UK 06英国のフライス盤・マシニングセンタの系譜

旋盤・平削り盤・中ぐり盤を生んだ英国ですが、フライス盤では少し違う道をたどりました。1829 年ごろ、Maudslay の工場で若い Nasmyth がナットの面を「回るやすり」で削る機械を作り、1840 年代には Leeds で重いクランク削り盤が生まれます。しかし、フライス盤を量産の機械として英国に持ち込んだのは、1855 年に Enfield の小銃工場へ届いた米国製の 74 台でした。その後も普及はゆっくりで、1890 年の機械学会では「フライス盤を持つ工場は 6 割以下」と語られます。20 世紀には Herbert・Parkinson・Archdale・Kendall and Gent が立て形・万能・門形の機械を作り、米国の Cincinnati が Birmingham に工場を開き、戦後は Adcock and Shipley が Bridgeport を作りました。NC では Ferranti の制御、Marwin のボールねじ、Molins の System 24 と世界に先がけた試みがあり、今は日本の Mazak が Worcester でマシニングセンタを作っています。この章では、刃・割出し・送り・駆動・案内面・制御がどう変わり、現場の加工で何が変わったかを、当時の技術誌と記録で 1 つずつ確かめました。

回るやすりから
無人で回る
工場まで!

マスコットのチップス

この章は「機種の章」です。時代の流れは第 1 章(工作機械の誕生)・第 2 章(世界の工場)・第 3 章(二つの大戦)と重なりますが、ここではフライス盤という機械の中身に絞ってたどります。Ferranti の NC と英国の工作機械産業の縮小そのものは第 4 章「NC・FMS と産業の縮小、そして再生」にあります。フライス盤が米国で形を決めた経過はアメリカ第 7 章「アメリカのフライス盤・マシニングセンタの系譜」と年を合わせて書きました。今の MC の種類と選び方はマシニングセンタの解説にあります。

回るやすり:Nasmyth と初期のフライス削り(1829〜1854 年)

19 世紀の初めの英国の機械工場で、平らな面を作る道具は、やすりとたがね、そして作られ始めたばかりの平削り盤でした。刃をたくさん持つ円い刃物を回して削る「フライス削り」は、時計の歯車を切る道具としては古くからありましたが、刃を作るのも研ぐのも難しく、普通の工場の仕事にはなっていませんでした。Science Museum の Gilbert(1966)は、刃物を作り、鋭く保つのが難しかったことが、利点の多いフライス削りの普及を遅らせたと書いています[3]。

Nasmyth のナット削り盤

1829 年 5 月、スコットランド出身の James Nasmyth(ネイスミス)は London の Henry Maudslay の工場に入り、Maudslay の助手として働き始めます。任された仕事の 1 つが、蒸気機関の模型に使う 300 個ほどの小さなボルトとナットでした。鋼のナットを正確な六角形に、しかもつば(カラー)付きで仕上げるのは、やすりではとても手間がかかります。そこで Nasmyth は、硬い鋼の円板の刃を回し、ナットを小さな割出し板の軸に差して往復台に載せ、1 面削るごとに 60 度ずつ回して 6 つの面を順に削る道具を考えました[1]。本人はこの刃を「回るやすり(circular file)」と呼んでいます。仕上がりは正確で速く、Maudslay は大いに喜び、まもなく大きな版が工場に入りました[1]。

Woodbury(1959)は、米国の Whitney や Middletown の機械より後ですが、年と中身がいちばんはっきりしている初期のフライス盤としてこの機械を取り上げ、1829 年 5 月の入社から 1831 年の Maudslay の死までの間にできたとしています[2]。仕組みで見ると、送りはねじとナットの自動送りでしたが、動きは断続的で、刃物の上下や左右の位置を変える仕掛けはありませんでした。同じナットをたくさん削るための専用の機械だったからです。一方で、フライス盤に割出し装置を組み合わせた最初の例であり、小さなタンクから刃に水をかけて冷やしたことは、フライス削りで切削液を使った最初の記録だと Woodbury は書きます[2]。割出しと冷却という、今の MC でも当たり前の 2 つが、ここで初めて組み合わさったわけです。

のちに独立した Nasmyth は、このナット削り盤を自分の工場の商品にし、多くの技術者に納めたと書いています[1]。1841 年に出た Robertson Buchanan の工作機械の本には Nasmyth 自身の説明と図が載り、この本が取り上げた 54 台の工作機械のうち 21 台が Nasmyth の機械でした[2][3]。Science Museum には 19 世紀半ばの機械工場の模型があり、Nasmyth の形に近い平フライス盤が 2 台並んでいます[3][2]。

Leeds のクランク削り盤と、早すぎたひざ形

英国らしいのは、フライス削りが早くから重い仕事に使われたことです。Leeds の機関車工場 E. B. Wilson & Co. の職長 Robert Willis は、1845 年ごろ機関車のクランク軸の腕を削る機械を作りました。それまでは、ボール盤で穴を並べてあけ、立て削り盤でほぞ穴のように少しずつ抜き、残った四角いピンを旋盤で丸くするという 3 つの工程でした。Willis の機械は、仕上がりの曲線に合わせた鋼の刃を並べた円板を回し、ウォームと歯車でテーブルを毎時約 9cm ずつ送り、最後に軸ごと 1 回転させてピンの丸みまで削り切ります。重さ 7 トンで、クランク 1 か所に 9 時間半かかりました[4][2]。雑誌はこれを旋盤・平削り盤・中ぐり盤の 3 つを 1 台にまとめた機械と紹介しています[4]。

テーブルを柱(コラム)の前で上下させる「ひざ形」の考えも、Woodbury によれば Manchester の J. G. Bodmer が 1839 年の英国特許にすでに描いていました。ただ、後の機械への影響はほとんどなく、ひざ形が世界に広まるのは 1862 年の Brown & Sharpe の万能フライス盤からです[2]。英国には部品がそろっていたのに、それを「何にでも使えるフライス盤」にまとめたのは米国だった、というのがこの時代の姿です。

Enfield の米国機と、遅れた普及(1855〜1899 年)

74 台の米国製フライス盤

1851 年の万国博覧会と 1853〜54 年の米国視察で、英国は米国の銃工場が互換性のある部品を機械で作っていることを知ります。Enfield の小銃工場を作り直すことになり、委員会(Nasmyth もその一員)が米国の兵器廠を回りました。Springfield では 10 年分の銃をばらして部品を混ぜ、組み直して見せています[6]。その結果、1855 年に 157 台の機械が米国から英国へ送られ、そのうち 74 台がフライス盤でした(ほかにボール盤 23 台、タップ立て 5 台など)[6]。多くは Vermont 州 Windsor の Robbins & Lawrence と、Massachusetts の Ames が作った機械です[6]。Science Museum の Gilbert は、この Enfield の機械の輸入で、フライス盤が英国に入ったとまとめています[3]。互換生産の話は第 2 章、米国側の兵器廠の機械はアメリカ第 1 章にあります。

米国で 1862 年に生まれた Brown & Sharpe の万能フライス盤も英国に入ります。Gilbert によれば No. 1 機のうち 5 台が英国に売られ、その 1 台(1865 年製)が Science Museum に残っています[3]。この機械は今も Making the Modern World の展示室で見られます[7]。ひざ形・旋回するテーブル・送りねじと歯車でつないだ割出し台という組み合わせで、ねじれ溝のドリルやはすば歯車を削れる機械でした[3]。

なぜ英国では広がらなかったのか

ところが英国の工場は、フライス盤をなかなか使いませんでした。Woodbury は、英国のメーカーが本格的にフライス削りを取り入れたのは 1890〜1910 年になってからで、その理由の 1 つに、数少ない輸入機を、刃物も機械も想定していない重い仕事に使ったことを挙げています[2]。米国の機械を写した機械も出回り、1883 年には元のメーカー名まで写した写しが英国にもあったと報告されています[2]。

1890 年 10 月、機械学会(IMechE)で Sheffield の George Addy が論文「On Milling Cutters」を読みました[10]。討論では、英国の機械工場でフライス盤を持っているのは 6 割に満たないと述べられ[10]、英国の技術者はフライス盤の採用が遅いと責められてきた、しかし標準の部品を繰り返し作るようになればもっと使われるだろう、という意見も出ます[10]。一方で、鉄道の Nine Elms 工場の技術者は、連結棒などをフライスで削るようにして 3〜4 割安くなったと報告し[10]、Addy は、フライス盤は熟練工でなく普通の作業員でも扱えたと答えています[10]。刃物の値段は高くても、段取りと人の手間で取り返せる、という計算が見え始めていました。

刃物の工夫も英国から出ます。Manchester の Alfred Muir は 1881 年、切りくずを細かく分けるためにフライスの刃にねじれた溝を入れる特許を取りました[2]。重い切込みでも一度に長い刃が当たらないので、機械が揺れにくくなります。そして英国の工場は、Willis の時代と同じく、フライス削りを平削り盤の代わりとして使っていきます。1889 年、Manchester の Kendall and Gent はイタリアの造船所向けに鋼板の縁を削る大形のフライス盤を作り、The Engineer はこれを「平削り盤と立て削り盤の仕事にフライス削りが広がった例」として紹介しました[9]。1890 年には Broadheath の George Richards が、平削り盤のような台に主軸頭を載せた立てフライス盤の特許を取っています[2]。

なぜ平削り盤からフライス盤へ移ったのか。平削り盤は 1 本の刃が往復して削るので、戻りの行程は削りません。フライスは刃がいくつも順に当たり、どの刃も短い時間だけ削って冷えるので、速く送れます。形を写した刃を使えば、溝や曲面も 1 回で削れます。代わりに刃物が高く、研ぎ方を間違えると機械の力を出し切れません。1890 年の討論で、同じ回転数で 8 インチと 14 インチの刃を回していた工場の例が「小さい刃は速く回していなかった」と語られたのは、切削速度という考えがまだ現場に根づいていなかったことを示しています[10]。

英国のメーカー:立て形・万能・プラノミラー(1900〜1933 年)

Woodbury は、1900 年以降、英国と大陸の設計者が、とくに立てフライス盤で大事な独自の貢献をしたと書いています[2]。旋盤のタレットで知られる Coventry の Alfred Herbert は、1906 年に P. V. Vernon と、立てフライス盤の主軸を何段かの速さで動力で上下に送る歯車の特許を取りました。同じ年に米国の Brown & Sharpe も主軸の動力送りを考えていて、Woodbury は Herbert の 1906 年の立てフライス盤の図を載せています[2]。主軸を上下に送れれば、立てフライス盤で穴あけや深さの決まった溝削りまでできます。Herbert は 1907 年に、ひざを前から締め付けて固定する仕掛けの特許も取っています[2]。テーブルの早送り・切削送り・早戻しを自動で繰り返す送りの制御でも、1913〜14 年に英国の Coxon と Gartside が特許を出しました[2]。

歯車箱と独立した送り:1920 年の Olympia

第一次世界大戦のあと、1920 年 9 月に London の Olympia で開かれた工作機械展には、英国のフライス盤が並びました。Birmingham の James Archdale は立てフライス盤を 2 台出し、大きい方は一定の速さで回るベルト車とクラッチで動かして、軟鋼を幅 7 インチ(約 18cm)・深さ 0.06 インチ(約 1.5mm)、毎分 12.4 インチ(約 31cm)の速さで削れました[11]。天井の軸からのベルトを段車で掛け替えるのでなく、一定の速さの入力を機械の中の歯車で変える作りです。Yorkshire 州 Shipley の J. Parkinson and Son は、主軸と送りを別々に駆動する万能フライス盤を出しました。主軸の 18 段の速さと 16 段の送り(最大で毎分 14.8 インチ=約 375mm)を自由に組み合わせられ、テーブルは左右に 50 度まで回ります[11]。Engineering 誌は、独立した送りは主ベルトが切れても送りが止まらない危険があるが、組み合わせの自由さという利点はそれを上回ると書いています[11]。刃の大きさに合わせて回転数を決め、刃 1 枚あたりの送りで送りを決める、という今の切削条件の考え方を、機械の側で選べるようになったのです。

英国らしい大物:プラノミラー

英国のフライス盤のもう 1 つの柱は、造船・鉄道・発電機のためのプラノミラー(平削り盤の形の台に回る刃物の頭を載せた門形のフライス盤)でした。Manchester の Kendall and Gent(1849 年に Salford で創業[5])は 1932 年、英国でそれまでに作られた中で最大とうたう重切削のプラノミラーを作ります。大きな工作物を何度も据え直す手間をなくすことが狙いでした[12]。1889 年の板の縁削りから続く、重い面を速く削るという英国の得意分野です。米国の同じ時代の機械はアメリカ第 7 章にあります。

Cincinnati の英国工場と第二次世界大戦(1934〜1958 年)

Birmingham の Cincinnati

1934 年、米国のフライス盤メーカー Cincinnati が英国に工場を作り、最初の英国製の Cincinnati のフライス盤と工具研削盤が出ます[13]。米国の博物館も、この年に Cincinnati が西欧で工作機械を作り始めたと紹介しています[14]。工場は Birmingham の Tyburn にあり、1946 年には 5 馬力の電動機を台に収めた中形のひざ形フライス盤 No. 2MI の生産が始まりました。主軸の速さは 60 対 1、送りは 120 対 1 の幅で変えられ、オーバアーム(刃物の軸の先を支える腕)には振動を抑える仕掛けが組み込まれていました[16]。電動機を台の中に入れ、主軸と送りを歯車箱で大きく変える、という 1920〜30 年代に米国で固まった形が、そのまま英国で作られるようになったわけです。工場は戦後 10 年で大きく広げられ、流れ作業の工場に組み直されました[13]。

戦争と輸入

第二次世界大戦では、英国は大量の工作機械を米国から輸入しました(第 3 章)。それでもフライス盤は国内の生産が多い機種で、政府の公式の戦史によると、1942 年の英国のフライス盤の生産は 10,196 台、米国からの輸入のピークは年 6,807 台で、国内の生産がつねに輸入を上回っていました。ただし、特殊なフライス盤のいくつかは輸入でしか手に入らなかったとも書いています[15]。自動盤(輸入は国内生産の 2.5 倍)やタレット旋盤(2.8 倍)と比べると、フライス盤は英国のメーカーが比較的強かった機種でした[15]。

万能フライス頭

戦後の英国のメーカーは、汎用機の使い勝手を磨きます。1952 年の工作機械展で Parkinson は、オーバアームに専用の電動機付きの万能フライス頭を付けた万能フライス盤を出しました。頭は直角の 2 つの軸で 360 度回り、工作物を動かさずにどんな角度からでも削れます。主軸は 16 段(毎分 44〜1,800 回転)で、3 インチ(約 76mm)前後に送れるので、斜めの穴もあけられました[17]。工作物を何度も付け直さずに、刃物の向きを変えて削るという考えは、のちの 5 軸の MC につながります(今の 5 軸加工は5 軸加工の解説)。Coventry の Herbert も 1961 年には、回転テーブルを付けて斜めの溝を削る No. 47V 立てフライス盤を売っていました[42]。Science Museum Group は Parkinson の 1A 平フライス盤も所蔵しています[38]。

①NC・Bridgeport・ボールねじ・System 24(1955〜1972 年)

航空機の桁と Ferranti の NC

英国で数値制御(NC)のフライス盤を最初に必要としたのは、米国と同じく航空機でした。1955 年 10 月、Fairey Aviation は補給省(Ministry of Supply)の後押しで、3 つの軸すべてを数値で制御する大形のフライス盤の契約を結びます。制御は Edinburgh の Ferranti が設計し、指令は磁気テープでした。1958 年 3 月の報告では、作業範囲 24×7 フィート(約 7.3×2.1m)、重さ約 50 トン、毎分 50 ポンド(約 23kg)のアルミニウムを削る機械として試験中でした[18]。同じ報告は、Ferranti の 3 次元の連続制御を Kearney & Trecker のフライス盤に付けた例も載せています。1 インチに 2,500 本の線を刻んだ回折格子を 2 枚わずかに斜めに重ね、動くとできる明暗の縞を数えて、テーブルの位置を 0.0002 インチ(約 5μm)まで読む仕組みでした[18]。今のリニアスケールの先祖です。1957 年 6 月には、Ferranti の計算機制御のフライス盤で、刃物の代わりに測定ヘッドを付けて形を自動で測る実演もありました[18]。英国では Ferranti のほか EMI・Ekco・BTH も NC の装置を出し、普通のフライス盤に付けて使い始めていました[18]。Ferranti の NC と測定機の話は第 4 章にあります。

航空機の工場では、倣いの機械も進みました。Fairey は型板を油圧でなぞる倣いフライス盤「Green Linnet」を作り、Cramic は毎分 6,000〜18,000 回転のルータで翼の外板を削りました。Cramic の機械は、焼き入れした丸棒の間を玉が循環する直線のボール軸受ですべりの摩擦をほとんどなくしていました[18]。すべり案内から転がり案内への動きは、こうした航空機の高速の機械から始まっています。

Adcock and Shipley の Bridgeport

町工場の汎用フライス盤では、米国の Bridgeport のタレットフライス盤が英国でも作られるようになります。1959 年、Leicester の Adcock and Shipley が、米国の Bridgeport Machines との契約で英国での製造を始めました。ひざ形の柱の上面に回る首(タレット)を載せ、その上を前後に動くラムの先にフライス頭を付けた形で、テーブルは 42×9 インチ(約 1,070×230mm)、ふだんは手送りでした[19]。米国では 1951〜58 年に週 28 台から 125 台に増産した人気の機械で[20]、英国の工場は Yorkshire の Bridlington にも広がり、1970 年 4 月には 10,000 台目がドイツへ出荷されています[27]。Adcock and Shipley は米国以外での Bridgeport の製造のライセンスを持ち、1971 年に Bridgeport の親会社 Textron に買われました[28][29]。工作物を動かさずに刃物の位置と角度を変え、クイルで穴もあけられる Bridgeport 形は、英国の型・治具・試作の工場の標準になりました(米国での誕生はアメリカ第 7 章)。

ボールねじと PTFE:Marwin の Max-e-Mill

NC の機械では、機械の側の作りも変わります。1965 年、Marwin は Ferranti と組んだ NC の立てフライス盤 Max-e-Mill を出しました。すべり面には摩擦の小さい PTFE(ふっ素樹脂)を張り、送りには 循環式のボールねじを使って、正確さと剛性を両立させています。2 本の主軸で幅 17 インチ(約 430mm)までの工作物を 2 個同時に削れ、制御は磁気テープの輪郭制御と、8 穴の紙テープの直線・位置決め制御の 2 種類でした[23]。手で回すハンドルのための台形ねじでは、がたと摩擦で細かい指令についていけません。ボールねじとすべりやすい案内面は、NC が要求する「指令どおりに、すぐ、正確に動く」ための答えでした。横中ぐりの Kearns も 1960 年、AEI の自動位置決め装置を付けた中ぐり・フライス盤を出し、工具を引きボルトとばねで主軸に引き込む作りにしています[22]。

Molins の System 24

1967 年、たばこの機械の Molins が「System 24」を発表します[24]。開発を率いた D. T. N. Williamson は Ferranti の出身でした。Molins は世界のたばこ製造機の 7 割を作る会社で、数 cm ほどの小さな部品を非常に多くの種類、作る必要がありました。System 24 は、性格の違う NC の機械(最初の設備は 6 台と自動検査機)の間に、パレットに固定した工作物を棚とコンベヤで計算機の指令どおりに回し、24 時間動かす構想です。作業員は前の日に計算機の出した予定表に従って工作物をパレットに付け、機械 1 台あたり 72 組のパレットを棚にためておきます[25]。5 軸の機械 1 台に何でもさせるより、3 軸の機械を組み合わせる方が安い、という経済性の検討もしていました[25]。米国のランド研究所の 1974 年の報告も、System 24 を NC の機械をコンベヤでつないだ進んだ例として取り上げています[26]。のちに FMS(フレキシブル生産システム)と呼ばれる考えの、早い実例でした。

★マシニングセンタの時代:KTM と Mazak の Worcester 工場(1973 年〜)

KTM と英国のメーカーの苦境

1970 年代、工具の自動交換(ATC)を持つマシニングセンタが広がると、英国のメーカーも MC を作ります。Leicester の Marwin Machine Tools は、決まった形の単位を組み合わせて客の注文に合わせる NC の工作機械 Modula で 1973 年に Design Council 賞を受け、値段を抑えて米国にも売っていました[31]。同じ 1973 年、米国 Kearney & Trecker の英国子会社と Marwin が合併して Kearney and Trecker Marwin(KTM)になり、Brighton で 1,200 人が NC フライス盤・マシニングセンタ・トランスファーマシンを作ります[30]。しかし経営は苦しく、1974 年 6 月には Vickers が経営を引き受け、産業省が新しい持株会社を通じて最大 350 万ポンドを出すことになりました。政府の機関誌は、この分野に英国のメーカーを残すための措置だと説明しています[30]。英国の工作機械産業全体の縮小は第 4 章にあります。

Bridgeport の英国の会社は 1986 年に Bridgeport Machines, Ltd. と名前を変え[29]、1990 年代の初めにも Leicester で操業していました[32]。Science Museum Group は、Bridgeport Machines Ltd. と Adcock-Shipley から入った Bridgeport のフライス盤を所蔵しています[37]。

Mazak の Worcester 工場

1987 年 6 月、日本の Yamazaki Mazak の英国工場が Worcester で開所しました[33][34]。欧州の生産拠点として、今は 50 を超える機種、年 1,000 台を超える工作機械を作り、立形マシニングセンタ VCN-600 は英国製と表示されています[35][36]。かつて米国の Cincinnati が Birmingham で米国式のフライス盤を作ったように、今度は日本のメーカーが英国でマシニングセンタを作る時代になったのです。

現場で何に効くか。英国の古いフライス盤を見るときは、「送りは段車からか、主軸と別の歯車箱からか(Parkinson のような独立送りか)」「頭は固定か、2 軸で回る万能頭か」「ひざ形か、門形のプラノミラーか、Bridgeport 形のラムとタレットか」「NC なら送りは台形ねじかボールねじか、案内面はすべりか転がりか」を見ると、その機械の世代と得意な仕事がわかります。プラノミラーの重切削、万能頭の角度削り、ボールねじと位置の読み取り、パレットで工作物を回す段取りは、どれも今の MC の基本の部品として残っています。今の削り方の基本は機械加工の基本に、NC のプログラムはNC プログラムにまとめています。

日本とのつながり

日本のフライス盤は、まず米国の Cincinnati の形を手本に育ちました(国産アーカイブ第 2 章)。英国のフライス盤メーカーと日本のメーカーとの技術提携は、この章の調べでは確かめられませんでした。その中で、英国と日本がはっきり交わるのは次の 2 つです。

1 つは FMS です。Molins の System 24 が発表された 1967 年から 5 年後の 1972 年、牧野フライス製作所は適応制御の MC によるトランスファラインを作り、山崎鉄工所(今のヤマザキマザック)は 1983 年に長時間の無人運転を目指した「MAZATROL FMS」を完成させます(国産アーカイブ第 2 章)。パレットとコンベヤで工作物を回して機械を止めずに動かすという System 24 の考えは、日本では MC と FMS の実用の形で広がりました。両者の直接の影響関係は、この章では確かめていません。

もう 1 つは Mazak の Worcester 工場です。日本の MC が世界に輸出された 1980 年代(同章)に、Mazak は英国に工場を作り、1987 年から欧州向けの工作機械を英国で作っています。立形マシニングセンタの VCN-600 には「MADE IN THE UK」と書かれています[33][35][36]。19 世紀に Enfield へ米国のフライス盤が届き、20 世紀に Cincinnati が Birmingham で作り、そして日本のメーカーが Worcester で作る、という流れは、英国のフライス盤の歴史が「外から来た機械を英国で作る」歴史でもあったことを示しています。米国・ドイツの同じ機種の章(アメリカ・ドイツ)とあわせて読むと、その違いがよく見えます。

⑂メーカーの系図

英国のフライス盤・マシニングセンタの主なメーカーの、社名の移り変わりと合併です。帯の左端と右端は、この章で確かめた最初と最後の出来事の年で、会社の創立や終わりの年ではありません(点線は「その先は未確認」)。赤い矢印は事業の行き先、右端の › は今も続く会社です。Cincinnati の英国工場の親会社の流れはアメリカ第 7 章の系図にあります。

186018801900192019401960198020002020Kendall and Gent(Salford → Gorton)W. E. Sykes の傘下Alfred Herbert(Coventry)J. Parkinson and Son(Shipley)Cincinnati Milling Machines, Ltd.(Birmingham)Adcock and Shipley(Leicester)Textron の傘下Bridgeport Machines, Ltd.Marwin(Leicester)合併KTMVickers の経営Yamazaki Machinery UK(Worcester)帯の区切りが社名の変更。赤い矢印は合併・事業の譲渡の行き先。右端の › は今も続く会社。点線はその先が未確認。
出典:各社の沿革と社史 [5][9][12][21][2][42][8][11][17][13][16][19][28][29][32][23][31][30][33][35]

見に行ける所

古いフライス盤は工場で使い切られることが多く、見られる所は限られます。公開日・見学の可否・展示の入れ替えは、行く前にそれぞれの施設の案内で確かめてください。

Science Museum(科学博物館)London(England)英国に売られた 5 台のうちの 1 台という Brown & Sharpe の No. 1 万能フライス盤(1865 年製)が、Making the Modern World の展示室に出ています。Nasmyth の形に近いフライス盤を含む 19 世紀半ばの機械工場の模型も所蔵しています(展示は行く前に確かめてください)[7][3][2]
Science Museum Group の収蔵品(オンライン目録)London ほか(England)Adcock and Shipley が英国で作った Bridgeport のタレットフライス盤、Parkinson の 1A 平フライス盤、Broadheath の George Richards の万能中ぐり・フライス盤、Cramic の NC フライス盤の模型などが目録に載っています。目録に展示の場所は書かれていないので、見たいときは博物館に問い合わせてください[37][38][39][40]
American Precision MuseumWindsor(Vermont 州、米国)1855 年に英国の Enfield の工場へ送られた銃の機械の多くを作った Robbins & Lawrence の兵器工場の建物そのもの(国定歴史建造物)にある工作機械の博物館です。英国のフライス盤の始まりを米国側から見られます[41][6]

⌛年表

この章で確かめた出来事のすべてです。番号は出典で、押すとその資料(ページが分かるものはそのページ)が開きます。「p.」は本のページ、「コマ」は Internet Archive のスキャンの通し番号(Gilbert の目録は画面のページ番号)です。

回るやすり輸入と普及英国のメーカー米国工場と戦争NC と FMSMC と外資の工場182018601900194019802020182918451855186518901906193419421955196519731987黄色の点は大事な出来事(下の表の ★、年は混み合うところを省略)。時代の区切りの年は目安です。

回るやすり:Nasmyth と初期のフライス削り1829〜1854 年

年出来事メーカー・機種出典
1829〜31年★Maudslay の工場に入った若い Nasmyth が、蒸気機関の模型に使う小さな六角ナットを削るため、硬い鋼の円板の刃(本人は「回るやすり」と呼ぶ)と、ナットを差した割出し板を組み合わせた機械を作ります。6 つの面を割出しで順に削り、手のやすりより正確で速いと Maudslay を喜ばせましたNasmyth の発明の一覧(p.409)は 1829 年。Woodbury は 1829 年 5 月の入社後、1831 年の Maudslay の死より前とするJames Nasmyth(Maudslay の工場)collar-nut cutting machine[1・p.145][1・p.146][2・コマ12][3・コマ7]
1830年ごろWoodbury は Nasmyth の機械を、フライス盤に割出し装置を付けた最初の例、刃を水で冷やした最初の記録としています。送りはねじとナットの自動送りでしたが、断続的で、上下・左右の調整はありませんでしたJames Nasmyth[2・コマ13]
1839年Bodmer の英国特許 No. 8070 に、テーブルを柱(コラム)の前で上下させる「ひざ形」の考えがすでに描かれていた、と Woodbury は書きます。ただし後の機械への影響はほとんどなかったとしています特許の原本は未確認(retry に記録)。ひざ形の普及は 1862 年の Brown & Sharpe の万能フライス盤からJohn George Bodmer(Manchester)[2・コマ24]
1841年Robertson Buchanan の『Practical Essays on Mill Work』(1841 年版)に Nasmyth 自身の説明と図が載ります。この本が取り上げた 54 台の工作機械のうち 21 台が Nasmyth の機械でした。ナット削りの機械は Nasmyth の工場の商品になり、技術者たちに「たっぷり」納めたと本人は書いていますNasmyth, Gaskell & Co.[2・コマ12][3・コマ7][1・p.146]
1845年(1848年に誌面で紹介)★Leeds の機関車工場の職長 Robert Willis が、機関車のクランク軸の腕を削る重い機械を作ります。仕上がりの曲線に合わせた鋼の刃を並べた円板を回し、ウォームで毎時約 9cm ずつテーブルを送って、ボール盤・立て削り盤・旋盤の 3 つの工程を 1 台にまとめました。重さ 7 トン、クランク 1 か所に 9 時間半送りは原文で毎時 3.5 インチ。設計の年 1845 は Woodbury によるE. B. Wilson & Co.(Railway Foundry, Leeds)Robert Willis のクランク削り盤[4・p.104][4・p.105][2・コマ12]
1849年Kendall and Gent が、Salford の Springfield 橋の近くに Victoria Works の最初の建屋を建てて工作機械づくりを始める(1894 年の機械学会の工場案内による)。のちに Gorton(Manchester)に移り、プラノミラーや大形のフライス盤で知られたGrace's Guide は 1847 年とするが出典が示されていない。1855 年には 2 人が金属を切る機械の英国特許を取っているKendall and Gent(Salford)[5]

Enfield の米国機と、遅れた普及1855〜1899 年

年出来事メーカー・機種出典
1854年Enfield の小銃工場を作り直すため、英国の委員会が米国の兵器廠と銃工場を視察します。Springfield では 10 年分の銃をばらして組み直して見せられ、互換性のある部品を機械で作る「アメリカン・システム」を採ることになりました。Nasmyth もこの委員会の一員でした視察の詳しい経過は第 2 章「世界の工場と追い上げられる英国」 を参照英国政府(Small Arms Committee)[6・p.138][6・p.140][3・コマ9]
1855年★Enfield 向けに 157 台の機械が米国から英国へ送られ、そのうち 74 台がフライス盤でした。Science Museum の Gilbert は、この Enfield の機械の輸入で、フライス盤が英国に入ってきたとまとめていますRoe の数字はフライス盤 74・ボール盤 23・タップ立て 5・縁削り 7、残りはねじ切り・ライフリングなどの専用機Robbins & Lawrence・Ames ほか(米国)[6・p.138][3・コマ9]
1865年★Brown & Sharpe の No. 1 万能フライス盤のうち 5 台が英国に売られ、その 1 台(1865 年製)が今も Science Museum にあります。ひざ形・旋回するテーブル・送りねじとつないだ割出し台という、のちのフライス盤の型を決めた機械ですScience Museum の目録番号 1961-56。寄贈は Singer Sewing Machine Co. Ltd.Brown & Sharpe(米国)No. 1 万能フライス盤[3・コマ74][7]
1867年Joseph Parkinson が事業を起こす(Floud 1976 は同社の古い記録を使ってこの年とする)。のちの Shipley(Yorkshire)の J. Parkinson and Son で、20 世紀にはフライス盤と Sunderland の歯車平削り盤を作ったJ. Parkinson and Son[8]
1881年8月Manchester の Alfred Muir が、切りくずを細かく分けるためにフライスの刃にねじれた溝を入れる英国特許(No. 498)を取ります。重い削りで刃にかかる力を減らす工夫でしたAlfred Muir(Manchester)[2・コマ27]
1883年米国の Pickering は、欧州の博覧会に出た米国式フライス盤の写しの中に元のメーカー名まで写したものがあり、英国のメーカーも同じことをしたと報告しましたWoodbury の注(Trans. ASME Vol. V, 1883)による英国の工作機械メーカー[2・コマ6]
1889年Kendall and Gent がイタリアの造船所向けに、鋼板の縁を削る大形のフライス盤を完成させます。The Engineer はこれを「これまで平削り盤・立て削り盤でしていた仕事にフライス削りが広がった例」として紹介しましたKendall and Gent(Manchester)[9・コマ70]
1890年8月George Richards が、平削り盤のような台に主軸頭を載せ、旋回するテーブル・左右前後の動力送り・摩擦車の逆転・ウォームの主軸駆動を持つ立てフライス盤の英国特許(No. 12,076)を取りますGeorge Richards(Broadheath)[2・コマ42]
1890年10月★機械学会(IMechE)で Addy が論文「On Milling Cutters」を読みます。討論では「英国の機械工場でフライス盤を持つのは 6 割以下」と述べられ、英国の技術者はフライス盤の採用が遅いと責められてきたという声も出ました。一方、鉄道の Nine Elms 工場からはフライス削りで 3〜4 割安くなったという報告がありました論文は印刷の p.528〜、討論は p.538〜552George Addy(Sheffield)[10・コマ977][10・コマ982][10・コマ979]

英国のメーカー:立て形・万能・プラノミラー1900〜1933 年

年出来事メーカー・機種出典
1906年12月★A. Herbert と P. V. Vernon が、立てフライス盤の主軸を何段かの速さで動力で上下に送る歯車の英国特許(No. 6491)を取ります。同じ年の Herbert の立てフライス盤の図を、Woodbury は 1900 年以降に英国と大陸の設計者が立てフライス盤に大きく貢献した例として載せていますAlfred Herbert(Coventry)[2・コマ43][2・コマ44][2・コマ42]
1907年7月Alfred Herbert らが、ひざを前から締め付けて固定する仕掛けの英国特許(No. 15,645)を取ります。Brown & Sharpe が 1900 年に機械に入れていた工夫で、英国ではのちに特許になったと Woodbury は書きますAlfred Herbert(Coventry)[2・コマ30]
1913〜14年テーブルを早送りで近づけ、切削送りで削り、早戻しで戻す自動の送りの制御について、英国でも Coxon(1913 年、No. 15,639)と Gartside(1914 年、No. 17,749)の特許が出ますFred Coxon・Vincent Gartside[2・コマ46]
1920年9月Olympia の工作機械展に Archdale が立てフライス盤を出します。一定の速さで回るベルト車とクラッチで動かし、大きい機械は幅 7 インチ(約 18cm)・深さ 0.06 インチ(約 1.5mm)の削りを軟鋼でこなせましたJames Archdale and Co.(Birmingham)[11・コマ5]
1920年9月同じ展示会で Parkinson は、主軸と送りを別々に駆動する万能フライス盤を出します。18 段の主軸の速さと 16 段の送りを自由に組み合わせられ、テーブルは左右に 50 度まで回りましたJ. Parkinson and Son(Shipley)[11・コマ7]
1932年10月Kendall and Gent が、英国でそれまでに作られた中で最大とうたう重切削のプラノミラー(門形のフライス盤)を作ります。大きな工作物を何度も据え直す手間をなくすための機械でしたKendall and Gent (1920), Ltd.(Manchester)大形重切削プラノミラー[12・コマ19]

Cincinnati の英国工場と第二次世界大戦1934〜1958 年

年出来事メーカー・機種出典
1934年★米国の Cincinnati が英国に工場を作り、最初の英国製の Cincinnati のフライス盤と工具研削盤が 1934 年に出ます。米国の会社が西欧で工作機械を作り始めた年として、米国の博物館も紹介していますCincinnati Milling Machines, Ltd.(Birmingham)[13・コマ47][14]
1942年★第二次世界大戦中の 1942 年、英国のフライス盤の生産は 10,196 台で、米国からの輸入のピーク(年 6,807 台)を上回っていました。ただし特殊なフライス盤のいくつかは輸入でしか手に入りませんでした政府の公式の戦史による。比較は台数で、輸入には高価な専用機が多かったと注記英国の工作機械工業[15・p.331][15・p.332]
1946年11月Birmingham の工場で、5 馬力の電動機を持つ中形のひざ形フライス盤 No. 2MI(平・万能)の生産が始まります。主軸の速さは 60 対 1、送りは 120 対 1 の幅で変えられ、オーバアームには振動を抑える仕掛けが組み込まれていましたCincinnati Milling Machines, Ltd.(Tyburn, Birmingham)No. 2MI[16・コマ16]
1952年9月Parkinson が、オーバアームに専用の電動機付きの万能フライス頭を付けた万能フライス盤を工作機械展に出します。頭は直角の 2 つの軸で 360 度回り、どんな角度からでも削れ、16 段(毎分 44〜1,800 回転)の主軸は 3 インチ前後に送って斜めの穴もあけられましたJ. Parkinson and Son (Shipley), Ltd.[17・コマ4]
1958年Birmingham の工場は戦後 10 年の拡張で床面積を大きく広げ、流れ作業の工場に組み直されますCincinnati Milling Machines, Ltd.[13・コマ47]

NC・Bridgeport・ボールねじ・System 241955〜1972 年

年出来事メーカー・機種出典
1955年10月★航空機の Fairey Aviation が、補給省(Ministry of Supply)の後押しで、3 つの軸すべてを数値で制御する大形のフライス盤の契約を結びます。制御は Ferranti の設計で、磁気テープで動きました機械は 1958 年 3 月の報告の時点で試験中。作業範囲 24×7 フィート(約 7.3×2.1m)、重さ約 50 トンFairey Aviation・Ferranti(Edinburgh)[18・コマ94][18・コマ63]
1957年6月Ferranti の計算機制御のフライス盤で、刃物の代わりに測定ヘッドを付けて形を自動で測る実演が行われます。英国では Ferranti のほか EMI・Ekco・BTH が NC の装置を出し、普通のフライス盤に付けて使われ始めていましたFerranti・補給省の検査部[18・コマ99][18・コマ71]
1958年3月Ferranti の 3 次元の連続制御を Kearney & Trecker のフライス盤に付けた例が報告されます。1 インチに 2,500 本の線を刻んだ回折格子を重ねてできる明暗の縞を数え、テーブルの位置を 0.0002 インチ(約 5μm)まで読む仕組みでしたFerranti[18・コマ74]
1958年3月航空機の外板や桁を削るため、Fairey は型板を油圧でなぞる倣いフライス盤「Green Linnet」を、Cramic は毎分 6,000〜18,000 回転のルータを作ります。Cramic の機械は、焼き入れした丸棒の間を玉が循環する直線のボール軸受で動きを軽くしていましたFairey Aviation・Cramic EngineeringGreen Linnet ほか[18・コマ63][18・コマ64]
1959年5月★Leicester の Adcock and Shipley が、米国の Bridgeport Machines との契約で、Bridgeport のタレットフライス盤の英国での製造を始めます。ひざ形の柱の上に回る首(タレット)とラムを載せた形で、テーブルは 42×9 インチ(約 1,070×230mm)でしたAdcock and Shipley(Leicester)Bridgeport タレットフライス盤[19・コマ96][20・コマ105]
1959年8月Staines の歯切り盤メーカー W. E. Sykes が、Gorton のプラノミラーのメーカー Kendall and Gent の株の大半を手に入れる鉄道誌の 1960 年 4 月の記事(Sykes の中間報告)は、Kendall and Gent の決算期末(1959 年 9 月 30 日)の 8 週間前の取得とするW. E. Sykes・Kendall and Gent[21]
1960年7月横中ぐりの Kearns が、AEI の 2 軸の自動位置決め装置を付けた万能の中ぐり・フライス・穴あけ盤を工作機械展に出します。工具は引きボルトとばねで主軸に引き込む作りでしたH. W. Kearns & Co.(Broadheath)[22・コマ64]
1965年4月★Marwin が、Ferranti と組んだ NC の立てフライス盤 Max-e-Mill を出します。すべり面に摩擦の小さい PTFE(ふっ素樹脂)を張り、送りに循環式のボールねじを使い、2 本の主軸で 2 個を同時に削れました。磁気テープの輪郭制御と、紙テープの位置決め制御の 2 種類がありましたMarwin (Holdings) Ltd.Max-e-Mill[23・コマ52]
1967年★たばこの機械の Molins が、計算機の指令で何台もの NC の機械の間に工作物を回す「System 24」を発表します。開発を率いた D. T. N. Williamson は Ferranti の出身でした。パレットに載せた部品を棚とコンベヤで運び、24 時間の運転を目指しましたElectronics Australia は Manchester の第 8 回 MTDR 会議で発表されたとする。最初の設備は Deptford の自社工場向けMolins Machine Co.(London)System 24[24][25][26・コマ18]
1970年4月Bridlington の工場で 10,000 台目の Bridgeport が完成し、ドイツへ出荷されます。ドイツへは毎月コンテナで送っていましたAdcock and Shipley (Bridgeport) Ltd.[27・コマ55]
1971年米国の Bridgeport の親会社 Textron が Adcock and Shipley を買います。Adcock and Shipley は米国以外での Bridgeport の製造のライセンスを持っていましたTextron・Adcock and Shipley[28][29]

マシニングセンタの時代:KTM と Mazak の Worcester 工場1973 年〜

年出来事メーカー・機種出典
1973年★米国 Kearney & Trecker の英国子会社と Marwin Machine Tools が合併し、KTM になります。NC フライス盤・マシニングセンタ・トランスファーマシンを作る英国の代表的なメーカーで、従業員は 1,200 人でした政府の機関誌(1974 年 6 月)が「昨年の合併」と書くため 1973 年としたKearney and Trecker Marwin Ltd.(Brighton)[30・コマ3]
1973年5月Marwin の NC 工作機械 Modula が Design Council 賞を受けます。決まった形の単位(モジュール)を組み合わせて客の注文に合わせる作りで値段を下げ、米国にも売れていましたMarwin Machine Tools Ltd.(Leicester)Modula・Modulamatic[31・コマ27]
1974年6月経営の苦しくなった KTM の経営を Vickers が引き受け、産業省が新しい持株会社を通じて最大 350 万ポンドを出すことになります。英国にこの分野のメーカーを残すための措置でしたKearney and Trecker Marwin・Vickers[30・コマ3]
1986年Adcock & Shipley の社名が Bridgeport Machines, Ltd. に変わります。1990 年代の初めにも Leicester の Forest Road で操業していました改称の年は IDCH による(もう 1 つの資料で確かめられず)Bridgeport Machines, Ltd.(Leicester)[29][32]
1987年6月★日本の Yamazaki Mazak の英国工場が Worcester で開所します。欧州の生産拠点で、今は年 1,000 台を超える工作機械を作り、立形マシニングセンタ VCN-600 は英国製と表示されています開所の年月は Mazak の社史(1989)、年は The Times(1992)と Mazak の公式の案内によるYamazaki Machinery UK(Worcester)[33][34][35][36]

よくある質問

英国でフライス盤が広まるのが遅かったのはなぜですか?
フライス盤が量産の機械として英国に入ったのは、1855 年に Enfield の小銃工場へ米国から 74 台が届いてからでした。その後も、刃物が高く研ぐのが難しいこと、数少ない輸入機を想定外の重い仕事に使ったこと、平削り盤の熟練した使い方が根づいていたことなどから、普及はゆっくりでした。1890 年の機械学会では、フライス盤を持つ工場は 6 割に満たないと語られています。本格的に広まったのは 1890〜1910 年ごろからです。
Nasmyth のナット削り盤は世界最初のフライス盤ですか?
いいえ。米国の Whitney や Middletown の銃工場の機械の方が早いと考えられています。ただ Nasmyth の機械は 1829〜31 年に作られたことが本人の記録ではっきりしており、フライス盤に割出し装置を付けた最初の例、刃を水で冷やした最初の記録とされています。
英国で Bridgeport のフライス盤を作っていたのはどこですか?
Leicester の Adcock and Shipley です。1959 年に米国の Bridgeport Machines との契約で製造を始め、のちに Bridlington にも工場を広げて、1970 年には 10,000 台目を出荷しました。1971 年に米国の Textron に買われ、1986 年に社名を Bridgeport Machines, Ltd. に変えています。
Molins の System 24 とは何ですか?
たばこの機械のメーカー Molins が 1967 年に発表した、計算機の指令で何台もの NC の機械の間にパレットに載せた工作物を回し、24 時間動かそうとした生産システムです。開発を率いた D. T. N. Williamson は Ferranti の出身で、のちに FMS(フレキシブル生産システム)と呼ばれる考えの早い実例とされています。

この先と関係するページ

出典

本と業界誌は Internet Archive のスキャンで、博物館の所蔵品は Science Museum Group の目録で、メーカーの沿革は各ページを 2026 年 10 月に確かめました。「コマ」はスキャンの通し番号(1 コマに 1〜2 ページ)、Gilbert の目録は画面のページ番号(印刷の番号より 1 大きい)です。1 年分が 1 つのファイルの新聞と貸出の本は、Internet Archive の全文検索の抜粋で記事を確かめたため、ページを付けていません。英国の特許の番号と日付は Woodbury の本の注によります。「最初」は、何の最初か(記録・特許・製品)を本文に書き分けています。

  1. James Nasmyth『James Nasmyth, Engineer: An Autobiography』Samuel Smiles 編、John Murray(1883)p. 145・146
  2. Robert S. Woodbury『History of the Milling Machine: A Study in Technical Development』MIT Technology Press(1959)※番号はスキャンのコマ(Internet Archive の n 番号。1 コマに 1〜2 ページ)コマ 6・12・13・24・27・30・42・43・44・46
  3. K. R. Gilbert『The Machine Tool Collection: Catalogue of Exhibits with Historical Introduction』Science Museum/HMSO(1966)※番号は Internet Archive の画面のページ番号(印刷のページより 1 大きい)コマ 7・9・74
  4. 『The Practical Mechanic's Journal』Vol. 1(Glasgow、1848〜49)「Crank-Cutting Machine. By Messrs. E. B. Wilson & Co., Railway Foundry, Leeds」p. 104・105
  5. 『Proceedings of the Institution of Mechanical Engineers』1894 年(7 月の Manchester 大会の工場案内)pp.419–421
  6. Joseph W. Roe『English and American Tool Builders』Yale University Press(1916。スキャンは 1926 年の再版)p. 138・140
  7. Science Museum Group Collection「Brown and Sharpe first universal milling machine」1865(1961-56)
  8. Roderick Floud『The British Machine Tool Industry, 1850–1914』Cambridge University Press(1976)
  9. 『The Engineer』Vol. 68(1889 年 7〜12 月)Kendall and Gent の大形フライス盤の記事 ※番号はスキャンのコマコマ 70
  10. 『Proceedings of the Institution of Mechanical Engineers』1890 年(George Addy「On Milling Cutters」と討論。1890 年 10 月 30 日の会合)※番号はスキャンのコマコマ 977・979・982
  11. 『Engineering』1920 年 9 月 10 日号(Olympia の Machine Tool and Engineering Exhibition の記事)※番号はスキャンのコマコマ 5・7
  12. 『The Engineer』1932 年 10 月 14 日号「A Large Plano-Milling Machine」(Kendall and Gent (1920), Ltd.)※番号はスキャンのコマコマ 19
  13. 『Machinery』1958 年 1 月 3 日号「Cincinnati Milling Machines Expansion」※番号はスキャンのコマコマ 47
  14. American Precision Museum「Frederick V. Geier」(Machine Tool Hall of Fame の解説)
  15. William Hornby『Factories and Plant』(History of the Second World War, United Kingdom Civil Series)HMSO(1958)p. 331・332
  16. 『The Railway Gazette』1946 年 11 月 22 日号(Cincinnati Milling Machines, Ltd. の No. 2MI ひざ形フライス盤)※番号はスキャンのコマコマ 16
  17. 『The Engineer』1952 年 9 月 12 日号 付録(工作機械展の出品の解説)※番号はスキャンのコマコマ 4
  18. 『The Institution of Production Engineers Journal』Vol. 37 No. 3(1958 年 3 月。航空機の生産技術の論文と討論、計測の報告)※番号はスキャンのコマコマ 63・64・71・74・94・99
  19. 『The Engineer』1959 年 5 月 15 日号(Adcock and Shipley が Bridgeport のタレットフライス盤を英国で製造)※番号はスキャンのコマコマ 96
  20. 『Automobile Engineer』1960 年 8 月号(Bridgeport のタレットフライス盤の英国でのライセンス生産)※番号はスキャンのコマコマ 105
  21. The Railway Gazette 第 112 巻(1960 年 4 月 15 日)「W. E. Sykes Limited Interim Report」
  22. 『Mechanical World and Engineering Record』1960 年 7 月号(International Machine Tool Exhibition の出品)※番号はスキャンのコマコマ 64
  23. 『Board of Trade Journal』1965 年 4 月 16 日号(Marwin の Max-e-Mill)※番号はスキャンのコマコマ 52
  24. 『Machinery and Production Engineering』Vol. 111(1967 年 7〜12 月)索引「Molins Machine Co., Ltd.: System 24 — a new concept of manufacture」
  25. 『Electronics Australia』1968 年 5 月号(Molins の System 24 の解説)
  26. RAND(DTIC ADA004612)『Computer-Based Automation of Discrete Product Manufacture』(1974)※番号はスキャンのコマコマ 18
  27. 『Board of Trade Journal』1970 年 4 月 15 日号(Bridlington で作った 10,000 台目の Bridgeport)※番号はスキャンのコマコマ 55
  28. 『Financial Times』1971 年(Textron による Adcock and Shipley の買収の記事。Internet Archive の 1 年分のスキャン)
  29. 『International Directory of Company Histories』「Bridgeport Machines, Inc.」(encyclopedia.com 掲載)
  30. 『Trade and Industry』1974 年 6 月 13 日号(Kearney and Trecker Marwin の再建と Vickers)※番号はスキャンのコマコマ 3
  31. 『Trade and Industry』1973 年 5 月 3 日号(Design Council 賞:Marwin Machine Tools の Modula)※番号はスキャンのコマコマ 27
  32. Graham T. Smith『CNC Machining Technology』Springer(1993)巻末の会社の一覧
  33. Yamazaki Mazak『Master of Manufacturing Technology: The 70-Year History of MAZAK』(1989)
  34. 『The Times』1992 年(英国の日系製造業の一覧の記事。Internet Archive の 1 年分のスキャン)
  35. Yamazaki Mazak「Production Facilities: UK(European Manufacturing Plant, Worcester)」
  36. Yamazaki Mazak「Vertical Machining」(立形マシニングセンタ VCN シリーズの案内)
  37. Science Museum Group Collection「Bridgeport milling machine」(1975-14、Bridgeport Machines Ltd.; Adcock-Shipley)
  38. Science Museum Group Collection「Parkinson 1A plain horizontal/milling machine」(1980-1659)
  39. Science Museum Group Collection「Universal Facing, Boring, Drilling and Milling Machine Made by George Richards & Co. Ltd」1886〜1930(Y2005.34)
  40. Science Museum Group Collection「Model N.C. milling machine」(1971-147、Cramic Engineering Co.)
  41. American Precision Museum「About」
  42. 『Machinery』1961 年 5 月 10 日号(Alfred Herbert の No. 47V 立てフライス盤の広告)※番号はスキャンのコマ