刃物台を親ねじや送り軸で動かす汎用の旋盤です。多軸自動盤(tornio plurimandrino)は、主軸を 4〜8 本ドラムに並べ、カムで刃物を順に当てて、棒材から小物を次々に削る旋盤です。立て旋盤(tornio verticale)は、主軸を立てて大きなテーブルに重い工作物を寝かせて削る旋盤です。今の旋盤の使い方は旋盤のページに、日本の旋盤の歴史は国産アーカイブ第 1 章「国産旋盤の系譜」にあります。イタリアの資料の探し方はイタリア工作機械アーカイブのトップの「論文・資料サイトの使い方」にまとめています。
輸入の旋盤と初期の国産旋盤(1880〜1939 年)
兵器工場には英国、自動車工場には米国の機械
イタリアの機械工場の中を、外から詳しく見た記録があります。1909 年 5 月、米国商務労働省の担当官がイタリアの工場を回り、どんな工作機械が使われているかを報告しました(米国の工作機械を売り込むための調査です)。
Umbria 州 Terni の国の小銃工場は、イタリアにとって米国の Springfield 兵器廠のような工場でした。ここには工作機械が 1,400 台あり、そのうち米国製はたった 10 台。1880 年代の初めに、英国 Leeds の Greenwood & Batley が約 900 台をまとめて納め、ねじを作る機械はすべてこの会社の型でした。報告は、そのころの機械が古くなり、入れ替えの時期に来ていると書いています[1]。工場は 8 台の水車タービンで発電した約 1,000 馬力で機械を回していました。天井の軸からベルトで機械を回す仕組みは同じでも、その元の動力が蒸気機関から水力の電気に変わっていたのです[1]。
反対に、Torino の自動車メーカー Itala(約 800 人)の工場では、工作機械 480 台の大半が米国製でした。旋盤でいちばん多いのは Hendey の普通旋盤で、ブレーキのハブは Gisholt のタレット旋盤で 1 個を 2 時間半ほどで仕上げ、差動装置の小歯車は Potter & Johnston の自動盤で削っていました。ドイツの Loewe や英国の機械もありましたが少なく、イタリア製は工場が自分で作った金切りのこ盤・プレス・研削盤・中ぐり盤などわずかでした[1]。Roma の陸軍の精密工場(Laboratorio di Precisione)ではドイツ製が多く、イタリア製では Lago Maggiore の町の Züst の旋盤とフライス盤が使われていました[1]。
現場で何が変わったか。1909 年の Itala の工場は、同じ部品をたくさん作るために、刃物を何本も並べたタレット旋盤とカムで動く自動盤を入れていました。普通旋盤 1 台で職人が刃物を替えながら削るやり方から、「段取りは機械に覚えさせ、人は材料を入れて出す」やり方へ。イタリアの自動車工場はその仕組みを、まず米国の機械ごと輸入しました(米国の旋盤の流れはアメリカの旋盤の系譜)。
Intra の Züst と Torino の旋盤
国産の旋盤の古い実物の記録は、思わぬところに残っています。2008 年、Sardegna の地方鉄道の工場の設備を州に移す法令の付表に、Intra の Güller & Züst が 1888 年に作った普通旋盤(製造番号 1429、ベッド長 2,000mm、平ベルト駆動)と、Ing. R. Züst の 1894 年の車軸旋盤(刃物台を 2 つ持ち、別々に削れる)が並んでいました[2]。鉄道の車軸や車輪を削る工場の設備として、作られてから 120 年後も一覧に残っていたのです。
1911 年、イタリア統一 50 年を祝う Torino 万国博覧会の機械の部門には、イタリアの旋盤がいくつも出ました。Torino の Michele Ansaldi の工場は、歯車で回転を変える普通旋盤、電動機で回す旋盤、足踏みの旋盤と、米国式の形削り盤を出品。同じ Torino の Paglia & Cerruti は圧縮空気で動かすタレット旋盤を、自動車の FIAT は自分の工場で作った旋盤・ボール盤・フライス盤・平削り盤を出しました[3]。足踏みの旋盤と電動機の旋盤が同じ会場に並んでいたことは、この時期のイタリアの工場の幅の広さを表しています。なお、1909 年の報告は Roma の工場の平削り盤を「Turin の Ansaldo」製と書いていますが、Ansaldo は Genova の会社で、Torino で工作機械を作っていたのは Ansaldi の工場でした。どちらを指すのかは確かめられません。
ねじの統一と Norton のギヤボックス
1920 年代のイタリアの機械工業には、ボルトやねじの規格をそろえる組織 UNIM があり、Züst の Roberto Züst もその総会の委員でした。1925 年、UNIM はねじのピッチの統一案(173 Bul.)を検討する中で、「新しいピッチが、いま工場にある旋盤で切れるか」を確かめています。答えは、Züst の D.N. 形と M.N. 形の旋盤なら、親ねじがインチでも、Norton 式のギヤボックスと換え歯車の組み合わせで、案にある 0.5mm を超えるメートルピッチはすべて切れる、というものでした[4]。
ギヤボックスは、大きさの違う歯車を段に並べ、レバーで選ぶだけで親ねじの回転を変える仕掛けです(米国の Norton の特許が元。アメリカの旋盤の系譜)。換え歯車を一組ずつ付け替える手間がなくなり、表を見てレバーを合わせればねじが切れます。メートル法の国の旋盤でありながら、Züst の旋盤は親ねじがインチという米英の旋盤の流れをくんでいたことが、この記事から分かります。
自分の工場の機械を自分で作る:OMO と Grazioli
タイプライターの Olivetti は、1926 年に Ivrea で OMO(Officina Meccanica Olivetti)をつくり、自分の工場で使うプレス・旋盤・フライス盤・研削盤・平削り盤を作りました。英国の Engineering 誌は 1957 年に、Olivetti の工場の工作機械はすべて OMO 製だと伝えています[5]。部品を外に頼らない「自前主義」のための工作機械づくりでした(OMO のフライス盤は第 5 章)。
Milano では、Breda で働いていた Giacomo Grazioli が 1928 年に自分の工場を開き、普通旋盤を作り始めました。工員の聞き書きによると、当時イタリアには旋盤やフライス盤を作る大きな工場がなく、機械はドイツやチェコスロバキアから来ていたので、国産の旋盤を作ろうと考えたといいます。1938 年には via De Sanctis にクレーンのある大きな工場を建て、社内に機械の学校を開きました。小形の旋盤 Fortuna と Dania 180 がよく売れ、全国の職業学校の実習室に Grazioli の旋盤が並んだと元工員は語っています[6]。
現場で何が変わったか。この時代のイタリアの旋盤は、平ベルトで回す普通旋盤が中心で、量産の機械(タレット旋盤・自動盤)は米国やドイツから買うものでした。国産の旋盤の強みは、鉄道や工場の補修、学校の実習のように「1 台で何でも削る」仕事です。ギヤボックスの普及で、ねじ切りは計算と付け替えの仕事から、表を見てレバーを合わせる仕事に変わっていきました。
戦後の普通旋盤と多軸自動盤(1940〜1969 年)
Tortona の Graziano
Piemonte 州の Tortona は、Milano・Genova・Torino の三角形の真ん中にある町で、もともとはトラクターや収穫機の部品を作る町でした。1940 年、ここに Graziano が生まれ、横形の普通旋盤を作り始めます[7][8]。戦後の Graziano の旋盤は SAG の名で知られました。1961 年には工具室旋盤 SAG 180(センタ高さ 7 インチ ≒ 178mm、センタ間 40 インチと 60 インチ)が英国で売られ始め[11]、1964 年には英国の業界誌 Machinery が普通旋盤 SAG 12 を取り上げています[12]。工具室旋盤は、治具や金型、試作の部品を正確に削るための旋盤で、主軸の振れや送りの精度を普通旋盤より高くしたものです。
1968 年 5 月、首相 Aldo Moro が Tortona の Graziano の工場を訪れました。このとき社長の Wilmer Graziano は工作機械工業会 UCIMU の会長で、欧州の工作機械の委員会の委員でもありました。新聞は、Graziano の普通旋盤が中国を含む世界に輸出されていると伝えています[15]。
Grazioli の戦争と戦後
Milano の Grazioli は、1943〜44 年には約 300 人の工場になっていました。戦争中、旋盤の多くは Ansaldo などの兵器工場に売られ、工場は軍需工場としてドイツ軍の監視下に置かれます[6]。戦後は経営がうまくいかず、1959〜60 年に破産して Carle & Montanari の手に渡り、のち Gruppo Rosso に移って 1987 年に閉鎖されました[6]。学校の実習室の旋盤として長く使われた機械ですが、会社は NC の時代を迎えられませんでした。
多軸自動盤:IMIS から Gildemeister Italiana へ
多軸自動盤は、主軸を何本も回るドラムに並べ、ドラムが割り出すたびに、それぞれの主軸の工作物が次の工程の刃物の前へ進む機械です。刃物の送りはカムで決まっているので、ドラムが一回りするごとに部品が 1 個ずつできあがります。ねじ・ピン・継手のような小物を何万個も削る自動車や家電の部品工場の主力です。
Bergamo 県 Brembate di Sopra では、1966 年に IMIS の名で登記された工場が、小形の多軸自動盤を作って輸出していました。ドイツの多軸自動盤の大手 Gildemeister(Bielefeld)は、1967 年に IMIS の輸出部門を、1969 年には会社の過半数を手に入れ、Gildemeister Italiana が生まれます[14][13]。以後、Brembate の工場はドイツの会社の多軸自動盤をイタリアで作る拠点になりました(ドイツの自動盤の流れはドイツの旋盤の系譜)。
BI-MU と UCIMU
1968 年 10 月、Milano で第 6 回の BI-MU(工作機械ビエンナーレ)が開かれました。出品は 730(うちメーカー 560)、米国・ソ連・西ドイツ・英国とイタリア、ほかに 16 か国の機械が約 1 万トン並びました。工作機械工業会 UCIMU は、会員約 120 社(国内のメーカーは約 200 社)で国内市場の 8 割を占めると説明し、第二次世界大戦の前には国内の需要さえ満たせず、多くを輸入していたと振り返っています[16]。
現場で何が変わったか。戦後のイタリアでは、Graziano の SAG のような国産の普通旋盤・工具室旋盤が工場に広まり、輸出もされるようになりました。量産の小物はドイツ資本の Gildemeister Italiana の多軸自動盤で、という分業もこの時期にできます。段取りに時間のかかる多軸自動盤は、数が多いほど 1 個あたりが安くなる機械で、自動車や家電の量産が伸びた「経済の奇跡」の時代に合っていました。
NC 旋盤、経営危機と再編(1969〜1999 年)
SAG 24 NC:工具を自動で替える NC 旋盤
1969 年後半、英国の業界誌 Machinery and Production Engineering は、Graziano の NC 旋盤 SAG 24 NC を「自動工具交換付き」として紹介しました[17]。NC(数値制御)の旋盤は、刃物台の動きを数字の指令で動かします。工具を自動で替える仕掛けがあれば、外径・端面・ねじ切りなど刃物の違う工程を、人が刃物台を回さずに続けて削れます。カムの自動盤が「カムを作り直さないと別の部品が削れない」のに対し、NC 旋盤はテープ(プログラム)を替えるだけで別の部品に移れるので、数の少ない仕事まで自動にできるようになりました。
Graziano は 1970 年代に CNC 旋盤(コンピュータを使った NC の旋盤)の生産を始め、やがて全機種が CNC になります。始まりの時期は、2007 年の業界誌が「1970 年代の初め」、DMG MORI のサイトが「70 年代の終わり」と書いていて、資料で食い違います[7][8]。
立て旋盤:Carnaghi と Sculfort
大きく重い工作物、たとえば発電機やタービンの円板、建設機械の旋回輪は、横形の旋盤では主軸にぶら下げて削ることになり、重さでたわみます。そこで主軸を立て、大きな回転テーブルの上に工作物を寝かせて削るのが立て旋盤です。Busto Arsizio で 1922 年に鍛造と小さな工作機械から始まり、1939 年から形削り盤を作っていた Pietro Carnaghi は、1973 年に立て旋盤の生産に入り、のちにテーブル直径 1〜4m の立て旋盤のメーカーになりました[18]。
横形が中心の Graziano も、1984 年にフランスの Sculfort-Somin と提携し、Sculfort の立て旋盤 TV 30 をイタリアで売ることにしました。新聞は、Sculfort の立て旋盤が欧州の自動車メーカーで広く使われていると伝えています[23]。
Graziano の危機と特別管理
1977 年 8 月、Graziano の会長 Wilmer Graziano が亡くなります[19]。1982 年、普通旋盤と NC 旋盤の大手だった Graziano(約 600 人)は経営危機に陥り、Tortona の下請け約 100 社と、工作機械の鋳物を作る工場まで巻き込みました[20][21]。旋盤のベッドや主軸台は鋳物なので、旋盤メーカーは鋳物工場と深く結びついていました。
1983 年 5 月 16 日、国は Graziano e C. を大企業の特別管理(1979 年の法律、いわゆる Prodi 法)の下に置き、管財人のもとで 2 年間事業を続けさせることにします。関係する鋳物会社 F.I.M.U.(Fonderia italiana macchine utensili)も 6 月に同じ扱いになりました[22]。特別管理の間も Graziano は NC 旋盤を作り続け、1985 年 12 月には中国山東省の Dezhou Machine Tool の代表団が、Graziano の NC 旋盤の一部の機種を中国で作る権利の購入を交渉しに Tortona を訪れています。このころの Graziano は、コンピュータから直接指令を受ける「旋削セル」も手がけていました[24]。
1987 年 9 月、新しい Graziano S.p.A. が生まれます。つくったのはドイツ Pfronten のフライス盤メーカー MAHO と Bologna の Bassano-Grimeca で、特別管理の Graziano & C. を引き継ぎ、株の 3 分の 2 は MAHO が持ちました。新聞広告で MAHO は、自分たちのグループはこれまで旋盤を作ったことがなく、NC 旋盤の市場はイタリアの外にまだ広がると説明しています[25]。
1990 年代の CNC 旋盤:GT300
1998 年の米国の Design News 誌(制御装置メーカーの事例紹介)は、Graziano の CNC 旋盤 GT300 の中身を伝えています。NC 装置はパソコンの技術を使った Indramat の MTC200 で、NC とサーボモータの間を光ファイバのデジタル通信(SERCOS)でつなぎ、X・Z・Z2 軸を毎分 30m で動かしました。ベッドは人造の石材(合成グラナイト)で、振動を吸収します。滑りの案内面の代わりに玉入りの直動案内を使い、主軸はモータを主軸に直接組み込んだ形(14kW・6,000 回転・130N·m)でした[28]。
鋳物のベッドと滑り案内、ベルトと歯車の主軸台という、Züst の時代から続いた旋盤の基本の形が、ここで大きく入れ替わっています。モータを主軸に組み込めば歯車がなくなり、回転は NC の指令で無段に変えられます。直動案内は摩擦が小さく、速い送りでも位置が狂いにくくなります。同じころ、Brembate の Gildemeister Italiana は約 340 人の多軸自動盤の大手で、Milano の店頭市場に上場していました[26]。
現場で何が変わったか。NC 旋盤で、段取りは「カムを作る」「刃物台を合わせる」から「プログラムを作って工具の補正を入れる」に変わりました。1990 年代の CNC 旋盤では、ビルトインの主軸と直動案内で切削の速さと送りの速さが上がり、数十個の仕事でも自動で回すのが当たり前になります。いまのプログラムの書き方はNC プログラムのページにあります。
★CNC 旋盤と国際グループ(2000 年〜)
Gildemeister のグループへ
2000 年 5 月 18 日、ドイツの Gildemeister AG は Gildemeister Italiana とその子会社を連結決算に入れます。2001 年の年次報告では、Gildemeister の持分は 86% で、Tortona の Graziano Tortona S.p.A. は Gildemeister Italiana の全額出資の子会社でした。Gildemeister Italiana はカムの多軸自動盤から CNC の多軸自動盤への切り替えの最中で、Graziano は機種を見直し、3 次元 CAD を入れて組立と物流を組み直し、面積あたりの生産性を 43% 上げています[29]。Graziano がグループに入った時期を、2007 年の業界誌は 2001 年 6 月としています[7]。1987 年に MAHO が持った Graziano が、どの道筋で Gildemeister Italiana の子会社になったのかは、確かめきれませんでした。
2007 年の Graziano の CNC 万能旋盤は、一部の軸にリニアモータを使い(ボールねじをなくして摩耗する部品を減らす)、0.15 秒で次の工具に割り出すサーボタレット、直径 200mm の中空主軸を備え、NC 装置は Siemens・Heidenhain・GE Fanuc から選べました。部品は自動車・油圧・空圧・減速機・農機・建設機械向けです[7]。カムの多軸自動盤が CNC になり、普通旋盤の流れをくむ機械がリニアモータとサーボタレットを持つ。2000 年代の初めには、Tortona と Brembate の旋盤は、制御も駆動もほぼすべて電気の指令で動く機械になりました。
DMG MORI と日本
2009 年 7 月、Graziano の Tortona 工場に新しい組立と物流の建屋ができ(340 万ユーロ、組立面積 12,200m²、154 人)、CTX シリーズの旋盤を作ります[30]。2014 年には DMG MORI が Bergamo(旧 Gildemeister Italiana)に 1,500 万ユーロを超える新工場と技術センタを開きました[13]。2016 年 4 月、日本の DMG MORI CO., LTD. はドイツの DMG MORI AG の株の 75% 超を持ち、支配契約を結ぶと発表します[31]。こうして Tortona(DMG MORI Tortona)と Bergamo の旋盤工場は、日本の会社を頂点とするグループの一員になりました。Tortona は今、中形の部品を少量ずつ段取り替えしながら削る「万能」旋盤を受け持っています[8]。
大形の立て旋盤と 5 軸
立て旋盤の Pietro Carnaghi は、2015 年に旋削とフライス削りを 1 台でこなす 5 軸の立て旋盤 Flexturn を出し、2025 年にフランスの Fives グループに入りました(Villa Cortese の工場、約 260 人)[18]。重い工作物を 1 回の段取りで回して削り、そのまま穴あけや溝のフライス削りまで済ませる機械で、立て旋盤は「大物のターニングセンタ」になっています(複合加工の流れは国産アーカイブ第 7 章)。
現場で何が変わったか。いまのイタリアの旋盤は、ドイツ・日本・フランスのグループの工場として、得意な種類(中形の万能 CNC 旋盤、多軸自動盤、大形の立て旋盤)に絞って作られています。町工場の側から見ると、イタリア製の旋盤でも NC 装置や駆動は日独の部品で、操作や保守は世界のどの機械ともあまり変わりません。旋盤の選び方は旋盤、加工の条件は加工のページにあります。
日本とのつながり
イタリアの旋盤メーカーと日本の旋盤メーカーが、技術提携のような形で直接結びついた記録は、今回の調べでは見つかりませんでした。つながりは、グループを通じた間接のものです。Tortona の Graziano は、1987 年にドイツの MAHO、2001 年に Gildemeister のグループに入り、2016 年には日本の DMG MORI CO., LTD. がドイツの DMG MORI AG の 75% 超を持ったことで、日本の会社のグループの工場になりました[25][29][31]。2007 年の Graziano の CNC 旋盤は、ドイツの Siemens・Heidenhain と並んで GE Fanuc(日本の FANUC と米 GE の合弁)の NC 装置を選べました[7]。
数字で比べると、日本とイタリアの旋盤づくりの違いが見えます。1991 年の国連工業開発機関(UNIDO)の報告は、CNC 旋盤の月産が日本では 200 台に達したのに対し、欧州の多くの国では 40 台だったと書いています。同じ報告は、イタリアの工作機械メーカー(約 450 社のうち 300 社の調査)の 72% が 50 人未満の会社だったとしています[35]。日本が同じ CNC 旋盤を大量に作る道を選んだのに対し、イタリアは小さなメーカーが種類ごとに専門を持つ形で旋盤を作ってきた、ということです。日本の旋盤の歩みは国産アーカイブ第 1 章の年表に、日本の NC 旋盤の対外輸出の波はアメリカの旋盤の系譜にあります。
⑂メーカーの系図
イタリアの旋盤の主なメーカーの、社名と持ち主の移り変わりです。帯の色が変わるところで社名や持ち主が変わります。Züst と OMO は、確かめられた最後の年で帯を止め、その先を点線にしています。Graziano の 1987〜2001 年の帯は、MAHO が 2/3 を持った 1987 年から、Gildemeister のグループに入った 2001 年までをまとめたもので、途中の持ち主の移り変わりは確かめきれていません。
見に行ける所
イタリアには、旋盤そのものを常設で見せる工作機械の博物館は、今回の調べでは見つかりませんでした。工作機械を作った会社の町並みと文書館、今の機械が並ぶ見本市を挙げます。公開日・見学の可否は、行く前にそれぞれの案内で確かめてください。
⌛年表
この章で確かめた出来事のすべてです。番号は出典で、押すとその資料(ページが分かるものはそのページ)が開きます。「p.」は本・報告のページ、「コマ」は Internet Archive のスキャンの通し番号です。新聞(La Stampa・Stampa Sera・l'Unità)と官報(Gazzetta Ufficiale)は Internet Archive に置かれた紙面のスキャンで確かめました。
輸入の旋盤と初期の国産旋盤1880〜1939 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1880年代の初め | ★Terni の国の小銃工場に、英国 Leeds の Greenwood & Batley が工作機械を約 900 台納める。代金は約 38 万 6,000 ドル。1909 年にもねじ切り機はすべてこの型だった1909 年の米国の視察報告による。年は「1880 年代の初め(early eighties)」とだけ書かれている | Greenwood & Batley(英国 Leeds)兵器工場の工作機械一式 | [1・p.169] |
| 1888年 | Lago Maggiore の町 Intra の Güller & Züst が、ベッド長 2,000mm・平ベルト駆動の普通旋盤を作る。この旋盤は、1894 年の Züst の 2 刃物台の車軸旋盤とともに、2008 年の Sardegna の地方鉄道の工場の設備の一覧にまだ載っていた製造年は設備の一覧の記載(「anno 1888」「INTRA 1894」)による | Güller & Züst(Intra)普通旋盤(製造番号 1429) | [2] |
| 1909年5月 | ★米国商務労働省の担当官が Torino の自動車工場 Itala を視察。工作機械 480 台の大半が米国製で、旋盤では Hendey が最も多く、ブレーキハブは Gisholt のタレット旋盤、差動ピニオンは Potter & Johnston の自動盤で削っていた | Itala(Torino)Hendey・Gisholt・Potter & Johnston | [1・p.164][1・p.165] |
| 1909年5月 | 同じ視察で、Roma の陸軍の精密工場ではドイツ製の機械が多く、イタリア製では Züst の旋盤とフライス盤が使われていた。Terni の小銃工場は工作機械 1,400 台のうち米国製が 10 台だけで、8 台の水車タービンで電気駆動していた報告は平削り盤を「Turin の Ansaldo」製とするが、Torino で工作機械を作っていたのは Michele Ansaldi の工場で、どちらを指すかは確かめられない | Laboratorio di Precisione(Roma)・Terni の小銃工場Züst の旋盤 | [1・p.168][1・p.169] |
| 1911年 | ★イタリア統一 50 年の Torino 万国博覧会に、Michele Ansaldi の工場が歯車式・電動機式・足踏み式の普通旋盤と米国式の形削り盤を、FIAT が自社の旋盤・ボール盤・フライス盤・平削り盤を、Paglia & Cerruti が圧縮空気で動くタレット旋盤を出品 | Michele Ansaldi・FIAT・Paglia & Cerruti(Torino)歯車式・足踏みの普通旋盤、圧縮空気のタレット旋盤 | [3・コマ94][3・コマ95][3・コマ96] |
| 1925年 | ★イタリアの機械工業の規格を統一する UNIM が、ねじのピッチの統一案を検討。インチの親ねじと Norton 式のギヤボックスを持つ Züst の旋盤でも、換え歯車の組み合わせで案のメートルピッチ(0.5mm を超えるもの)がすべて切れることを確かめたRoberto Züst は UNIM の総会の委員(全国機械工業会の推薦)。案は「173 Bul.」 | UNIM・Ing. Roberto Züst(Intra)Züst D.N.・M.N. 形旋盤 | [4・コマ258] |
| 1926年 | タイプライターの Olivetti が、自社の工場で使うプレス・旋盤・フライス盤・研削盤・平削り盤を作る会社 OMO を Ivrea につくる。1957 年には Olivetti の工場の工作機械はすべて OMO 製だった1962 年の独語の社史には 1924 年と読める箇所があるが、英国の Engineering 誌(1957)の 1926 年を採った | OMO(Officina Meccanica Olivetti、Ivrea) | [5・コマ9] |
| 1928年 | Breda で働いていた Giacomo Grazioli が Milano の via Pezzotti に工場を開き、普通旋盤を作り始める。当時、旋盤やフライス盤はドイツやチェコスロバキアから輸入されていた本文は 1928 年。元工員の証言は「1935 年に via Brioschi で」とする | Grazioli(Milano) | [6・コマ32][6・コマ38][6・コマ106] |
| 1938年 | Grazioli が via De Sanctis に大きな工場を建て、社内に機械の学校を開く。小形旋盤 Fortuna と Dania 180 がよく売れ、職業学校の実習用の旋盤として全国に広まった | Grazioli(Milano)Fortuna・Dania 180 | [6・コマ32][6・コマ61][6・コマ106] |
戦後の普通旋盤と多軸自動盤1940〜1969 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1940年 | ★Piemonte 州 Tortona に Graziano がつくられ、普通旋盤(横形)を作り始める | Graziano(Tortona) | [7][8] |
| 1943〜44年 | Grazioli の工員・職員は約 300 人に。戦争中は旋盤の多くが兵器工場(Ansaldo など)に売られ、工場は軍需工場としてドイツ軍の監視下に置かれた | Grazioli(Milano) | [6・コマ33][6・コマ106] |
| 1945年12月 | 12 月 29 日、イタリアの工作機械メーカーの団体 UCIMU が Milano で生まれる。設立の書類に署名した 10 人の 1 人は、旋盤の Grazioli の Paolo Facchini だった | Grazioli(Milano)・UCIMU | [9][10] |
| 1959〜60年 | Grazioli が破産し、Carle & Montanari の手に渡る。のち Gruppo Rosso に移り、1987 年に閉鎖された | Grazioli(Milano) | [6・コマ32][6・コマ52] |
| 1961年3月 | Graziano の工具室旋盤 SAG 180 が英国で売られ始める。センタ高さ 7 インチ(約 178mm)、センタ間 40 インチと 60 インチ(約 1,020mm・1,520mm) | Graziano & C.(Tortona)SAG 180 工具室旋盤 | [11・コマ203] |
| 1964年 | 英国の業界誌 Machinery が Graziano の普通旋盤 SAG 12 を取り上げる | GrazianoSAG 12 普通旋盤 | [12] |
| 1966年 | Bergamo 県 Brembate di Sopra の工場が IMIS の名で登記される。小形の多軸自動盤を作り、輸出していた | IMIS(Brembate di Sopra)小形多軸自動盤 | [13][14] |
| 1968年5月 | 首相 Aldo Moro が Tortona の Graziano の工場を訪れる。社長の Wilmer Graziano は工作機械工業会 UCIMU の会長で、普通旋盤は中国を含む世界に輸出されていた | Graziano Macchine Utensili | [15] |
| 1968年10月 | Milano で第 6 回 BI-MU(工作機械ビエンナーレ)。出品は 730(メーカー 560)。UCIMU の会員は約 120 社(国内の約 200 社のうち)で、国内市場の 8 割を占めた。UCIMU は、戦前は国内の需要も満たせず、多くを輸入していたと説明した | UCIMU・BI-MU | [16] |
| 1969年 | ★ドイツの Gildemeister が、1967 年の IMIS の輸出部門に続いて会社の過半数を取り、Gildemeister Italiana が生まれる。以後、ここが Gildemeister の多軸自動盤の工場になる | Gildemeister(独 Bielefeld)・IMIS多軸自動盤 | [14][13] |
NC 旋盤、経営危機と再編1969〜1999 年
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1969年後半 | ★Graziano の NC 旋盤 SAG 24 NC が、英国の業界誌で「自動工具交換付き」として紹介されるMachinery and Production Engineering vol.115(1969 年 7〜12 月)の索引 p.894。記事本文は未見 | GrazianoSAG 24 NC | [17] |
| 1970年代 | Graziano が CNC 旋盤の生産を始め、やがて全機種が CNC になるFieldbus & Networks(2007)は 1970 年代の初め、DMG MORI のサイトは 70 年代の終わりとする | GrazianoCNC 旋盤 | [7][8] |
| 1973年 | 1922 年に鍛造と小さな工作機械で始まり、1939 年から形削り盤を作っていた Pietro Carnaghi が、立て旋盤の生産に入る | Pietro Carnaghi(Busto Arsizio)立て旋盤 | [18] |
| 1977年8月 | Graziano & C. の会長 Wilmer Graziano が 8 月 24 日に亡くなる | Graziano & C. S.p.A. | [19] |
| 1982年7月 | 普通旋盤と NC 旋盤の大手 Graziano(約 600 人)が経営危機に。Tortona の下請け約 100 社と鋳物工場も巻き込まれた | Graziano(Tortona) | [20][21] |
| 1983年5月 | ★国が Graziano e C. を大企業の特別管理(いわゆる Prodi 法)の下に置き、2 年間の事業の継続を認める(5 月 16 日)。関係する鋳物会社 F.I.M.U.(Fonderia italiana macchine utensili)も 6 月 30 日に同じ扱いに | Graziano e C. S.p.A.・F.I.M.U. | [22] |
| 1984年7月 | 特別管理の Graziano がフランスの Sculfort-Somin と提携。Graziano はイタリアで Sculfort の立て旋盤 TV 30 を売り、フランスで Graziano の横形旋盤を売る計画 | Graziano・Sculfort-Somin(仏)Sculfort TV 30 立て旋盤 | [23] |
| 1985年12月 | 中国山東省の Dezhou Machine Tool(約 2,000 人)の代表団が Tortona を訪れ、Graziano の NC 旋盤の一部の機種を中国で作って売る権利の購入を交渉 | Graziano・Dezhou Machine Tool(中国 山東)NC 旋盤 | [24] |
| 1987年9月 | ★ドイツのフライス盤メーカー MAHO と Bologna の Bassano-Grimeca が新会社 Graziano S.p.A. をつくり、特別管理の Graziano & C. を引き継ぐ。株の 3 分の 2 は MAHO。旋盤を作ったことのなかった MAHO のグループに旋盤が加わった | MAHO AG(独 Pfronten)・Bassano-Grimeca(Bologna)Graziano S.p.A. | [25] |
| 1996年7月 | 多軸自動盤の大手 Gildemeister Italiana(Brembate の工場に約 340 人)が、Milano の店頭市場(mercato ristretto)に上場した会社として、社員に新株を割り当てる案を出す1997 年の Consob の公表では、最大株主は Macutil Finanziaria SA(26.32%)で、Gildemeister ではなかった | Gildemeister Italiana(Brembate di Sopra)多軸自動盤 | [26][27] |
| 1998年7月 | ★Graziano の CNC 旋盤 GT300 は、PC を使った CNC(Indramat MTC200)と光ファイバのサーボ通信(SERCOS)、X・Z・Z2 軸の早送り 30m/min、人造の石材(合成グラナイト)のベッド、玉入りの直動案内、14kW・6,000 回転のビルトイン主軸モータを持っていた | Graziano Macchine Utensili(Tortona)GT300 | [28・コマ189] |
CNC 旋盤と国際グループ2000 年〜
| 年 | 出来事 | メーカー・機種 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 2000年5月 | Gildemeister AG が 5 月 18 日から Gildemeister Italiana とその子会社を連結決算に入れる | Gildemeister AG・Gildemeister Italiana | [29] |
| 2001年6月 | ★Graziano Tortona が Gildemeister のグループに入る。2001 年の年次報告では Graziano は Gildemeister Italiana(Gildemeister の持分 86%)の全額出資の子会社で、Gildemeister Italiana は CNC の多軸自動盤への切り替え中、Graziano は機種の見直し中だった月は Fieldbus & Networks(2007)による。UCIMU のカタログは 2000 年とする(WebSearch の要約、原文未見) | Graziano Tortona・GildemeisterCNC 普通旋盤・CNC 多軸自動盤 | [7][29] |
| 2007年11月 | Graziano の CNC 旋盤は、一部の軸にリニアモータ、0.15 秒で割り出すサーボタレット、直径 200mm の中空主軸を使い、NC 装置は Siemens・Heidenhain・GE Fanuc から選べた | Graziano TortonaCNC 万能旋盤 | [7] |
| 2009年7月 | Graziano の Tortona 工場に新しい組立・物流の建屋が完成(340 万ユーロ、組立面積 12,200m²、154 人)。CTX シリーズの旋盤を作る | Graziano Tortona S.r.l. | [30] |
| 2014年 | DMG MORI が Bergamo(旧 Gildemeister Italiana)に 1,500 万ユーロ超をかけた新しい工場・技術センタ・ショールームを開く | DMG MORI(Bergamo) | [13] |
| 2015年 | Pietro Carnaghi が、旋削とフライス削りを 1 台でこなす 5 軸の立て旋盤 Flexturn を出す | Pietro CarnaghiFlexturn | [18] |
| 2016年4月 | ★日本の DMG MORI CO., LTD. がドイツの DMG MORI AG の株の 75% 超を持ち、支配契約を結ぶ意向を発表(4 月 6 日)。Tortona(Graziano)と Bergamo(旧 Gildemeister Italiana)の旋盤工場も日本の会社のグループの一員になった | DMG MORI CO., LTD.(日本)・DMG MORI AG | [31][8][13] |
| 2025年 | 立て旋盤の Pietro Carnaghi(Villa Cortese、約 260 人)がフランスの Fives グループに入る | Pietro Carnaghi・Fives(仏) | [18] |
よくある質問
- イタリアで最初に旋盤を作ったのはどこですか?
- 「最初」を決められる資料は見つかっていません。確かめられた中で古いのは、Lago Maggiore の町 Intra の Güller & Züst が 1888 年に作った普通旋盤で、2008 年にも Sardegna の鉄道の工場の設備台帳に載っていました。1911 年の Torino 万国博覧会には、Michele Ansaldi の工場の普通旋盤や Paglia & Cerruti のタレット旋盤が出品されています。
- Graziano の旋盤の「SAG」とは何ですか?
- Tortona の Graziano の旋盤の型式名です。英国の業界誌には、1961 年に工具室旋盤 SAG 180、1964 年に普通旋盤 SAG 12、1969 年に自動工具交換付きの NC 旋盤 SAG 24 NC が出てきます。SAG という別の旋盤メーカーは、今回の調べでは見つかりませんでした。
- Graziano は今どうなっていますか?
- 1983 年に国の特別管理を受け、1987 年にドイツの MAHO と Bologna の Bassano-Grimeca が引き継ぎ、2001 年に Gildemeister のグループに入りました。今は DMG MORI Tortona として、中形の CNC 万能旋盤を作っています。2016 年からは、日本の DMG MORI CO., LTD. がドイツの DMG MORI AG の 75% 超を持つグループの工場です。
- イタリアの旋盤メーカーと日本のメーカーの関係はありますか?
- 直接の技術提携の記録は見つかりませんでした。DMG MORI のグループを通じて、Tortona と Bergamo の旋盤工場が日本の会社のグループに入っているのがいちばん大きなつながりです。2007 年の Graziano の CNC 旋盤は、NC 装置に GE Fanuc を選ぶこともできました。
この先と関係するページ
出典
新聞(La Stampa・Stampa Sera・l'Unità)、官報(Gazzetta Ufficiale)、英米の業界誌、1909 年の米国の報告と 1911 年の万博の目録は Internet Archive のスキャンで、会社の年次報告・業界誌の PDF・会社と省庁の発表は各ページで、2026 年 10 月に確かめました。英国の業界誌の索引だけで確かめた記事(本文は未見)は、出典の題にそう書いています。会社自身の沿革だけが根拠の出来事は、本文で「同社の沿革では」と書き分けています。「コマ」は Internet Archive のスキャンの通し番号(n 番号)です。
- United States Department of Commerce and Labor, Bureau of Manufactures『Machine-tool trade in Austria-Hungary, Denmark, Russia, and Netherlands, with supplementary reports on Italy and France』Government Printing Office(1910。イタリアの工場の視察は 1909 年 5 月)p. 164・165・168・169
- Gazzetta Ufficiale della Repubblica Italiana 2008 年 3 月 28 日 n.74 supplemento ordinario(D.Lgs. 21 febbraio 2008, n.46、Sardegna の地方鉄道の設備の一覧)
- Esposizione internazionale delle industrie e del lavoro, Torino 1911『Catalogo generale ufficiale』(1911)※番号はスキャンのコマ(Internet Archive の n 番号)コマ 94・95・96
- 『L'Industria Meccanica』v.7(Milano、1925)p.546「UNIM のねじの統一案と Züst の旋盤の換え歯車」※番号はスキャンのコマコマ 258
- 『Engineering』vol.184 no.4765(London、1957 年 7 月 5 日)「Olivetti」※番号はスキャンのコマコマ 9
- Giuseppe Deiana 編『C'era una volta una fabbrica: la Grazioli di Milano』Liceo Scientifico "S. Allende"(Milano、1999、非売品)※番号はスキャンのコマコマ 32・33・38・52・61・106
- Gianluca Torrielli「Affidabilità garantita」『Fieldbus & Networks』2007 年 11 月 pp.76-77(Graziano Tortona の CNC 旋盤)
- DMG MORI「Production site Tortona」(DMG MORI Tortona S.r.l.)
- UCIMU「70 anni di UCIMU」(工業会の公式サイト、2015 年。Internet Archive の 2016 年 1 月の保存)
- UCIMU「80 anni di UCIMU」(工業会の公式サイト、2025 年。Internet Archive の 2025 年 3 月の保存)
- 『Machinery and Production Engineering』vol.98 no.2522(London、1961 年 3 月 15 日)業界ニュース「Graziano の工具室旋盤 SAG 180」※番号はスキャンのコマコマ 203
- 『Machinery』vol.104(1964)索引「Lathe. Graziano Sag 12 centre」p.1507
- DMG MORI「Production site Bergamo」(Gildemeister Italiana S.r.l.)
- 『International Directory of Company Histories』「Gildemeister AG」(Encyclopedia.com 掲載)
- 『Stampa Sera』1968 年 5 月 3 日「Moro 首相の Tortona 訪問」(Graziano Macchine Utensili)
- 『La Stampa』1968 年 10 月 10 日 第 6 回 BI-MU(工作機械ビエンナーレ)特集(UCIMU 広報の談話)
- 『Machinery and Production Engineering』vol.115(1969 年 7〜12 月)索引「Lathe, Graziano Sag 24 NC, with automatic tool changing facilities」p.894
- Pietro Carnaghi S.p.A.「About us」(沿革)
- 『Stampa Sera』1977 年 8 月 25 日(Graziano & C. S.p.A. の会長 Wilmer Graziano の死亡広告)
- 『Stampa Sera』1982 年 7 月 7 日「Graziano に 100 億リラ」
- 『Stampa Sera』1982 年 8 月 17 日 p.2「Tortona:Graziano の危機」
- Gazzetta Ufficiale della Repubblica Italiana 1983 年 7 月 9 日 n.187 pp.5424-5425(Graziano e C.・F.I.M.U. の特別管理)
- 『La Stampa』1984 年 7 月 10 日「Graziano 再建へ仏 Sculfort と提携」
- 『La Stampa』1985 年 12 月 7 日「中国の工場が Graziano の機械を作る」
- 『La Stampa』1987 年 9 月 17 日 Graziano S.p.A. の広告「L'Italia ha una nuova GRAZIANO」
- 『l'Unità』1996 年 7 月 30 日「Gildemeister Italiana の社員持株の提案」
- Gazzetta Ufficiale della Repubblica Italiana 1997 年 7 月 22 日 n.169(Consob:上場会社の大株主の公表、Allegato A)
- 『Design News』vol.53 no.14(1998 年 7 月 20 日)「Controls/drives advance lathe performance」(制御装置メーカーの事例紹介)※番号はスキャンのコマコマ 189
- Gildemeister Aktiengesellschaft『Annual Report 2001』(英語版)
- Gildemeister(DMG MORI AG)プレスリリース「Gildemeister modernises Italian plant」(2009 年 7 月 7 日)
- DMG MORI AKTIENGESELLSCHAFT 適時開示「DMG MORI CO., LTD. intends conclusion of a domination and profit transfer agreement」(2016 年 4 月 6 日)
- Ministero per i beni e le attività culturali 報道発表「Ivrea è il 54° sito UNESCO italiano」(2018 年 7 月 1 日)
- Associazione Archivio Storico Olivetti(Ivrea)
- BI-MU(Biennale internazionale della macchina utensile)公式サイト
- UNIDO Secretariat『The World Machine-Tool Industry. Background paper』ID/WG.514/4(1991 年 6 月 28 日、資本財工業協議会 Praha)