USA 05輸入の波と再生

アメリカは 1960 年代の終わりまで、世界一の工作機械の生産国でした。ところが 1970 年代から、日本・西ドイツ、のちに台湾の機械が次々と入ってきます。納期が短く、安くて壊れにくい CNC を積んだ日本の NC 旋盤とマシニングセンタは、米国の町工場の定番になりました。米国の業界は、投資税額控除の請願(Houdaille)と安全保障を理由にした輸入制限の請願(Section 232)で対抗し、1986 年に日本・台湾との輸出自主規制(VRA)を勝ち取ります。それでも老舗の多くは売られ、名前だけが残りました。一方で、日本やドイツのメーカーは米国に工場を建て、町工場上がりの Haas が安い立形マシニングセンタで育ち、積層造形という新しい加工が米国から生まれます。この章は、全米研究評議会(NRC)・会計検査院(GAO)・大統領の声明・米 SEC の届出・業界誌などで1 つずつ確かめ、出来事ごとに出典を付けました。

名前は残って
持ち主が替わる。
系図が大事!

マスコットのチップス

この章は「時代の章」です。NC とマシニングセンタの誕生(Parsons と MIT、Milwaukee-Matic)は第 4 章で扱います。機械ごとの仕組みの移り変わりは機種の章にまとめていて、NC 旋盤とターニングセンタは第 6 章「アメリカの旋盤の系譜」、立形マシニングセンタと Bridgeport のフライス盤は第 7 章、積層造形などは第 10 章「その他の機械」で詳しく扱います。

輸入の波(1968〜1981 年)

世界一の生産国の足元

American Machinist の元編集長 Ashburn は、米国の工作機械工業は 1969 年まで世界一の生産国で、1977 年までは輸出が輸入を上回っていた、と書いています[8]。1973 年、米国の工作機械の輸入は国内の消費の 9.7% にすぎず、日本からの輸入は 2,210 万ドルでした[7]。それが 1979 年には輸入が消費の 22% になり、輸入の 34% を日本からが占めて西ドイツを抜きます。1978 年ごろには貿易収支も赤字に転じました[7]。

老舗の側にも動きがありました。1970 年 1 月、1884 年からの Cincinnati Milling Machine は社名を Cincinnati Milacron に変えます。工作機械だけでなく、制御装置やミニコンピュータ、プラスチック機械へと手を広げていたからです[5]。1979 年にはトランスファーラインの Cross Company とフライス盤・マシニングセンタの Kearney & Trecker が合併して Cross & Trecker になり[13]、1980 年にはタレット旋盤の Warner & Swasey が自動車部品などの大企業 Bendix に 3 億ドル超で買われました[15][16]。

なぜ日本の機械が選ばれたのか

いちばん大きかったのは納期です。米国の大手は、景気の山で注文を受注残として積み、谷でそれを消化して工場の稼働をならしていました。1970 年代の終わり、米国の機械は注文から納入まで 1 年半〜2 年かかり、売れ筋のメーカーでは 2〜4 年待ちとも言われます。日本の機械は 1〜2 か月で届きました[7][12]。仕事を取ってから機械を買う町工場にとって、来年まで来ない機械は使えません。

次にCNCです。CNC を最初に市場に出したのは米国ですが、米国では機械メーカーや電機メーカーがそれぞれの制御装置を作っていました。日本ではファナックがほぼ 1 社で制御装置を量産し、マイクロプロセッサを使った安い CNC が事実上の標準になります。日本のメーカーは、部品を共通にした小形の NC 旋盤やマシニングセンタを標準品として量産しました[12]。Ashburn によると、1974 年のファナックは約 700 人で年に約 3,000 台の NC 装置を作る世界最大の NC メーカーで、同じころ米国の全メーカーの合計は年に約 4,000 台でした。ファナックは 1974 年ごろ米国にサービスの網をつくり、そこからファナックの NC を積んだ日本の機械が米国で売られ始めます。日本の機械は米国の機械より小さく、軽く、安く、少なくとも初めのうちは壊れにくかった。Ashburn は、日本が工作機械を「注文で作る品」から「既製品」に変えた、という言い方を紹介しています。米国の機械メーカーの中には、マイクロプロセッサを使った制御装置を 4 年早く採り入れたことが日本の機械が売れたいちばんの理由だ、と見る人もいました[8]。米国のメーカーは注文ごとの専用機や大形機が得意で、トランスファーラインなどでは国内のシェアを保ちましたが、汎用の CNC 旋盤とマシニングセンタの市場を大きく失います[12]。そのうえ米国の工場の設備は古く、1978 年に使われていた工作機械の 40% が 20 年を超えていました(日本は 18%)[7]。

日本側も手を打ちました。Ashburn によれば、1978 年に日本の通商産業省は、ダンピングの批判をかわすため、対米輸出の工作機械に最低価格を決める輸出カルテルを作らせます。それでも日本からの輸入は増え続け、1980 年の上半期には前の年より 48% 多くなりました[8]。1981 年には、米国の工作機械の輸入の 48% が日本からでした[7]。1981 年に NMTBA(全米工作機械工業会)の訪日調査団が見たのは、日本のほとんどの工作機械メーカーが FMS(工作機械をコンピュータと搬送でつないだ柔軟な生産システム)を作り、自社の工場にも入れている姿でした[7]。

最後の山、1981 年

1981 年、米国の工作機械の生産額は約 51 億ドルで最高になります。出荷の上位 15 社で 73% を占め、1 位は Cincinnati Milacron の 4 億 9,800 万ドルでした[7][10]。工作機械産業の雇用も 1980 年の 10 万 8,000 人が最多です[14]。しかし輸入比率は約 25% に上がっていて、次の不況で業界は一気に崩れます。

請願と自主規制、新しい作り手(1982〜1993 年)

Houdaille の請願

1982 年 5 月、マシニングセンタの Burgmaster などを持つ Houdaille Industries(フーダイユ)が、日本製のマシニングセンタと NC パンチングマシンを買う企業には投資税額控除を認めないよう、大統領に求めました。1971 年歳入法の、差別的な行為をする国の製品を控除から外せる規定(Section 103)を使った初めての請願で、日本の産業育成策と輸出カルテルを不公正だと訴えています[8][18][19]。投資税額控除は、工作機械の注文を大きく動かす制度でした。控除が始まったり止まったりするたびに、受注が大きく上下していたのです[12]。「日本の機械を買うと控除が受けられない」は、買い手に直接効く手でした。

請願は 1983 年 2 月の閣僚会議でも議論されましたが[27]、4 月、レーガン大統領はこれを退けます。被害は認めつつ、日本の機械だけを控除から外すのは前例として危うく、報復を招くと判断されました[8][18]。Houdaille はその後、日本企業との合弁を探りますがまとまらず、1985 年に工作機械の部門を閉じるか売りに出しました[8]。

不況と、日本の逆転

1982 年、日本の工作機械の生産額が米国を抜きます。American Machinist の値で、日本 37 億 9,600 万ドル、米国 37 億 4,800 万ドルでした[10][17]。米国の生産は 1983 年にさらにほぼ半分に落ち、1981〜83 年に業界の雇用は 35% 減ります[12][10][19]。1980 年代の初めから、米国のメーカーは会社を小さくし、部品を米国内や海外の外注先から買うようになり、なかには輸入機の販売代理を始める会社も出ました。商務省は、米国の工作機械の生産能力が 1982 年から少なくとも 25% 減り、残った能力の 60% しか動いていないと見積もっています[8]。

大企業の傘下に入った工作機械メーカーは、この波に特に弱いものでした。工作機械の会社は景気の山で高く買われることが多く、谷で注文が減ると、親会社の求める利益に届かないことがすぐはっきりします。すると工作機械の部門には新しい設備や開発のお金が回らず、次の山で増産も新製品もできない、と Ashburn は書いています[8]。1981 年の出荷の上位 15 社には、Bendix・Textron・Litton・White Consolidated・Houdaille など、工作機械を部門の 1 つとして持つ大企業が多く並んでいました[7]。

Section 232:安全保障を理由に

1983 年 3 月、NMTBA は商務長官に Section 232(国の安全保障を損なう輸入を制限できる 1962 年通商拡大法の条項)で請願しました。輸入を金額で消費の 17.5% に、18 の機種それぞれを 20% までに抑えるよう求めています[8][25][26]。工作機械は戦争のときに兵器を作る機械で、国内で作れなくなれば国の守りが危うい、という理屈です。全米研究評議会も国防総省のために、工作機械産業と防衛の基盤の調査をしています[7]。

商務省は 1984 年 2 月に「輸入は安全保障を損なうおそれがある」と報告し、大統領は計画の前提を直して調べ直すよう差し戻しました。1986 年 3 月の改訂報告は、18 機種のうちマシニングセンタ・NC 旋盤・非 NC 旋盤・フライス盤・パンチング・シャーリングなど 7 機種の輸入が安全保障を脅かすと結論します[24][19]。1986 年 5 月 20 日、レーガン大統領は日本・台湾・西ドイツ・スイスに輸入の自主規制を求めると発表し、あわせて国防調達の見直しや技術センターへの補助などの国内の計画を決めました[24][25]。業界の共同研究の拠点 NCMS(National Center for Manufacturing Sciences)も、この年にできています[25]。

VRA:数を決めて輸出を抑える

1986 年 12 月、日本と台湾は工作機械の輸出自主規制協定(VRA)を結びます。1987〜1991 年の 5 年間、マシニングセンタ・NC と非 NC の旋盤・フライス盤(日本はパンチング・シャーリングも)の対米輸出を、米国の消費の一定の割合までに抑える約束です[38][25][19]。日本の機械は、金額ではなく台数で、いちばん重要な機種を 1981 年ごろの水準に戻す枠になり(台湾は 1985 年の水準)、輸出の許可は日本と台湾の政府が出し、米国の税関が証明書を確かめました[8][19]。西ドイツとスイスは協定を断りましたが、上限を超えないよう求められています[38][25]。

効き目は限られていました。輸入比率は 1986 年に約半分、1987 年には 54% と最も高くなります[8][12]。会計検査院(GAO)の 1990 年の検証では、規制した 6 つの市場の国内メーカーのシェアは 1986〜88 年に合わせて 6 ポイント上がっただけで、日本と台湾が退いた分の多くは西ドイツやスイスなどほかの国が取りました[25]。1990 年の輸入比率は約 42% に下がりますが、その一部は、日本や欧州のメーカーが米国の工場で作るようになったためでもありました[14]。1991 年 12 月、米国は VRA を延長しつつ、非 NC 機の規制は 1991 年末で終え、NC 機とマシニングセンタの規制を 1993 年 12 月までに段階的に外すと決めます[46][26]。1992 年の輸入比率は 46.3% で、1991 年の生産は 1980 年の 42% にとどまりました[12]。

輸入比率9.7% → 54%1973 → 1987 年[7][12]
VRA の期間1987〜1991 年NC 機・MC は 1993 年まで段階撤廃[25][46]
国内シェアの回復6 ポイント規制した 6 市場、1986〜88 年[25]

外国のメーカーが米国で作る

VRA の時代、外国のメーカーは「輸出する」から「米国で作る」へ動きます。オークマは 1984 年に米国の販売会社を作り、1987 年には North Carolina で生産会社を作りました。貿易の制限への対応だったとされます[28][29]。米国に工場や拠点を持つ日本の工作機械メーカーは、1987 年の 17 社から 1990 年には 36 社に増えました[10]。ドイツの GROB も 1983 年に Ohio に拠点を置き、1991 年に生産工場にしています[23]。マザックの Kentucky 工場(1974 年)と牧野の LeBlond 買収(1981 年)は、それより早い例です(後の「日本とのつながり」)。

NC 装置でも同じことが起きました。1987 年の初め、かつて米国と欧州の NC 装置の最大手だった General Electric がファナックと合弁会社をつくり、GE は自社の NC 装置の製造をやめます[8][40]。米国の町工場で「ファナックの画面」が当たり前になったのは、日本からの輸入機だけではありません。米国のメーカーの多くは長く米国製の NC を使っていましたが、ファナックが Siemens と組んで米国で NC を作り General Numeric の名で売るようになると、米国の機械にもファナック系の NC が載るようになりました[8]。

新しい作り手:Haas と Hurco

老舗が苦しむ中で、新しい米国のメーカーも育ちました。Gene Haas は California の自分の町工場のために、プログラムで動く 5C コレットの割出し台を作り、1983 年にそれを売るため Haas Automation を始めます。1987 年に立形マシニングセンタの開発を始め、1988 年の IMTS(Chicago)に最初の VF-1 を 49,900 ドルで出しました。米国製のマシニングセンタが 5 万ドルを切って売れるのか、業界は半信半疑だったといいます[20][21]。日本製の立形マシニングセンタの輸入に枠がはめられたのと同じ時期でした。

Indianapolis の Hurco は 1968 年に Gerald Roch と E. L. Humston が始めた会社で、プレスブレーキの位置決め装置から CNC に進みました[1]。機械のそばの画面で、図面の寸法を答えていくだけでプログラムができる対話形の CNC の特許(US 4,477,754)は、1976 年に出願され 1984 年に成立しています[33]。G コードを書けない人でも段取りの場でプログラムを作れる、という考え方です(今の NC プログラムの書き方はNC プログラムのページ)。Hurco は 2000 年度に台湾に生産会社を設け、2006 年度には機械の 98% 超を台湾で作るようになりました[56][34]。

積層造形の誕生

削るのではなく積んで形を作る積層造形も、この時代の米国で生まれました。Charles(Chuck)Hull の光造形(紫外線で液体の樹脂を 1 層ずつ固めて積む)の特許 US 4,575,330 は 1984 年 8 月に出願され、1986 年 3 月 11 日に成立します。Hull は同じ年に 3D Systems を共同で創業しました[35][36][37]。光造形機 SLA-1 は 1987 年末に試用機が出て、1988 年に販売が始まります[43][44]。1992 年 6 月には S. Scott Crump の熱溶解積層(FDM。溶かした樹脂をノズルから出して積む)の特許が Stratasys に成立しました[47]。はじめは試作の模型づくりの道具でしたが、のちに金属の積層とともに、治具や少量の部品づくりへ広がります(積層造形の仕組みは第 10 章)。

老舗の売却と統合(1994〜2009 年)

1990 年代、米国の老舗は買い集められ、あるいは工作機械から手を引いていきます。Giddings & Lewis(ギディングス・アンド・ルイス)は 1991 年 10 月に Cross & Trecker を、1995 年 4 月に立形マシニングセンタの Fadal を買って大きくなりましたが、1997 年にはドイツの Thyssen に 1 株 21 ドルで買われます[45][51]。1909 年設立の旋盤の Monarch は 1997 年に旋盤の事業を売り、1999 年に社名を Genesis Worldwide に変えました[52]。その Genesis Worldwide も 2001 年 9 月に連邦破産法 11 条の適用を申請し、国内の事業は投資会社に売られます[57][58]。

いちばん大きな出来事は、1998 年 10 月の Cincinnati Milacron の決断です。1884 年からの工作機械の会社が、工作機械の部門を UNOVA に 1 億 8,000 万ドルで売り、社名を Milacron に変えてプラスチック機械に絞りました[6][53]。UNOVA はそれを Cincinnati Lamb にまとめ、2005 年 4 月に新しくできた MAG Industrial Automation Systems に売ります。研削盤の Landis は同じ年にフランスの Fives へ移りました[61][62]。同じ 2005 年の 10 月には、Giddings & Lewis と Fadal を含む ThyssenKrupp の工作機械部門も、MAG の側に買い取られています[63][64]。ひざ形フライス盤で世界の町工場に知られた Bridgeport は、1968 年に Textron の傘下、1986 年に独立、1999 年に Goldman Industrial Group の傘下に入り、2004 年 11 月、その名前と商標を旋盤の Hardinge が取得します。Bridgeport ブランドのマシニングセンタは台湾から調達されました[55][54][60]。

2009 年の米商務省の報告は、Cincinnati Machine・Fadal・Giddings & Lewis がドイツの MAG に、大形の 5 軸機の Ingersoll が 2003 年にイタリアの Camozzi に買われ、米国資本の 5 軸機メーカーが減ったと書いています。ただし工場の場所は米国のままでした[59]。持ち主は外国に移っても、米国で機械を作る仕事は残ったのです。マザックは 2000 年に Kentucky の工場を 2,000 万ドルで改装し、自動化した「サイバーファクトリー」にしています[3]。

現場で何に効くか。米国製の中古機や古い図面を扱うとき、銘板の社名が今はどこのブランドかを知っていると、部品や取扱説明書を探す先がわかります。Cincinnati Milacron の工作機械は UNOVA から MAG へ、Kearney & Trecker は Cross & Trecker から Giddings & Lewis へ、Bridgeport の名前は Hardinge へ、LeBlond は牧野の米国会社へ移りました。下の系図で流れをたどれます。

外国メーカーの工場と、今の米国(2010 年〜)

2012 年 7 月、森精機製作所(いまの DMG 森精機)は California 州 Davis の工場で横形マシニングセンタ NHX4000 などの生産を始め、11 月 7 日に開所式をしました。同社として米国で最初の工場で、月に 80 台を作り、部品の 4 割超を米国で調達するとしています[67][68]。マザックの Kentucky 工場は 2024 年に 50 周年を迎え、20 回の拡張で約 100 万平方フィート(約 9 万 m²)、70 機種以上を作る工場になりました[9]。

積層造形では、2012 年 8 月、米政府が Ohio 州 Youngstown に研究所 NAMII を置くと発表しました。国防総省の 3,000 万ドルに民間などが 4,000 万ドルを足し、製造業の国の研究所網(いまの Manufacturing USA)の第 1 号になります。2013 年 10 月に America Makes と名前を変えました[69][70][71]。Hardinge は 2018 年 5 月に投資会社 Privet Fund の出資する会社に買われ、上場をやめています[72]。

今の米国:世界有数の「買い手」

AMT(もとの NMTBA)と販売店の団体がまとめる受注統計 USMTO では、2021 年の受注額が 59 億 800 万ドルと、1998 年からの統計で最高になりました[73]。2025 年は 57 億 4,000 万ドルで、前の年より 22.5% 増えています[78][79]。Gardner 社の世界工作機械調査(2024 年分)では、米国の生産は 71 億ドル、輸入 62 億ドル、輸出 15 億ドル、消費 118 億ドルです。消費は中国に次ぐ世界 2 位、生産は 4 位で、輸入は世界 1 位でした[75]。消費の半分ほどを輸入でまかなう形は、VRA の 1980 年代から大きくは変わっていません。ただ今の「国内生産」には、Haas や Hurco のような米国の会社のほか、マザック・オークマ・牧野・DMG 森精機などの米国工場で作られる機械も入っています。

数字で見る:生産・輸入・消費

米国の工作機械の生産・輸出・輸入と、そこから計算した消費(生産−輸出+輸入)と輸入比率(輸入÷消費)です。単位は百万ドル(名目)。系列によって数え方が違い、特に輸出は NMTBA と American Machinist で大きく違うので、系列をまたいで比べないでください。Gardner の調査(WMTS)はその号の年の物価で値を直しているので、号ごとの値です。

年生産輸出輸入消費輸入比率系列出典
19731,7892251671,7319.7%NMTBA[7・p.26]
19762,1783523182,14414.8%NMTBA[7・p.26]
19772,441————American Machinist[10・PDF p.52]
19783,0045607153,15922.6%American Machinist[10・PDF p.52][10・PDF p.90][10・PDF p.91]
19794,0596491,0494,45923.5%American Machinist[10・PDF p.52][10・PDF p.90][10・PDF p.91]
19804,8127851,2985,32524.4%American Machinist[10・PDF p.52][10・PDF p.90][10・PDF p.91]
19815,1119721,4375,57625.8%American Machinist[10・PDF p.52][10・PDF p.90][10・PDF p.91]
19823,7485731,1534,32826.6%American Machinist[10・PDF p.52][10・PDF p.90][10・PDF p.91]
19832,1064069462,64635.8%American Machinist[10・PDF p.52][10・PDF p.90][10・PDF p.91]
19842,4234091,3563,37040.2%American Machinist[10・PDF p.52][10・PDF p.90][10・PDF p.91]
19852,7174521,7384,00343.4%American Machinist[10・PDF p.52][10・PDF p.90][10・PDF p.91]
19862,7485902,2524,41051.1%American Machinist[10・PDF p.52][10・PDF p.90][10・PDF p.91]
19872,2355861,9693,61854.4%American Machinist[10・PDF p.52][10・PDF p.90][10・PDF p.91]
19882,5197682,0583,80954.0%American Machinist[10・PDF p.52][10・PDF p.90][10・PDF p.91]
19893,2709452,4454,77051.3%American Machinist[10・PDF p.52][10・PDF p.90][10・PDF p.91]
1992————46.3%AMT(RAND の引用)[12・p.11]
20225,9001,6005,70010,10056.4%Gardner WMTS(2023 年 7 月号)[74・p.74]
20247,1001,5006,20011,80052.5%Gardner WMTS(2025 年 8 月号)[75・p.62][75・p.64]

1973・1976 年の輸入比率は NRC の表の値(9.7%・14.9%)とほぼ一致します。1981 年の輸入比率は資料によって 24.2〜25.8% と幅があります。1990・1991 年と 1993〜2021 年の年ごとの値は、一次の統計で確かめられた分がまだ少ないため載せていません。

⛩日本とのつながり

輸出から米国生産へ:マザックの例

日本の工作機械の対米輸出は、1962 年 6 月に山崎鉄工所(いまのヤマザキマザック)が LE 型旋盤 200 台の輸出を決めたことに始まる流れがあります[2]。同社は 1968 年 7 月に New York に米国会社を作り、1970 年には NC 旋盤 MTC-2500R が国産の NC 工作機械として初めて米国へ輸出されました。この機械は 2008 年に米国から引き取られ、機械遺産第 126 号になっています[4][2](国産アーカイブ第 1 章の年表、名機図鑑)。そして 1974 年 7 月、Cincinnati の対岸の Kentucky 州 Florence の工場で生産を始めます。日本の工作機械メーカーの米国生産の先がけで、同社にとっても日本の外で最初の工場でした[2][9][10]。1981 年 10 月には米国の工業会 NMTBA に加わっています[2]。

日本側から見た Houdaille と VRA

国産アーカイブ第 2 章(フライス盤・マシニングセンタ)の年表には、1982 年 5 月の「米国の工作機械メーカーが、日本製の MC と NC パンチングマシンを投資税額控除の対象から外すよう米政府に提訴」と、1987 年 1 月の「NC 旋盤・マシニングセンタなどの対米輸出自主規制(VRA)が 5 年間の約束で始まる」が載っています[17](国産アーカイブ第 2 章)。この章で見た Houdaille の請願と VRA を、日本の工作機械工業会の記録から見た姿です。マシニングセンタの輸出比率(生産額に対する輸出額)は 1986 年に 52% でピークになり、円高もあって 1989 年以降は 30% 台に下がりました[17]。

生産額の逆転

日本の工作機械の生産額は 1982 年に米国を抜いて世界 1 位になり、2008 年まで 27 年間首位を続けます(数字で見る工作機械の歴史)。この章の表で見ると、米国の生産が 1983 年にほぼ半分に落ちた時期と重なります。米国に工場を持つ日本の工作機械メーカーは 1987〜1990 年に 17 社から 36 社へ増え[10]、オークマ(1987 年)や森精機(2012 年)の米国工場へと続きました。米国の町工場で動く「日本の機械」の多くは、今では米国で作られています。

⑂メーカーの系図

この章に出てくる主な会社の名前と持ち主の移り変わりです。帯の色が変わるところで名前や持ち主が変わり、赤い矢印は買収の行き先です(Bridgeport からの矢印は、2004 年に名前と商標が Hardinge へ移ったこと)。創業は Giddings & Lewis が 1859 年、Warner & Swasey が 1880 年、Hardinge が 1890 年です[82][81][83][60]。1960 年より前からある会社は 1960 年から描いています。帯の右端は、この章で確かめた時点までで、そこで会社が終わったとは限りません。右端の › は今も続く会社です。

1960198020002020Cincinnati Milling MachineCincinnati MilacronUNOVA の Cincinnati MachineMAGWarner & SwaseyBendix 傘下1984 C&T が買収Kearney & TreckerCross & Trecker1991 G&L が買収Giddings & LewisThyssen の傘下MAG の傘下Houdaille Industries(Burgmaster ほか)Bridgeport MachinesTextron 傘下Bridgeport(独立)Goldman 傘下HardingeHardinge(非上場)HurcoYamazaki MachineryMazak CorporationR. K. LeBlondLeBlond Makino(いまの Makino Inc.)Okuma Machinery(販売)Okuma AmericaHaas Automation帯の区切りが社名の変更。赤い矢印は合併・事業の譲渡の行き先。右端の › は今も続く会社。
出典:各社の沿革と社史 [5][6][53][61][59][81][15][16][31][13][45][82][51][63][64][8][55][54][60][83][72][1][2][11][28][20]

見に行ける所

輸出された日本の機械と、米国の工場・展示会・研究所です。公開日・見学の可否は、行く前にそれぞれの施設・会社の案内で確かめてください。

ヤマザキマザック工作機械博物館岐阜県美濃加茂市1970 年に米国へ輸出され、2008 年に里帰りした NC 旋盤 MTC-2500R(機械遺産第 126 号)を動く状態で展示[4][2]
Mazak Corporation(北米の本社工場)Florence, Kentucky(ケンタッキー州)1974 年に動き出したマザックの米国工場。20 回の拡張で約 100 万平方フィートになった。見学やイベントは会社の案内で確かめてください[9]
IMTS(International Manufacturing Technology Show)Chicago, Illinois(イリノイ州、McCormick Place)2 年ごとの西半球最大の製造技術の展示会。主催は AMT。次は 2028 年 9 月 11〜16 日の予定[80]
America MakesYoungstown, Ohio(オハイオ州)2012 年に置かれた積層造形の国の研究所(旧 NAMII)。見学できるかは事前に問い合わせを[69]
Haas Automation 本社工場Oxnard, California(カリフォルニア州)1988 年の VF-1 から続く Haas の工場(約 110 万平方フィート)。一般の見学ができるかは確かめていません[20]

⌛年表

この章で確かめた出来事のすべてです。番号は出典で、押すとその資料が開きます。「p.」は本・報告・誌面のページ、「PDF p.」は PDF のページです。

輸入の波請願と VRA売却と統合外資の工場と今197019801990200020102020197419811986199820122024黄色の点は大事な出来事(下の表の ★、年は混み合うところを省略)。時代の区切りの年は目安です。

輸入の波1968〜1981 年

年出来事メーカー・機種出典
1968年Gerald Roch と E. L. Humston がそれぞれ 2,500 ドルを出して、Indianapolis(Indiana)で Hurco を始める(1969 年 2 月に法人化)。最初の製品はプレスブレーキの位置決め装置 AutoBend「Edward Roch」とする資料があるが誤り。創業の年と人は同社の記事によるHurco[1]
1968年7月山崎鉄工所(いまのヤマザキマザック)がニューヨークに米国会社 Yamazaki Machinery Corporation を設立。1962 年の LE 型旋盤 200 台の成約に続く、日本の工作機械メーカーの米国進出の早い例IndustryWeek は 1968 年を「米国市場に参入」とし、同年 TRW に日本製 NC 工作機械が初めて入ったと書くが、日本機械学会は 1970 年の MTC-2500R を国産 NC 機の初の対米輸出とする(食い違い、本文では採らない)Yamazaki Machinery Corporation(山崎鉄工所の米国会社)[2][3]
1970年(日本)山崎鉄工所(いまのヤマザキマザック)の NC 旋盤 MTC-2500R が、国産の NC 工作機械として初めて米国へ輸出される。2008 年に米国から引き取られ、機械遺産第 126 号に山崎鉄工所(ヤマザキマザック)MTC-2500R[4][2]
1970年1月1884 年からの Cincinnati Milling Machine が、社名を Cincinnati Milacron に変える。工作機械に加えて、制御装置・ミニコンピュータ・プラスチック機械へ手を広げていたDatapro(1973)は 1970 年 1 月の改称とし、Milacron の 10-K は 1884 年創業の事業の継承とするCincinnati Milacron[5][6]
1973年米国の工作機械の輸入は国内消費の 9.7%。うち日本からは 2,210 万ドルで、輸入の 13% ほどだったNMTBA『Economic Handbook 1982-83』の値(NRC の表 8)—[7・p.26][7・p.25]
1974年ごろ(日本)ファナックが米国にサービスの網をつくり、ファナックの NC 装置を積んだ日本の工作機械が米国で売られ始める。この年ファナックは、約 700 人で年に約 3,000 台の NC 装置を作る世界最大の NC メーカーで、米国の全メーカーの合計は年に約 4,000 台だったAshburn(1988)は、ファナックの工場を 10 回以上訪ねた自身の見聞として書くファナック[8・PDF p.71][8・PDF p.72]
1974年7月★ヤマザキマザックの米国会社が Florence(Kentucky、Cincinnati の対岸)の工場で生産を始める。同社にとって日本の外で最初の工場で、日本の工作機械メーカーの米国生産の先がけ沿革は「1974年7月 グレーター・シンシナティに工場稼働」、IndustryWeek は「1974 年 Florence 工場完成」、UNIDO は「1974 年に米国で組立を始めた」。1974 年は進出(会社は 1968 年)でなく工場の稼働の年Yamazaki Machinery Corporation(いまの Mazak Corporation)[2][9][3][10・PDF p.105]
1975年2月牧野フライス製作所が米国会社 MAKINO U.S.A. INC. を設立Makino U.S.A.[11]
1978年ごろ米国の工作機械の貿易収支が赤字になる。19 世紀から続いた輸出超過がここで終わったNRC の図 3(NMTBA)は 1977〜78 年に収支が 0 を割る。Ashburn は「1977 年まで輸出超過、その後は輸入超過」—[7・p.25][8・PDF p.92]
1970年代後半受注残を積んで景気の山をならす米国メーカーの機械は、納期が 1 年半〜2 年かかった。日本機は 1〜2 か月で届き、納期が日本機を選ぶいちばんの理由になったRAND は Holland 1989 を引き、売れ筋の米国メーカーでは 2〜4 年待ちとする—[7・p.27][12・p.19]
1979年輸入は国内消費の 22% に。輸入のうち日本からが 34%(3 億 5,280 万ドル)を占め、西ドイツ(19%)を抜く—[7・p.26]
1979年トランスファーラインの Cross Company と、フライス盤・マシニングセンタの Kearney & Trecker が合併して Cross & Trecker になる。司法省は合併を競争を妨げるとして訴えた1983 年の Wall Street Transcript は 1978 年とする。年は政府の報告(NHTSA 1982)に従うCross & Trecker[13]
1980年工作機械産業の雇用が 10 万 8,000 人(生産労働者 7 万 1,700 人)で最も多くなる。1990 年には 7 万 2,700 人まで減ったRAND は 1992 年に 53,300 人とする—[14][12・p.12]
1980年タレット旋盤の Warner & Swasey(ワーナー・アンド・スウェージー)が Bendix(ベンディックス)に 3 億ドル超で買われる。1981 年の工作機械の出荷で、Bendix は Cincinnati Milacron に次ぐ米国 2 位になった1979 年 10 月に合意、1980 年に買収(1984 年の下院の公聴会の証言は「1979 年末」とする)。Bendix は 1983 年に Allied に買われたWarner & Swasey[15][16][7・p.11]
1981年米国の工作機械の生産額が 51 億ドルで最高に。大手 15 社(1 位 Cincinnati Milacron 4 億 9,800 万ドル)で出荷の 73% を占めた。一方、輸入の 48% は日本からで、輸入比率は国内消費の約 25% に輸入比率は NRC の本文 p.2 が 24.2%、表 8 が 24.9%(表の読みは画像がにじむ)—[7・p.11][7・p.26][10・PDF p.52]
1981年NMTBA の訪日調査団が、日本のほとんどの工作機械メーカーが FMS(工作機械をコンピュータと搬送でつないだ柔軟な生産システム)を作り、自社の工場にも入れていると報告する—[7・p.19]
1981年9月★牧野フライス製作所が Cincinnati の旋盤の老舗 R. K. LeBlond を買収し、LeBlond Makino Machine Tool Company とする(いまの Makino Inc.)「合併」「合弁」とする資料もあるが、牧野の沿革は「買収(Purchases)」。UNIDO(1991)は LeBlond Makino を在米最大の日系の工作機械会社とするLeBlond Makino Machine Tool Company[11][10・PDF p.106]
1981年10月マザックの米国会社が米国の工作機械工業会 NMTBA(いまの AMT)に加盟。1982 年 7 月に社名を Mazak Corporation に変えるYamazaki Machinery Corporation[2]

請願と自主規制、新しい作り手1982〜1993 年

年出来事メーカー・機種出典
1982年米国で買われた工作機械の 36% が NC 付きになる。輸入比率は消費の約 27% で、旋盤では 1981 年にすでに 56% が輸入だった—[7・p.18][7・p.26][8・PDF p.90]
1982年★(日本)日本の工作機械の生産額が米国を抜く。American Machinist の値で日本 37 億 9,600 万ドル、米国 37 億 4,800 万ドル。日本はここから 2008 年まで世界 1 位を続けた国産アーカイブ第 1 章(/history/lathe/)の 1982 年の出来事と同じ—[10・PDF p.52][17・p.9]
1982年5月★Burgmaster などを持つ Houdaille Industries(フーダイユ)が、日本製のマシニングセンタと NC パンチングマシンを買う企業には投資税額控除を認めないよう大統領に求める(1971 年歳入法 Section 103 を初めて使った請願)。日本の産業育成策とカルテルを不公正と訴えたAshburn と JEC は 1982 年 5 月の提出。NBER(HBS 1988 の引用)は 714 ページの申立書の提出を 6 月とする。国産アーカイブ第 2 章の年表の「1982 年 5 月」と一致Houdaille Industries[8・PDF p.89][18][19・p.116]
1983年不況で米国の生産額が 1 年でほぼ半分に(金属切削機は 1982→83 年に 53% 減)。1981〜83 年に業界の雇用は 35% 減った—[12・p.12][10・PDF p.52][19・p.121]
1983年★Gene Haas が、自分の町工場(Proturn Engineering)のために作った、プログラムで動く 5C コレット割出し台を WESTEC に出し、量産のため Haas Automation を創業(California)Haas Automation[20][21][22]
1983年ドイツの GROB が Bluffton(Ohio)に支店を置く。1991 年に第 3 の生産工場 GROB Systems, Inc. とし、ドイツのメーカーの米国生産の例になるGROB[23]
1983年3月★NMTBA が商務長官に Section 232(国の安全保障を理由に輸入を制限できる 1962 年通商拡大法の条項)で請願。工作機械の輸入を消費の 17.5% に、18 の機種それぞれ 20% までに抑えるよう求めた上限は Ashburn が 17.5%(金額、18 分類は各 20%)、NBER は「18%」と丸める。CRS の一覧で 1983 年の 17 番目の Section 232 調査—[24][25・p.9][8・PDF p.90][19・p.113][26]
1983年4月レーガン大統領が Houdaille の請願を退ける。被害は認めつつ、日本機を税額控除から外すのは前例として危うく、報復を招くと判断されたCIA Reading Room の 1983 年 2 月 2 日の閣僚会議の議事録で、請願が審議中だったことを確認Houdaille Industries[8・PDF p.89][18][27]
1984年大隈鉄工所(いまのオークマ)が米国に販売会社 OKUMA MACHINERY INC. を設けるOkuma Machinery Inc.[28][29][30]
1984年2月商務省が「工作機械の輸入は国の安全保障を損なうおそれがある」とする報告を大統領に出す。大統領は国家安全保障会議の新しい計画の前提で調べ直すよう差し戻した—[24][25・p.2]
1984年2月Allied の傘下に入った Bendix が、Warner & Swasey を含む工作機械部門を Cross & Trecker に約 6,500 万ドルで売る。Bendix が 4 年前に Warner & Swasey に払った額の約 4 分の 1 だった下院の公聴会(1984 年 3 月)の資料と American Machinist の 1984 年の索引(3 月号の記事)。Warner & Swasey の最後の工場が閉じた年は確かめていないCross & Trecker・Bendix[31・p.89][32]
1984年10月Hurco の対話形 NC の特許 US 4,477,754 が成立する。機械のそばで、操作する人が画面の問いに答えて部品の形を入れるとプログラムができる、マイクロプロセッサのフライス盤用 NC で、もとの出願は 1976 年 7 月公報は 1980 年・1976 年の出願の継続出願と書く。Hurco は自社を、マイクロプロセッサと対話形プログラミングを工作機械に使った先駆けとする(10-K)Hurco[33][34]
1985年日本企業との合弁がまとまらず、Houdaille が工作機械の部門を閉じるか売りに出す。マシニングセンタの Burgmaster(バーグマスター)もその 1 つだったBurgmaster の工場の閉鎖と機械の競売の月日は、この章では確かめていないHoudaille Industries[8・PDF p.90]
1986年業界の共同研究の拠点 National Center for Manufacturing Sciences(NCMS)ができる。国防総省が 3 年間毎年 500 万ドル、ミシガン州が 200 万ドル、業界団体が 100 万ドルを出した—[25・p.13]
1986年輸入が国内消費の約半分に(Ashburn は 49%、American Machinist の値で計算すると 51%)。輸入額は国内生産の 75% を超えた—[8・PDF p.92][10・PDF p.52][10・PDF p.91]
1986年3月商務省の改訂報告。請願の 18 機種のうち、マシニングセンタ・NC 旋盤(横・立)・非 NC 旋盤・フライス盤・NC と非 NC のパンチング・シャーリングの 7 機種の輸入が安全保障を脅かすと結論。これで輸入の約半分にあたるNBER は 1986 年 5 月 20 日の White House の発表文を引用—[19・p.120][24]
1986年3月★Charles(Chuck)Hull の光造形(紫外線で液体の樹脂を 1 層ずつ固める)の特許 US 4,575,330 が成立(1984 年 8 月出願)。同じ 1986 年に Hull は 3D Systems を共同で創業UVP Inc.(3D Systems)[35][36][37]
1986年5月★レーガン大統領が、日本・台湾・西ドイツ・スイスに輸入の自主規制(VRA)を求めると発表。あわせて国防総省・商務省の「国内行動計画」(国防調達への組み込み、近代化、技術センターへ 3 年間毎年最大 500 万ドルの補助)を決める—[24][25・p.9]
1986年12月★日本・台湾と工作機械の輸出自主規制協定(VRA)を結ぶ。1987〜1991 年の 5 年間、マシニングセンタ・NC と非 NC の旋盤・フライス盤(日本はパンチング・シャーリング機も)の対米輸出を、米国の消費の一定の割合までに抑える。西ドイツとスイスは協定を断ったが、上限を超えないよう求められた国産アーカイブ第 2 章の年表の「1987 年 1 月」と一致。輸出許可は日本・台湾の政府が出し、米国の税関は証明書を確かめた(NBER p.114)。台数の枠は日本機を 1981 年ごろの水準に戻す(Ashburn p.75–76、RAND p.16)—[38][25・p.9][19・p.113]
1987年★輸入比率が 54% で最も高くなる(1980 年は 24%)。VRA の初年度で、規制した機種の日本・台湾からの台数は減ったAmerican Machinist の値(UNIDO 表)で計算しても 1980 年 24.4%・1987 年 54.4% で一致—[12・p.11][19・p.122]
1987年オークマが生産会社 OKUMA MACHINE TOOLS INC. を設け、North Carolina(Charlotte)で米国生産を始める。対米輸出の制限への対応で、約 3,000 万ドルを投じたとされる州の法人登録は 1987 年 2 月 25 日、Charlotte。工場の稼働月は未確認Okuma Machine Tools Inc.[28][29][39]
1987年初めかつて米国と欧州の NC 装置の最大手だった General Electric が、ファナックと合弁会社をつくる。GE は自社の NC 装置の製造をやめ、米国の NC 装置もファナックの技術に寄っていくInternational Directory of Company Histories も 1987 年とし、GE が Charlottesville(Virginia)の工場を合弁会社に渡したと書く。1986 年とする資料もあるGeneral Electric・ファナック[8・PDF p.73][40]
1987年6月(日本)東芝機械とノルウェーの Kongsberg が、潜水艦のスクリュー(プロペラ)を削るフライス盤と制御のソフトを COCOM(共産圏への輸出規制)に反してソ連に売っていた件で、米上院が公聴会を開く(6 月 17 日)。日本政府は東芝機械の共産圏への輸出を 1 年止めた東芝機械・Kongsberg[41][42・p.46][42・p.47]
1988年VRA の効き目の検証。規制した 6 市場の国内メーカーのシェアは 1986→88 年に合わせて 6 ポイント上がったが、日本・台湾が退いた分の多くは西ドイツ・スイスなどほかの国が取ったGAO は 1990 年 7 月の報告。非 NC 旋盤では他国の輸入比率が 1986 年 49%→1988 年 66%、国内は 5%→9%—[25・p.21][25・p.27]
1988年3D Systems の光造形機 SLA-1 の販売が始まる(1987 年末に試用機)。最初の市販の 3D プリンタとされる1987 年とする資料もある(試用機の納入)。この年表では「1987 年末に試用機、1988 年から販売」と分けて書く3D SystemsSLA-1[43][44][36]
1988年★Haas Automation が最初の立形マシニングセンタ VF-1 の試作機を IMTS 88(Chicago)に出す。公表価格 49,900 ドルで、米国製の MC が 5 万ドルを切った開発の開始は 1987 年。当時の業界誌(1988 年)の記事は未確認Haas AutomationVF-1[20][21]
1990年輸入が 26 億ドルに減り、輸入比率は約 42% に下がる。日本・欧州メーカーの米国工場(Mazak、Trumpf など)の生産が増えたことも効いたUNIDO は日本の工作機械メーカーの米国拠点が 1987 年 17 社→1990 年 36 社とする—[14][10・PDF p.105]
1987〜1990年米国で工場・拠点を持つ日本の工作機械メーカーが 17 社から 36 社に増える(米国に進出した日本の自動車工場に合わせた動き)UNIDO(1991)が International Herald Tribune(1990 年 2 月 1 日)を引いた数字—[10・PDF p.105]
1991年10月Giddings & Lewis(ギディングス・アンド・ルイス)が、Kearney & Trecker と Cross を合わせた Cross & Trecker を買収10 月 31 日。Cross & Trecker は 1979 年に Cross Company と Kearney & Trecker の合併でできた(NHTSA 1982)Giddings & Lewis[45][13]
1991年12月VRA の延長を決める。非 NC の旋盤・パンチング・フライス盤の規制は 1991 年末で終わり、NC 機とマシニングセンタの規制は 1992 年 1 月から 2 年かけて外した(1993 年 12 月まで)—[46][26]
1992年輸入比率は 46.3% に戻り、貿易赤字は 6 億 6,000 万ドルに縮む。それでも 1991 年の生産は 1980 年の 42% にとどまった—[12・p.11][12・p.12]
1992年6月S. Scott Crump の熱溶解積層(FDM。溶かした樹脂をノズルから出して 1 層ずつ積む)の特許 US 5,121,329 が Stratasys に成立(1989 年 10 月出願)Stratasys は 1989 年に Delaware 州で法人になり、本社は Minnesota 州 Eden Prairie。最初の製品 3D Modeler の販売は 1992 年 4 月(同社の 10-K)Stratasys[47][48]

老舗の売却と統合1994〜2009 年

年出来事メーカー・機種出典
1995年オークマの米国の販売会社と生産会社が合併し OKUMA AMERICA CORPORATION になる。販売も North Carolina の工場に集めるOkuma America Corporation[28][29]
1995年4月Giddings & Lewis が立形マシニングセンタの Fadal(ファダル)を買収Giddings & Lewis[45]
1996年牧野フライス製作所がブランドをそろえ、米国の LeBlond Makino Machine Tool が社名を Makino Inc. に変える本社のある Ohio 州 Mason へ移った年は確かめていない。LeBlond の旋盤の名前は、1997 年にできた LeBlond Lathe Parts(のちの LeBlond Ltd.)が引き継いだ(International Directory of Company Histories)Makino Inc.[49][50]
1997年ドイツの Thyssen(ティッセン)が Giddings & Lewis を 1 株 21 ドルで買収(6 月に合意、秋に完了)Giddings & Lewis[51]
1997年1909 年設立の Monarch Machine Tool(モナーク)が Sidney の旋盤事業を売る。1999 年に社名を Genesis Worldwide に変えたMonarch Machine Tool[52]
1998年10月★Cincinnati Milacron(シンシナティ・ミラクロン)が工作機械部門を UNOVA に 1 億 8,000 万ドルで売り、社名を Milacron に変えてプラスチック機械に絞る。1884 年からの工作機械の会社が工作機械をやめた10 月 2 日。Milacron は 1997 年に工作機械以外が売上の 75% 超Cincinnati Milacron[6][53]
1999年ひざ形フライス盤の Bridgeport Machines(ブリッジポート)が Goldman Industrial Group に買われる(1 株 10 ドル)。1968 年に Textron の傘下に入り、1986 年の LBO で独立、1994 年に株式公開していたBridgeport Machines[54][55]
2000年マザックが Florence(Kentucky)の工場を 2,000 万ドルで「サイバーファクトリー」に改装(11 回目の大きな改装)Mazak Corporation[3]
2000年(会計年度)1968 年創業の Hurco が、台湾に全額出資の生産会社 Hurco Manufacturing Ltd. を設け、台中の工場で機械を作り始める。2006 年度には同社の工作機械の 98% 超を台湾で作るようになったHurco の会計年度は 10 月末で終わる(2000 年度=1999 年 11 月〜2000 年 10 月)Hurco[56][34]
2001年9月Monarch Machine Tool の後身 Genesis Worldwide が、国内の子会社 10 社とともに連邦破産法 11 条の適用を申請する(9 月 17 日)。11 月に、国内の事業のほぼ全部を投資会社に売ることが認められた申請先は Ohio 州南部地区の連邦破産裁判所。この時点の事業は鋼板のコイルの加工設備などで、旋盤の事業は 1997 年に手放していたGenesis Worldwide(旧 Monarch Machine Tool)[57][58]
2003年大形の 5 軸機などを作っていた Rockford(Illinois)の Ingersoll が破産し、工作機械の部門はイタリアの Camozzi グループに買われる。工場は米国に残ったIngersoll Machine Tools[59]
2004年11月旋盤の Hardinge(ハーディンジ)が旧 Bridgeport の名前・商標を取得。Bridgeport ブランドのマシニングセンタは台湾から調達したHardingeBridgeport[60]
2005年4月UNOVA が旧 Cincinnati Machine を含む Cincinnati Lamb を、新しくできた MAG Industrial Automation Systems に売る。研削盤の Landis は同じ年にフランスの Fives グループへGiddings & Lewis と Fadal も、同じ年の 10 月に MAG の部門に入った(この年表の 2005 年 10 月)MAG Industrial Automation Systems[61][62][59]
2005年10月Cincinnati Lamb を買った Maxcor が、ThyssenKrupp の工作機械部門(MetalCutting Group)も買い取る。Giddings & Lewis と立形マシニングセンタの Fadal も、MAG Industrial Automation Systems の部門に入った8 月に合意、10 月 7 日に完了。部門にはドイツの Cross Hüller・Hüller Hille・Hessapp・Witzig & Frank も含まれたMAG Industrial Automation Systems[63][64]
2009年7月米商務省が 5 軸の同時制御の工作機械の報告を出す。Cincinnati Machine・Fadal・Giddings & Lewis がドイツの MAG に、Ingersoll がイタリアの Camozzi に買われ、米国資本の 5 軸機メーカーが減ったと書いた。工場の場所は米国のまま—[59]

外国メーカーの工場と、今の米国2010 年〜

年出来事メーカー・機種出典
2011年7月AMT と米国工作機械販売店協会(AMTDA)の受注統計 USMTC(消費)の名を USMTO(受注、U.S. Manufacturing Technology Orders)に改める。中身は前から受注を数えており、名前を中身に合わせた—[65][66]
2012年7月★森精機製作所が Davis(California)の工場で横形マシニングセンタ NHX4000 などの生産を始める(11 月 7 日に開所式)。同社として米国で最初の工場で、月 80 台、部品の 4 割超を米国で調達2013 年とする資料もあるが、生産の開始は 2012 年 7 月、開所式は 2012 年 11 月 7 日(当時の業界誌 2 誌)Mori Seiki Manufacturing USA(いまの DMG MORI)[67][68]
2012年8月★米政府が Youngstown(Ohio)に積層造形の研究所 NAMII を置くと発表。国防総省の 3,000 万ドルに民間などが 4,000 万ドルを足す。製造業の研究所網(いまの Manufacturing USA)の第 1 号で、2013 年 10 月に America Makes と改称NAMII(America Makes)[69][70][71]
2018年5月Hardinge が投資会社 Privet Fund の出資する Hardinge Holdings に 1 株 18.50 ドルで買われ、上場をやめるHardinge[72]
2021年USMTO の受注額が 59 億 800 万ドル(2020 年の 38 億 1,670 万ドルより 55% 増)で、1998 年からの統計で最高に—[73]
2022年Gardner の世界工作機械調査(2022 年分)で、米国の生産は前の年より約 24% 減り、生産の上位 10 か国でいちばん大きな落ち込みになる(為替と物価を補正した値)—[74・p.74]
2024年★Gardner の世界工作機械調査(2024 年分)で、米国の生産 71 億ドル・輸入 62 億ドル・輸出 15 億ドル・消費 118 億ドル。消費は中国に次ぐ世界 2 位、生産は 4 位で、消費の半分ほどを輸入でまかなう。輸入は世界 1 位—[75・p.62][75・p.64]
2024年6月マザックの Kentucky 工場が 50 周年。20 回の拡張で約 100 万平方フィート(約 9 万 m²)になり、70 機種以上を作るMazak Corporation[9][2]
2024年9月IMTS 2024(9 月 9〜14 日、Chicago の McCormick Place)に 110 か国から 89,020 人が登録し、1,737 社が出展する。主催は AMTMachine Design は「8 万 9,000 人超・約 1,700 社」と丸めて書く—[76][77]
2025年USMTO の 1 年の受注額が 57 億 4,000 万ドル(前年より 22.5% 増)。12 月は 8 億 1,430 万ドルで、統計で月の最高になった—[78][79]

よくある質問

工作機械の VRA(輸出自主規制)とは何ですか?
1986 年 12 月に日本と台湾が米国と結んだ約束で、1987〜1991 年の 5 年間、マシニングセンタ・旋盤・フライス盤など(日本はパンチング・シャーリングも)の対米輸出を、米国の消費の一定の割合までに抑えました。米国の業界が 1983 年に安全保障を理由に輸入制限を求めた請願(Section 232)から生まれたものです。NC 機とマシニングセンタの規制は 1993 年 12 月までに段階的に外されました。
Houdaille の請願とは何ですか?
1982 年 5 月、マシニングセンタの Burgmaster などを持つ Houdaille Industries が、日本製のマシニングセンタと NC パンチングマシンを買う企業には投資税額控除を認めないよう大統領に求めた請願です。日本の産業政策と輸出カルテルを不公正と訴えましたが、1983 年 4 月に退けられました。日本の工作機械工業会の記録にも「1982 年 5 月の提訴」として残っています。
アメリカの工作機械メーカーは今もありますか?
あります。1983 年創業の Haas Automation、1968 年創業の Hurco、旋盤の Hardinge などが続いています。Cincinnati Milacron・Giddings & Lewis・Kearney & Trecker のような老舗は売却や統合で持ち主が変わりましたが、工場の多くは米国に残りました。2024 年の米国の生産額は 71 億ドルで世界 4 位、消費は 118 億ドルで世界 2 位です。
日本の工作機械メーカーは、いつから米国で機械を作っていますか?
早いのはヤマザキマザックで、1974 年 7 月に Kentucky 州 Florence の工場で生産を始めました。牧野フライス製作所は 1981 年に Cincinnati の LeBlond を買い、オークマは 1987 年に North Carolina で生産会社を作り、森精機(いまの DMG 森精機)は 2012 年に California 州 Davis で生産を始めています。

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出典

報告・声明・届出・業界誌は全米アカデミーズ出版・GAO・大統領図書館・米 SEC の EDGAR・Internet Archive・各社の公式サイトで 2026 年 10 月に確かめ、使ったページを書いています。「PDF p.」は PDF のページです(Ashburn 1988 の PDF は印刷のページ+15、UNIDO 1991 は印刷のページと同じ)。NRC 1983 のページ番号はページの画像へ飛びます。輸入比率は資料と系列によって 1〜2 ポイントずれることがあり、本文では資料の値をそのまま書いています。日本側の出来事は国産アーカイブの出典を使っています。

  1. Hurco「History of Hurco: Interviews」(Hurco ブログ)
  2. ヤマザキマザック「沿革」
  3. John Teresko「A Growing Mission To Teach」IndustryWeek(2004年12月21日。Mazak の米国の年表つき)
  4. 日本機械学会「機械遺産 第126号 米国輸出を果たしたNC旋盤 MTC-2500R」
  5. Datapro Reports「Cincinnati Milacron CIP/2200」(1973 年 9 月。bitsavers の写し)
  6. Milacron Inc. Form 10-K(1998 年度、1999 年 3 月提出)
  7. National Research Council『The U.S. Machine Tool Industry and the Defense Industrial Base』(National Academy Press, 1983。国防総省のための 2 つ目の調査)p. 11・18・19・25・26・27
  8. Anderson Ashburn「The Machine Tool Industry: The Crumbling Foundation」, Donald A. Hicks 編『Is New Technology Enough? Making and Remaking U.S. Basic Industries』American Enterprise Institute(1988)PDF p. 71・72・73・89・90・92
  9. Mazak「Mazak Celebrates 50 Years Of Kentucky Manufacturing Excellence」(2024年6月1日)
  10. UNIDO『The World Machine-Tool Industry』(第 4 回資本財産業協議の背景資料、1991 年 6 月)PDF p. 52・91・105・106
  11. Makino Milling Machine「History」(IR)
  12. D. Finegold ほか『The Decline of the U.S. Machine-Tool Industry and Prospects for Its Sustainable Recovery』Vol.1(RAND MR-479/1-OSTP, 1994)p. 11・12・19
  13. J. A. Mateyka ほか『Profiles of Major Suppliers to the Automotive Industry』工作機械の巻(米運輸省 NHTSA、1982)
  14. U.S. Department of Commerce, International Trade Administration『U.S. Industrial Outlook 1991』第 19 章 Metalworking Equipment
  15. Allied-Signal, Inc. v. Director, Division of Taxation, 504 U.S. 768(米連邦最高裁、1992)の事件記録
  16. J. A. Mateyka ほか『Profiles of Major Suppliers to the Automotive Industry』(米運輸省 NHTSA、1982)
  17. 日本工作機械工業会『成長、変革-。10年の記録 1982-91』(1992)p. 9
  18. U.S. Congress Joint Economic Committee『The Machine Tool Industry and the Defense Industrial Base』(98th Congress, 1983)
  19. E. Dinopoulos・M. E. Kreinin「The U.S. VER on Machine Tools: Causes and Effects」(R. E. Baldwin 編『Empirical Studies of Commercial Policy』NBER・University of Chicago Press, 1991, pp.113–134)p. 113・116・120・121・122
  20. Haas Automation「Haas History」
  21. Haas Automation「Very First(VF)」:VF-1 の由来と年表
  22. Haas F1 Team「Gene Haas」(創業者の経歴)
  23. GROB「History」
  24. Ronald Reagan「Statement on the Machine Tool Industry」(1986 年 5 月 20 日。The American Presidency Project)
  25. U.S. General Accounting Office『International Trade: Revitalizing the U.S. Machine Tool Industry』(GAO/NSIAD-90-182, 1990 年 7 月 17 日)p. 2・9・13・21・27
  26. Congressional Research Service「Section 232 Investigations: Overview and Issues for Congress」(R45249。付表に過去の Section 232 調査の一覧)
  27. Minutes of Joint Meeting, Cabinet Council on Commerce and Trade and Trade Policy Committee, February 2, 1983(CIA Reading Room CIA-RDP85-01156R000100090010-7)
  28. オークマ「沿革」
  29. 「Okuma Holdings Inc.」International Directory of Company Histories(Reference for Business 掲載)
  30. 「Okuma Corporation Celebrates 125-Year Anniversary」Manufacturing News(2023年6月)
  31. U.S. House, Committee on Small Business『Impact of International Trade Practices on Small Business』公聴会記録(1984 年 3 月 23 日)p. 89
  32. American Machinist, Vol.128(1984)年間索引
  33. US 4,477,754「Interactive machining system」(G. V. Roch ほか、Hurco Manufacturing、優先日 1976年7月6日、1984年10月16日成立)
  34. Hurco Companies, Inc. Form 10-K(2006 年 10 月期、2007 年 1 月提出)
  35. US 4,575,330「Apparatus for production of three-dimensional objects by stereolithography」(Charles W. Hull、UVP Inc.、1984年8月8日出願、1986年3月11日成立)
  36. 3D Systems プレスリリース「Co-Founder & CTO Chuck Hull Awarded National Medal of Technology and Innovation」(2023年10月26日)
  37. National Medal of Technology and Innovation「Charles W. Hull」(2022年度)
  38. Ronald Reagan「Statement on the Revitalization of the Machine Tool Industry」(1986 年 12 月 16 日。Reagan Library)
  39. North Carolina Secretary of State 法人登録「Okuma Machine Tools, Inc.」(1987年2月25日設立、Charlotte)
  40. 「Fanuc Ltd. History」International Directory of Company Histories(FundingUniverse 掲載)
  41. U.S. Senate, Committee on Banking, Housing, and Urban Affairs, Subcommittee on International Finance and Monetary Policy『Toshiba-Kongsberg Technology Diversion Case』公聴会記録(1987 年 6 月 17 日)
  42. Warren E. Rhoades III『COCOM, Technology Transfer and Its Impact on National Security』(1989。DTIC ADA214569)p. 46・47
  43. ASME「The Prototyping Technology that Disrupted the World」
  44. Paul F. Jacobs「Fundamentals of Stereolithography」Solid Freeform Fabrication Symposium 1992(UT Austin リポジトリ)
  45. Giddings & Lewis, Inc. Form 10-K405(1996 年度、1997 年 3 月提出)
  46. 「Statement by Press Secretary Fitzwater on Extension of the Voluntary Restraint Agreements With Japan and Taiwan」(1991 年 12 月 27 日。The American Presidency Project)
  47. US 5,121,329「Apparatus and method for creating three-dimensional objects」(S. Scott Crump、Stratasys、1989年10月30日出願、1992年6月9日成立)
  48. Stratasys, Inc. Form 10-K(1999 年度、2000 年 3 月提出)
  49. 「LeBlond Ltd.」International Directory of Company Histories, Vol.163(St. James Press、2015)
  50. 『Directory of Corporate Affiliations 1997』(National Register Publishing、1997)
  51. Giddings & Lewis, Inc. Form 8-K(1997 年 6 月。Thyssen AG との合併契約、1 株 21 ドル)
  52. The Monarch Machine Tool Company Form 10-K(1997 年度、1998 年 3 月提出)
  53. UNOVA, Inc. Form 8-K(1998 年 10 月。Cincinnati Milacron の Machine Tool Group の買収完了)
  54. Bridgeport Machines, Inc. 合併の委任状説明書 DEFM14A(1999 年 6 月。Goldman Industrial Group の子会社に、1 株 10 ドル)
  55. Bridgeport Machines, Inc. Form 10-K(1998 年 6 月提出)
  56. Hurco Companies, Inc. Form 10-K(2000 年 10 月期、2001 年 1 月提出)
  57. Genesis Worldwide Inc.(旧 The Monarch Machine Tool Company)Form 8-K(2001 年 9 月 24 日提出)
  58. Genesis Worldwide Inc. Form 8-K(2001 年 11 月 26 日提出)
  59. U.S. Department of Commerce, Bureau of Industry and Security『Critical Technology Assessment: Five Axis Simultaneous Control Machine Tools』(2009 年 7 月。DTIC ADA513765)
  60. Hardinge Inc. Form 10-K(2004 年度、2005 年 3 月提出)
  61. UNOVA, Inc. Form 8-K(2005 年 4 月。Cincinnati Lamb を MAG Industrial Automation Systems へ売却)
  62. UNOVA, Inc. Form 8-K(2005 年 10 月。Landis Grinding Systems を Groupe Fives-Lille へ売却する合意)
  63. Maxcor, Inc. 報道発表「Maxcor Completes Purchase of ThyssenKrupp MetalCutting Group」(PR Newswire、2005 年 10 月 7 日)
  64. 「ThyssenKrupp Sells Machine Tool Unit」American Machinist(2005 年 8 月)
  65. 「Manufacturing Technology Orders Up 108.0% in 2011」Quality Digest(2011 年 7 月 12 日。AMT の発表)
  66. 「USMTC Report Changes Its Name to USMTO」Manufacturing.net(2011 年 7 月)
  67. Robert Brooks「Mori Seiki Opens First U.S. Manufacturing Operation」American Machinist(2012年11月23日)
  68. 「Mori Seiki opens new California manufacturing plant」Plant Engineering(2012年11月19日)
  69. White House 報道発表「We Can't Wait: Obama Administration Announces New Public-Private Partnership to Support Manufacturing Innovation」(2012年8月16日、American Presidency Project 収録)
  70. NIST「National Additive Manufacturing Innovation Institute」関連ページ
  71. Wohlers Associates「America Makes」(2013年10月の改称)
  72. Hardinge Inc. Form 8-K(2018 年 5 月 29 日。Privet Fund LP が出資する Hardinge Holdings, LLC との合併の完了、1 株 18.50 ドル)
  73. AMT 報道発表「2021, the Best Year in Manufacturing Technology Orders」(2022年2月14日。テネシー大学 SEAMTN 掲載の PDF)
  74. 「World Machine Tool Survey」Modern Machine Shop 2023年7月号(2022年のデータ、Gardner Business Media)p. 74
  75. 「World Machine Tool Report」Modern Machine Shop 2025年8月号(2024年のデータ)p. 62・64
  76. Trade Show Executive の IMTS 2024 の記事
  77. 「eBook: A Glimpse of IMTS 2024」Machine Design(2025 年 1 月 23 日)
  78. 「Record-Setting Spike in Machine Tool Orders」American Machinist(2026 年 2 月。AMT の USMTO による)
  79. 「December Metalworking Machinery Orders Set New Monthly Record」Modern Distribution Management(2026 年 2 月。AMT の USMTO による)
  80. IMTS「About the Show」
  81. Joseph W. Roe『English and American Tool Builders』Yale University Press(1916)
  82. Giddings & Lewis Machine Tool Co. の広告「Founded 1859」Machinery, Vol.34 No.12(1928 年 8 月)
  83. Hardinge Brothers, Inc. の広告、Hitchcock's Machine Tool Blue Book(1935 年 5 月)